一
――元治元年四月十七日(西暦1864年5月21日)。
千早がこの時代に来て一月ほど経った頃のこと。その日は雲一つない快晴で、千早は非番の沖田と共に屯所のすぐ傍の壬生寺に来ていた。子供たちの遊び相手になる為だ。
今は昼下がり。
境内では子供たちが賑やかな声ではしゃぎながら、元気に走り回っていた。沖田と千早はその輪の中心で子供たちと戯れる。皆で鬼ごっこなどをしては、ときおり高い高いをして子供らを喜ばせた。
「そーじ! もういっぺんやって! もういっぺん!」
「仕方ないなあ、ほーら! 高い高ーい!」
「つぎ、うち!」
「ちゃう、つぎはわしや!」
「ねぇちはやー、だっこ!」
「ちょっと待ってね、順番こだよ」
子供たちは皆二人に向かって手を伸ばし、次は自分の番だと主張する。さながら託児所のようだ。
――千早はつい最近知ったのだが、沖田は非番の日はこうやって子供相手に遊んであげているらしい。それを知った千早は、いつしか沖田に付き合って寺に足を運ぶようになった。
最初はただの興味本位だった。沖田総司というこの人のことを、もっとよく知りたいと、ただそれだけのことだった。以前、町で迷子になった自分を見つけ出し、優しい言葉をかけてくれた、この人のことを知りたいと。
そうして着いて行った先の沖田の姿を見て、千早は驚いた。子供を相手にしているときの沖田は、自分の知っている沖田と全く違っていたからだ。無邪気で、明るくて、優しくて、誰が見たって新選組の組長になんて見えない顔で笑っていて、千早は沖田に興味が沸いた。この人の笑顔を、もっと見てみたいとそう思った。
勿論沖田としても子供の相手をしてくれる大人が増えるのは嬉しいことであったし、何より非番の日まで千早と共に過ごせるのは喜ばしいことで、着いて来ようとする千早を拒否する理由もない。
最初は千早を警戒していた子供たちも最近はよく懐いてくれ、今では呼び捨てで呼ばれるような仲にまでなった。
「ちはや、足おそーい!」
「そうかなぁ? 皆が速いんだよー」
「そーじはもっとおそいけどな!」
「言ったなー! そこまで言うなら僕、本気出しちゃうよ?」
「きゃーっ」
二人は子供たちと駆けまわる。
物騒で張り詰めた空間とは無縁の場所で、隊士でも小姓でもない、ただの沖田総司とただの佐倉千早として、二人は今日も子供たちと無邪気に遊んでいた。
――そうして一時間ほど経った頃だろうか、人の気配を感じた千早は、ふと鳥居に視線をやった。するとその向こうから、こちらに向かって駆けて来る人影があるのに気がつく。誰かと思って目を凝らせば、それは今屯所にいる筈の日向ではないか。
「沖田さん! 日向が――」
どうしたのだろうか、日向は今日ずっと土方さんに付きっきりの予定な筈なのに。
そう思った千早は、抱き上げていた子供を下ろして日向に駆け寄る。どうしたのかと尋ねれば、日向は焦った様子で口をパクパクとさせた。やはり何かあったらしい。日向は膝に手を付いて乱れた息を整えながら、千早を見上げて必死に合図を送る。
「はやく、戻って、千早ちゃ――」
「……?」
けれど千早には日向が何を言おうとしているのか分からなかった。
そんな千早の後ろに沖田も追いついて来る。そして二人が再び何事かと尋ねれば、日向は今度こそこう答えた。
「秋月くんが、目覚めたって!」
「――え?」
今、何て……?
