二
◇◇◇
千早が迷子の少女と出会ったのと同じ頃、沖田らは四条河原より北に500メートル上った河原町御池付近で喧嘩の仲裁を行っていた。喧嘩の理由は、居酒屋の食事代をどちらが払うかで揉めたというどうしようもないことだったが、お互い酔ってしまって収集が付かなくなったようだ。店の備品まで壊したあげく怪我人まで出てしまったことから、店主が新選組に助けを求めたようである。
結論を言えば、その騒ぎは斎藤や沖田らによってあっさりと収められた。
「はぁ。全く、喧嘩なんて僕らの知らないところで勝手にやって欲しいよ」
「まあそう言うな。これも任務のうちだ」
「任務任務って、一君はほんっとーに真面目ですよねぇ」
沖田はそう言ってより一層大きなため息をつく。そうして、ようやく思い出したという様にもと来た道を振り返った。
そう言えば、ここに急いで駆け付ける為に千早と日向を置いて来てしまったのだ。一応走り出しざまに「先に行く」とは言い残したけれど、ちゃんと追いついて来てくれるか非常に不安だ。
そして残念なことに、沖田のその不安は的中してしまった。
「沖田さん!」
そう自分の名を呼んで、人込みを掻き分けて走り寄ってくるのは日向ただ一人。そこに千早の姿はない。
――まさか。
そう思った沖田は斎藤に踵を返し、急いで日向に駆け寄った。彼女はここまで全力で走ってきたのだろう、青ざめた顔で酷く息を切らせている。そんな日向の様子に、沖田は狼狽えた。まさか本当に何かトラブルにでも巻き込まれたのだろうかと。
「沖田さん、ごめんなさい。私、気づいたら千早ちゃんとはぐれてしまって。探したんですけど、三全然見つからなくて」
「……なんだ」
しかし、どうやらそうではなさそうだ。日向の言葉を聞く限り、ただはぐれてしまっただけのようである。――日向が今にも泣きだしそうにしているので勘違いしてしまったではないか、何とも紛らわしい。
そんなことを考えながら、沖田はひとまず目の前の日向を落ち着かせようと努める。
「大丈夫だよ、千早ちゃんだって子供じゃないんだから」
「……で、でも」
「はぐれたのはどの辺りかわかる?」
「ごめんなさい、わからないんです。四条河原までは確かに隣にいたんですが……」
「四条河原か……」
――ここから戻るには少し距離があるな。……けれど。
沖田は考える。
日向とはぐれたのが四条河原だと言うのなら、屯所まではほぼ一本道。地の利がない彼女でも帰ることは出来るだろう。けれど、今朝の千早の様子から、町に出るのが初めてというのは確かな様だった。それが真実なら――少々不安が残る。それにはぐれてしまったのは、千早のせいではなく自分にも責任があるのだ。ならばやはりここは、探しに行かなければならない、と。
沖田は決意して、日向に微笑みかける。
「君は一君たちと巡察を続けて。千早ちゃんは僕が探しに行ってくるから」
「……でも、巡察の最中なのに。本当にいいんですか?」
「大丈夫、直ぐに追いつくから。心配しないで」
沖田は日向の肩を優しく叩くと、斎藤のもとに戻って事情を告げる。そして自分は、千早を探す為にもと来た道を駆けだした。
◇◇◇
同じ頃――千早は妙と共に、兄、喜平を探していた。
「喜平くーん!」
「にいちゃーん!」
二人は声を大にして叫ぶ。周りからの視線が少々気になるが、気にしている場合ではない。
「喜平くーん! 妙ちゃんはここにいますよー!」
千早は妙と手を繋ぎながら、必死に喜平の名を呼んだ。けれどなかなか見つからない。
――どうしよう。もしもこのまま見つからなかったら……。
千早は内心焦っていた。けれど妙の手前、自分がしっかりしなければ。そう思って、彼女は必死に気を奮い立たせていた。
「……困ったねぇ。この辺ではぐれたんだよね?」
千早が笑顔で尋ねれば、妙はこくりと頷く。
今二人は、四条河原を南に少し下った辺りにいた。
妙曰く、今日は兄と二人で見世物小屋にやってきたとのこと。仕事で関西からやってきた親戚のおじさんが、二人で行っておいでとお駄賃をくれたらしい。二人はその見世物小屋に向かっている最中にはぐれてしまったとのことだった。
