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「……私……探さないと……」


 ――あの日、私や喜平くん、そして妙ちゃんを守ってくれたあの人は、私の兄とよく似た顔をしていた。その人の登場はあまりに突然で、……不意打ちで。だから私は、沖田さんの前だというのにも関わらず、いつもの冷静さを保つことが出来なかった。


 私を心配そうに見上げる喜平くんにも、妙ちゃんにも……沖田さんが私に向ける複雑な視線にも何一つ上手く対処することが出来ず、私はただ震える両手を握り締めることしか出来なかった。


「……探さないと」


 その時の私にだって、ちゃんとわかっていた。ここに兄がいる筈ないって。あれは、ただ兄と顔が似ているだけの人なんだって。けれどそうはわかっていてもやっぱりその顔は兄に瓜二つで――髪型や服装は違っていてもそれは確かにお兄ちゃんの顔そのもので。

 だから私は、いつもの理性を取り戻せなかったのだ。


「――私、……探してきます」

 私はただ本能のままに言葉を放つことしか出来なかった。自分のこの言葉によって沖田さんがどう思うのかという考えには至らず、震える声で訴えることしか出来なかった。

 どうにか沖田さんの両手から逃れ、兄によく似たあの人を探しにいきたい一心で……。けれど勿論、沖田さんがそれを許す筈がない。


「駄目だよ」

 沖田さんの腕は、私の両肩を捕まえて放さない。彼は声を荒げることこそしなかったが、本当ならそうしたいとでもいうように、肩を掴む両手により一層強を込める。


 それでも私は懇願した。あの人を探しに行かせて欲しい。この腕を放して欲しい――と。


「お願い……放して。私……探さなきゃ。――お兄ちゃんを、探さなきゃ」

 私はあのとき、多分こんな言葉を繰り返していたと思う。自分の言葉の重さも知らず、あの人と話をしてみたいという一心で、それこそ無我夢中で。沖田さんにどう思われるかなんて、考える余裕もなくて。


「放して下さい!」

 けれど、そうやって声を張り上げた私を、沖田さんは見捨てなかった。私の可笑しな言動も、辻褄の合わない言葉の内容を問いただすこともせず、沖田さんはただただ辛そうな表情で私を見つめる。その瞳は、決して私を疑ってはいなかった。


 あれから数日たった今ならわかる。あれは沖田さんの優しさだったんだって。


「駄目だよ」――と、私の眼前で静かに呟く沖田さん。私を決して行かせてくれることはなかったけれど、私をその場にとどめることが私と帝への最大限の配慮だったのだと、今ならちゃんと理解できる。


「千早、よく聞いて。僕は君の事情なんて知らないし、さっきの男が君の兄なのかだって知りはしない、知るつもりもない。今後一切、君に問いただすつもりもない。だからとにかく今は落ち着いて」

 沖田さんは周りに聞こえないくらいの声で、けれども私をまっすぐに見つめてそう言った。錯乱状態に近い私を落ち着かせるように、諭すように――。


「思い出すんだ。君は自分がエゲレスに住んでいたと言ったね。君の兄もそこにいると確かに言った。――つまり、さっきの男は他人の空似だと言うことだ。……そうだろう?」


 その声は強く、けれど穏やかで……私は悟る。沖田さんは、私たちの嘘に気が付いている――と。


「まもなくここに左之さんと一くんがやって来る。二人は君たちがエゲレスに住んでいたことは知らない。そんな二人に君がさっきの男を「自分の兄」などと言ってしまったら、二人は悪気なく土方さんにそう伝えてしまうよ。そんなことになったら君たち二人はどうなるか……。君にわからない筈がない」

「……あ」

 沖田さんの言葉に、私は大きく目を見開いた。


 ――ああ、確かにそうだ。沖田さんの言うとおりだ。もし土方さんにこの話が伝わったら、帝の話が嘘だったことがばれてしまう。私達の素性がおかしいことが知られてしまう。


 だが、どうして沖田さんは私たちを庇うようなことを言うのだろうか。

 

「だから今はしっかりして。ただでさえ人が三人も死んだんだ。まずはこの騒ぎを治めなきゃいけない。僕だって君の面倒まで見ていられないんだよ。わかるだろう?」


 その言葉は真剣だった。沖田さんの素直な気持ちに感じられた。そこにはただ、私のことを心配する感情しか見えない。


 私は息を呑んだ。沖田さんの瞳が、真っ直ぐすぎて――。


「別に泣くなとは言わないよ。君にとって、こんな騒ぎに巻き込まれるのは初めてのことだろう。だから泣くなとは言わない。けれどとにかく、さっきの男のことは知らない振りをするんだ。君を守ろうとしている、秋月の為にも――」


