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 ――時刻は午前0時を回った。


 樹は午後11時を過ぎた時点で一度警察に電話をかけていた。娘が帰って来ない。もしかしたら事故にあっている可能性もある。警察(そちら)に何か連絡が入っていないか――という確認の為の電話だ。これで何も情報がなければ、夜が明け次第捜索願を出すということで話がまとまっていた。


 そうして日付が変わったころ、樹のスマホが鳴り響いた。電話は警察からだった。


「――はい、はい。……え? 荷物が、交番に?」


 それは、今日の午後9時頃に千早の学校カバンが交番に届けられていたという連絡だった。バス停のベンチに置き去りにされていたのを、通行人が交番に届けてくれたらしい。そのバス停は、学校最寄りのバス停だった。

 それを聞いた陵子はすぐに、今からその交番まで行ってくる、と言い出した。


「これからすぐに娘の荷物を受け取りに行っても構わないでしょうか?」

 樹はそう電話先の警官に尋ねる。するとどういうわけか「その必要はありません」と返ってきた。どういうことかと尋ねれば、既に届けに向かっている最中だと言う。どうしてそんなことになるのか樹には意味がわからなかったが、とにかくそのまま待つようにと言われて電話は切れた。


「どうやら……警察が届けてくれるらしい」

 切れたスマホを片手に樹が説明すれば、三人も樹同様、意味がわからない、という顔をした。が、兎も角今は待つしかない。


 一秒が何時間にも感じられるような長い長い待ち時間の中、樹は膝の上で両手を組んで項垂れる。


 警察からの電話がかかってくるまでの間に、樹と陵子は息子たちから説明を受けていた。

 千早には付き合って2年になる彼氏がいること。名前を秋月帝ということ。千早はその帝と、毎日一緒に下校していること。けれどその帝とも連絡が取れないこと。


「やはり公立になんて入れるべきじゃなかったんだ」

 樹は、娘に彼氏がいるという事実と、それを隠されていたという現実、そして今起きている事態に大きなショックを受けていた。


「……ノートルダムに入れておけばこんなことには」

 やり場のない焦燥感と怒りを、まだ会ったこともない帝に押し付けるかのようにして。


 けれど、廉と昂は知っていた。帝は何も悪くない、と。帝に限って、絶対に千早を危険にさらすようなことはしないのだと。

 夜遊びも、非行も、千早に門限を破らせることだって、絶対にしやしない。帝は決してルールを破らないし、自分の信用を守る為には些細なリスクも冒さない。彼はそういう男だ。――二人はそう確信していた。


 しかしだからこそ、この状況にとてつもない不安を感じてしまう。二人揃って消えたのだとしたら、それは何か事件に巻き込まれたとしか考えられないのだから。


「……ああ、千早」

 陵子も顔を覆い、ソファで力を落としていた。


 するとそんなときだ。静まり返った部屋に、チャイムの音が大きく響いた。


「――!」

 樹と陵子は立ち上がると、急いで玄関へと向かう。慌てて扉を開ければ、そこには暗闇を背景にして、二人の男が立っていた。


 奥の一人はよくある警官姿の男。その警官は段ボール箱を抱えている。――だが、手前のもう一人、スーツ姿のこの男は……。


「佐倉さん、お嬢さんの荷物をお届けにあがりました」

 そう言いながら、事務的な動作で男が提示した警察手帳。そこには“警視正 秋月要”の文字が。


「警視正……? それに、秋月って」

「私は秋月帝の父――秋月要(あきづきかなめ)と申します。是非、中で詳しい話をお聞かせいただいても?」

「――え、ええ」


 それは突然の来訪だった。帝の父だと名乗るその男は、突然のことに困惑する二人に向かって浅く頭を下げると、有無を言わさない様子でそのまま家に上がり込んだ。

 


「この度は息子が付いていながら、このような状況になってしまい誠に申し訳ない」


 リビングに通された帝の父と名乗る男は、自己紹介も早々に頭を下げた。その背後ではもう一人の警官が驚いた様子で、目の前で頭を下げる上司の背中を見つめている。


 ――男の名は秋月要(あきづきかなめ)と言った。職業は警察官で、階級は警視正。役職は京都府警の刑事部長だと言う。誠実そうな顔立ちに黒縁眼鏡をかけ、物腰は柔らかく、シワ一つないスーツを几帳面に着こなすその姿からは彼が警官であるとは思わせない。けれどひとたび目を合わせればその眼光は鋭くしゃべり方には圧があり、確かに彼が一般人ではないことを証明していた。

