四
◇◇◇
――帝がそんな修羅場の真っ最中だということなど露知らず、千早は沖田と街を散策していた。
「沖田さん、あのお店は何ですか? 男性ばかりみたいですが」
千早の視線の先には、男性ばかりで賑わう様子の店がある。
「あれは内床だよ」
「内床?」
「髪を結ったり、髭を剃ってもらう店のこと。番所や会所にもなってるんだ」
「ふぅん」
――つまりは美容室ということだろうか? いや、男ばかりなのを見るに、床屋というところだろうか……?
「内床って、男女別なんですか?」
千早は沖田の横に並んで歩きながら、女性用の美容室もあるのだろうかと沖田に尋ねた。すると沖田は「おかしなことを言うね」と眉をひそめる。
「床屋は男のものだよ。女子が髪を結うときは家に髪結い人を呼ぶんだ。……君の居た国ではそうじゃなかった?」
「……そう、ですね。イギリスでは……そういった文化は――」
沖田に尋ね返され、千早は言葉を濁す。尋ねられたところでイギリスの髪の文化なんて知らないわけで。
それに沖田は「髪結い」と言った。ということは、そもそもカットではないということか。確かに、この時代の人々の髪は男も女も総じて長い。まして女性の髪ともなれば、基本伸ばしっぱなしなのであろう。
そう考えた千早は、後頭部で結ってある自分の髪の長さについて思考を巡らせた。下ろしたところで肩より少し長いくらいの自分の髪は、恐らくこの時代の女性にしては短すぎる。日向も同じくらいの長さだったために今まで何とも思わなかったが、自分や日向が新選組の皆に男性と信じて貰えているのもは、服装だけでなくこの髪の長さのおかげかもしれない。
先入観って凄いな……。そんな風に思っていると、ふいに沖田に尋ねられる。
「そう言えば、秋月は何も言ってなかった?」
「何がです?」
「僕と二人で出かけることについて」
「――? はい、大丈夫でしたよ。沖田さんが一緒なら大丈夫だろう、みたいなことを言ってました」
平然とした表情で千早が告げれば、沖田は眉をひそめた。言葉の意味がよくわからないようだ。けれど沖田からしてみれば、千早の言葉の意味がわからないのは今に始まったことではない。彼はどこか諦めた様に小さく息を吐いたかと思うと、話題を変える。
「――あ、ほら千早、あそこの団子屋入ろうよ」
沖田は唐突にそう言って、一軒の店を指さした。彼の視線の先には、その言葉通り団子屋がある。と言っても言われなければ気づかないほどのこじんまりとした店だ。
そもそも町屋というものは縦に長く、通りに面する店先の幅は狭いもの。それが団子屋ともなれば尚更狭い。
「お団子ですか!?」
けれど店の小ささなど気にならない千早は、沖田の言葉を聞いた瞬間目を輝かせた。――甘い物を食べるなんて、この時代に来て依頼始めてのことだ。千早からしてみればこの時代はあっさりした食べ物ばかりで、特に揚げ物が好物というわけではない彼女からしても、毎日の食事にやや物足りなさを感じていた。それに千早の家はそれなりに裕福であったから、値段の張る有名店のデザートや、季節ごとのフルーツなどを食すのはごくごく当たり前のことだった。それがここに来てからめっきり食べられなくなったものだから、彼女が「団子」に惹かれるのは当然のことである。
「団子、好き?」
「好きです!」
千早は即答する。それも、本人も気づかないうちに満面の笑みを浮かべてまで……。
そんな千早の笑顔に、沖田はやや面食らった。何故ならそれは始めて自分に見せる笑顔だったからだ。彼は不意打ちを食らったような顔をして、喉を詰まらせる。
「……っ」
――ああ、やばい。
瞬間、彼は後悔した。千早を外出に誘ったことを。
――帝が目を覚まして一週間。帝に牽制され、土方から忠告まで受けた沖田はすっかり千早のことは諦めた気になっていた。そもそも千早は帝の恋人だ。自分に付け入る隙はないし、そもそも最初から付け入るつもりなど毛頭無かった。自分が千早へ恋心を抱いてしまったのだと気付く前も、気付いてからも、一度だって千早とそういう仲になりたいなどと考えたことはないのである。
今日の誘いだって、沖田にしてみれば特に深い意味は無かった。彼はただ、未だに帝が自分を疑っているのかと――千早と自分が二人で出かけるとなったとき、帝はいったいどんな反応を見せるのだろうかと気になっただけだった。それなのに……。
――その笑顔は、反則じゃないかな。
沖田の心は揺さぶられていた。
今朝千早より、「以前より態度が冷たくなった、避けられている気がする」と言われたときから。「迷子になった自分を探してくれて、嬉しかった」と言われたときから。
いや、本当はこの一週間、彼はずっと葛藤していたのだ。彼女を必要以上に避け、自分の心を欺いていたのだ。けれどそれがわかったとしても、例え自覚したとしても、彼にはどうすることもできないのである。
実際問題、どうあっても自分の千早に対する想いを彼女に直接伝えることは出来ないのだから。……悟られるわけには、いかないのだから。
だから沖田はその心をひた隠す。いつもの笑顔の仮面の裏に……、新選組の沖田総司である為に。
「今日は僕のおごりだから」
「いいんですか?」
「いいよ、好きなだけ食べて。そうだ、せっかくだから秋月にも持って帰ってあげたらいいよ」
「本当ですか? 帝も喜びます、ありがとうございます、沖田さん!」
「どういたしまして」
沖田は微笑む。誰にも気づかれないように。自分自身の心さえも欺いて。
千早が軽い足取りで団子屋の暖簾をくぐる。沖田はその小さな背中を見つめ、自分の心を律するかのように、無理やり口角を上げるのだった。
◇
二人が店内に入るとすぐに、店番の娘が傍に寄って来た。
「あら、沖田さんやないの。久しぶりやなぁ」
「お久しぶりですね、椿ちゃん」
彼女の名は椿と言った。歳は二十前後で、この団子屋の看板娘だ。肌が美しく所作の一つ一つに品のある京都美人である。
「沖田さん近ごろ来いひんさかい、どないしとるか心配しとったんよ」
「しばらく忙しくって。でも、今日はゆっくりしていくつもりだよ」
「そら嬉しいわぁ。好きなとこ座ってぇな。――あら、そっちの方は新顔さん?」
椿は沖田の横で店内を見回している千早に微笑みかける。なんとも可憐な笑顔で――。
すると千早はどういう訳か頬を赤らめた。そのあからさまに照れているかのような表情に、沖田は心底困惑する。
「――え、何で君が赤くなるの」
「だって、凄い美人じゃないですか……!」
「はあ?」
――女同士で一体何を言っているんだ。それともこの場でも律義に男の振りをしているのか?
