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◇◇◇


「――ああ、イライラする」


 沖田総司は呟いた。

 土方が千早と帝を正式に新選組の一員として認めたのは今よりほんの少し前のこと。それを見届けた沖田は今、自室で言いようのない苛立ちと向き合っていた。


「……あの男、この僕に向かって」


 沖田は思い出す。先ほど帝が自分に向けた――あからさまな敵意の込められたあの瞳を。




「――ところで秋月、お前も剣術に覚えがあるのか」


 今より少し前、一通り話を終えた土方は、最後に帝にそう尋ねた。


「あります。千早の兄――廉さんに教わりましたから」

「腕はどれくらいだ」

「どう……と言われましても。流派があるわけでもないですし、千早よりは強いとしか」

「十分だ。取り敢えず、しばらくは養生に専念しろ。万全になったら、お前に稽古をつけてやる」

「――え。土方さんが、ですか?」

「違ェよ。が――そうだな……斎藤にでも頼むか。お前が佐倉より強ェってんなら、あいつも文句はねェだろ」

「斎藤さん、とは?」

「三番隊の組長だ。後で紹介してやる」

「はい、お願いします」

「話は以上だ。佐倉、秋月を大部屋へ案内してやれ」

「わかりました」


 帝は体力は落ちているものの、体調には問題が無いと言うことで大部屋に移ることが決まっていた。その移動の為、帝はその場で立ち上がろうとする――が、結局立ち上がれずに、よろけた彼はその場で尻もちをつく。


「――帝!? やだ、大丈夫!?」

 千早は焦った。やはりまだどこか悪いのではないだろうか――そう思って、急いで帝に駆け寄った。けれど帝は否定する。「いや、体調は大丈夫なんだけど」と呟いて、けれどやっぱり立てない様子の彼は、緊張感のない笑みを浮かべてこう言った。


「悪い。腰が抜けて……立てない」

「ええっ?」

「何て言うか、安心したら急に気が抜けたっていうか」

 千早は驚いた。今の今まであれほど堂々と受け答えしていたのに、まさか今になって腰が抜けたとは一体どういうことだ。

 勿論、そう思ったのは千早だけではないらしい。土方は呆れたように溜息をつく。


「おい、総司。秋月に肩を貸してやれ」

「ええ、僕ですか!?」

 沖田は思わず声を上げた。どうして自分が秋月に肩など貸さねばならないのか――と。


 そもそも、沖田の帝への第一印象は最悪だった。出会った初日は別として――先ほど帝はこの部屋に、千早と手を繋いで現れたのだ。沖田はそんな帝に対し、男だらけのこの屯所内で人目もはばからずに手を繋とはどういうことかと、憤りを覚えた。


 加えて、土方に対する帝の横柄な態度も気に入らなかった。言葉遣いこそ丁寧だが、決して土方に遠慮を見せないその態度が酷く気に障った。話の合間に千早に向ける視線も――その表情も、二人の間だけに漂う空気感も、全てが気に入らなかった。


 二人が恋仲であることは理解していたのに。千早が自分の小姓としてここに残る、そのことだけで十分だと思わなければならないのに。

 そもそもこれまでだって、千早が帝の名を口にするたび、彼女が帝をどれほど愛し大切に思っているのか痛感させられた。そして実際帝の口から語られた素性に、二人が遠い異国の地で七年もの歳月を共に過ごしてきたことも知った。――それなのに。


 沖田は秋月帝という男を目の当たりにし、言いようのない不快感を覚えたのだ。それが自分の身勝手な感情であるとわかっていても、抑え込むことが出来ない程の感情を。


 それを表に出すことこそしなかったが、とにかく沖田が帝にいい感情を抱いていないのは事実だった。


 だから土方に「肩を貸してやれ」と言われて、咄嗟に不満をあらわにしてしまったのだ。そんなこと、思ったらいけないことだとわかっているにも関わらず。

 

 だが土方からしてみれば、沖田のそんな反応さえも予想済みのことである。それに、沖田の帝に対する感情などどうでもいいことだった。


「お前以外にいねェだろ」


 だから土方は沖田に命じる。肩を貸してやれ――と。呆れた様に沖田を横目で見やりながら。


「――っ」

 すると沖田は、流石に今のは失言だったと悟ったようだ。誤魔化すようにブツブツと文句を言いながら、帝に右手を差し出した。


「……大丈夫ですか。ほら、僕に掴まってください」

「ありがとうございます。……えっと、沖田さんですよね?」

「はい、沖田です。君のことは秋月と呼ばせて頂いても?」

「ええ、勿論です」

 

