三
◇◇◇
「ちょ、新八っつぁん! それ俺の焼玉子!」
「お前は三つで十分だろ、平助。何てったって俺の方が体がデカいんだからよ!」
「はあっ!? それを言うなら俺は育ちざかりなんだから、俺のが沢山食うべきだ!」
「何言ってんだ、成長なんてとっくの昔に止まってるじゃねぇか!」
「なっ、何だとー!?」
食事が始まると同時に、さっそくおかずの争奪戦が始まった。今平助と揉めているのは二番隊組長の永倉新八である。歳は今年で二十五、筋骨隆々な体格だ。沖田や斎藤と並ぶ剣術の腕の持ち主だそうで、撃剣師範を務めているという。
「毎日毎日よく飽きないよねー」
沖田はそんな二人を横目で見ながら、淡々と納豆汁をすすっていた。いつも五月蠅いと怒鳴る土方も食事の時にはあまり口を出さない。どうやら、何を言っても無駄だと諦めているようだ。
「もう、永倉さんも平助くんも、そんなに急いで食べなくても」
けれど日向はその言葉とは裏腹に、どういうわけか嬉しそうだ。
そう言えば、日向は病気の母と二人暮らしだった為に食事はいつも一人でとっていたらしい。きっと大勢で食事をとれることが嬉しいのだろう。
そんな皆の様子を伺いながら、千早も沖田の隣で味噌汁をすする。千早はなるべく皆の話の輪に入らないように努めていた。話を振られれば返すが、うっかりボロを出してしまっては元も子もないからだ。用心するに越したことはない。
――彼女は無言で食事を口に運びながら、元いた時代について思いを馳せる。
今頃家族はどうしているだろうか、親は、兄弟は、そして友人は。いや、そもそもここは過去なのだ。ということは、まだ自分たちのいた時代は存在していないということになるのだろうか? それともここはただの過去ではなく別の世界線……つまり並行世界だったり? 確か、そういうゲームが数年前に発売していたような。自分はやっていないけれど、兄がやっていたような気がしないでもない。
彼女がそんなことを考えていると、突然自分の視界に誰かの箸が飛び込んで来た。
「もーらいっ!」
そう言って、千早の皿から焼玉子を一つさらおうとするのは平助だ。その姿が弟に重なって、彼女は思わず自分の箸で平助の箸を挟みこみ、ぐいっと捻っていた。ついでに、「こら、駄目でしょ」という、まるで冷静な注意付きで。
それは反射的な行動だったが、突然の千早の変わりように平助はあっけに取られたらしい。「す……すみません」と急に大人しくなって、彼は自分の席に座りなおしたのである。
その光景を見ていた一同は驚いた。その場は一瞬静まり返り――その沈黙を不思議に思った千早が顔を上げれば、どういうわけか皆の視線が自分に注がれているではないか。
「――え。私……何か?」
千早が何事もなかったように呟くので、今度こそ皆は吹き出した。
「ぶ……っ、あっははははは!!」
永倉の豪快な声が部屋に響く。
「ひっ、あっははは、佐倉お前、実は面白い奴だったんだな! そんな特技あったのかよッ!」
彼は腹をかかえて笑いだす。
「え……ええ? そこまでですか?」
「確かに……早業だったな」
寡黙な斎藤までも口元を歪ませていた。
「……っ、ひ、……日向」
そんな皆の様子に、千早が日向に助けを求めようとすれば、彼女までもが口を手で押さえて笑いを堪えている。
――あぁ、最悪だ。
そしてそんな彼ら一同に、こめかみを痙攣させるのは――土方。勿論その直後には、怒鳴り声。
「だあああッ! 笑ってねぇでてめェらさっさと食ええッ!!」
――こうして早くも、本日二度目の土方の罵声が屯所内に轟いた。
◇◇◇
慌ただしい朝餉の時間もすっかり過ぎた頃。非番の沖田は土方の部屋に出向いていた。朝餉を終え自分の部屋に戻ろうとしていた際に、「後で話がある」と呼び出されたからである。
「それで? 話ってなんですか?」
沖田は部屋に入って戸を閉め、入口付近に正座しつつ尋ねた。その表情は涼し気だ。
「その後佐倉の様子はどうだ。不穏な動きはないか」
土方の言葉に、「ああ、そのこと」と沖田は呟く。「つまり報告会というわけですね」と。
