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「――てめェのせいで服に泥がついただろうが、どうしてくれる!?」

「なんやと!? ぶつかってきたのはそっちやろ! わしはただこけた妹を起こそうとしただけや!」

「なんだと、この餓鬼!」


 ――店の外から罵声が聞こえてくる。ざわり――と、不穏な空気が一瞬で周囲に立ち込めた。


「……何でしょう」

 そのどこか張り詰めた空気に、千早は顔色を悪くした。


 ――どうやら揉め事のようである。今の京は治安が悪いから、別段珍しいことではない。しかし千早はそんな状況に慣れていない。


「君はここにいて」

 沖田は千早にそれだけ言って、さっと立ち上がった。千早を巻き込みたくはないのだろう。


「え……お、沖田さん!」

 沖田は千早の呼び声を無視し、急いで店の外に出る。そこにはすでに人だかりが出来ていた。それを何とかかき分けて、沖田は騒ぎの中心へと足を進める。


「おい、お前らこの餓鬼押さえとけ。新調した刀の試し切りにしてやるよ」

「……! 放さんかいッ!」


 ――こんな街中で抜刀だと!?

 沖田は聞こえてくる会話に顔をしかめた。騒ぎを起こしているのはどこぞの勤王の志士くずれだろうが――こんな真昼間に、しかも子供相手に刀を抜くなどまともではない。


 少し先で悲鳴があがり、顔を蒼くした人々が沖田の向かう先から逆走してくる。


「放せや! 放せッ!」

 抵抗する子供の声。これは急がなければ死人が出てしまうかもしれない。沖田は一層足を早めた。

 ついに視界が開ける。するとその先には、刀を抜いた一人の男と、また別の男二人に腕を羽交い締めにされる少年の姿があった。歳はまだ七つか八っつ程だろうか。更に少年の後ろには、まだほんの幼い少女が怯えた様子で尻もちをついている。


 ――あいつら、酔ってるのか……!?

 視界の先の男らは、酒を飲んでいたのか顔を真っ赤に染めていた。その証拠に、刀を抜いている男はどうも足取りが覚束ない様子だ。


「厄介だな」

 古今東西、酔っぱらいには話など通じないと決まっている。その証拠に、男は町民らの静止も聞かず少年の喉元に刀の切っ先を突きつけていた。


「土下座でもすりゃあ許してやってもええがな」

 下品な笑みを浮かべながら、男は刃を反し、少年を見下ろす。


「……クソッ」

 このままでは近づけない。もしも僕の動きが一瞬でも遅れれば、男の刀が少年の喉を掻き切ってしまう。――そう考えた沖田は、それ以上近づくのを躊躇ってしまった。


 刀をつきつけたまま、少年に詰め寄る男の姿。


 その浅ましい姿に、沖田は思わず顔を歪めた。なんと馬鹿な男かと。酔っ払っているとはいえ、まだ年端もいかない子供相手に大の男が三人とは。あまりの卑劣さに吐き気がする。

 彼はゆっくりと、腰の刀に手をかけた。この状況ならば、男たちを斬り捨ててしまっても問題にはならないだろうと。

 けれどそうは言っても安易に手出しは出来ない。酔っぱらいとは言え相手は三人だ。しかも少年は身動きが取れず、男の刃は少年の喉元にある。


 沖田は頃合いを見計らい、意識を集中させた。まずは、刀を抜いたあの男から――。


 さぁ、僕が斬るまで、そのまま大人しくしていろよ――。


 沖田は男の横っ腹に狙いを定める。――けれどそれと同時に、少年の罵声が響き渡った。


「誰が謝るかい! わいは何も悪いことなんかしてへん! お前らこそ大人のくせにこんな町中で刀なんか抜きおって、恥ずかしくないんか!」

 敵意のこもった瞳で叫ぶ少年。それはしごく真っ当な意見だった。けれどその言葉が酔っ払った男らに通じる筈もなく、彼らは怒りを爆発させる。ただでさえ赤い顔が、怒りで更に赤く染まった。


「こんのクソ餓鬼があッ!」

 今度こそ男は逆上し、その刀を振り上げる。


「……ッ!」

 ああ、なんて怖いもの知らずの少年だろうか。……だが不味い。この距離では間に合わない。


 しかし――そう思うのと同時に沖田のすぐ横を冷たい風が駆け抜けた。否――それは人影だった。その人影は沖田の横を一瞬で通り過ぎ、騒ぎの中心へと駆け付ける。


「なん――ッ」

 沖田の目は無意識にその影を追っていた。――そしてそれが誰なのかを悟って――彼は戦慄した。


 それは紛れもなく、千早だった。沖田がこの騒ぎに巻き込みたいくないと願っていた、千早の姿だった。


「喜平くん……!」


 沖田の横を通り過ぎ、騒ぎの中心へと駆ける彼女が叫ぶ。「喜平」――と。沖田にその意味はわからなかった。けれどそれは、まぎれもない千早の声で。見間違えるはずのない、千早の背中で――。


「……ッ」

 沖田の全身から一瞬で血の気が引く。騒ぎの中心へ一直線にひた走る、千早の小さな背中に――。


 あぁ――駄目だ、このまま行かせてしまったら、少年ではなく千早の方が斬られてしまう。


「千早ッ!」

 駄目だ、行くな! そう叫んでしまいたかった。けれどその声は声にならず、口に出来たのは千早の名前だけ。


 沖田の視界には、全力で走る千早がスローモーションで映し出されていた。刀を振り上げ、それを少年めがけて振り下ろそうとする男も、尻もちをつく妹を庇おうとする少年の姿も、全てがゆっくりと映し出されていた。


 ――ああ、こんなことなら、彼女に刀の一本でも与えておくべきだった。いや、そもそも外になんて連れ出さなければ良かった。


 沖田の中に込み上げる様々な後悔。けれど今さらそんなことを思ってももう遅い。千早の足は止まらない。


 ああ、駄目だ、駄目だ。何とかして彼女を止めなくては――。


 けれどそうは思っても、沖田の身体は動いてくれなかった。足が、まるで地面に縫いつかれたかのように重く、全く上げることが出来なかった。


「……ッ」

 ――どうして、なんで。

 瞬きすら許されないその一瞬の中で、男の刀が――天を、仰ぐ。


 あぁ、やめろ。やめてくれ。

 男の刀の切っ先が不気味に光る。少年と男の間に、千早の身体が滑り込む。


 ああ、このままでは――このまま、では……。


 沖田はその光景にただ釘付けになって、立ち尽くすことしか出来なかった。目を反らすことも、呼吸をすることすらも出来ずに。


「……めろ」

 足がすくんで動けない。


 ――嫌だ、嫌だ、嫌だ。


 妹を庇う少年を更に庇うようにして、少年を抱きしめる千早の華奢な背中。そこに今にも振り下ろされそうな――不気味な切っ先。


 ――駄目だ、駄目だ、駄目だ。


 辺りがざわめき、悲鳴が飛び交う。


「……やめろ」

 視界が(くら)む。

 誰でもいいから、今すぐその男を殺してくれ――! 彼は誰ともわからず懇願した。けれどもう遅い。誰が見ても明白だった。もう、間に合わないと。


 少年を抱きしめる千早の小さな背中。そしてそこに振り下ろされる、刀。

 もう――全てが、遅すぎた。


 駄目だ、やめろ、やめろ、やめてくれ……ッ!


「やめろおおおおおッ!!」


 ついに沖田の喉から飛び出す罵声。けれどその願いは虚しくも空を掻き、次の瞬間には――肉を断つ鈍い音だけが、周囲に虚しく響きわたった。


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