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「うわああああああッ!」


 それは帝が目を覚まし、一週間が経った頃の晴れの日の早朝のこと。日はだいぶ長くなり、暖かい気候になってきた。けれどもこの時間帯は、まだ少し肌寒い。

 そんな一日の始まりに、縁側をドタドタと音を立てて走る足音が一つ。全く騒がしいことこの上ない。

 その足音の主は、音を立てて広間の戸を勢いよく開けた。


「――な、なんだぁ!?」

「いったいどうした!?」


 広間にいたのは、原田左之助と永倉新八の二人だった。彼からはこんな朝っぱらからいったい何事かと、驚いて部屋の入口を振り返る。するとそこに立っていたのは、藤堂平助であった。


 二人は入口に立つ平助に視線を送る。平助の顔は……真っ赤だった。その尋常でない表情に、いったい何事かと、原田と永倉は顔を見合わせる。


「左之さん、しんぱっつぁん……お、俺……っ」


 平助は、なぜだか涙まで浮かべていた。


「おいおい、いったいどうしたんだよ。そんな顔して」

「あぁ、何があった?」

「うっ……うぅ、秋月がぁ」

「なんだ、秋月がどうした」

 原田は、平助を部屋に入れて座らせる。いったい帝がどうしたというのか。


「お、俺、今日秋月と朝稽古する予定だったんだ。けど、予定より早く目ぇ覚めちゃったから俺の方から大部屋に呼びに行ったんだ」

 平助は、顔を真っ赤にしたまま話し出す。


「それで?」

「そしたらあいつ……一人だけ、居なくて。皆寝てるのに秋月だけ布団にいなくて、(かわや)かなんかかと思って、俺探しに行ったんだ」

 ――ちなみに厠とはトイレのことである。


「そしたら?」

「その途中で……俺、佐倉の部屋の扉が少しだけ開いてたから、覗いちゃって」

 瞬間、平助の言葉を聞い原田は困ったように眉を下げた。平助の言わんとすることを察したのだろう。


「そしたら、佐倉の布団に秋月が……!」

「……」

 顔を真っ赤にしてそう告げた平助に、原田と永倉は「あちゃー」と顔を歪める。

 そもそも千早は日向と同室だ。であるから普通は誰かが部屋にしけこむなどということはあり得ないのだが、如何せん昨日から日向は土方にお使いを頼まれて外出している。つまり、昨夜は部屋に千早一人だったというわけだ。


「お、俺、びっくりして、だって……俺、おれ……っ」

 平助は顔を赤く染めたまま俯いた。その姿に、原田と長倉は気まずそうに顔を見合わせる。


「あー……まぁ、平助。それは――しょうがねぇっつーかなんつーか」

「あぁ。二人は恋仲なんだ。そーいうことは……うん。間が悪かったと思って諦めろ」

 男女ってのはそういうもんだ、と二人は続ける。が、平助はそれを受け入れられない様子だった。


 そんな平助に、二人は肩をすぼめてやれやれと呟く。「お前にはまだ早かったか」と。


「なっ……そんなことねぇよ、子供扱いすんな! 俺だってわかってるよ! けど、ここは屯所だぞ!? やっていいことと悪いことがあるだろうが!」

 平助は吠える。男所帯の新選組で、そんなことは許されない筈だと主張した。

 けれど永倉と原田は「うーん」と呻る。確かにここは男ばかりだが、だからと言って皆が本当に禁欲生活を送っているのかと言えばそうではない。平助は気付いていないようだが、男同士で行為をしている隊士らもいるにはいるのだから――。


 だから二人は、「哀れ」――と言った様子で平助の肩を優しく叩た。


「いや、それは何とも」

「まぁ、お前にはまだ早かったってことだ」

 そう言って、残念そうに微笑む。――が、その直後だった。


「何が早かったんだ?」

 部屋の外から聞こえた声に三人が振り返ると、斎藤が縁側からこちらの様子を伺っているではないか。彼は不思議そうに「何の話だ」と首をかしげている。


「い……いや、別に」

「ああ、大したことじゃねぇ」

 永倉と原田は、面倒ごとは御免だからと、誤魔化そうと努めた。が、平助は空気を読まずに斎藤に駆け寄る。


「聞いてくれよ! それがさ――」


 ――と、そんなこんなで話はいつの間にか広まっていき、朝稽古のことなどすっかり忘れた平助を探しにきた帝が広間を見に来た頃には、この話は幹部ら全員――つまり近藤や土方の耳にまで届いてしまっていた。



 いつもの朝餉の時間がやってきた。平隊士たちは今日も変わらず賑やかである。が、幹部たちはやや気まずい雰囲気に包まれていた。

 皆、膳に箸を伸ばしつつも、今朝流れてきたばかりの千早と帝の噂話について、土方がどのように考えているのか気にせずにはいられなかった。


 ――何だ、この空気。

 そんな空気であるので、噂の当の本人である帝も違和感を感じざるを得ない。朝稽古をする予定だった平助も、どういうわけか自分の顔を見た途端逃げ出してしまったし、もしやこのおかしな空気は自分が原因なのだろうかと思考を巡らせる。――けれど、いくら考えてもその理由はわからなかった。


