七
◇
「総司! こりゃあ一体どういうことだ」
「……左之さん」
巡察中の原田や斎藤らが駆けつけたときには、既に事は済んだ後だった。そこには険しい表情で立ち尽くす沖田と、そのそばで怯えたように肩を震わせている千早の姿。そしてその足元には、絶命した三つの亡骸が転がっていた。
原田はそれらの遺体の刀傷に目をやりながら、ここで一体何が起こったのかと困惑する。
――原田さん、斎藤さん、早う来て! 向こうで斬り合いが! 沖田さんと佐倉さんが巻き込まれてもうて……私どないしたらッ!
巡察中の原田たちのもとに、椿が泣きながらそれを伝えに来たのは今よりほんの少し前のことだった。それを聞いた彼らは全速力で駆けつけたのだ。けれどこの状況を見るに、どうやら間に合わなかったらしい。
大量の返り血を浴びた千早は、大粒の涙を目に浮かべて斎藤に縋り付いている。
「……」
原田は無言でその光景を見やる。このような状況に慣れていない千早なら、まぁ当然の行動だろう――と。
原田は千早のことは斎藤に任せることにして、地面に転がる男の亡骸の傍で腰を落とした。三人のうち二人は身体の正面に刀傷が、残りの一人は背中から心臓を貫かれている。その傷はどれも深く致命傷で、あたりには血だまりができていた。
「総司……お前が斬ったのか?」
鋭く深い刀傷。一撃で相手の命を絶つほどの躊躇いのない一太刀。これほどの致命傷を与えるには、少なくとも自分や沖田ほどの実力が必要だろうと彼は考えていた。けれど沖田は何も答えない。
――違うってことか?
そう思って原田が死体を再度観察すれば、心臓を貫かれた一人は太ももにも深い傷を負っている。これは相手の動きを止めるための一撃だろう。――と言うことは、つまり……。
「お前が殺したんじゃねぇっつうんなら、これをやったのはどこのどいつだ?」
原田は男の傷に視線をやったまま、背後に立つ沖田に再度尋ねた。すると流石の沖田も、今度こそ口を開く。
「すみません、……逃げられました。どこのどいつかは不明です」
沖田はそう言って、瞳を暗く揺らめかせた。
「子供がこいつらに絡まれていて……それを千早が庇って斬られそうになったんです。そしたら突然あの男が現れてこいつらを……」
「……」
――何だ、この殺気は?
原田は沖田の暗い表情に違和感を覚えていた。今の話からするに、逃げた男は子供や千早の命を救ってくれたということだ。にも関わらず、沖田から発せられるのは強い殺気。それは既に事が済んだ今でさえ消えることが無い程の。
――確かに、この場を逃げおおせたというのは気になるが、それにしたってどうして総司はこんなに苛立ってんだ……?
原田は不審に感じながらも、続きを尋ねる。
「……なら、その絡まれてたっていう子供はどうした?」
「家に帰しましたよ、特に怪我もなさそうだったので」
沖田は皮肉気に口角を上げた。けれどもその殺気と鋭い眼光は消え去ることはない。
そんな沖田の姿に、原田は嘆息した。
おそらく逃げた男というのは相当に腕の立つ者だったのだろう。
本来なら当事者である少年を家に帰すなどありえない。せめて原田たち見回り組が来て、きちんと事情を聞いてから判断するべきことだ。けれど今の沖田はそれすら考えられない心境のようである。
それに、その男は千早の命の恩人と言っても差し支えない筈。それなのに沖田はその男に対して必要以上の殺気を漂わせている。つまりそれは、逃げた男がただ者ではないということを証明していた。
「総司、その男の特徴は……」
「……身丈は一くんと同じくらいですかね。後は……長髪でした。珍しく首の後ろで髪を結っていて……話し方はやたら丁寧でしたが、……いけ好かない男ですよ」
沖田は続ける。
「あの男、僕が敢えて殺さずにおいた一人にわざわざとどめを刺したんです。あれだけの腕があれば一人も殺さずに対処出来た筈なのに……」
原田はその言葉に、合点がいった、という顔をした。
――なるほどな。千早の命は助けられたが、自分を侮辱されたようで総司は気がたっているわけか。
「左之さん」
沖田は呟く。
「……なんだ」
「あの男……、左之さんたちを見て、僕の仲間が来たって言ったんです」
「何?」
――つまりその男は、総司が新選組の隊士だと知っていたということか……?
