三
◇◇◇
「手短に言うけど――」
千早が部屋に入ると、沖田はさっそく切り出した。
「今日は絶対に僕の傍を離れないように」
「――え」
それは一周回って想像を超える内容で、千早は面食らった。
「それは……勿論」
そこには、いつもの自分に対する態度や表情とは全く正反対の沖田の姿があった。これまでに一度だって見たことのないような真面目な表情。
そんな沖田に、これが仕事用の顔なのだろうか、と千早は思った。それに顔だけではない。声も、その物腰も――いつも自分をなじり責める沖田とはまるで別人だ。今の沖田は、ある意味他人の様にも感じる。
「――何? そんなに難しいこと?」
煮え切らない返事しかしない千早に痺れを切らしたのだろうか。沖田はじろりと千早を見据えた。けれど、やはりその表情はいつもの沖田とは違うように見える。もしやその服装のせいだろうか。袖と裾に白い山形模様の入った浅葱色の羽織をまとったその姿は、どういうわけかいつもの数倍は魅力的に見えるのだから。沖田に好意を持っていない自分でさえそう思うのだ、もしも沖田に好意を持つ女性から見たら、一発ノックアウトの代物だろうな――と、千早は他人事のように考えた。
「ちょっと、聞いてるの、君」
「――あ、はいッ」
三度目の声かけで、千早はようやく我に返った。彼女はそんな自分自身にも驚いた。目の前の沖田の姿に見入ってしまっていた、自分自身に。
「わかりました。絶対に沖田さんの傍を離れません」
「……」
千早は答えるが、沖田はやや不安を感じたのだろう。彼は再度千早に問いかける。
「理由はわかる? 言ってみて」
「……私が、疑わしいから……ですよね?」
食事のとき、沖田は何か言いかけていた。確か、“君は一体――”だか何だか。その後ろに続くのは勿論“何者だ”だろう。沖田は自分を疑っている。だから、そんな自分を一瞬でも単独行動させたくないのだろう。千早はそう考えていた。
すると、沖田は小さく溜息をついた。「やっぱりね」と呟いて、彼は千早をじっと見つめる。そして、「勿論それもあるけど、一番の理由は別にある」と言った。
「別の理由、ですか?」
千早が尋ねれば、沖田は意味深に頷く。
「君――本当は京の町、初めてだろう?」
「……っ」
それは突然の詰問で、千早の頭は真っ白になった。
「それどころか、町歩き自体したことがないんじゃない? ――違う?」
「…………それは」
確かにそうだ。沖田の言う通り、千早はこの時代の町には一度だって出たことがない。こちらに飛ばされてきた当日は、不定浪士から逃げる為に走り回ったが、それは既に日が沈んだ後だった。
千早は顔を強張らせて俯く。一体何と答えたらいいのだろうと。
「もしかして本当に隠し通せる自信があったの? さっきの日向ちゃんとの会話もおかしかったし。君、本当は見世物小屋になんて入ったことないでしょう?」
「……え」
「あのね、確かに見世物小屋に珍獣はいるよ。けど象って大きくて危険だろ。遠くからしか見られないよ。それなのに色はともかく、肌質までわかるなんて……君は象の世話でもしたことがあるわけ?」
「……」
「それにまともな金勘定も出来ない。買い物すらしたことないって顔だ。そんなんで隠し通せると思ってる方がおかしいよ」
「……確かに、そうですよね」
本当にそのとおりである。とは言え、お金の計算のついては、本当に出来なかったのだから仕方ない。千早は諦めて、沖田の言葉を肯定することにした。それに町歩きをしたことがないからと言って、それがイコール新選組の敵となるわけでもあるまい。
観念した様子の千早に、沖田は再び大きく息を吐いた。
「やっぱりね。でも勘違いしないで欲しい。別に責めてるわけじゃない。内緒にされてたことはいい気分じゃないけど、別に町歩きしたことないからって、何が悪いってわけじゃないし」
その言葉に千早が顔を上げれば、確かに目の前の沖田に自分を責めている様子はなかった。これは一体どういうことか。
「家事は出来ない、常識もない。にも関わらず剣道の腕は確かで器量も悪くない。さっきの手ぬぐいも高価な品のようだったし、それに――君は“駆け落ち”してきたと言ったね」
沖田は独り言のように続ける。
「つまり――君の正体は……」
その言い方は、まるで警官か探偵のようだった。相手を追い詰める際の口調。まぁ、実際には取り調べなど一度だって受けたことはないのだが。