 帝は沖田の肩を借りて立ち上がる。そしてその流れのまま、沖田と千早に付き添われ大部屋へと向かった。



 ――にしてもこの男、デカいな。


 沖田は、自分の前を歩く千早と帝を見比べてそう思った。どうやらこの秋月という男は、斎藤と同じくらいの身長はありそうだ、と。


 そもそもこの時代の日本人男性の平均身長は160cm弱である。それに比べて帝は175cm、つまり大男と呼んでも差し障りのない体格だ。新選組には体格のいい者が揃っているが、ここまで背丈の高い者はそうそういない。

 そして、それは千早もまた同じ。千早の身長はこの時代の男性の平均と変わらない。


 異人は身体が大きいと聞いていたが、もしや異国に住んでいるだけでも身体は大きくなるのだろうか?


 ――ぼんやりとそんなことを考えていると、沖田はふいに名前を呼ばれた。声のした方を振り向けば、いつのまにやら帝が隣を歩いている。

 彼はにこやかな表情で「お聞きしたいことがあるのですが」と沖田に言った。


 いきなり何だと思ったが、その横顔は特に意味ありげな様子でもない。これはきっと自分と親交を深めようとしているのだろう。沖田はそう判断し、無難に返そうと心に決めた。


「何かな」

「千早は、沖田さんの小姓なんですよね?」

「ああ、そうだよ」

「俺が眠ってる間、千早は元気にやってましたか?」

「そうだね、まぁ、それなりには」

「では、沖田さんに迷惑をかけたりとかは……」

「ああ、それは勿論かけられたけど。でも本人は精いっぱい頑張ってたし。今思えば仕方なかったんだと思うから」

「そうですか。沖田さん、お優しいんですね」


 それは少々含みのある言い方で、何となく気になった沖田は再び帝をチラと見やった。すると今度は帝もこちらを見返してくる。その表情はどうも物言いたげで、沖田は無意識に眉をひそめた。すると帝は、何故か顔を寄せて来る。


 ――何だ、この男。

 帝の距離感の取り方に、沖田は気持ち悪さを感じ距離を取ろうと身体を引いた。が、それよりも早く帝が呟く。それは、前を歩く千早には聞こえない程の声量だった。


「沖田さんってもしかして、千早のこと好きだったりします?」

「――っ」

 ――何だと?


 それは予想外すぎる問いかけで、沖田は思わず目を見開いた。そして動揺した。けれどその動揺を気取られまいと、表情だけは崩さない。


「どうなんですか、沖田さん」

「……」

 もしや何か気づかれたのか? 大した言葉も交わしていないのに? だとしてもこんなに直接的に聞くものだろうか。一体この男、何を考えている。

 ――そんな風に考えた末、けれど素直に答えるのも癪な気がして、彼はその取り澄ました顔にニコリと笑みを張り付けた。


「そうだね、いい子だと思うよ。何でも一生懸命で素直だし。まだ一ヵ月だけど、ここの皆ともよく馴染んでる。僕も皆も、彼女のことはもう新選組の一員だと思ってるよ」

「……そういう意味ではなくて」

「――? ……ああ、成程。うん、君の言う意味でなら、特に何とも思っていないかな」

「本当ですか?」

「おかしなことを聞くんだね。君は僕に彼女のことを好いて欲しいと思ってるの?」

「……いえ。すみません、じゃあ俺の勘違いですね」


 帝は沖田の答えに「うーん」と小さく呻って庭を見やった。沖田はそんな帝の姿に、この話はこれで終わりだろうと視線を前にやる。――が、話は終わりではなかった。次の瞬間、帝が再び沖田の方を向いたかと思うと、彼は耳元でこう囁いたのだ。「千早は俺のですから、今後とも興味を持たないようにお願いしますね」――と。


 それはまるで牽制(けんせい)のようで、(ある)いは挑発のようで、沖田は今度こそ顔をしかめた。チラと帝を流し見れば、そこには自分を敵視し鋭く見つめる両眼がある。それはどう見ても“確信を得ている”と言った表情だった。



