五
◇◇◇
その後、千早は沖田の部屋に連れて来られた。さっそく小姓の仕事を説明すると言われたからだ。
そこは六畳の和室だった。平隊士は合同部屋だが、幹部には一人一部屋が与えられているらしい。ちなみに沖田は一番隊組長で、斎藤は三番隊組長だという。他の幹部は後ほど紹介するとのことだった。
沖田は千早と共に部屋に入り、戸を閉めるとこう言った。
「さて、では君に小姓の仕事を説明しようと思うんだけど」
「はい」
「まずはそこに座ってくれる?」
千早は沖田の指示に従い、部屋の中央に正座した。すると沖田もその前に腰を下ろす。そして、じっと千早を見つめた。
そのどこか舐めるような視線に、千早は思わず身を固める。
「……沖田さん?」
――やっぱり、この人苦手だ。
千早はすぐにそう思った。初めて会ったときから今までずっと、この沖田という人間が何を考えているのか見当もつかないからだ。それに千早は気が付いていた。自分も沖田をよく思っていないが、沖田の方も自分をよく思っていないということに。会話などせずともそれくらいのことはわかる。
にもかかわらず、沖田は自分を小姓にした。だから千早は、沖田はきっと自分をこき使うつもりで小姓にしたのだろうと身構えていた。
「君の小姓としての仕事はね――」
沖田は微笑む。千早はゴクリと喉をならした。
「毎朝六時半に、僕を起こしにくること」
「…………え?」
「六時半。早すぎる?」
「――いえ。……え、それだけ?」
「うん。それだけ」
「…………」
それは予想外の内容だった。まさか小姓の仕事がそれだけとは、一体どうして。
千早が唖然としていると、沖田はふふっと少女のように笑う。
「だって僕、大概のことは自分で出来るし、今さら誰かに手伝ってもらうようなことないんだよね。土方さんみたいにお偉いさんに会うこともないし」
「……そう、なんですか」
「うん。――あ、だけど勘違いしないでね? 小姓の仕事はそれだけだけど、炊事、洗濯、掃除なんかは当番制で毎日何かしら仕事はあるし、君は剣道の腕がいいから隊士たちの稽古の相手になってもらうから」
「……それは勿論、するつもりでいましたけど。でも、ならどうして私を小姓に?」
千早は内心驚いていた。勿論彼女は沖田の言うように家事全般はするつもりでいたし、覚悟していた。それだけでもきっと自分には一杯いっぱいであろうと想像もしていた。だが、そこに小姓の仕事が加わる――そうなったとき、自分はどこまでやれるだろうかと不安に思っていたのだ。だが、小姓の仕事はほぼないと言っていい……。もしや、沖田はこう見えて意外と善良な人間なのだろうか――と、彼女が安堵したのも束の間。
「ごめん、今のは嘘」――と、沖田は突然先の言葉を撤回したのである。
「え、――嘘?」
千早はすぐに聞き返した。彼女の胸によぎる一抹の不安。そしてその意味を、彼女はすぐに知ることになる。
「君の小姓としての仕事はね――」
そう呟いて、沖田はニヤリと嗤った。その顔が一瞬で千早の眼前に迫る。そして次の瞬間には――。
「――んんッ」
彼女の唇は、沖田の唇にふさがれていた。
◇◇◇
「なっ、なにす――」
突然唇をふさがれた千早は、一瞬わけもわからず放心した。けれどすぐに我に返り、渾身の力を込めて沖田の胸板を押し返す。
「やめて!」
思わずそう叫んで、部屋から逃げ出そうとした。けれど沖田はそれを許さない。彼は戸に手を伸ばす千早の腕を掴んで引き寄せると、そのまま畳に押し倒す。
「――っ」
その勢いで畳に背中を打ち付けた千早は、痛みに顔を歪めた。
「何……するんですか」
千早は沖田を見上げる。自分の両手を羽交い締めにし、冷たい瞳で自分を見下ろす沖田を、キッと睨みつけた。
「何って……小姓の仕事を教えてあげようと」
「小姓の仕事? ……これが?」
「そうだよ。君の仕事」
沖田はそう言うと、再び顔を近付けて来る。
だが、千早は必死に抵抗した。――冗談じゃない。こんなことが許されてたまるものか。そう思った。
けれど、沖田の腕の強さには全く歯が立たなかった。どれだけ腕を捻っても、身体をよじっても、沖田の手から逃げ出すことは出来ないのだ。
――嘘でしょう!?
千早は今度こそ愕然とした。こんなことは初めてだった。彼女は今まで生きてきて一度だって、本気の男の力を相手にしたことはない。普通に生きていればそれは当たり前のことだが、経験がない故に彼女はずっとこう思っていたのだ。
自分ならば、本気で逃げようと思えば逃げられる筈――と。
けれど、その幻想はいとも簡単に打ち砕かれた。実際自分の力は沖田に遠く及ばず、足をばたつかせるのがやっとである。しかもそれさえすぐに、沖田の両脚によって封じられてしまった。
「やだ……、やめて、やめて!」
千早はもう為す術もなく、ただ悲鳴を上げることしか出来ない。けれどそんな彼女の耳元で、沖田は冷酷にも囁くのだ。「騒いだら――」と。その後に続く言葉に、千早は身体をビクリと震わせた。
“騒いだら――斬るよ”
ああ、嫌だ、嫌だ、こんなのあんまりだ。
千早の眼に涙が滲む。沖田はそんな千早の表情をひとしきり眺めてから、頬に伝った涙をペロリと舌ですくった。同時に、千早の身体が小さく跳ねる。
「……やめて、ください」
千早は再び抵抗した。けれどそれは小さな声。か細く震える――抵抗どころか、逆に相手の欲情を掻き立ててしまうような声。
沖田はそんな少女の吐息に、今度こそ深く口づける。そして長い長い口づけのあと、再び彼女の耳元に唇を寄せた。
「僕が非番の前の夜は、必ずここを訪れること。――それが、君の小姓としての仕事だ」
容赦ないその言葉に、千早は喉を詰まらせる。あまりの驚きと屈辱に、涙すらも止まってしまった。
――ああ、この男は最初から、そういうつもりで自分を小姓にしたのだろう。そう悟ってしまった。
「――っ」
けれど、もはや引き返すことなど不可能だ。だって、この男なら私など簡単に殺してしまえるのだろうから――。
――ごめんね、帝。
彼女は恋人の姿を脳裏に思い浮かべ、懺悔する。けれど同時に、より強く決意した。この身がどうなろうとも、あなたの居場所だけは絶対に守ってみせる――と。