緊張した面持ちでごくりと喉を鳴らす千早に、とうとう沖田は――告げる。
「どこぞの良家の娘なんじゃない?」
「……え」
「あの秋月とか言う男は、奉公人か何かでしょう?」
「――は」
この言葉に、千早の喉から気の抜けた声が漏れる。同時に心の中では、全然違う! と叫んでいた。
「あれ、違う?」
沖田はそう言いつつも、確信を得たというような顔をしている。そんな沖田に、千早はますます困惑した。
沖田総司は間違っている。自分は良家の娘などではない。未来人だ。けれど、沖田に自分が“未来人”であることなどわかる筈もなく、それを考慮すれば、確かに沖田の言葉は理が通っているようにも思える。良家の娘なら、家事ができなくてもおかしくないのかもしれない。とは言え、お金が数えられないのはどうかと思うが――。
それに、この勘違いは千早にとっては好都合だった。間者だスパイだと疑われるよりはずっといい。けれど後々になって、また嘘でした、とばれても不味いわけで……やはりここは有耶無耶にしておこう――と考え、結局彼女は口をつぐむ。
すると沖田は、やや得意げに鼻を鳴らした。
「まぁ、言えないよね。それにもしそれがわかったところで、僕は君への態度を変えるつもりはないし。ここにいる限り君は僕の小姓だ。それは変わらない。――けどね」
沖田は一拍置いて続ける。その顔が、再び真剣なものへと変わった。
「これだけは約束して欲しい。京の町は今とても危険だ。君はもう身をもって知ったと思うけど、明るい時間であっても油断は出来ない。だから、絶対に僕の傍を離れないで。それが君自身を守ることに繋がる」
その言葉には、本当に千早の身を気遣う気持ちが感じ取れる。
確かに千早は帯刀を許されていない。脇差し一本すらも。勿論、隊服である羽織りもなし。つまりそれは自分の身を自分で護れないということを意味する、が……。
千早は疑問を持った。
単独行動をして揉め事を起こすな、ということならともかく、と。
「どうしてですか。だって、沖田さんは私のこと嫌いでしょう? 私の心配なんてしなくていいじゃないですか」
千早ははっきりとした口調で尋ねる。すると、今度は沖田の方が面食らった顔をした。
こんなに直球に聞かれるとは思っていなかったのだろう。
「君って本当に物怖じしないよね……。だから心配なんだよ。暴漢にも立ち向かって行きそうで見ていられない。それに僕、君のこと嫌いなんて言った覚えないんだけど」
「……は?」
千早は再びア然とする。
「あれ、言ったけ?」
「言いましたよ! 私を見てるとイライラする、存在自体迷惑だって!」
「それは言ったよ。でも嫌いとは言ってないよね」
「屁理屈です」
「いや、事実だよ。実際僕は君を見ているとイライラするし、君が居なければと思ってる」
「……そういうのを嫌いって言うと思うんですけど」
「そうかな。僕はそう思わないけど」
「……」
千早は大きなため息をついた。駄目だ、話が通じない、と。
彼女はこれ以上の会話を諦め、もう一つ気になっていることを尋ねる。
「私のこと、疑ってるんじゃなかったんですか?」
すると、再び沖田は驚いた顔をした。千早が自分からその言葉を出したのは初めてだったからだ。今まで千早は、疑われたくない、自分は怪しくなんてない――という空気を全身にまとっていた。
「君の素性がはっきりしないことには、疑いが晴れることはないよ。けど、普通に考えれば君みたいな常識の無い子が間者なんて出来るわけないだろうし、色仕掛けするにも……君みたいな子供じゃね」
「……っ」
「近藤さんも土方さんも、本当はそう思ってるんじゃないのかな」
「…………」
確かに自分は豊満な身体付きではないが、何て失礼な話だろう。などと思いながら、千早は沖田より先に立ち上がる。
「とにかく話はわかりました。沖田さんの傍を離れなければいいわけですね」
そうして無愛想に最終確認を行えば、沖田はその整った顔に自然な笑みを浮かべた。その口から「うん。頼んだよ」と柔らかい声が聞こえる。
それは今まで見た中で一番自然な沖田の笑顔で、千早は思わずどきっとした。ああ、こんな顔もするんだな――と。もちろん決して恋などではないが、ともかく。
この時代に飛ばされてから、ようやく初の町歩き。千早は帝の為にも、一つでも多くの情報を持って帰ろうと、自らの心に気合いを入れ直した。




