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◇◇◇


 今よりほんの少し前――四条河原まで戻った沖田は千早の姿を探していた。


「――居ないか」

 沖田は人込みを搔き分けて走る。いつものように隊列を成しているわけではないからか、新選組の沖田を避ける者はいなかった。それどころか普段は彼らを避けている町民らが、今は沖田に奇異の目を向けている。恐らく単独行動をしている沖田を不信に思っているのだろう。


 沖田はその視線を(わずら)わしく思いながらも、決して羽織を脱いだりはしなかった。槍は平隊士の一人に預けてきたとは言え、あくまで今は巡察中。それに、これを脱げば千早が自分を見つけられなくなってしまうと考えたからだ。


 けれど、いくら探しても千早を見つけることは出来なかった。


 ――やはり、一人で帰ったか? 

 沖田は通りを走りぬけながら考える。


 軒下や狭い路地裏など人がとどまれそうな場所はあらかた探したが、千早の姿はどこにもない。そもそもここを最初に離れてから半刻以上が経過しているのだ。既に屯所に戻っていると考えるのが妥当だろう。自分ならそうするし、他の誰もがきっとそう考える。それに彼女とて子供ではないのだ。いくら町歩きが初めてとは言え、自分の面倒ぐらい自分で見られる筈。

 それに冷静に考えれば、自分がここまでしてやる必要も、その責任もないのだから。――しかし。


 自分は今朝、彼女に言ってしまった。「決して自分の傍を離れるな」と。もしも彼女が今でもその言葉を守ろうとしていたら、どうだろう。今も自分を探し続けているかもしれない。その果てに、道に迷ってしまっているかもしれない。あるいは、先程のような揉め事に巻き込まれている可能性もある。彼女の場合、正義感と無鉄砲さから自ら危険に飛び込んでいくことも有り得る。

 もしも万が一、本当にそのような状況に陥っていたとしたら……。


「――千早」


 沖田は後悔していた。今朝の自分の言葉を、深く悔いていた。「先に行く」――たったそれだけの言葉で、彼女を置き去りにしてしまったことを。咄嗟(とっさ)のことだったとは言え、日向と二人なら大丈夫だろうと思ってしまった、その時の自分自身の甘すぎる考えを。


 沖田の脳裏に過るのは、先ほどの日向の青ざめた表情。――そうだ、千早だけでなく、日向もこの町は初めてなのだ。日向だって、自分らや千早とはぐれて心細かったに違いない。彼女にも本当に悪いことをしてしまった。


「――くそ」

 ――どこに居るんだ。


 千早のことなどどうでも良い筈なのに。どうなったっていいと思っていた筈なのに。どうしてこんなにも不安になるのか。二週間――。まだ出会ってたった二週間しか経っていない。それなのに、一体どうして。


 ――ああ、イライラする、腹が立つ。こんなことなら最初から殺しておけばよかった。そうすればこれほど気持ちを揺さぶられることなどなかったのに。彼女と言葉を交わさなければ、共に過ごしていなければ、こんな気持ちになることなんてなかったのに。


「……大ッ嫌いだ」


 こんなにも気になる。まだ出会ってほんの二週間のあの少女のことが、これほどに。

 生意気で強情で、何も出来ないくせに口だけは一人前で、僕の気を(わずら)わせてばかりのあの少女のことが、どうしても、――どうしても気になって仕方がない。

 嘘つきで、強がりで、寂しがり屋で泣き虫で――そんな自分を隠し通せている気になっている彼女が腹立たしくて仕方がない。


 近藤さんや土方さんの為に、僕だけは非情でいなければいけないのに。彼女を監視しなければならないのに。そうとわかっていても、彼女と一緒にいると楽しくて心地よくて――もっと知りたいと思ってしまう。あの軽口をずっと聞いていたいと願ってしまう。


「……千早、僕は――」

 僕は君を殺そうと思った。確かに――最初はそう思った。だってあの夜の君の小太刀の構えは、確かに本物だったから。恋人の為に涙を流す君を、美しいと思ってしまったから。殺しておかなければ、興味を持ってしまうと本当はわかっていたから。


 ――嗚呼(ああ)、それなのに。


 何度傷つけたって、君は僕を避けなかった。あんなに酷いことをした僕から、決して君は逃げなかった。それどころかもっと向かってきた。僕の目を真っ直ぐに見て、絶対に逸らさなくて。


