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 ――こうして廉は今現在、狭間とおると対面している。


「君が佐倉廉くんか。佐倉教授の息子さんの――うん、確かによく似てるな」

 狭間は、テーブルに着いた廉の目の前に湯気の立つコーヒーカップを置きながらにこりと微笑んだ。


 狭間とおるは物理工学の准教授である。物理工学と言うだけあって、このゼミ室にはいたるところに器具や機材が積みあげられていた。廉にはそれらが一体何に使われるものなのかさっぱりわからなかったが、廉にはこの部屋はまるでエンジニアの開発現場か何かのように感じられた。


 が、それにしても……。


 ――この人、本当に秋月刑事と同年代か……?

 廉は、目の前の狭間とおるが秋月刑事と同じ程の年齢に見えないことに驚いた。


 狭間の見た目は若い。秋月刑事と同じサークルに入っていたということは40歳を過ぎている筈だが、パッと見それより十は若く見える。短髪のせいか、もしくはその耳に開いたいくつものピアスの穴のせいか……或いはこの子供のような笑顔のせいなのかわからなかったが、とにかく、成人を超えた子供がいるとは到底思えない外見だった。雰囲気もその見た目に相応しく軽々しいというか、気安いというか、分別をしらない子供のような雰囲気をまとっている。

 

「……どうも、ありがとうございます」

 廉は辺りを見回しながら、コーヒーについて礼を言った。それは決して“父親と似ていると言ってもらえて光栄だ”――という意味ではない。だが狭間は勘違いしたのだろうか。笑みを浮かべたまま、廉の父親である佐倉樹について言及する。

 

「僕は工学部の人間だけど、医学部棟には時々顔を出すんだ。以前医療機器の開発に携わってたことがあってね。君のお父さんとは話したことないから、僕のことなんて知らないだろうけど――。

 僕は君のことを知っていたよ。医学部って二世、三世ばかりだが、君は特別優秀だって教授陣が噂していた。今だって、君がどこの科を選ぶのかって話題になってるよね。――やっぱりお父さんと同じ内科を選ぶのかい? それとも外科? 僕はあまり医療には詳しくないけど、医者の花形と言えば外科だろう?」

 狭間はそう言って廉に視線を投げかけた。すると廉は、どこか浮かないような顔をする。

 その表情に、狭間はようやく廉の気持ちに気が付いたのだろう。――彼は目を細め、一瞬沈黙した。


「廉くん、君……」

 そして――次の瞬間。

「ふっ」と吹き出すような声がして、狭間は突然大声で笑いだした。それはあまりにも唐突な笑い声で、廉は大いに困惑する。


「何か……?」そう尋ね返せば、狭間はさらに声を大にして笑った。「君はあまり父親のことが好きではないんだね」と言いながら。


 ――そんなにおかしいことか?

 廉は今度こそ眉をひそめた。確かに狭間の言う通り、廉は父親を好いてはいない。が、何がそんなにおかしいというのだろうか。それに、「父親が好きではない」などと、普通は思っても口にするようなことではないだろう。それも初対面の相手に……。

 この狭間という男、思ったことがそのまま口に出てしまうタイプなのだろうか。


「そんなに面白いですか?」

「……いや、悪い悪い。気を悪くしたかな」

「いえ。別に。……事実ですから」

 やや無愛想に答えつつ、廉は苛立ちを抑えようとコーヒーを一口含む。

 瞬間、口の中に広がるのは繊細かつ爽やかな香り。


「……あ、美味い」

 思わず口から素直な感想が漏れる。すると途端に狭間は笑うのをやめた。そうして今度は、自慢げに腕組みをして鼻を鳴らす。


「だろう? コーヒーにはこだわってるんだ。何せ一日の大半をPCの前で過ごさなきゃならないもんだから」

 そう言いつつも、どこか誇らし気に感じられるのは気のせいではないだろう。


「本当に美味しいです」

「そうだろう、お変わりが欲しかったらいつでも言ってくれ」

「ありがとうございます」

 廉は狭間の申し出を笑顔で返す。そうして、テーブルの上で両手を組んだ。


 ――そろそろ本題に入らせて貰わなければ。

 このまま話の主導権を狭間に握られたままでは、一生本題に入れない気がするし。


「ところで――今日お伺いした訳なんですけど」

 廉が改まった様子で言えば、再び狭間は何か言いかけていた言葉を止める。

 彼も思い出したようだ。何故廉が自分を尋ねてきたのかを。


「そうだった、秋月先輩のことを聞きにきたんだったな。何でも聞いてくれ。こう見えて僕、秋月先輩とは結構仲が良かったんだ」

 そう言って、彼はにこりと微笑んだ。



 廉は狭間に、自分の妹とその彼氏であり秋月刑事の息子である帝が失踪中であることを説明した。そしてまた、秋月要が現在京都府警の刑事部長であることも伝えた。すると狭間はとても驚いた顔をした。


「あの人が刑事? 全然想像できないな」

 そう言って眉をひそめた。


「秋月要さんは昔、どういう方だったんですか?」

 廉が尋ねれば、狭間は突然立ち上がり、部屋の奥にある戸棚の引き出しを漁り始めた。そうして一冊のファイルを持って戻ると、それをテーブルの上で開く。そこには一枚の写真があった。昼間の山頂と青空を背景に、20人程のTシャツ姿の学生がカメラ目線でポーズを取っている。


