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 千早が帝をキッと睨みつければ、流石の帝もすまなそうな顔をした。そうして「ごめん」と呟く。それはどこか、驚いた様子で……。


 彼女が周りを見回せば、幹部らも少々面食らったような顔をしていた。千早はもともと物をはっきり言うタイプではあるが、この時代に来てからというもの、ここまで感情をあらわにすることはなかった。


 そんな周りの視線に気づいた千早は、一瞬気まずそうに俯いた。けれどすぐに顔をあげ、へらっと誤魔化すような笑みを浮かべる。


「……なんか、空気悪くしちゃってごめんなさい。私先に行きます。ご馳走様でした!」


 そうして膳を持って立ち上がると、帝の呼び止めも無視して一人広間を後にした。



「……ああ、もう。――最悪」


 (くりや)の流しに食器を下げに来た千早は、そこに誰も人がいないのをいいことに、大きなため息をついた。


 ――言い過ぎたかな。っていうか、まさか平助君に見られていたなんて……タイミング悪すぎる。


 彼女は先ほどの帝の表情を思い出して、その場でしゃがみ込む。


「……凄いなぁ、帝は」


 昨夜、帝が寝落ちしてしまったのは千早からしても想定外のことだった。起こそうとしても起きなくて、かと言って自分ではとても運ぶことは出来ないので、朝早く起こせばいいかと自分も眠ってしまったのだ。けれどまさか、それを誰かに見られるなどとは思ってもみなかった。


 ――だが、本当に問題だったのはそこではない。昨夜二人は千早の部屋で、この時代に来たときの状況や、どうやったらもといた時代に帰れるのかを話し合っていたのだ。だから土方や幹部らに、二人きりで部屋で何をしていたのか追及されては困るところだった。だが帝はそんな素振りは全く見せず――その方法は少々恥ずかしいものだったが――完璧に周りの目を欺いたのだ。

 

 千早は先ほどの帝の様子を思い出す。少々照れくさそうな、けれど堂々とした帝の態度を……。あれならば誰もこれ以上、昨夜のことを詮索してくることはないだろう。


 それに帝が凄いのはそれだけではない。そもそも帝はまだ目覚めて一週間だと言うのに、この時代にしっかりと順応しているのだ。

 帝は、しばらくの間は筋トレくらいしか出来ないからと、空いた時間は殆ど山南さんのところで何かの教えを乞うていた。千早も空いた時間は帝に着いて行ったが、彼はお金の数え方は十分で完璧に、ミミズの様に張った文字も三日でほぼマスターしてしまった。「どうしてそんなに簡単に読めるのか」と聞いたら、以前変体仮名を一通り勉強したことがあるからだと言う。


 千早は、何故帝は理系なのにそんな勉強を?……と疑問に思ったが、尋ねても「ただの興味本位」としか答えてくれなかった。まぁ、帝は他の分野でもなかなかに博識だったりするから、古語を知っていても何らおかしくなないのだけれど。


 そんなことを考えていると、唐突に声が降って来た。


「何してるの、そんなところにしゃがみこんで」

「――っ」

 それは沖田の声だった。千早があわてて立ち上がり振り向けば、そこには自分を不可解そうな目で見る沖田の姿がある。その両手には、朝食の膳が……。

 それに気づいた千早はすぐさまそこから横に飛びのいた。そうして、流しの前を開ける。


「すみません! 私邪魔ですよねっ、はい、どうぞ!」


 そんな千早の行動に、沖田は更に不可解な目を向けた。食器を流しに下げながら、千早を横目で流し見る。


「君が変なのはいつものことだけど……今日は三割増しでおかしいよ。やっぱり昨夜、秋月と何かあったんじゃない?」

 そう言った沖田の声はどこか不満げだ。

 千早はそんな沖田の言葉に、内心ビクビクしつつも必死に笑顔を取り繕う。


「本当に何もありませんし、何もしてませんよ……?」

「ふーん。……ま、僕には関係ないけど」

「……」

 千早は沖田のこの答えに、なら何故聞いた……? と思わざるを得ない。


 それにそもそも、そもそもだ。帝が目覚めてからというもの、沖田の千早に対する態度が明らかに変わっていた。それまでは一日中……執拗と言えるほど呼び出されていたのに、この一週間は必要最低限の仕事しか任されないし、不用意に呼びつけられることもない。一つ一つの会話でさえ、以前のような憎まれ口を叩かれることがなくなった。よく言えば丁寧な、悪く言えば他人行儀な言葉しかかけてくれなくなったのだ。

 千早はその事実をとても不思議に思っていた。冷静に考えればそれが普通で、帝の手前、遠慮しているのだろうと察しはついていたが、しかしそれにしても態度が変わりすぎではないだろうかと。

 それとも、他に何か理由があるのだろうか……。


「あの、沖田さん」

「何?」

「私、何か沖田さんを怒らせるようなことしちゃいましたか……?」

「――え」


 流しで皿をすすいでいた沖田は、はた――と手を止める。


「どうして?」

 そう言った沖田は、質問の意図がわからない様子で眉をひそめていた。


「だって、沖田さん最近冷たいって言うか……ちょっと雰囲気が怖いと言うか。それに私、沖田さんに避けられているような気がして……。また知らないうちに、沖田さんの気分を悪くするようなことしちゃったのかなぁ……と」

