四
◇◇◇
千早と帝が姿を消してから3週間が経った。相変わらず二人の行方は掴めていない。けれど、昂の通う八条高校は落ち着きを取り戻していた。
――そもそも、秋月帝と佐倉千早は校内の有名人であった。二人は容姿端麗、成績優秀、運動能力も抜群で、更に生徒会メンバーでもある二人は全校生徒に知られる存在だった。しかも、強豪である剣道部の部長でもある。そんな二人が付き合っているものだから、校内の有名カップルとしても名を知られていた。
そんな二人が揃って姿を消したとなれば、騒ぎになるのは当然だ。事件翌日、全校集会でそのことを聞かされた生徒たちは騒然とし、校内はしばらくの間そのニュースで持ちきりとなったのだ。
だかそれも、事件から3週間が過ぎた今では幾分か落ち着いてきている。生徒会はもう一人別にいた副会長を臨時の会長として立たせ、剣道部も各副部長の働きにより普段通りの部活風景を取り戻すまでになった。
昂のことを腫れもののように扱っていた周りの反応も前の様に戻って来ている。
――これはそんなある日の昼休みのことだった。
◇
「佐倉、なんか先輩が呼んでる」
昂が窓際の席から外の景色を眺めていると、クラスメイトの一人が彼を呼びに来た。その声に教室の入り口に目をやれば、一人の男子生徒がちらちらと様子を伺っている。
――誰だ?
髪の色こそ黒だが、制服はあからさまに気崩していて一見チャラい印象だ。ネクタイの色が紺色なことから、2年生だと言うことがわかる。けれど、昂には全く見覚えのない先輩だった。
「名前聞いた?」
知らない人だったので、昂はクラスメイトに尋ね返した。けれど「聞いてない」と返されてしまう。仕方がないので、昂は席を立って見知らぬ先輩のもとに向かった。
「何ですか」
その先輩は昂より卵2つ分ほど高い身長だった。昂は先輩をやや見上げる形で尋ねる。するとその先輩は左右の様子を確認しながら「俺、剣道部の2年なんやけど」と言った。それはどこか、気まずそうな顔をして……。
――剣道部?
瞬間、昂は眉をひそめた。これは間違いなく千早関連の話だろう。
千早が行方不明になってから、その弟である昂は一躍有名人になっていた。他のクラスや上級生が昂を見に来ては「あれが佐倉千早の弟」か、という顔をして去っていく。
今回もそういうことだろうかと思ったが、けれどどうも相手の反応からしてそうではなさそうだ。
「あ――そや、名前。俺、上條言うんやけど」
その先輩――もとい上條は自己紹介をしつつ、やはり周囲の様子を確認するように目を左右に泳がせた。まるで後ろめたいことでもあるかのような態度だ。
「佐倉……千早先輩のことで話あるんやけど、ちょい着いてきてくれへんか。ここじゃ話辛いんや」
上條は昂に耳打ちする。やはり人には聞かれたくない話なのだろう。
「わかりました」
もちろん千早の話となれば行かないわけにはいかない。昂は頷いて、上條の後を追った。
◇
昂が連れていかれた先は校舎端の視聴覚室前の廊下だった。ほとんど使われないこの辺りの廊下には生徒はおらず、内緒話をするにはうってつけである。
「それで話って何ですか。姉ちゃんのことなんですよね」
昂はそこに着くな否や、自分に背を向けたままの上條に問いかけた。それは、生意気とも取られかねない態度だった。
けれど上條はその声に気分を害することもなく、上級生らしからぬ様子で背中をびくりと震わせる。「それなんやが……」と言いながら振り向いたは彼は、昂と視線を合わせることなく突如として頭を下げた。
「すまん! 俺、お前に謝らんといかんことがある!」
「――!?」
それは突然の謝罪だった。一体どういうことなのか、昂はわけもわからず困惑する。
「上條先輩……でしたよね。とりあえず頭を上げて下さい。全く意味がわかりません」