「これは?」

「僕と秋月先輩が入っていた“物理学研究サークル”の夏休み活動中の写真だよ。撮ったのは確か、1988年だったかな」

「物理学研究? 秋月刑事が?」

「そうだよ。彼は僕と同じ物理工学専攻だった。だから驚いてるんだ。彼は警官なんて柄じゃない」

 狭間は未だに納得がいかないという表情で、その写真の中の一人を指差した。「これが彼だ」と言う狭間の言葉通り、確かに秋月刑事の面影がある。だが、その表情は今の秋月刑事からは想像も出来ない程明るい。学生の輪の中心で、彼は人懐っこそうな笑みを浮かべている。周りのメンバーから肩に腕を回されている様子から、実際そのような人間であったことが見て取れた。当時はまだ眼鏡はかけていないようで、それも彼がより好青年に見える理由の一つなのかもしれない。


「ちなみに、僕はこっち」

 狭間の指を追って廉が視線を横にずらせば、そこにはパンクというかヤンキー風な長髪の青年が映っていた。左右の耳にはピアスが3つずつ付いている。言われなければ、これが狭間であるとはわからない外見だ。


 廉はその姿に、よくこれで京大に合格したものだ――と驚いた。まぁ、人は見かけに寄らないと言うし、今准教授をしているということは実力は確かなのであろう。


 廉はそんなことを考えながら、写真をよくよく観察する。すると、学生たちの背後に巨大な望遠鏡が映っているのに気が付いた。


「この望遠鏡は?」

 廉が尋ねれば、狭間は目を細める。それは懐かしい昔を思い出すかのような顔だった。


「この夏は星を観測しようってことになってね。皆で電波望遠鏡を作ったんだ」

「電波望遠鏡? 手作りできるものなんですか」

「ああ、仕組み自体は簡単なんだ。小さいものなら3日もあれば作れる。その場合は市場に出回ってる広帯域受信機やソフトウェアラジオなんかを使うことになるんだけどね。ただそれだとお金がかかるから……当時は学生でそういう訳にもいかなかったし、ハードは最低限のものだけ揃えて、ソフトは皆で自作したんだ。せっかくだからアンテナも大きいのにしようってことになって。アンテナの組み立てだけで丸3日かかったなぁ。山の上で皆で寝袋敷いてさ」

「工学部って色々なことをするんですね」

「まあサークルだしね。授業だとここまではやらないんだけど」

 狭間は写真を見つめながら、言葉を続ける。


「秋月先輩はサークルの中心メンバーだったよ。僕より一学年上で、教養科目はともかく、専門科目の成績は学部内でぶっちぎりトップだったから、学期末テストではお世話になったな。でも彼はそれだけじゃなく、ユーモアとセンスも持ち合わせていたんだよ。明るくて人望もあったし、教授陣からは将来を有望視されていた。是非院に来ないかとも誘われていたしね」

「でも、院には進まなかったんですよね。それに彼が公務員試験を受けたのは卒業後何年も経ってから……ということは、一度は一般企業に就職したということでしょうか?」

 廉が尋ねれば、狭間は難しい顔をした。そうして、「彼の実家が神社だと言うのは知ってる?」と尋ね返してくる。


「知ってます。でも、継いでいませんよね」

「ああ。少なくとも2年生までは本人も継ぐつもりでいたみたいだけど、途中でやめるって言いだして。……家庭内で大分揉めたみたいだよ、一時期は友人宅を転々としていたから。……僕の部屋にもよく泊まりにきてたな」

「え、それでどうなったんですか」

「4年の夏、マサチューセッツ工科大学に留学していった。突然に」

「――留学?」

「そう。もうびっくりだよ。それまでに来ていた有名企業からのオファーもぜーんぶ断ってたから、てっきり家を継ぐことになったとばっかり思ってたのに。まさか留学とは。それも天下のマサチューセッツに」

 狭間は軽い口調でそう言うと、やれやれとお手上げポーズをして見せる。


「そんな秋月先輩が今は警官とは。はっきり言って全く想像できない。僕の知ってる秋月要は、正義感に溢れたタイプでもルールを重視するタイプでもない。どちらかと言えば自由で型破り、人の迷惑になるようなことこそしないけど、そうでなければ些細なことは気にしない人間だった」


 そんな狭間の言葉に、廉は“自分の勘は当たっているかもしれない”と思わざるを得なかった。もともと典型的な理系の人間が、しかもアメリカに留学までしておいて、どうして警察官になったのか。その理由はきっと、帝に与えられた予言に関係している筈。


 ――廉がそんなことを考えていた、その時だ。

 スマホに昂からラインが届いた。メッセージの内容は「姉ちゃんの写真。4月21日夜7時半」。そしてその直後、数枚の写真も送られてきた。そこには千早と帝が映っている。


「――っ」

 瞬間、廉は驚きのあまり椅子から勢いよく立ち上がった。ガタンと音を立てて椅子が倒れる。


 廉は、まさかこのタイミングで千早の写真が送られてくるとは思っておらず酷く動揺した。警察が調べても目撃情報一つ見つからなかったのに、まさか本当に昂が見つけてくるとは思ってもみなかったのだ。


「廉くん? 何かあったのかい?」

「……いえ。――あの、俺、急用が……」

 不思議そうに自分を見上げる狭間に対し、廉はしどろもどろに言葉を返す。せっかく菊池が取り付けてくれたアポイントだ。出来れば秋月刑事の情報をもっと聞いておきたい。けれど、それよりも昂から届いた写真が気になってどうしようもなかった。


 そんな廉の気持ちを察したのだろうか。

 狭間は「よほど急ぎみたいだね」と呟いて、狼狽える廉に対しにこりと微笑んでくれる。そして胸元から一枚の名刺を取り出すと、それを廉に向かって差し出した。「これ僕の名刺。いつでも連絡してくれていいから」そう言って、更に笑みを深くする。


 廉はそんな狭間に尊敬の念すら覚えながら「ありがとうございます」と頭を下げてゼミ室を飛び出した。


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