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 見渡す限り続く暗闇の中、目の前に横たわる帝の身体。変わり果てた、帝の姿。私と、この()を守ろうとして、斬られた……帝の……。


「……み……かど?」

 私は帝の名前を読んだ。けれど、決して返事は返ってこなかった。それどころか、彼はピクリとも動かない。


「……嘘。……嘘だよね? こんなの、ただの夢だよね……?」


 私はひたすら、帝の身体を揺り動かす。けれど、やっぱり返事は返ってこなかった。


 ――嫌だ、そんなはずない……こんなの有り得ない。有り得ないよ。


「……あっ……あぁ」

 いやだ。いやだ。いやだいやだいやだ。助けて、助けて、誰か助けてよ!


 暗闇の中で、帝の血に濡れた両手を凝視して――私は叫んだ。

 

 助けて、誰か帝を助けて、と。


 けれど、それに応えてくれる声はなかった。私の隣のこの()も、ただ怯えてうずくまるばかりで、帝を助けてくれはしない。


 ――ああ、それなら何の為に、何の為に帝はこんな目に……!


 私は絶望した。死にたくない、死にたくない、こんなところで死にたくない。


 けれど、そんな私に追い打ちをかけるように、背後から忍び寄る二つの影。


「……次はお前らだ」

 それは、帝を斬った男たち。暗闇の中で――否、雲に隠れた淡い月明かりの下で、着物姿の男たちは不気味に唇を歪ませる。


「……ひっ……や、ぁ……」

 わからない、わからない、訳がわからない。どうして、一体どうして、何故……何故……。


「女を斬れるなんてゾクゾクするなぁおい……ッ!」

「あぁ、やべぇぜ、いい声で鳴けよ」


 狂った男達が刀を片手に、私たちに迫りくる。帝だけでは飽きたらず――不気味な笑い声を上げ、意味不明な言葉を喚き散らしながら――既に帝の血で汚れた刀を、私たちに向かって振り上げる。


「……や……やだ」

 嫌だ、こんなところで死ねない。死ねない……!


 私は必死に周囲に目を配る。助けは来ない。ならば、どうしたらいいのか。


 そう思ったとき、ふと目に入ったのは隣にうずくまったその()の脇差し。あぁ、せめてこれならば――!


「貸して!」

 瞬間、気付けば私はその脇差しを抜いていた。長さなんて足りない。立ち向かうなんて出来ない。でも、せめて身を守るくらいなら――!


 だが、その考えは甘かった。震える右手で構えたそれは男の一太刀で一瞬にして払い落とされ、私は直ぐに丸腰になる。


「へへ。生きのいい女は嫌いじゃねぇぜ」

 男のゲスな笑い声が不快に響く。でもそれはもう、現実ではないように思えていた。


 だって、こんなのあり得ないことだから。あり得ないことなんだから。


「……っ」

 だから私は、もう一度帝の身体を揺さぶった。きっと夢だから、全部全部夢だから。目が醒めればきっと、明日はいつもと同じ朝。……だから。


 けれどそんな願いを嘲笑うように、彼に触れた私の手に感じるソレは、ドロリとした生温かい液体で。むせ返るような、強い鉄の臭いで……。ああ、それはやっぱり、紛れもない帝の血なのだ。

 それは……赤よりもずっと紅い……。


「……何でっ、何でよぉ」


 目が、チカチカする。

 視界が、赤く染まる。

 私の心を埋め尽くすのは、限りない恐怖と、底知れぬ絶望――。


「……み……か――」

 私はもう、悟らざるを得なかった。真っ赤に染まった自分の手のひらに。

 帝は、もう助からないと――。


「……やッ、いやぁああああッ!」



◇◇◇


 ――それはほんの一瞬だった。


 もう逃げられないと、自分はもうここで死ぬのだと、そう思ったのと同時のことだった。


 視界が一瞬にして赤く染まり――そして、消えた。男たちは、次の瞬間には冷たい地面に横たわり事切れていた。

 音はなかった。ただ、頬に生温(なまぬる)い液体が一筋飛んできたくらいだ。


「…………え」


 広がる血だまり。それは帝の傷とは比べ物にならない深い傷。疑いようのない死の臭い。


 ――助けが、来た?


 呆然と視線を上に向ければ、そこにはやはり着物姿の男が二人いた。既視感のある羽織りを着た男たちが。

 そんな彼らは私たちには目もくれず、死体の身元を確かめているように見える。月明かりだけが頼りの暗闇の下で――全てが見えているかのように、あまりにも堂々と。


「うーん。この人たちは違うみたいですね」

「そうか」

「て言うか、こんな雑魚共僕一人で十分なのに」

「俺は任務を果たしたまでのこと」

「任務、任務って、本当に(はじめ)君は真面目ですよね。と……そんなことよりさ、ねぇ君たち」

 刹那、その男は私たちに視線を向けた。刀も仕舞わないまま、鋭い眼光を私に向ける。その視線の鋭さに、私は声を出すのも忘れて固まった。

 言葉は丁寧なのに、恐ろしいのだ。さっきの男たちよりも、よっぽど強い殺気。あまりの畏怖に、震えさえも止まってしまう。

 この人は――やばい。本能的にそう感じた。


 男は私と帝と――そして隣の()を見比べてわざとらしく首を傾げる。


「そっちの子はともかくさぁ、君、何者?」

「…………え」

 尋ねられた意味がわからず、私は男を見返すことしかできない。


「だからさぁ、何者かって聞いてるの」

 男の刀が私の眼前に据えられる。血に濡れた刀が……目の前に。


 けど、私はもう何も言えなくなっていた。目の前で起きた出来事に、傷を負った帝に……私の頭は、すべての思考を停止していた。


(はじめ)君、この子たちどうします? 僕、殺っちゃっていいですか?」

 それは酷く無邪気な声だった。けれど、とても冷たくて。同じ血のかよった人間だとは到底思えないほどに。


 あぁ、きっと今この人は、私を見て笑ってるんだろうな――。私はそう直感した。僅かな月明かり――しかも逆光で、表情は見えないにも関わらず。けれど不誠実な物言いが、そう感じさせるのだ。


 ああ、やっぱり私は死ぬんだな。そう思った。抗う気持ちすら湧いてこない。それは圧倒的な強者を目にしたときに感じる諦めにも似た気持ち。

 私は今度こそ、自分の死を覚悟した。――なのに。


「いや、そいつらは屯所に連れて行く」

 そう言ったのは一体誰なのか。(はじめ)と呼ばれた男ではない。ならば、一体……。

 だが、これで助かったと、今度こそそう思ってもいいのだろうか……?


「え、どうして? 殺っちゃえばいいじゃないですか、見られちゃったんですよ?」

「別に見られて困ることでもないだろう、おい、そこの女」

土方(ひじかた)さん?」

 その声に呼ばれたように、突如として暗闇から姿を現した――土方と呼ばれた――男は続ける。


「声を出せば、斬る」

「――ッ」

 瞬間、私は再び絶望した。ああそうか、やっぱり、助かったわけじゃないんだな、と。


 そう思ったら、急に体に力が入らなくなった。瞼も重く、目を開けていられない。……眠くて、眠くて。


 ――そうして私は、そこで意識を手放した。

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