四
◇
だがその言葉は、樹の罵声によってかき消された。「廉!」と叫ばれ我に返れば、父親が自分を怒りの形相で睨んでいた。「なんて失礼なことを言うんだ、今直ぐにお詫びしなさい」――そう言って顔を真っ赤に染める父親に、廉は先の自分の言葉が失言だったと理解する。
けれども廉からしてみれば、決して納得できないことだった。何故自分が謝らなければならないのか、相手が警官だからか? その階級故か? それとも帝の父親だからなのか? そう思った。
冷静に考えれば、子供を心配しない親などいないとすぐにわかる。感情を表に出すことが出来ない状況というだけで、秋月刑事が帝を心配していない筈がない。
けれど廉からすれば、この秋月要と言う男はあまりにも冷静すぎた。自分の息子が行方不明だと言うのに顔色一つ変えることなく、声色だって乱れない。その様子からは、どうしたって帝を心配しているとは思えないのだ。
それに父親の樹が自分を叱りつける理由も気に食わなかった。なぜなら廉は、父親が自分を叱責した理由をよく理解していたからだ。
樹が自分を怒ったのは、秋月刑事が帝を心配していることを想像したからではない。父はただ、目の前のこの相手が警視正だから怒っているのだ。警察内の権力に恐れ、敵に回したくないから責めるのだ。もしもこれが一介の警官なら樹の反応は違っていた筈。廉と同じように「君はそれでも父親なのか」と相手を諭していただろう。けれどそうしないのは、樹が娘の心配よりも自身の保身を優先したからだ。
勿論、ここで相手を怒らせたら娘の捜索に差し障る。その可能性も考慮したのだろう。けれどやはり廉からすれば、樹の態度は卑怯に思えて仕方が無かった。
「……っ」
――ああ、一瞬でもこの男に期待した自分が馬鹿だった。
廉は拳を握り締め、憤る。
そうだ、この男は昔からそうだったではないか。家族より仕事。自分の利益を優先し、保身に走る。そういう男だったではないか。
――絶対に、謝ってなどやるものか。
廉は秋月刑事を睨みつける。きっとこの刑事も父親と同じように俺の発言を咎めるのだろう。そんな風に予想しながら。
けれど、その予想はすぐに覆された。
「そうだな。確かに君の言う通りだ――廉君」
なんと秋月刑事は、廉の言葉を肯定したのだ。
「確かに私は、この状況について諦めてしまっている節がある。いつかこんな日が来るのではと、一度は確かに考えていたのだから」
彼は短く息を吐き、眼鏡の奥の鋭い視線をやわらげる。自分に怒りの目を向ける廉の方へ膝を向け、頼りなく微笑んだ。それは自らの過ちを後悔するような、悲し気な笑みだった。
「少し――昔話をさせて頂きましょう」
そして彼は膝の上で両手を組むと、躊躇いがちに話し始めた。
◇
「私の実家は神社でして、代々神主をしております。私は長男ですがこうして家を出ておりますので、現在は妹が婿を取り跡を継いでいるのですが……」
それは突然の告白だった。秋月刑事は、誰も尋ねていない彼の素性を自ら語り始める。
「そこでは古くから変わった慣習がありまして、子供が産まれると本家当主がその子供に予言を授けることになっているのです。予言と言っても通常は“この分野で大成する”だとか“身体の弱い子だから健康には気を付けるように”などの大した内容ではないのですが……」
――予言だと? 何だそれは。
そう思った廉は、放心状態で父親を見やった。するとどうやら樹も息子と同じように感じているらしく、困惑の表情を浮かべている。一体それがこの事件と何の関係があるのか、全く見当がつかないと――。
だが当の秋月刑事は、廉と樹の反応をわかっていながらも決して話を止めようとはしない。
「しかし帝に授かった予言は、それまで聞いたことのある予言とは全く種類の異なるものでした。その予言とは“子供の魂は成人を迎えることなく、初月の夜にその姿を隠すであろう”という、全く不可解なものだったのです」
「――は、何ですかそれ。オカルト……?」
廉は思わず心の声を漏らす。今度ばかりは樹も廉を叱らなかった。息子の言葉に同感なのか、それともあまりに混乱しすぎてそれどころではないのかはわからないが――。
「オカルト……そうだな、私もそう思うよ。実際、私はその予言を今日まで忘れていた」
「なら――」
どうしてそんな話をするんだ――廉はそう言おうとした。けれどそれより早く、廉の隣に座っていた昂が呟く。「今日、新月だ」と。
その声に廉はハッとしてソファから立ち上がる。初月の夜に姿を隠す――それはつまり昂の言うように、新月の夜に姿を消す、という意味になるのではと気が付いたのだ。
――馬鹿な!
