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 ――帝、凄い。


 千早は、隣に座る帝の話に高揚(こうよう)すら感じた。いきなり兄の名を出されたことには驚いたが、帝のその一瞬の隙も許さない、出来過ぎた話の内容に軽い興奮すら覚えていた。


 千早は帝の声にじっと耳を傾け、帝の話を自分のこととして記憶に刻み込む。自分は幼少期からずっとイギリスに住んでいた。それが今の自分の過去なのだと。


 話を終えた帝に、土方は問う。


「だが、お前の話には証拠がねェ。そうだろ?」


 ――ああ、確かにそうだ。誰もが気付いていた。土方の言う通り、帝の話には何の証拠もない。それに何より、それが真実だったとして、新選組に害を成さない証明にはならないのだ。


 けれど勿論、そんなことは帝にだってわかっていた。「証拠ですか」とそう呟いて、彼は土方を見据える。そして自分の右手を胸に当て、宣言した。


「俺たち自身が証拠です」――と。


「何だと?」

「ですから、俺たち自身がその証拠です、と」


 二人はしばらくの間睨み合った。空気が張り詰める。

 それを破ったのは山南だった。


「まあまあお二人とも。秋月君、もう少し詳しくお願いします。あなた方自身が証拠とは、一体どういう意味なのですか」

 山南は仲裁に入る。すると帝はニヤリと微笑んだ。それは「よくぞ聞いてくれました」そんな言葉が聞こえてきそうな顔だった。

 帝はゆっくりと口を開く。そして、得意気にこう言った。


「We can speak English」

「――!」

「That should be enough proof, but how about it?」


 この帝の突然の発言に、その場は今度こそ騒然となった。それは紛れもない流暢な英語で、英語を知らない土方らからしてもそれは明白で――千早と帝の二人が国外に居たことを証明するには十分に足りる証拠だったからだ。


 土方も山南も、そして沖田も――今度こそ沈黙する。

 

 けれど千早は、千早だけはそんな帝の突然の英語を冷静に聞いていた。――ああ、先ほど帝が言っていたのは、このことだったのかと。

 千早はこの部屋に入る前、帝に問われていた。「TOEICのリスニング、何点だった?」と。あの質問は、この為か。


 ――静まり返った部屋で、帝は雄弁に語る。


「Translate the previous sentence, Chihaya」


 そして千早は、それに答えた。背筋をピンと伸ばして、ただ前だけを向いて。


「“私たちは向こうの言葉を話せます。それで十分証明になると思いますが、いかがですか”――帝はそう言っています」

「――!」

「……全部全部帝の言うとおりです。私達はイングランドに住んでいました。私は向こうで結婚させられそうになって、でも一人ではどうしようもなくて。そんな私を、帝は助けてくれました。自分の家族と離れてまで、私とこうやって逃げてきてくれました」


 千早は土方を真っ直ぐに見つめる。


「私、皆さんにずっと嘘をついていました。駆け落ちというのは本当だし、名前も本物ですが……江戸に住んでいたのは本当に小さいときだけで、それ以降はずっと異国に住んでいたんです。でも、どうしても言えなくて……」

 そう言って、千早はほんの少しだけ視線を揺らす。


「だって、異国に住んでいたなんて知られたら殺されるんじゃないかって……。私、今の日本の情勢もよく知らないですし――。幕府とか新選組とか……攘夷とか……よくわからなくて……でも、帰る場所もなくて。どうしたらいいか、わからなかったんです」


 それは千早の本心だった。もしも本当のことを言えば、殺されると思った。それは紛れもない本当の気持ちだった。それに、新選組の地雷が一体何かもわからなかった。それは多分、今でも同じだ。


「私、ここに来るまで自分では何一つやったことがありませんでした。食事の支度も、掃除も、洗濯も……。お湯を沸かすのがあんなに大変だなんて知りませんでした。洗濯の水があんなに冷たいなんて、思いもしませんでした」


 思い詰めたような声で、彼女は訴える。


「いつも誰かが全部やってくれて、自分は好きなことだけして……。自分の食べている食事の値段がいくらかだってことさえ、考えたことがありませんでした。……今思えば、とても甘えていたと思います。でも――」


 千早は今までの自分の不可解な行動の根拠を証明する。自分がなぜ何一つ家事をまともに出来なかったのか。なぜ、日本の文化に疎いのか。

 

「そんな私でも、皆さんはここに置いて下さいました。明らかに怪しい私を、それでも見捨てないで下さいました。私はそんな皆さんに心から感謝しているんです」


 千早は訴えかける。行き場のない自分たちが今生きていられるのは新選組のおかげだと。これからもここに置いて欲しいと。

 そんな千早に続き、帝も願い出る。


「俺たちはもうどこにも行くあてがありません。千早の兄――廉さんのつてももはや無く、今ここを放り出されたら本当に生きていけない。それに助けて頂いた恩もあります。俺たちはそれを返したい。ですからどうか、俺たちを今後もここで受け入れては頂けませんか」


 ――そうして二人は、土方に対して深々と頭を下げた。


 

 しばらく沈黙が続いた。確かに、二人の言葉には根拠があった。千早は最初家事は一切出来ず、和時計や文字においては未だに殆ど読むことが出来ない。お金を数えることもそうだった。その理由が、ずっと国外に住んでいたからというのなら納得できる。それに帝は異国の言葉を流暢に話し、千早はそれを瞬時に訳してみせた。まぁ、それが正しい内容かどうかは確かめようもないのだが……。


 土方は考える。眉根を寄せ、腕組みをして――ただじっと考えていた。


 確かに理屈は通っている。だがしかし――と。どうにも出来過ぎた話に聞こえるのだ。あまりに胡散臭く感じてしまうのだ。

 だが、確かに帝の話した内容以外に、二人の正体について思い当たることはない。土方は短く唸り声を上げる。


 ――二人から敵意は感じない。寧ろ千早からは確かに自分たちへの感謝の念が伝わってくる。それは事実だ。けれど、どうも嫌な感覚が拭えない。こうやって改めて説明を受けても、心の深いところに得体の知れない気持ち悪さが残るのだ。


 かと言ってやはり、これ以上の懸念点が見つからないのも事実である。それに、ここから出て行きたいと言っているならいざ知らず、頭を下げてまでここに置いてくれと言っている相手を無碍にすることも、まして“処分”することなど出来ない。それは新選組の信念にも反する。


「――ッチ」

 土方は忌々(いまいま)し気に舌打ちした。

 

 彼が沖田を横目で見れば、表情にこそ出さないものの、千早の処遇を気にしているのは明白だ。それにどうやら山南も、二人を受け入れてもいいのではという姿勢を見せている。ここに居ない近藤に尋ねたところで、きっと答えは同じだろう。

 つまり答えは――(だく)である。


「……仕方ねェ。秋月、お前を隊士として認める。だが勘違いするな。お前らのことを信用したわけじゃねェ。そもそも異国に住んでいたなど異人も同然。おかしな真似しやがったら、即刻死刑だ。それと、異国に住んでいたことは他言するな。勿論他の幹部にもだ。破ったらタダじゃおかねェ。――わかったな」


 低い声でそう告げる土方に、帝は頭を下げたまま答える。「承知しました。ご温情深く感謝します」――と。



 こうして二人はなんとか無事に、新選組の一員として認められることとなったのである。


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