一
京の都は、千早の想像していた通り賑やかなものだった。
道の左右には店舗兼住宅の町屋がずらりと軒を連ね、さまざまな商いが営まれている。酒屋に米屋に八百屋に呉服屋、それに家具や陶磁器、刃物の店、それからお茶屋に和菓子屋等、未来では殆ど消えてしまった京都の古き良き街並みが、この時代にはそっくりそのまま残っていた。
道は石畳で舗装され、歩くのに不便は感じない。行きかう人も多く、本当に治安が悪いのか疑問に思うほどだ。
千早はそんな街並みを見渡しながら、日向と共に二十人程の隊の一番後ろについて歩いていた。
巡察は基本的に二つの隊の合同で行うらしく、この隊は沖田率いる一番隊と、斎藤率いる三番隊で編成されている。先頭を斎藤、その後ろに平隊士たち、そして殿の沖田の後ろに、千早と日向が続く。
ちなみにこの隊の今日の見回り範囲は、四条烏丸から河原町丸太町までらしい。
少々詳しく言えば、新選組の屯所である前川邸からすぐの四条通を東に入り、南北に伸びる河原町を京都御所方面へ上ってから、御所前の丸太町通で西に入って、烏丸通にぶつかったら南に下る経路だ。
つまり今千早たちは四条通を東に進んでいるということになる。何事もなければ徒歩約三時間の道のりだ。
ちなみに四条通と言えば、未来では京都最大の繁華街だ。祇園から四条烏丸まで、四条河原町交差点を中心に巨大な街を形成しており、度々交通渋滞が発生する地域でもある。
千早は未来の四条通の様子を思い浮かべながら、百五十年でこうも街の風景は変わるのだなと驚いていた。なぜって、未来にはこの時代の面影が全くないものだから。
◇◇◇
「人、増えて来たね」
「だね」
日向の言葉通り、烏丸通に近づいていくにしたがって更に人通りが増えていく。流石市街地と言えよう。
――ここが四条通だから、自分の通う学校はここから2、3キロの場所だろうか。
千早は町の様子や店の看板を必死に頭に叩き込みながら、ここに来た日のことを思い出す。
あの日、どこをどう通ったのか、新選組と出会った場所はどこなのか。この時代に来たときに自分たちが居た場所は、八条通である可能性が高いのだけれど、と。
そんなことを考えつつも、表面上では日向との会話に華を咲かせる。
露店を見つけては、あのお菓子はどんな味がするんだろう、などと緊張感のない笑顔を浮かべていた。あまりまじまじと町を観察していては、再び沖田に疑われるかもしれないと思ったからだ。
が――それにしても、と千早は慎重に周りの様子を伺う。先ほどからずっと気になっていることがある。
どうも、自分たち新選組は町の人々から避けられている気がするのだ。
確かに自分たちにはどこか物々しい雰囲気があるし(槍も手にしているわけで)――実際、沖田や斎藤は屯所を出てから殆どしゃべっておらず、隊士たちも基本的には無言だが――わざわざ背中を向けてまで避けられるような存在であるのだろうか。
沖田に尋ねてみようかとも思ったが、なんだか聞いてはいけない気がしてとどまった。
そんなこんなで30分ほど歩いていくと、四条河原に辿り着いた。そう言えば今朝日向が、見世物小屋があると言っていた場所だ。
そこは物凄い人通りだった。あっちもこっちも人、人、人。大人だけでなく、子供の姿も多くある。老若男女、あらゆる人が集まる場所のようだった。それに先ほどまでと違ってややカラフルな門構えの店も多い。赤い看板に目をやれば、その店の外壁には目を疑うようなチラシが貼ってある。「蛇女」「牛女」と書かれているが……見間違いだろうか。
「ねぇ日向、あのチラシなんだけど……」
千早はその衝撃的なチラシに目を釘付けにして、隣にいる筈の日向の袖を引っ張ろうとした。――が、その手は虚しく空を描く。
「……あれ、日向?」
おかしいな。そう思った千早が隣を見れば、なんと日向の姿が消えているではないか。
「ひ、日向!? ちょ……沖田さん! 日向が、日向がいません!」
もしやはぐれてしまったのだろうか。千早は慌てて沖田を呼び止めようとした。――が、それは叶わない。なんと、振り向いた先には沖田どころか、隊士の姿は一人も無かったのである。
瞬間、千早は悟った。つまり、はぐれたのは日向ではなく、自分の方だということに。
「嘘……」
瞬間、千早は青ざめた。
――やばい、やばいやばいやばい。だって、はぐれるなって言われてたのに!