それは全く予想のしていなかった言葉で、千早は思わず放心する。
「だから、秋月くんが起きたって!」
「……嘘」
「嘘じゃないよ! だから早く行って、千早ちゃん!」
「――あ、……え」
「早く!」
「――ッ」
日向の罵声にも似た声に、千早はびくりと肩を震わせた。そして、打たれたように走り出す。――その場に、沖田を残して。
そうして千早の姿は、あっという間に見えなくなった。
「沖田さん、私達も――、……っ」
千早の背中を見送って、日向は沖田を振り返る。自分たちも屯所へ戻ろうと、そう伝えようとした。だが、その言葉が最後まで口に出されることはなかった。
「……沖田、さん?」
日向は絶句する。振り向いた先の、沖田のその表情を目の当たりにし、それ以上言葉を忘れて固まった。どうして、彼はこんな顔をしているのか、と。
そんな二人のもとへ子供たちも駆け寄ってくる。
「なぁ、ちはやかえったん?」
「そうじはまだかえらへんよな? な?」
子供たちは先ほどのように沖田の足にまとわりついた。そうして、彼らも日向と同じように沖田を見上げ――顔を強張らせる。
「そー……じ?」
子供たちは驚きのあまり声を出すのも忘れ、沖田から後ずさった。その場で尻もちをつく子供もいた。沖田のその見たこともないような表情に――千早の消えた先を鋭く見つめ、その顔を引きつらせる沖田の姿に――子供たちは恐怖した。
「……ふっ、うぇ」
そしてとうとう、一人の子供が嗚咽を漏らした。「そーじ」と震える声で呟き、そのまま泣き出す子供。その泣き声に、沖田は――。
「……あ?」
ハッとした様子で視線を左右に揺らし、声のする方を見下ろせば、一人の子供が自分を見上げ泣いていた。その姿に沖田は我に返る。僕は一体、今何を考えていたんだ――と。
「おこってるん……?」
呟かれたその言葉に周りを見回せば、そこには蒼い顔で自分を見上げる子供たちがいた。怯えた様子で自分を見つめる、可愛い子供たちがいた。
――何やってるんだ、僕。
沖田は自分自身に怒りすら感じながら、乱れた心を押し鎮める。帝が目覚めたという事実と、自分に一言も告げずにこの場を去った千早に感じた強い焦燥感を、心の奥底に抑え込もうとした。
沖田は「ふっ」と短く息をはいて、子供たちに近づく。「怒ってないよ」と笑顔を浮かべ、優しく手を差し伸べた。子供たちの頭を撫で――彼らを強く抱きしめる。
「ごめんね、皆。怖がらせちゃったよね。僕、ちょっと驚いちゃって」
「そうじ、こわいん……?」
「怖くないよ。びっくりしただけ」
「……ほんまか?」
「うん、本当だよ」
答えながら、沖田は思う。
遂にこの時が来てしまった、と。秋月が目覚めたということは、つまり、これで二人の正体がはっきりすると言うことだ。今まで有耶無耶になっていた彼らの処遇が決まるということだ。――なぜなら土方さんは、男である秋月帝には絶対に容赦などしないから。
秋月の語る内容によっては、今日が千早との別れの日になる可能性だってあるのだ。
沖田は子供たちを抱きしめながら、両目を固く閉じる。
覚悟を決めなければ、自分はしっかりしなければ。例え土方さんが、どんな選択を下そうとも。
沖田は立ち上がる。子供たちに別れを告げて、屯所の方角を顧みた。
「――行こうか、日向ちゃん」
そう呟いて、沖田は歩き出す。
その横顔は怖いほどに真剣で、――日向は理由のないざわめきを胸に覚えながら、急いで沖田の背中を追いかけた。
◇◇◇
「帝――ッ!」
屯所へ戻った千早が帝の部屋に駆け付けると、そこには既に人だかりが出来ていた。部屋の戸は開いており、土方や山南、そして非番の幹部や平隊士たちが部屋の周りを取り囲んでいた。
「……佐倉」
中の様子を伺っていた土方が、千早に気付いて近づいてくる。彼は千早の前で立ち止まると、部屋の奥を親指で差して言った。
「中で山崎が様子を見ている。行ってやれ。人払いしてやるから」
「――っ」
それは思いもよらない言葉だった。土方は、千早と帝の二人きりにさせてくれると言っているのだ。
「だが、四半刻だけだ。四半刻したらあの男、引きずってでも俺の部屋に連れて来い」
「……っ」
それは有無を言わせない態度だった。
千早は言葉を詰まらせる。けれどすぐに頷いた。30分――それだけあれば十分だ。そもそも絶対に二人きりになんてさせて貰えないと思っていたのだから。
――その後土方は言葉通り、すぐさま隊士たちを解散させた。千早は土方に頭を下げて、その横を通り過ぎる。「感謝します」と、それだけを言い残して。
そんな千早の姿が部屋の中に消えたのを見届けて、土方は呟く。
「――山崎」
「――は」
刹那、土方の背後に姿を現したのは監察方兼、医者の山崎丞だった。千早と入れ替わりで部屋を出て来た山崎は、土方の背後で彼に向かって頭をたれる。
「いいか、あいつらの会話、一言も聞き漏らすんじゃねェぞ」
「――承知」
そうして次の瞬間には、土方の背後から姿を消す。
土方は山崎の気配が完全に消え去ったのを確認し――その場を後にした。




