二
◇◇◇
――今日は新月で月明かりは無く、薄暗い街頭と住宅街の明かりが道を照らしている。
通学路を歩く私の横には、満面の笑みを崩さない帝の姿があった。腰は帝の左手によってしっかりとホールドされている。
「怒ってるの?」
「そう見える?」
「うん」
「まぁ……そうだな」
先ほどに比べればどす黒いオーラは幾分かマシ。マシになったのだが――。
私は夜空を見上げて小さく息を吐いた。
「不可効力だよ。それに、ただバス停まで送るって言ってくれただけだし」
――本気にする方が馬鹿げている。
けれど私の言葉に、帝はその顔から笑みを消した。
「千早はわかってない。男はな、気もない女子を送ったりしないもんなんだよ。それもわざわざ自分から名乗り出るとか」
そう言って、帝は不機嫌そうに顔を歪める。
まぁ、確かにそれはそうかもしれない。けれど、だからって私に落ち度はないはずだ。
しかし、このままでは帝の機嫌は直らないのだろう。
「はいはい、ごめんなさいね、隙だらけだって言いたいんでしょ」
だから私は、わざとらしく謝罪の言葉を口にした。それで彼の気がすむのなら……と。
だが、そんな私の考えすらお見通しなのだろう。帝は眉をひそめる。
「そこまでは思ってない」
「でも、そういう態度してるよ」
「……わかってるよ」
「わかってないよ」
「…………」
私は足を止め、隣に立つ帝を睨むように見上げた。数秒間――じっと彼を見つめ続ける。
彼はいつもこうだ。
校内一カッコよくて、勉強もスポーツもできて、男女問わず慕われて、教師にも一目置かれる。喧嘩もしないし、普段は誰よりも穏やかだ。でも、私の前ではそうではない。きっと周りがこんな帝を見たら、まるで別人のようだと思うだろう。
「――どう? 落ち着いた?」
「……ああ」
私が再度声をかけると、ようやく気を落ち着かせたらしい彼は、気まずそうに俯いた。同時に、私の腰に回った彼の腕の力が緩まる。
「悪い、ちょっと機嫌悪くて、千早に当たったわ」
そうして彼は、自信なさげに呟いた。私はそんな帝の横顔を、珍しいな、と思いながら見つめる。すると帝は少し、ほんの少しだけ目を細めて、薄く笑った。いつもはあまり見せない顔に、私は少しの違和感を感じる。
「私で良ければ、いつでも聞くからね」
「……ああ、ありがとう」
……そして、少しの沈黙。
それは実際、数秒かそこらだったと思う。けれど、その数秒に耐えきれず私は再び隣を見上げた。すると、どういうわけか帝の顔が眼前まで迫っているではないか。
「ちょ……近いんだけど!」
私は反射的に帝の胸板を押し返した。が、ビクともしない。
「キスしていい?」
「ええ?」
それはあまりにも唐突な申し出で、私の声は裏返る。
「……っ、ここで?」
「ああ」
「――今?」
「ああ」
「……」
――ああ、頭痛がしてきた。
これは繰り返しになるが、学校ではいつだって、爽やか・冷静・穏和な彼が、どうして2人きりになるとこうなるのか。
性格が180度変わると言ってもいい。それほどに自己中で俺様になる。しかもちょっとエロい。
帝は私の無言の返答を、是と受け取ったのだろう。次の瞬間、気が付けば、彼の唇が私の唇を塞いでいた。
「……フ……ッ、んん……」
クイっと顎を持ち上げられて、こんな道端で抱き寄せられる。誰が見ているのかもわからないのに。しかも触れるだけの軽いキスではなく、……結構ディープなやつを。
人が通ったらいったいどうするつもりだろう。でも、私は帝から、離れられない。
「……ハッ……ん……ぁ」
長い長い口付けの後、ようやく解放されて、私は彼に毒づいた。
「この……猫かぶり! 二重人格! 変態ッ!」
「なんとでも」
「フン……!」
機嫌良さそうにニヤリと笑う彼からは、先ほどの暗い表情は伺い知れ無い。もしかして、キスするための口実だったのではないかとすら思えてしまう。
余裕すぎてムカつく……。
私は顔をそらし、帝に背を向けた。すると、今度は後ろから抱きつかれてしまう。
「っ……ちょっと」
「……なぁ千早」
「なっ……なに……?」
本当に恥ずかしい。
「俺たち、ずっと一緒にいような」
「……っ」
――え?