 千早は目を左右に泳がせながら「気のせいならいいんですが」と、控えめに付け加える。


 ――本当ならこんなこと尋ねるべきではないのかもしれない。けれど、一度気になりだすとそればかり考えてしまうのだ。もし沖田のよそよそしい態度が、帝に遠慮しているだけなら問題ないけれど、他に理由があって――それが自分のせいだと言うのなら改善しておきたい。だって、どうしたってしばらくの間は新選組でお世話にならなければならないのだから。自分は沖田の小姓として、ここで生きていかなければならないのだから。


 だから彼女は、沖田の思案顔を見て、更に不安を募らせる。


「もし何かあるなら言って下さい。帝が目を覚ましてからこの一週間、沖田さん、全然私を呼ばなくなりました。……別に呼んで欲しいってわけじゃないんですけど、もしも私が何かしちゃっていたり、沖田さんが帝の手前遠慮しているって言うのなら――」

 千早はそこまで言いかけて――瞬間、言葉を呑み込んだ。一瞬、目の前の沖田から殺気が漏れた気がしたからだ。

 だが、目の前の沖田の表情は変わっていない――。


 ……今の殺気は、気のせい?

 困惑する千早に、ようやく沖田が口を開く。


「君って本当に直球だよね。君を呼ばなくなったことに特に理由はないんだけど、強いて言えば君に(・・)遠慮してたからかな」

「私に……ですか?」

「うん。まさか忘れたわけじゃないでしょう? 君を小姓にした日、僕――君にだいぶ酷い事した自覚あるんだけど」

「……あ」

 それは忘れる筈も無い。千早は沖田に無理やり唇を奪われたのだ。確かに千早にとってあれはショックな出来事だった。けれど千早は、それが新選組にとって必要なことだったと理解していた。他にやりようはあっただろうが、あれは沖田が新選組を想ってしたことだったのだとちゃんとわかっていた。


 だから千早は、沖田の目を真っ直ぐに見て答える。


「確かにあれはショックでしたけど……でも、結局沖田さんはそれ以上何もしなかったじゃないですか。街で迷ったときだって、私のこと必死に探してくれたじゃないですか」

 そう言うと、沖田の目が驚いたように見開かれる。


「私、街で迷ったとき本当に不安だったんです。でも沖田さんが見つけてくれて……本当に嬉しかった。だから沖田さんが私に遠慮する必要なんてないんです。私、沖田さんが優しい人だって知ってます。最初は怖い人だと思ってたし、正直言って苦手でしたけど……。今は全然そんなことありません」

「……君、それははっきり言いすぎ」

 けれど沖田の表情は、言葉とは裏腹にどこか嬉しそうだった。

 そんな沖田に、千早は笑みを零す。

 

「あ、だけどさ千早」

「はい」

「君を頻繁に呼びつけたりしたら、秋月が黙っていないと思うんだけどその変はどう考えてるの?」

「え? 帝、ですか……?」

「この際だから言わせてもらうけど、彼の君への執着心はちょっと異常だよ」

「……あー、はは」

 確かにそれはそうかもしれない。

 千早は沖田の言葉を否定することが出来ず、苦笑いを浮かべた。自分の帝を想う気持ちも、彼のそれと変わらない程大きい自信があるが――例えば帝が浮気などしようものなら、自分がどう豹変してしまうのか考えられないくらい苦しくなるわけだが――帝の愛情表現の仕方はいつだって重めなのだ。


 けれどそうは言ったって、自分は沖田の小姓である。だから小姓の仕事の範囲内であれば問題はない筈だし、もといた時代でだって、別に他の男子生徒との交流を制限されるようなことはなかった。――明らかに自分に言い寄ろうとしている男は別として、だが。

 その点で言えば、相手が沖田なら問題はないはずだと千早は思っていた。何故なら、彼女は全くもって気付いていないからである。沖田が自分に対し、そういう意味で好意を持ち始めている……ということに。

 だから彼女は、沖田の問いに笑顔で返す。


「帝は大丈夫です。ああ見えて、公私混同はしないんですよ」

 そうでなければ、生徒会や部活動を円滑に進めることなど出来はしない。――千早は先月までの学校での帝の姿を思い浮かべ、一人納得したように微笑んだ。


 沖田は、そんな千早の言葉に再び考えあぐねる素振りをする。やはり納得はいっていないようだ。けれどそれでも、「君が言うなら、そういうことにしておこうか」と笑顔を浮かべた。そうして彼はどういうわけか、急に千早の右手を取る。


「だったら今から、僕と一緒に街に出かけよう」

「――えっ?」

 それは唐突な誘いだった。確かに今日は沖田は非番で、つまり自分も同じく非番だから外出自体は問題ないが……。


「二人で……ですか?」

「うん。よく考えたら巡察以外ではまだ一度も街を案内してあげたことなかったし、天気もいいから丁度いいと思うんだけど」


 確かに沖田の言葉は正論だ。千早はここに来てまだ一度も、じっくりと街を探索したことはない。これはいい機会かもしれない。


「わかりました、行きます。でも、帝に一言伝えてきてもいいですか? あと、この手は放してもらっても……?」

 千早は、沖田の右手に掴まれた自分の左手に目をやる。すると沖田は「ああ、ごめんね」とさらりと言って、手を放した。


「秋月に伝えておいで。一刻くらいで戻るって。――じゃあ、準備が出来たら門の前に集合ね」

「はい」


 こうして二人は、街に出かけることになった。


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