ここに来る前に、あらかたの見世物小屋と思われる建物付近は探した。が、収穫もなかったので二人がはぐれたと思われる場所まで来てみたのだけれど……。
「もしかして、先におうちに帰ってるかもしれないよ? 妙ちゃん、おうちの場所はわかるかな?」
「……わからへん」
「……そうだよね」
千早は内心溜息をつく。これでは八方ふさがりだ。それに、例え家の住所がわかっても自分にはそこまでたどり着ける自信がない。妙が道を覚えていなければどうにもならないし、もしその途中で妙が道を間違えても、自分には気づきようがないのである。
そんな千早の心境が伝わったのか、千早とつないだ妙の手のひらにぎゅっと力が込められた。それに気づいた千早は、不安がらせてはいけないと話題を変える。
「そう言えば、妙ちゃんはいくつなの?」
千早が微笑んで尋ねると、妙は少し難しい顔をした。そうして、指折り数えて「よっつ」と答える。
「そっか、四歳なんだ。お姉ちゃんだねー」
千早が褒めると、妙はどこか誇らしげに頬を染めた。どうやら気を反らすことに成功したようだ。
「じゃあ、お兄ちゃんはいくつなの?」
四歳の子供にわかるかなー、などと思いつつ、千早は一応尋ねてみる。すると妙は十秒ほどかけて「やっつ」と答えた。
「やっつ……って、八歳!?」
千早は仰天した。八歳と四歳の子供だけで外出など、未来なら考えられないことだ。江戸時代の子供は逞しいんだな。千早は自分を無理やり納得させる。
――そう言えば、自分も昔道に迷ったことがある。東京に引っ越したばかりの頃、兄と二人で公園へ出かけた。けれど気づいたときには、自分一人になっていたのだ。家の場所もわからず、途方に暮れた記憶がある。
あの時は一体どうなったんだっけ。――千早は記憶を掘り起こす。けれどどうしても思い出せない。覚えていることと言えば、優しい誰かが手を差し伸べてくれたことだけ。けれど、どうもその相手は兄ではなかったような気がする。
――と、そんなときだ。
「妙ッ!」
人込みを掻き分けて、こちらに走ってくる少年が一人。その姿を見た妙の手が、するりと自分の手からほどけた。
「にいちゃああん!」
妙は一目散に駆けだして、少年――喜平の小さな胸に収まる。
「妙のあほんだら! 探したんやぞ!」
「だってぇ」
「待っときって言うたやろ!?」
「かんにんな」
「――ったく。ほれ、もう落としなや」
千早の視線の少し先で――そう言った喜平は、真っ赤な風車を妙の手に握らせる。
その姿に千早は理解した。この少年は、妙の落とした風車を探しに行っていたのだと。
――ああ、よかった。
千早は心からそう思いつつ、二人に近寄る。すると喜平がこちらに気付いて頭を下げた。
「妙を連れてきてくれて、おおきに」
その姿は八歳とは思えないほどに立派な姿で、千早の胸に熱いものがこみ上げる。最初は、こんな小さな子から目を離すなんてどんな兄貴だと思っていたのに。
千早は微笑む。
「いいえ、妙ちゃん偉かったんだよ。全然泣かなくって、ね?」
そう言って妙にウインクすれば、妙はポッと頬を染めた。
「でも今度は、ちゃーんとお兄ちゃんの言うこと聞くんだよ。手も放したらだめだよ?」
その言葉に、日向は満面の笑みで大きく頷く。それは、あまりにも眩しい笑顔だった。
◇
――そうして、千早は二人と別れた。
「ほななー! ねえちゃーん!」
「んん? 妙、あれは姉ちゃんじゃのうて兄ちゃんやろ」
「ちゃう、ねえちゃんや」
「ほやかて恰好が」
「ねえちゃんや」
去り際にそんな会話が聞こえたが、まあ聞かなかったことにしよう。
千早は二人の背中を見送って、今度こそ屯所に戻ろうと心に決めた。――すると、そのときだ。
「千早ッ!」
自分の名前を呼ぶ声が聞こえると同時に、背後から腕を掴まれる。驚いて振り向けば、そこには――。
「……沖田さん?」
酷く焦った様子の沖田総司が、息を切らせて立っていた。