再び真面目な声でそんなことを言い出す帝に、私は思わず振り返る。先ほど感じた違和感は嘘では無かったのだろうか、とどこか冷静に考えながら。見上げた先には、私をじっと見つめる帝の顔がある。凛々しくて、強くて、優しい……帝の。
「千早」
名前を呼ばれた私は、捕らわれる。
「好きだよ、千早」
「……!」
この瞳に。眼差しに。
それに、この表情は反則だ。男なのに……色っぽいと思ってしまう。……悔しい。心臓が、うるさい。
「……あ、あの、帝」
声が上手く出てこない。頭の中がから回って、何と言ったらいいのかわからなくなってしまう。
けれど帝は、そんな私をひとしきり見つめた後、急にニヤリと唇を歪ませる。
「――ふっ」
そして、そんな帝の口から漏れ出るのは、間違いなく笑い声だった。
「ぶっ……!あっははは!やべ……千早、いいよ、すげぇいい」
「――!?」
これはいったいどういうことなのか。まさか私、からかわれた!?
混乱する私を置いてきぼりにするように、帝は右手で自分の顔をおおって笑いを噛み殺そうとしていた。
「ちょ、ちょっと……さっきからいったい何なの!」
「ひっ……はは……ッ、わ、悪い悪い、だって千早があんまり可愛くて……っ」
「はっ、はぁ!?」
酷い。やっぱりからかわれたのだ。人がせっかく心配してやったというのに、なんて男だろう。好きだって言ってすぐに、人の顔みて大笑いするなんて、人を馬鹿にしているとしか思えない。
――だけど。
私は知っている。彼は、彼の本当の気持ちを隠したいのだ。だって帝は、誰よりも強がりで、カッコつけなんだから。
ならば私は、帝の気持ちを尊重しよう。
「バカ帝!もう知らないッ!」
だから私は――不機嫌な振りをして――帝を怒鳴りつける。そうして、帝を一人その場に置いて、先に歩き出した。
「あっ!おい千早、悪かったよ、なぁ拗ねんなって!」
そう、きっと、これでいいのだ。帝が、私に見せたくない顔があっても、私はそれでいい。だって私たちは、たった2年の付き合いだけれど、誰よりも強い絆で結ばれているのだから。
「別に拗ねてな――」
私は、後ろから追いかけてくる帝に返事をして――いや、正しくは返事をしかけて、止めた。
「あっ」
あるものに目を奪われたのだ。そのあまりにも可愛らしい姿に、私は思わず立ち止まる。
「千早? どうかした?」
追い付いて来た帝も私の視線を追って――目を止めた。そこには――。
「猫!」
そう――私たちの行く先には、可愛らしい黒猫の姿があった。
私は無類の猫好きだ。というより、動物全般を愛している。
「ちょっと見てよ! あの子ジジにそっくりじゃない!?」
「……ジジ?」
「魔女の宅急便の!」
「……あー」
私はつい帝のことなど忘れ、猫に駆け寄った。すると大変嬉しいことに、猫も私の足にすりよって来る。
かっ……可愛い〜!
だが帝は気に入らないようだ。彼は、「俺は猫以下かよ」などとブツブツ言いながら、不愉快そうに眉をひそめる。が、今は帝より猫だ。猫ちゃんは帝とは対照的に、機嫌良さそうにゴロゴロと喉を鳴らしてくれている。
それにしても、人慣れしているのだろうか。逃げるどころか、すり寄ってくるなんて。
「こいつ、飼い猫だよな」
帝も同じように感じたらしい。確かに首輪をしていることから、飼い猫であると思われる。
「そうだねぇ。猫ちゃんは、どこから来たのかなぁ~?」
私は興味本位で尋ねてみた。もちろん返事など期待していない。しかし……。
猫は私の質問に答えるように、ピョンと立ち上がったのだ。
「猫ちゃん……?」
更に猫は、私の呼びかけに対しにゃぉんと一鳴きすると、とてとてと歩き出す。
嘘、この子……!
「ね、ねぇ! 帝見た? 今の見た? あの子、私の言葉わかったみたい!」
私は帝を振り返り、猫を指差す。が、鼻で笑い飛ばされた。
「そんなんありえねぇって」
「でも、犬は言うことわかるって言うし!」
「……まぁ」
「とにかく、私はあの子を追いかけるから!」
「はあー? 本気かよ、もう夜だぞ」
「大丈夫! 帝は先に帰ってて」
「なっ……、千早が行くなら俺も行くし」
「なぁんだ、本当は帝も猫好きなんじゃん」
「はあ? 俺は千早を心配して」
「素直じゃないなぁ」
「だから、違うって」
そんな軽口を叩き合いながら、私と帝は小走りで猫を追いかけた。
◆◆◆
……それが、一体どうしてこんなことになってしまったのか。