「で、どうなんだ」
「そうですねぇ」
沖田は少し考え込む素振りを見せた。それはいつもの思わせ振りな態度ではなく、どう答えようか本気で思案している顔だった。
「何だ、何かあるなら言え」
土方は急かす。
この一週間、土方は監察方の山崎に千早と帝のことを調べさせていた。が、結局彼らについての情報は何一つ得られなかった。それは、噂レベルの話でさえも。
土方からすれば、それは全くあり得ないことだった。ただ一つの情報もない、二人を知っている者は誰一人としていない。――普通に生きていれば、そんなことは絶対にあり得ない。
土方の厳しい表情に、沖田は「じゃあ言いますけど」と軽い調子で答える。
「千早ちゃんは、謎です」
「はぁ!?」
土方の声が裏返った。“謎”だと!? こいつ、俺を馬鹿にしてんのか……? と、その表情が物語る。
「あっ、今馬鹿にしてるって思いました? 僕は真面目ですよ」
「総司ッ」
「本当に謎なんですよ。何か隠し事してるのはバレバレなのに、それが何かわからないんです」
「それを聞き出すのがお前の仕事だろうが」
「そうは言いますけど、あの子、泣くんですよねぇ」
「……泣く?」
「彼女、毎夜毎夜部屋を抜け出しては、あの秋月とかいう男の部屋の前で座り込んで。それも何時間もですよ。何か独り言でも言うかなーと思って昨夜は待ち伏せしてたんですけど、結局声を殺して泣くばっかりで……もう僕睡眠不足で大変ですよ」
――確かに千早の置かれた状況を考えれば泣きたい気持ちになることは土方にも理解できる。だが、それとこれとは話が別だ。
土方は沖田に言及しようとするが、それよりも先に沖田が続ける。
「後はですねぇ、彼女、僕らの知らない言葉をしゃべるんです」
「……どういう意味だ」
「ん~……例えば……“すまほ”とか“でんき”とか。いったいどういう意味なんでしょうね」
沖田は興味深げに話す。けれどそれに比例して、土方の表情はますます険しくなっていった。
「おい、総司、お前いったい何を考えてる」
「何って、ただ、面白い子だなぁと」
その表情は、お気に入りの玩具を見つけた子供の様だ。土方は凄む。
「少しでも怪しい動きをしたらすぐに報告しろと、言ってあった筈だが?」
「うーん、でも怪しいわけじゃないんですよ。ちょっと気は強いですけど、素直で正直だし、頭も悪くないから話してて退屈しないですし。ときどき不可解な行動しますけど、それを隠し立てするわけでもないので」
「総司お前、情が移ったなんて言うんじゃねェだろうな」
「まさか。僕に限ってありえないですよ。でも……興味はありますね」
「……」
土方は静かに目を伏せる。呆れてものも言えないと、そのオーラが言っていた。
「土方さんこそ、日向ちゃんにもう骨抜きにされちゃったんじゃないですか?」
「なに……?」
沖田はケラケラと笑う。
「隊士達の間で噂になってますよ。あの鬼の副長が、小姓を持った途端雰囲気が柔らかくなったって」
「――ッ!」
土方は目を剥いた。まさか本当にそんな噂が……?
けれど沖田は、そんな土方の様子を見て途端に噴き出した。
「あっははは! ひっかかったー! 嘘ですよ! そんな簡単に土方さんの雰囲気が変わるわけないじゃないですかぁ~」
「……ッ! そ、総司てめぇッ!」
土方は今にも抜刀しそうなほどの殺気を漂わせる。それを知ってか知らずか、沖田はひょいと立ち上がった。そして次の瞬間には戸を開けて、部屋から逃げ出していた。
「総司ッ! 待ちやがれッ!」
土方は部屋から頭を出し呼び止める。すると彼は一瞬だけ足を止めて振り向いた。その表情には、薄い笑み。
「……ねえ土方さん。人のこと心配してる余裕があったら、自分の心配をなさった方がいいですよ。僕たちは日向ちゃんのお父さんの、か・た・き――なんですから」
「――ッ!」
沖田はそう言って笑みを深くすると、そのままどこかへ行ってしまった。後には土方だけが残される。
「――んなこた最初からわかってんだよ」
そうして彼はただ一人、苛立ちを込めて呟いた。