 心配そうに私を見つめる彼の瞳。それはただ優しくて、以前街で迷子になった私を見つけてくれたときの沖田さんのようだった。

 気が付けば、私は多少冷静さを取り戻しているようだった。最初はよくわからなかった沖田さんの言葉も、ちゃんと理解出来るようになってきている。

 両手の震えはまだ収まらないけれど、脳みそは理性を取り戻し始めていた。


 それを自覚してやっと、私は沖田さんの言葉に頷くことが出来た。すると彼は、心底安心したようにほっと息をつく。


「いい子だ。じゃあ、この場は僕が説明するから君は何も言わないこと。――いいね?」

「……わかりました」

 私は今度こそ深く頷いた。沖田さんはそれを見届けて、私に踵を返す。そうして彼は、すぐそこまで来ている巡察組の方へと駆けだしていった。


 その背中を見つめ、私は考える。――どうして沖田さんは私たちを庇ってくれるのかと。今の沖田さんは、最初にあったときの彼とはまるで別人だ。その理由は一体何だろう……と。


 けれど考えても、その答えはわからなかった。それでもただ一つはっきりしていることは、これ以上怪しまれるようなことを言ってはいけないのだということ。私を庇ってくれた沖田さんの為にも、原田さんや斎藤さんに勘付かれるような態度をしてはならない。


 だから私は考える。さっき沖田さんは言った。泣いてもいい――けれど、先ほどの男については何も言わないこと、と。その言葉を、私は頭の中で何度も何度も繰り返す。

 そうして、決めた。今だ心に残るこの動揺を、兄に似たあの人に対する波打つ感情を、この騒ぎに巻き込まれたことへの恐怖心へとすり替えるのだ、と。ここで泣きだす――それは、下手に冷静でいるよりもよっぱどまともで自然な反応なのだから。


 ふと視線を動かせば、向こうから駆け寄ってくる斎藤さんと目が合った。私はそんな斎藤さんに心を読まれてなるものかと考える。だから私は涙を堪える素振りを見せて――その胸に敢えて飛び込んだ。



◇◇◇



「……や。――おい、千早!」

「――っ」

 私がハッとして顔を上げれば、目の前には帝がいた。


「……あ。帝」

「話聞いてた? ……もしかして、気分でも悪い?」

 心配そうに瞳を揺らした帝が、私の顔を覗き込んでいる。


「ごめん、聞いてなかった。ちょっと……この前のこと思い出しちゃって」


 あの事件があってからしばらく経った今日の日の午後。私は今帝と二人、自分と日向に割り当てわれたこの部屋で今度のことについて話し合っていた。けれどいつの間にか意識を飛ばしてしまっていたらしい。


 結局あの事件の後、沖田さんはあの時の言葉通り、私に「兄によく似た男」について追及してくることはなかった。沖田さんはあれから数日経った今も、それまで通りの態度で私に接してくれている。私のあの日のおかしな発言が、他の誰かに伝わっている様子は全くない。

 あれ以降、私があの人について話したのは帝にだけ。そんな帝も、沖田さんからあの日のことについて言及されてはいないらしい。


 けれど、一つ気がかりなことがある。あれ以来、帝と沖田さんの関係が悪化の一途をたどっていることだ。あの日返り血まみれで屯所に帰った私を見た帝は、一瞬で顔を蒼くさせた。人間の顔色がああも一瞬で変わるものかと、驚くほどに。


 そんな帝は、その血が私のものではないと知ると心底安堵し胸をなでおろしていた。けれど次の瞬間には、沖田さんに罵声を浴びせたのだ。「なぜこんなことになった、どうして千早を危険な目にあわせた」――と。私を苗字で呼ぶのも忘れ、彼は沖田さんに怒鳴り散らした。それは帝と付き合って二年の私でさえ初めて見る彼の姿で、そのあまりの豹変ぶりに私はとても驚いた。


 ――それに、驚いたのはもう一つ。そんな無礼な態度の帝に対し、沖田さんが少しも反撃しなかったことだ。彼は帝に胸倉を掴まれても、一言も言葉を返すことなく成すがままにされていた。もしも原田さんや斎藤さんが止めてくれなければ、きっと帝は勢いのまま沖田さんに殴りかかっていただろう。


 ともかく、あれ以来帝は表にこそ出さないものの沖田さんをよく思っていないようだし(騒ぎの原因が私の軽率な行動にあったのだと説明しても、それが変わることはなかったし)、沖田さんの方も帝に話しかけようとしない。もともと二人の間に会話らしい会話というものはなかったけれど、それがあの件をきっかけに一層顕著になってしまった。


 そうやって再び悩み始める私に、帝の右手が伸びて来る。その手のひらが私の頬に触れ、再び私の意識を呼び戻した。


「やっぱり気になるよな。廉さんに似たその人のこと……」

 私を真っ直ぐに見つめた彼の瞳が、私の心を読み取ろうと微かに揺れる。私はそんな帝の優しさにほっとしながら、私の頬に触れる帝の右手に、自分の左手をそっと重ねた。


「気になるよ、凄く。……だって、本当にそっくりだったから。――けどね」

「……?」

「それより私が今一番心配なのは、帝と沖田さんの仲なんだよね。……お互い避け合ってるの、私が気付いてないと思ってる?」

「……それは」


 私が帝をじっと見返せば、彼はらしくない様子で私からふいと目を反らす。


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