 そしてもう一人、秋月刑事の後ろに立つ制服姿の若い警官は水野と言った。階級は巡査で交番勤務らしい。


「いえ――そんな、どうか頭を上げて下さい。こちらこそわざわざ出向いて頂き感謝いたします」


 樹は秋月刑事に席を(すす)めながら、ソファに腰かけたままの廉と昂をじろりと見やった。まさか知っていて黙っていたわけではあるまいな――と。すると二人は慌てた様子で左右に首を振る。


 そもそもこの場で今一番驚いているのは樹でも陵子でもなく、千早の兄、廉であった。何故なら彼は、自分が家族の中で最も千早のことを理解しているという自信を持っていたからだ。

 彼は千早が帝の家に度々遊びに行っていることも、そこで二人が交わした会話の内容さえ把握していた。千早のことで自分が知らないことなど、何一つないとすら思っていた。だから帝の父親が警官であることを知らされていなかったことに、大きなショックを受けたのだ。


 勿論、千早が帝の父親の職業を知らなかった可能性は捨てきれない。けれど家に遊びに行く程の仲なら知っていてもおかしくないのではないか。それに、この帝の父親は千早のことを知っている様子。となれば、千早も帝の父親に会ったことがあると考えるのが妥当だろう。


 廉は奥歯を噛み締める。

 自分の知らない千早がいるのかもしれない――そう思うと、途端に不安がこみ上げて来る。


 彼がそんなことを考えている間にも、目の前では父親が秋月刑事に促され、段ボール箱の中身を確認していた。千早の通学バッグと部活用のバッグ、そしてその中身を一つ一つ確認していく。それらは指紋が付かないようにと、全てがポリ袋に入れられていた。

 ちなみに交番勤務の水野は、リビングの壁際で気配を消して立ったままだ。樹は席を勧めたのだが、彼は「自分はこのままで」と言い張って、千早の荷物の入った段ボールだけをリビングテーブルに置ろした以降はリビング入り口付近で警備員のごとく制止している。


「……確かに、全て娘の物です」

 そう答えたのは母親である陵子だった。彼女がポリ袋の上からスマホの通知を確認すれば、そこには「着信7件」の文字。それを見た瞬間、今まで毅然とした態度を見せていた彼女が泣き崩れた。樹はそんな妻に「まだ何かあったと決まったわけじゃない」と(なぐさ)める。

 けれどそんな言葉は気休めにもならなかった。実際に千早が帰宅する気配も、連絡の一つもないのだから。


 結局、陵子はそこで席を外すことになった。樹が、これ以上話が出来る状態ではないと判断したからだ。彼は妻同様、息子たちにも「もう休め」と指示をした。けれど二人は頷かない。


「大切な家族のことだ。俺は最後までここにいる」

「そうだよ。それに姉ちゃんのことなら、父さんよりも俺たちの方がよく知ってる」


 それは何よりも確信を突いた言葉で、樹は深く息を吐く。そうして「確かにその通りだな」と頼りなさげに呟いた。

 


 時刻は午前1時を回っていた。リビングには重い空気が漂っている。これまでの秋月刑事の話しではっきりしたことは、ただ二つ。


 千早と共に帝も姿を消したこと。そして、千早の荷物と一緒に交番へと届けられた帝の荷物には、スマホが入っていなかったということだ。


 それ以外には何一つわかっていない。通行人が荷物を発見したのは9時より少し前で間違いないが、その荷物がいつからバス停に置き去りにされていたのか、二人はどこへ行ったのか、そもそもバスに乗ったのか乗っていないのか、徒歩で移動したのか、現状では何もわからないということだった。


 確かに、行方がわからないと言ってもまだここ数時間のことである。捜査もまだ何も始まっていない段階でわかることの方がおかしい。けれど秋月刑事は終始冷静で、まるで他人事であるかのような態度だった。息子がついていながら申し訳ない、という気持ちだけは伝わってくるが、自分の息子が姿を消したというのに狼狽える様子もない。


 廉はそんな秋月要という男に酷く違和感を覚えていた。

 ――息子が行方不明だというのに冷静すぎるのではないか。それとも刑事部長ともなると、自分の感情を表に出すわけにはいかないのだろうか、と。


 そして一度感じた違和感は、ただ大きくなるばかりだった。廉は目の前の秋月刑事と父親の会話を酷く冷静な頭で聞きながら――とうとうその言葉を口にする。


「あなたは、帝のことが心配じゃないんですか」――と。


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