「お……おう。確かに……そうやな」
「もう少し詳しくお願いできますか?」
そう尋ねれば、上條は躊躇うように口を開く。そうして、ようやく本題を話し始めた。
「実は俺、あの日……二人が居なくなった夜、通学路で二人の姿を見とったんや」――と。
◇
上條の話はこうだった。
それは千早と帝が消えた4月21日の夜のこと。部活を終えた彼は――自転車置き場で千早たちと会話をしたあと――学校を出てバス停までの道のりを歩いていた。が、バスの時間までまだ少しあった為、途中にあるコンビニに寄ることにしたという。そうして買い物を済まコンビニを出ると、彼はあることに気が付いた。自分が元来た道に、千早と帝の姿があったのである。
「うおっ、やっべ」
先の千早たちとの会話で気まずさを感じていた彼は、咄嗟に物陰に身を隠した。そうしてそのまま二人をやり過ごそうと考えた。けれどどういうわけか、いつまでたっても二人は来ない。
あまりに遅いので気になって様子を伺えば、二人は先ほど居た場所から全く動いていなかった。よくよく観察すれば、二人はどうやら黒猫と戯れている様子である。
「あの鬼主将が猫と遊んでる!?」
上條は心底驚いた。何がって、いつも隙のない帝が、屈託のない無邪気な顔で笑っていたのだ。それは校内では決して見せないような帝の顔で、彼はその笑顔についつい悪戯心を芽生えさせた。そうして気づいたときには、スマホのシャッターを押してしまっていた。
つまり上條は、事件発生予想時刻の二人の姿を写真に収めていたのである。
「……どうして、今頃」
この話を聞かされた昂は、身が煮えたぎる思いをした。
既に事件から3週間が経っているというのに、どうして今更――と。そもそも警察は事件後すぐに二人の目撃情報を探し始めた。それはもちろんこの学校の生徒も対象だ。それなのに、何故そのときすぐに名乗り出なかったのと、昂は強い怒りを感じていた。
「本当にすまんと思ってる。言い訳にしかならんけど、俺――怖くなってもうて。主将たちが行方不明って次の日聞いたとき、震えが止まらんくなってしもうて。怖くて怖くてたまらんくて、学校休んで……どないしよ思うとる間に、こないに時間が過ぎてもうて……」
「――っ」
昂は思わず、目の前の相手に罵声を浴びせそうになった。怒りに任せて殴りかかりそうになった。けれど彼はその衝動を必死に抑え、歯を食いしばる。
上條の言葉に嘘はなさそうだった。目の前の彼はきっと、本当にただ怖くなってしまっただけなのだ。決して悪気があったわけじゃない。それに、二人が居なくなったのは上條のせいではない。多少の落ち度はあろうが、彼を責めるのはお門違いというものだ。
だから昂は、怒鳴りたくなる感情を理性で必死に押し殺した。ともかく今必要なのは情報だ。それは1週間前に、兄である廉と話し合って決めたことでもある。
昂は、正気を取り戻した兄から言われていた。「どんな些細なことでもいい。情報を集めろ」と。
加えて、「警察は寧ろ自分たちの敵かもしれない」とも伝えられていた。それは初日の秋月刑事の態度と、何一つ捜査の進展がないことから考えられる最悪のケースを想定しての言葉だった。
そしてその言葉を象徴するように、廉は今、秋月刑事について調べている。
だから昂は、自分には自分の出来ることをしようと決めていた。
「上條先輩、この話――警察には?」
「いや、言うてへんけど」
「では警察には俺から伝えておきます。だから、もう一度今の話を詳しく話してもらえますか? 細かいことまで全て。あと、俺のライン教えますから、その日撮った写真、全部俺に送って下さい」
「あ、ああ。もちろんや」
そうして昂は再度上條から話を聞き出し、連絡先を交換してからその日は別れた。