「……左之さん、あの男が敵か味方かは知りませんが……再び相見えることになったら、手出ししないで下さいね」
「……」
――いや、そもそも俺にはその男の姿かたちはわからないのだから、そんなことを言われても困るのだが……。
原田はそう考えて、今度こそ深い溜め息をつく。
「……ったく」
沖田は確かに新選組随一の剣豪だ。しかし、まだまだこういうところは幼かった頃と変わらない。相手が強ければ強いほど、沖田は俄然やる気を出すのだ。
それをよく知っている原田は、「好きにしろ」と投げやりに答える。すると沖田はようやく気を落ち着かせたように、眉尻を下げた。
――にしても、だ。
原田は、今度は千早の方に視線を巡らせる。彼女は斎藤から離れ、道の隅で座り込んでいた。着物は返り血で赤く染まり、先ほどより多少マシになったとは言え顔は青白いまま。やはり、余程ショックだったのだろう。
そんな千早を離れた場所から見つめながら、原田は思うのだ。
やはり女の千早に、この場所は荷が重すぎる、と。いくら他に行くところがないとは言え、女に務まるものではないと。あの怯えようを見ればそれは明らかだ。
だが、原田にそれを意見する権限はない。それに千早はあくまで小姓だ。前線で戦う立場の人間ではない。であるから、しばらくはこのままでも問題はないだろう。……けれど。
「……なぁ、総司」
「……何です」
「佐倉には、お前の小姓は荷が重いんじゃねぇか?」
原田は千早の方に視線を向けたまま告げる。それは彼の本音だった。
沖田の剣術は最強だ。だがそれはつまり、沖田の傍には危険が多い、という意味でもある。いくら前線に出ずともだ。
力のあるものの側にはいつだって危険が付きまとう。いつの世も、それが定めだ。沖田の小姓をしている限り、千早はこの先何度でも“人の死”と向き合うことになるだろう。
――が、沖田は何も答えなかった。原田はそれを不審に思い、千早へ向けていた視線を沖田へと移動する。そうして、彼は絶句した。
何故なら、自分に沖田の鋭い眼光が向けられていたからだ。その瞳は冷たく暗く、余計なことを言うな――と告げている。
瞬間、原田は確信した。今までも薄々勘づいてはいたが、沖田は千早に少なからぬ興味を持ってしまっていることを。それは、こんな些細な一言を気にする程に。
「……お前、佐倉のこと」
思わずそう呟けば、自分を見つめる沖田の眼差しが更に鋭く細められた。それ以上口にすれば承知しない――そんな沖田の心の声が聞こえたような気がした。
結局沖田は原田の問いに答えることなく身を翻す。そうして、道の脇でしゃがみこんでいる千早の方へと歩いて行った。
「……ったく」
原田はそんな沖田の背中を見つめ、思う。
――沖田はまだ子供なのだ。いくら腕が立つと言えど、新選組の幹部と言えども――まだ二十歳そこそこの、外見ばかり大人になっただけの子供なのだ、と。
――西の空が陰り始めた。先ほどまでよく照っていた太陽が、気づけば雲に隠れている。
「……こりゃあ降るな」
そんな薄暗い空を見上げ、原田は一人呟く。
「気のせいだと、いいんだがな……」――と。
沖田が千早に並々ならぬ好意を抱いてしまっていることが、そして、今日のこの事件が今後の新選組に暗雲をもたらすのではないかという嫌な予感が、気のせいであることを……。
そんなことを考えながら、彼は肺から深く空気を吐き出す。そうしてようやく、騒ぎの後処理を再開させた。