「――生意気な奴」


 沖田はそのときの帝の顔を思い出し、吐き捨てるようにそう言った。それだけでは飽き足らず、苛立ちに身をまかせ右手で壁を殴りつける。


 あれほど人を殴りたいと思ったのは初めてだった。千早が側に居なければ実際そうしていたかもしれない。


 だが沖田には、未だこの苛立ちの原因がわかっていなかった。


 ――そもそも自分は千早を好きだなどと言った覚えはない。それは千早本人にも、他の誰かにも、勿論秋月帝にだって。

 確かに自分は千早を好いているのだろう。それは百歩譲って認めてやる。だが、自分はそれを他の誰にも伝えていない。押し付けてもいない。今後も一切自分の外に出すつもりはない。それなのに、あのあからさまな敵意は一体何だ。あまりに失礼すぎやしないか。


 沖田は、心の奥底から湧き上がってくる苛立ちにただ身体を震わせる。――が、そんなときだった。


「総司」

「――!」


 突然部屋の外から聞こえてきた声に、沖田は我に返った。それは紛れもなく土方の声だった。

 ――何故土方さんがここにいるんだ。そう思った沖田は、必死に感情を押し殺して返事をしようとした。けれど土方は、沖田の返事を待つことなく、そして戸を開けることもなく告げる。


「あいつらの存在がお前の心をかき乱すってェんなら、今からでも遅くはねェ。あいつらを今すぐここから追い出したっていいんだぜ」――と。


 それは確信をついた言葉で、沖田は身体を強張らせた。自分の心は間違いなく土方に読まれている。――そう悟らざるを得なかった。


「まさか忘れたわけじゃねェだろうな。俺たちが何の為にここに居るのか。何の為に戦うのか。お前の価値はなんなのか」

「――っ」


 戸を一枚挟んだ向こう側から、土方にじっと睨まれているような気がして、沖田はその場で俯いた。あまりの自分の不甲斐なさに腹が立った。一体自分は何をしているんだろうと。どうしてこんなことで心を乱されているのだろうと。


「もしもそれが思い出せねェってんなら、俺が今直ぐ思い出させてやろうか」

「……っ」

「思い出せ、総司。お前が力を欲した理由を。その腰の刀は一体何の為にあるのかを――」

「……土方、さん」

 沖田は拳を握り締める。

 ――何故僕は……土方さんにこんなことまで言わせているんだ。

 

 沖田は先ほどまで帝に感じていた苛立ちを一切忘れて、自分自身に憤る。

 

「……僕は……馬鹿か」

 深入りするな――と、そう言われていたのに。気づかないうちに泥の中に両足を突っ込んでしまっていた。周りなど見えなくなっていた。その事実を、こんな風に土方の手を煩わせてようやく気付くことになるなんて……。


 ――僕は新選組の為に戦うと決めた。命尽きるまで、近藤さんや土方さんの為にこの力を使うと決めた。僕の未来は新選組と共にあると――ずっとずっとそう信じて来た。それなのにこんな些細なことで苛立って、自分を忘れて……。


 沖田の脳裏に蘇る、これまでの長い長い日々。十年の月日を共に過ごした仲間との日々――。


 ――ああ、そうだ。今さらこんなことに気持ちを揺さぶられている場合ではないんだ。しっかりしろ。新選組一番隊組長――沖田総司。だって僕の心は、いつまでも新選組と共にある――そうだろう?


「……ありがとうございます、土方さん」


 沖田は両目を固く閉じ、深く深く息を吐く。それは身体に溜まった不要な感情を全て取り除くべく。一切の迷いを捨て去るべく――。


 扉の向こうの土方の声が、沖田に決断を迫る。

「お前が決めろ」と。「あいつらをどうするか、今直ぐ決めろ」――と。その声に、沖田は……。



 沖田は戸を勢いよく開け放つ。するとすぐに土方と目があった。自分を見つめる鋭い瞳。一片の容赦もない“鬼の副長”の顔。


 そんな土方を、沖田は今度こそ真っ直ぐに見据える。一切の迷いのない瞳で――ニヤリと口角を上げて。


「何も問題はありません。彼らは貴重な戦力になるでしょうから、このまま手元に置いておきましょう。ね、土方さん?」


 ――無邪気にそう言って、冷たく微笑んでみせた。


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