だとしてもそんなのただの偶然だ――そんな風に思いながら、彼は急いでカーテンを開け放った。すると確かに、今夜の空に月の姿はない。
「いや……だからって」
廉は振り返る。
「新月だから何だって言うんだよ! あんたは、今日が新月だから帝が居なくなっても仕方のないことだとでも言うのか!? 予言だから!? そんなんでいいのかよ!? そんな予言一つで、あんたは帝を諦めるのか!?」
廉は今度こそ声を張り上げる。
彼には信じられなかった。あまりにも非現実的なその予言というものも、秋月刑事の諦めたような口ぶりも。だって普通に考えてあり得ないではないか。“成人を迎えることなく”――だなんて、まるで“死の予言”だ。それも“新月の夜”限定でだなんて。おとぎ話じゃあるまいし、この時代にそんな非科学的なことを信じる方がどうかしている。もしも信じる奴がいたら、笑いを通り越して呆れるところだ。頭がおかしいとしか思えない。
「あんたは一体何の為に刑事をやってんだよ!」
「……」
廉の訴えに、秋月刑事は目を伏せる。君の反応は当然だ――そう言いたげな顔だった。
「廉君。私はね、息子には出来得る限りの教育を施してきたつもりだ。教養だけではない、あらかたの武道は教え込んだ。それは君も知るところだろう。息子は私から見ても優秀だ。並の相手には動じないし、余程のことでもない限り危害を加えられることはない。そして息子が無事である限り、あらゆる危険から千早さんを守ろうとするだろう。それは私が保障する」
秋月刑事の言葉は酷く冷静だった。彼は廉をじっと見据え、再び眼光を鋭くする。それは最初にこの部屋に入ってきたときと同じ、刑事の顔で――。
「だが、それでも息子は姿を消した。息子の荷物にスマホが入っていないということは、おそらくスマホは息子が持ったままなのだろう。だがそのGPSは機能していない。勿論連絡も取れない。これから直ぐにそのGPSがいつどこで途切れたのか調べるつもりだが――」
「――っ」
瞬間、廉は大きく目を見開いた。その言葉の続きを想像し、全身を強張らせる。
「あまり期待はしないでくれ」
「――!」
その言葉に、廉は頭を鈍器で殴られたような気分になった。
“期待するな”――それはつまり、帝と同じく姿を消した千早についても“死を覚悟しておけ”ということなのか?
「……は」
そんなことはあり得ない。あり得ない。あっていい筈がない。
廉が樹を見やれば、彼は膝の上で両手を組んで項垂れていた。流石の樹も秋月刑事の最後の言葉にショックを受けたのだろう。言葉も出ない様子で、茫然自失としていた。
秋月刑事はそんな樹に向き直り、再び頭を下げる。
「佐倉さん。大変失礼なことを言いまして本当に申し訳ありません。千早さんはこちらの事情に巻き込んでしまったと言っても過言ではない。捜査は全力で行うことを約束致します」
「……」
「それと――勘違いさせてはいけないので最後に申しておきますが、勿論私は千早さんにも、そして息子にも無事に帰ってきて欲しいと願っております。これは私の本当の気持ちです」
「……ええ。勿論、……そうでしょうとも」
樹が苦し紛れに答えれば、秋月刑事は音も無くその場に立ち上がる。
するとそれを合図に、リビング入り口に突っ立っていた水野巡査が机に寄って来た。彼は「お嬢様のお荷物は再度預からせて頂きます。後日お返しいたしますので」と言って、荷物を再び段ボール箱に戻し始める。つまり今日のところは、これで話は終わりだと言うことだろう。
項垂れたままの樹とその息子たちを残し、秋月刑事は踵を返した。彼は水野巡査を引き連れて扉を開け、思い出したように三人を振り返る。
「捜査状況は後日こちらから連絡させて頂きます。もし何かあれば、先ほどお伝えした番号に連絡を」
そして事務的にこう告げると、あっさりとその場を後にした。