 ――千早は普通だよな。

 帝は、隣で味噌汁をすすっている千早の様子を横目で確認してみた。けれど、いつも通りの態度である。


 帝は、今度は千早の向こう側に座る沖田の様子を伺った。が、特におかしいところはない。強いて言えば、全ての感情を殺すかのように表情一つ見せないところが、おかしいと言えばおかしいかもしれない。


 そう感じた帝は、とうとう口を開く。

「あの……皆さん、何かありました?」

 平隊士たちの騒がしい声を背景に、ごく控えめに。


 するとその声を合図に、千早と沖田以外のその場の全員の視線が帝に注がれた。そして一瞬の沈黙の後、帝の問いに答えたのは原田だった。


「あー、あのなぁ……お前、昨夜どこで寝てたんだ?」

 それは直球な質問だった。原田は続ける。


「今朝早く、平助がお前を起こしに行ったらしいんだよ。でもお前、大部屋に居なかったらしいじゃねぇか」

 その問いに、帝ははた――と箸を止めた。その隣の千早も、びくっと肩を震わせ、味噌汁の入った椀を持ったまま動きを止める。


「あー……。もしかして、見られちゃいました?」

 そうして帝が放った一言。それは誤魔化しでも何でもなく、昨夜二人が共に過ごしたことを証明する言葉だった。


 そんなやりとりに、とうとう土方も口を挟む。


「秋月。ここは男所帯だ。大部屋ならともかく、個室で二人夜を明かすってェのは褒められたことじゃねェ」


 ――千早は対外的には男と言うことになっている。だが実際はそうではない。であるから、いくら二人が恋仲であるとは言え、二人きりで夜を明かすのは止めろと土方は言っているのだ。


 だが、帝はこの言葉に眉をひそめた。


 彼はようやく気付いたのだ。幹部ら一同に、何か大きな勘違いをされていることに。


 帝が千早の様子を伺えば、彼女は隣で顔を真っ赤にさせてうろたえていた。皆に大きな勘違いをされていることに気付いたのだろう。けれど、それを自分の口から言うことも出来ず、口をつぐんで顔を俯けている。


 帝は、そんな横顔も可愛いな……などと思いながら、土方に何と言葉を返すべきかと悩んだ。そして考えた末、そのまま事実を告げることに決めた。


「あのー、土方さん」

「……何だ」

「何か勘違いされているみたいですが……俺たち、別にいかがわしいことなんて何もしていないんですけど」

 ――そう、二人は実のところ何もしていない。ただ同じ布団で寝ていただけだ。

 が、その言葉を信じられない平助は声を荒げる。


「嘘だ! だって同じ布団で寝てたじゃねェか! 俺見たんだからな!」

 それは騒がしい平隊士たちの声に負けないくらいの声量で、焦った原田は「声でけェよ!」と平助のわき腹に肘をくらわせた。


 帝はその様子を見かね、ゴホンと大きく咳払いをする。


「確かに布団には入れてもらいましたよ。でもそれはうっかりというか、あくまで結果がそうというだけで……。

 俺、昨夜遅くに厠から戻る途中、佐倉の部屋の前を通りかかったらまだ起きていているようだったので、部屋に入れて貰ったんです。それで少し昔話をしてたら寝落ちしちゃって。……本当にそれだけですよ」

「そんな言葉信じられっかよ……!」

 だが、平助はそれでも信じられない様子だった。――と言うより、その場の誰もが帝の言葉を信じられないようだった。年頃の男女が――しかも恋人同士が夜を共に過ごして、何もないわけがないと、そう確信しているようだ。


 だが、帝からしてみれば心外なことだ。確かにその意見は理解できる。もしもこれがこんな状況でなければ、間違いなく自分は千早を抱いていただろう。けれどここは幕末で――しかも避妊具一つないのである。しかも防音対策もない。そんな状況で、行為を行うわけがない。


 だから帝は、今度こそ大きく溜息をついて――薄い笑みを張り付けた。


「確かに皆さんがそう思われるのも無理はありません。と言うか寧ろ土方さんの意見は正しいです。今回は全面的に俺の不注意でしたし、勘違いさせてしまったことは謝ります。

 でも良く考えてみて下さい。あんな部屋でしたら声が筒抜けでしょう? 男同士(・・・)でするとかそれ以前に。俺だって場所くらい選びます」


 ――男同士。

 その言葉に、土方はぐっと言葉を呑み込んだ。帝はあくまでもこの会話を「男同士の行為についての話」だと捉えているということなのか。


 帝は続ける。


「でも、かの織田信長だって小姓の森蘭丸とそういうことしてたって言いますよね。ここだってそうなんじゃないんですか? それなのに、俺たちだけ禁止されるんじゃ納得いかないです」

「――っ」

 瞬間、隣の千早が咳き込んだ。急に何を言い出すのかと、目を大きく見開いて帝の横顔を凝視する。それは他の幹部達も同じ様子だった。

 けれど帝は言葉を止めない。


「俺、平気ですよ。男色家って思われても。全く偏見ありませんから」

「――みっ、帝!」

 これには流石の千早も大慌てで、食器を置くと帝の横っ腹を小突いた。この男は一体何をカミングアウトしているのだろうか。


「いい加減にしてよ。食事中にそういう話はやめて!」

「でも、言い出したのは俺じゃないし」

「わかってるけど、それでも! 聞いてて恥ずかしい。……そういう話するのは勝手だけど、私のいないところでして」


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