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 もうすっかり日の暮れた頃――隊士たちは酒を酌み交わし賑わいでいた。帝が目を覚まし、正式に隊士として認められたことを祝う、歓迎会という名の宴会が行われていたからだ。


 本来なら、隊士が一人増えたくらいでこのような場は(もう)けない。けれど千早はこの一月の間にすっかり新選組の一員として皆から認められ、そんな千早の友人であると言う帝のことも既に仲間の様に思っていた隊士らは、帝が目覚めたことを自分のことのように喜んだ。その為幹部らの提案で、このような宴会を執り行うこととなったのである。


 さて、今夜は無礼講。既に酒で出来上がった者も多く、屯所内はいつにも増して賑やかだ。特に原田や永倉を含むグループはひときわ騒がしい。


「おーい、こっち酒が切れてるぞ! もっと持って来い!」

「ああッ!? からっぽじゃねェか! 誰だ俺の酒飲んだ奴!」

「お前ら見ろ、この腹の傷を! 俺はな、てめぇらのようなヤワなのとは違うんだ。俺の腹は金物の味を知ってるんだぜ!」

「ぶあっはははは! 死にぞこないのくせによく言うぜ!」

「なんだと!? てめェやんのかこの野郎!」

「そりゃこっちのセリフだ! 表に出やがれくそ野郎!」

「お前ら酔い過ぎだ! 少しは場をわきまえろ!」

「うおっ、お前顔真っ青だぞ。吐くなら外行けよ」


 ――酒に酔いしれる者や古傷を自慢し合う者。他にも自分の家族を自慢し合う者たちもいる。

 その一方で、日向や平助、沖田を含む若年層は比較的おとなしめだ。


「平助くん、大丈夫?」

「……ひっく」

「君、調子にのって空きっ腹で飲むからだよ」

「俺はまだ酔ってねぇ」

「酔っぱらいは皆そう言うんだよ。ね、日向」

「沖田さんの言うとおりだよ。そろそろやめた方がいいよ」

「うるせー! 酔ってねェって言ってんだろー! だいたい斎藤だって俺と同じ歳なのになんで俺ばっかり!」

「だって、一君は節度を守って飲んでるし」

「そうだよ、平助くん」


 沖田はとうとう平助から酒を取り上げた。すると平助は不満一杯の顔をする。そして、その場に急に立ち上がったかと思うと、こう叫んだ。


「だいたいなぁっ! 俺なんかより土方さんの方がよっぽど酔ってるだろ、見ろよあの顔ーッ!」

 同時に平助が指を差したその先には、虚ろな表情の土方がいた。確かに、土方の頬にはほんのり赤みが差しているが……。


 一同は平助に釣られ、そんな土方に視線を向ける。通常であれば、人から指を差されようものなら「人を指差すんじゃねぇェ!」と激怒するはずなのだが……。


「なんだてめェら。俺の顔に何か付いてるか?」

 現在の土方は、不機嫌な顔をするでもなく、ただそう尋ねるだけ。

 そんな土方に、一同は一瞬沈黙し――そして、吹き出した。


「……ぶっ」

「ふっ、はははははっ!」

「ひ、土方さっ……こりゃ相当酔ってんな……!」

「そいやぁ副長、酒には弱かったよなぁ!」

「く……くくっ、可笑しい……土方さんがっ、あっはははは……!」


「なんだ、何が可笑しい」


 一同は腹を抱えて笑い転げる。けれど土方が怒る気配は全くない。その様子に、さらに笑いが込み上げてしまう一同。


「――……あれ?」

 けれどもそんな中で、平助はふと気が付いた。


「なぁ日向、佐倉と秋月は?」

 そう、先ほどからずっと、二人の姿は部屋のどこにもないのである。


「ああ、そう言えば千早ちゃんがお水と間違えてお酒飲んだら気分悪くなっちゃったらしくて、風に当たって来るって言ってたよ。秋月くんは付き添いだって」

「ふ~ん。佐倉、酒飲めねェのか。ちょっくら様子でも見に行くか」

 平助は千早の身を案じ、席を立とうとした。けれどそれを遮るように、どういうわけか上半身裸の状態で、原田が会話に割り込んで来る。


「平助お前、野暮なことすんじゃねェよ」

「ああ? 野暮なことってなんだよ」

「ハッ。これだからお前は餓鬼って言われんだよ」

「はあ? 全っ然意味わかんねぇ。つーか服着ろよ!」

 平助が原田にガンを飛ばせば、原田はやれやれと言った様子でぐいと顔を近づける。そして周りの様子を気にしながら、ぼそっと呟いた。


「んっとに全然わかってねェな。あいつらはな、恋仲なんだよ。やっと二人きりになれたんだ。そっとしといてやれ」

「……っ」

 刹那、平助の顔が赤く染まる。原田の言わんとすることをようやく理解したのだろう。

 そんな平助の動揺に気付いた日向は、平助の体調を案じる。


「あれ? 平助くんさっきより顔赤くない? 大丈夫?」

「なっ……なななんでもねェよ!」

「そうだぞ、日向。こいつ、ただちょっといかがわしいこと考えただけだから」

「いかがわしいこと、ですか……?」

「ばっ……違ェよ!! 酒のせいだよ!」

「ハッ。なーんだ、やっぱ酔ってんじゃねぇか」

「――ッ!」


  ◇  ◇  ◇


――左之さんの馬鹿あああ! 残りの酒全部俺が飲んでやるーッ!