 ――そんな君だから、僕は……。


 沖田は夢中で通りを駆ける。千早の姿だけを探して走った。彼女のことだけを思ってただ無心で足を動かした。

 必ず君を見つけてみせる、と――それだけを心に誓って。



 そして、そんな沖田の思いが天に通じたのだろうか。遂に沖田の視線が――千早の姿を捕えた。


「――っ」

 ああ、間違いない、彼女だ――。

 そう思った沖田の右手が、千早に向かって伸ばされる。


「千早ッ!」

 気付けば、自然にその名を呼んでいた。


「……沖田、さん?」


 そうして沖田が我に返ったときには、千早が目をこれでもかと見開いて、じっと自分を見上げていた。



「……沖田、さん?」


 千早は驚いた。振り向いた先の沖田の姿に驚き、放心した。見たこともない沖田の切羽詰まった表情に、自分が皆とはぐれてしまったことすら忘れ、何か事件でも起こったのかと不安すら感じた。


「あ……えっと、あの……」

 それは本当に予想外の出来事で、彼女はしばらく口をもごつかせる。何か言わなければと口を開くが、上手く言葉が出てこない。


 だって、まさかここに沖田が現れるとは思っていなかったのだ。沖田が自分を見つけてくれるとは、露ほども予想していなかったのだ。


「――君」

 沖田が呟く。肩を上下させ、額には大粒の汗を浮かべて。その瞳は鋭く細められ、自分の左腕を掴むその手の力はあまりにも強い。


「――っ」

 怒られる、と千早は思った。けれど、沖田の口から出たのは予想外の言葉だった。


「……見つけた」

「……え」

「…………良かった」

 そう呟いて、心底安心したように肺から深く息を吐き出す沖田。その姿に、千早は悟る。

 沖田は本気で自分を探してくれていたのだ、と。「傍を離れるな」という言いつけを破ってしまった自分のことを、心の底から心配してくれていたのだと。


 それはとても不思議な感覚だった。

 嬉しい? 有り難い? ――いや、そんな簡単な言葉では言い表せない。そう、これはもっと圧倒的な……。


「……あ」

 気付けば、知らぬ間に頬が濡れていた。そして、そんな自分のことを、沖田が呆けた顔で見つめていた。


「……ごめ、なさ……。私……」


 不安だった。ずっと不安だった。この二週間、ずっとずっと不安で仕方がなかった。

 帝は目覚めず、知る人は誰もいない状況で、慣れない環境で……自分の居場所なんて何処にもないと思っていた。誰も自分のことなど気にかけてくれないと……自分がいなくなっても、誰も困らないと、そう思っていた。


 きっとそれは事実で、今でも何も変わっていなくて。


 けれど、今初めて自分の存在が認められたような気がしたのだ。自分はここに居ていいと、そう言ってもらえたような気がしたのだ。

 沖田の言葉にそんなに深い意味が無いとわかっていても、「良かった」と、見つかって良かったとそう言ってもらえたことが本当に嬉しかったのだ。

 思わず、涙を流してしまうほどに――。


「ごめんね、怖かったよね」

 沖田の手が、千早の頭をそっと撫でる。それはこの時代に来て初めての人のぬくもりで、千早はますます声を震わせた。


「……がう、……違うんです。――私」

 ――怖くなんてない、嬉しいんです。今すごく、嬉しいんです。


 そう言いたいのに、伝えたいのに、どうしても上手く言えない。喉の奥から溢れ出る嗚咽にかき消され、何一つ言葉に出来ない。

 泣かないって決めたのに、決めたのに――。


「――沖田さ……私……泣くつもり、なんて……」

「いいよ。泣いたっていいんだよ」

「――っ」


 その声は本当に優しくて、優しすぎて、千早の涙は止まらなくなった。いつもなら絶対にこんなことはないのに、彼女は人目もはばからずわんわん泣いた。まるで子供のように。大勢の人が行き交う道の真ん中で――。



 結局その後、二人は斎藤らと合流することなく屯所に戻った。その道中、二人は一言もしゃべらなかった。


 沖田は千早に、泣いた理由は尋ねなかったし、千早も自ら語ることはなかった。そして千早も、なぜ巡察を抜けてまで自分を探してくれたのかを、沖田に尋ねることはしなかった。


 けれどそれでも、二人の距離は確実に近付いていた。決して交わらない筈の糸が、わずかに絡み合った瞬間だった。



 ――二人の背中に、春風が吹く。

 偶然の起こした今日のこの出来事が、変化した二人の気持ちが、いずれ新選組に大きな荒波を引き起こすことになるのだが、二人はまだそれを知る由もなかった。


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