千早は必死に辺りを見回す。すると、――居た。数十メートル先に、見慣れた浅葱色の集団が。槍が人ごみから頭一つ突き出ていて見つけやすい。
ああ、それにしてもよかった。彼女はほっと胸を撫でおろす。まさかこんなに一瞬ではぐれるとは思わなかったけれど、今ならまだ直ぐに追いつける、と。
が、その想いはいとも簡単に打ち砕かれた。隊を追いかけ始めてしばらくしても、どういうわけか全く追いつけないのである。それどころか、差はどんどん開いていくばかり。
だがそれは当然のことだった。皆に恐れられる新選組は、道を譲られる――正しくは避けられる――のに、自分は人を掻き分けながら進まなければならないのだから。
「ちょ……日向! 沖田さん!」
往生際悪く叫んでみても、その声が届く筈もなく、周りの騒音にあっという間にかき消されてしまう。
「……どうしよう」
千早はとうとうその場に立ち止り、途方にくれた。今は巡察の最中だ。自分がいないことに気付いても、きっと戻って探してくれはしないだろう。とするなら残った道は、自分で屯所に戻るか、もしくは道をショートカット、つまり先回りして隊と合流するかしかない。
「よし、帰ろう」
千早は考えた末、屯所に戻ることにした。来た道なら戻れる自信があるが、先回りする自信はいまいちなかったからである。
――大丈夫。沖田は京の町が危険だと言っていたが、四条通は人も多く、見た感じでは安全そうだった。それに自分は子供では無いし、男の格好をしている。だからきっと大丈夫。
後で沖田や土方には怒られるだろうが、はぐれてしまったものはどうしようもないのだから。潔く怒られるしかない。
彼女はその場から踵を返し、もと来た道を戻ろうとした。
――が、そんなときである。
突然、「ねえちゃん」という幼い声が聞こえ、袴が引っ張られるような感覚を覚えた。ねえちゃんとは自分のことだろうかと驚いて千早が足元を見下ろせば、そこには幼稚園児くらいの少女が、泣きながら自分を見上げているではないか。
「にいちゃんがおらへんの」
その子は涙をぼろぼろ流しながら言った。白地に赤の麻の葉模様の着物に、黄色い帯をしめた、まだほんの幼い少女。どうやらこれは迷子の様である。
千早は内心、タイミングが悪すぎる、と思った。まず、どうして私なのか、他にも大人はまわりに沢山いるのに。そもそも泣きたいのはこちらの方である。今の自分は迷子と呼んでも過言ではない状況にいる。つまり、迷子の世話をしてやれるほど余裕のある状況ではないのだ。
それに今の自分は断じて姉ちゃんではない。男の姿をしているのだから兄ちゃんと呼んでもらいたい。そうでなければ周りに誤解を与えてしまうではないか。
――千早は数秒の間にいろいろなことを考えた。けれど結局、こんな幼い少女を無視するわけにもいくまいと、彼女は自分の心を落ち着けてから、その場に膝をつく。
「あなたの名前は?」
「……たえ」
「そう。妙ちゃんって言うんだね。お母さんは一緒じゃないの?」
「おっかさんはおらん。にいちゃんときたん」
「そっか」
どうやら子供だけで来たようである。兄ちゃんとやらがいったいいくつか知らないが、こんな小さな子供から目を離しちゃだめだろう。
「わかった。一緒に探してあげるね。おにいちゃんの名前はわかるかな?」
「……きへい」
「喜平君ね、よし。大丈夫だよ、ちゃんと見つかるからね」
「……うん」
千早は少女を安心させようと微笑みかけて、立ち上がる。そうして少女の手を取ると、その兄を探す為に歩き出した。