沖田はそんな風に思った。けれどそんなことを口に出すなど出来ないわけで……。
「……佐倉、初対面の相手にそういうことは言わないの」
沖田は仕方なく無難な言葉でたしなめる。すると千早はハッとした。
「――あっ、そうですよね。ごめんなさい」
「ふふっ。気にせんといて。褒められて嬉しない人はいーひんよ」
椿は微笑む。その顔は本当に気にしていないという表情だった。沖田は一先ず安堵し、今度こそ千早を連れて席についた。
◇
――二人は団子を頬張っていた。
「――ん! 美味しい! これ美味しいです沖田さん!」
千早は草団子を口に入れながら目を輝かせる。朝餉を食べたばかりな上に既に五本目の団子だが、彼女の胃袋は底なしらしい。
「わかったからちゃんと飲み込んでからしゃべろうね」
「さっきのきな粉も美味しかったですけど、これも捨てがたいです!」
「……うん。でもその言葉、さっきも聞いた気がするよ」
「そうですか?」
「……」
沖田は目の前で団子を次々と頬張る千早に、「よく食べるなぁ」と呆れ顔を浮かべつつも口元を緩ませていた。
全く緊張感のない様子の目の前の少女に、そしてたかが団子ごときで満面の笑みを浮かべている千早に、沖田は微笑ましさを感じずにはいられない。こんなことで千早を喜ばせられるなら、いくらでも食べさせてあげよう――と、そう思わずにはいられなかった。
――全く、つくづく僕も甘いな。
沖田は千早と出会ったときのことを思い出す。まさかあの時は、千早とこんな風に団子を食べる仲になるなどとは思ってもみなかった。まだたった十八歳の少女が、男ばかりの新選組にこうも馴染むことが出来るとは想像もしなかった。まして、育った文化の違いを飛び越えてまで……。
沖田は考える。
きっとこれは必然だったのだ……、と。自分が千早に心を惹かれるのは、必然だったのだと。傷を負った男の為に自分を殺して、耐えて耐えて耐え抜いて――そんな彼女に心惹かれるのは自然なことだった。それを本人に伝えることは叶わないし、伝えようとも思わない。大体伝えたからと言ってどうなるというわけでもないし、どうかなりたいわけでもない。ただ、育った地から遠く離れたこの地で健気に頑張る彼女を、ただ応援してあげたいと思う。それだけなら、何ら罪にはならないだろう――と。小姓として可愛がるだけなら、新選組の一員として親切にしてやるくらいなら、何らおかしいことはないだろう……と。
――こうやって時々外に連れ出して、団子を食べさせてやるくらいなら……。
沖田は千早を見つめる。その瞳はいつもの彼らしくない、とても優しい色をしていた。けれど、沖田本人は勿論、団子に夢中になっている千早も、そのことに気付くことはない。
「そんなに美味しい?」
「美味しいですよ~」
千早の声が弾む。団子を飲み込んだ彼女は、その小さな口から白い歯を覗かせて子供のように微笑む。それは裏表のない無邪気な笑顔。――沖田に見せる初めての、自然な笑顔。
「じゃあ、僕の分も食べていいよ」
「えっ、いいんですか?」
「うん、僕もうお腹いっぱいだから」
沖田が自分の団子の皿を千早に差し出せば、彼女は「ありがとうございます!」と言って再び団子を頬張り始める。
――ああ、平和だな。こんな毎日がずっと続けばいいのに……。
沖田は無意識にそう願っていた。新選組に身を置いている限り、決して叶う筈のない願いを。叶わないと知りながら。
だが――そう願ったのが悪かったのだろうか。沖田のささやかな願いをぶち壊すかのように、突然、店の外に怒号が響き渡った。