――あぁっ! 止めろ平助!

――あははっ、いいぞ平助もっとやれー!

――ちょっとやめてよ、騒ぐなら向こう行ってよね。


 そんな穏やかな喧噪(けんそう)を聞きながら、千早と帝は縁側に座り、闇夜に浮かぶ丸い月を見上げていた。


「皆、いい人たちだな」

 帝は、先ほどの隊士たちの自分への態度を思い返し、安心したような笑みを浮かべる。新選組と言うから気性が荒い者ばかりかと思っていたが、どうやら心根は優しい人たちのようだった。千早がこの一ヵ月やってこれたのは、実際周りの助けがあったからなのだろう。


「うん、皆とっても優しいよ。土方さんは怖いけど」

「確かに、あの人はちょっとな」


 二人は、ぽつりぽつりと言葉を交わす。今日帝が目を覚ましてから、二人きりの時間はこれがまだ二度目だ。一度目は30分の制限時間付きだったため、ゆっくりと話している時間はなかった。


「そう言えば帝、本当に体調はもう大丈夫なの?」

「ああ。傷跡はまだちょっと痛いけど、大したことない。筋肉落ちてるから、体力には不安があるけどな」

「そっか。なら良かった」

「それより千早こそ大丈夫なのかよ。さっきまで蒼い顔してただろ。酒、抜けた?」

「うん、まだちょっと頭痛いけど大丈夫」

「あんまり辛かったら言えよ。膝くらい貸すから」

「うん、ありがとう」


 二人は何気ない会話の中でお互いを気遣いあう。一月(ひとつき)ぶりの再会に、付き合い立てのときのようなぎこちなさを感じながら。


 ――その後少しの間、二人は沈黙していた。気まずいような心地いいような、よくわからない空気が二人の間に流れる。


 それを破ったのは千早だった。彼女は、言うか言わざるべきか未だに決めかねていると言う様子で、たどたどしく口を開く。


「あの、さ……帝」

「うん? どうした?」

「その……ありがとう、ね」


 千早が顔を俯いたまま呟くと、帝は驚いた様に目を見開いた。彼は、一体何に礼を言われているかわからないと言った様子で、開けていた口を閉じかける。

 けれど、帝にも思うところはあったのだろう。彼は一瞬の沈黙の後、千早の腕を掴んでぐいと引き寄せた。


「――えっ」

 そしてそのまま、千早の身体を抱きしめる。「それ、俺のセリフだから」――と、そう言いながら。


「俺のほうこそ、ありがとう。千早が頑張ってくれなかったら、俺――絶対死んでた」

「――っ」

 帝は千早を強く抱きしめ、その肩に顔を埋める。


「俺、ほんっとにー怖かったんだ。情けないけど、斬られたとき本当に怖かった。すげぇ痛くて、声も出なくて、寒くて、苦しくて……ああ俺は死ぬんだって、これで終わりなんだって思ったら……本当に、怖くて……」


 それは多分、この時代に来てから初めての帝の本音だった。

 ここに飛ばされた日のあの夜も、土方との対面の時も、その後も……帝はずっと我慢していたのだ。本音を隠し、自分を偽り虚勢を張って、自身を必死に奮い立たせていた。そしてそのことに、千早は薄々気が付いていた。


 本当は誰よりも怖かった筈なのに。それでも帝は、自分たちの居場所を守る為にずっと気を張って頑張ってくれていたのだ。


「帝――」


 千早は帝の背中に腕を回す。一月の間に痩せてしまった帝の身体を、精いっぱい抱きしめた。それはとても、愛し気に――。


「怖かったよね。痛かったよね。私もすごく怖かったよ。帝が死んじゃうかもしれないと思ったら本当に怖かった。でも……帝がいるから頑張れたの。帝が私を守ってくれたから……私も頑張らなきゃって思えたの。だから、お礼を言うのは私の方。本当にありがとう、帝」

「――っ」


 ――ああ、あったかい。

 千早はそう思った。帝の鼓動が聞こえる。温もりを感じる。ずっと懐かしく恋焦がれていた帝が今、自分を抱きしめてくれている。生きてここにいてくれる。

 そのことに、言いようのない喜びを感じていた。


「帝……大好き」

 千早は呟く。抱きしめられた腕の中で、「大好きだよ」と、何度も、何度でも。


 その声に帝は答えなかった。何一つ、答えなかった。帝は千早の肩に顔を埋めたまま、ただじっと黙りこんで、千早の声を聞いているだけだった。


 けれど千早にはそれで十分だった。だって自分が帝の名前を呼ぶたび、好きだとそう告げるたび、自分を抱きしめる腕の力が強くなるのを感じていたから。自分の耳にかかる帝の震える吐息が、自分の心を温めるから――。


「……ありがとう、千早」

 そんな中、帝がようやく口にした一言。その声は今にも泣き出しそうに震えていて――千早の中で、彼への愛情がますます大きくなるのを感じた。



 ――そうして、二人はしばらくの間抱き合っていた。二人きりの世界の中で、一ヶ月という空白の時間を取り戻すように、彼らはただお互いの体温だけを静かに確かめ合っていた。


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