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◇◇◇


 あぁ、困ったものだ――と、近藤は頭を悩ませていた。自分に痛い程の視線を送ってくるこの千早という少女。彼女の処遇を、一体どうするべきだろうか、と。


 そこは近藤の部屋だった。中庭に面した部屋の内、最も奥の八畳の京間。床の間には掛け軸と刀が飾られている。

 普段は開け放たれたままの障子戸は、今現在きっちりと閉められていた。外に声が漏れないようにする為だ。


「ううむ、それで……だが」

 近藤は呻くように呟いて、隣を見やる。そこには、そもそもこんな場が設けられること自体が不本意だ、と言いたげな様子で胡坐(あぐら)をかく土方の姿が。


 ――そもそも近藤が斎藤の頼みを呑んだのは、千早が勝つなど一分の可能性もないと思っていたからだった。無論それは斎藤本人とて同じであっただろう。まぁ、勝負を持ちかけた斎藤からすれば、それはそれで面白いとも思っていたのかもしれないが。


 近藤は両目を固く閉じて悩む。

 武士に二言はない、とはいえ、こんな年端も行かぬ少女を新選組の隊士として迎え入れるなど、考えられないことだった。そもそも女という点が問題なのだ。これが男であったなら、喜び勇んで迎え入れただろうに……。

 こうなってしまうと、彼女が女であることが惜しいとまで考えてしまう。いっそ彼女も性別を隠し、誰かの小姓(こしょう)にでもしてしまうか。昨晩幹部の面々と話し合った末、日向は男として土方の小姓にするということで話がまとまった。まだ日向本人には伝えていないが――まぁ、もう一人女がいた方が日向も心強いであろう。


 いや、だがしかし――と考える。土方は納得しないであろう、と。


 近藤は瞼を上げた。下座に座る千早と斎藤を見比べ……そして隣の土方の不機嫌そうなオーラを感じ取って深い息を吐く。


 自分の考えがまともではないことは自覚していた。女は隊士にはなれない、という当たり前のことを覆そうと考えること自体どうかしているのだ。――が、ともかく彼は時間稼ぎの為、斎藤の意見を聞くことに決める。


「えー……その、まずは斎藤の意見を一つ聞かせてくれるか。佐倉君と剣を交えて、どう感じた」

「無論、私は真剣にこの試合に挑みました。結果、負けたのは私です。武士に二言はありません。佐倉君を隊士として迎え入れるべきかと」

「……うむ」


 瞬間、彼は後悔した。――しまった、斎藤に意見を聞いたのが間違いだった、と。

 どういうわけか、斎藤はこの佐倉千早という少女に興味を持ってしまったらしい。勿論それは千早が異性だからなどという不純な理由ではなく、彼女に剣術の才能を見出したから、であるのだろうが。


 そんなやり取りに痺れを切らしたのか、今度は土方が問う。

「佐倉と言ったな。お前、刀は握ったことがあるのか」

「ありません」

 土方の眉がピクリと動き、「やはりな」と呟いた。が、斎藤はこれに疑問を(てい)す。そもそも新選組に武家の者は少ない。実際、入隊するまで刀を握ったことのない者も多いのだ。つまり、それ自体はそれほど問題ではない。


「それに――お言葉ですが、副長。佐倉君の剣道の強さは本物です。刀を扱ったことがないとはいえ、木刀は刀と同等の重さ。訓練すればすぐに、自分の身ぐらいは守れるようになるでしょう」

 けれど土方は引き下がらない。 

「刀を扱うのと人を斬るのは全くの別物だ。それはお前が一番よくわかってるんじゃねぇのか、斎藤」

「……それは」

「俺にはこの女に、人を斬る覚悟があるとは思えない。そんな奴を隊士にするわけにはいかねェんだよ。周りにも迷惑だ」

 確かに土方の言葉は正しい。

 実際問題、千早に人を斬れるとは思えない。それは千早本人も強く自覚していた。自分が守りたいのは帝であって、新選組でも――この町でもないのだ。


 しかしだからと言って、ここまで来て引き下がるわけにはいかない。


「土方副長」

 今度は千早が口を開く。


「お前に副長と呼ばれる義理はねぇ」

「……土方さんともあろうお方が、約束を守らないおつもりですか? 土方さんだって、武士の誇りを掲げて生きているのでしょう? それなら、一度言った言葉は守るべきです」

 刹那、土方の眼光が一層鋭くなった。餓鬼が何を知った風に、と。


「トシ……佐倉君も、やめないか」

 近藤が二人を(なだ)めるが、二人の間の空気は変わらない。


「そもそも、だ。嘘をついているのは俺じゃない、お前の方だろ佐倉」

「……どういう意味ですか」

「お前らのことは調べさせてもらった。が、京の街でお前らのことを知った者は誰一人としていなかった。あんな目立つ格好をしていたにも関わらず、だ」

「……だから?」

「お前らのその名は(いつわり)なんじゃねェのかって言ってんだ。お前の男だって、普通じゃ有り得ねぇ名だろうが」

 確かに、帝と言う名はいわゆるキラキラネームである。王子とか姫とか、そういう(たぐい)の……。現代人でさえそう思うのだから、この時代の人からすればありえない感覚だろう。

 けれど、名前を付けるのは親なのだから、そんな疑われ方は侵害だ。

 

「確かに帝の名前は変わってますけど、決めたのは帝の両親でしょう? 本人に責任はありません。それに、もし偽名を使うならもっと平凡な名前にするとは思いませんか?」

 千早は強気な口調で返す。すると土方は、思いもよらぬ反撃に一度口をつぐんだ。――が。


「なら、隠し事は何もないってことでいいんだな?」

 それは究極の質問だった。

 土方はわかっていた。千早が何かとても重要なことを隠していると。それは昨日の千早の態度からも明白であるし、実際にその通りである。

 だが千早からすれば、それはとても口に出来るものではなかった。百年以上も先の時代からやってきましたなどと言えば、それこそ首が飛びかねないのだから。


 千早はそんな土方を前にして考える。きっと彼が本当に言いたいことは別にあるのだとうと。


「隠し事がないとは言えません。でも、これだけは言えます。私は新選組に敵対するようなことはしないし、裏切るようなことはないと。だって、万が一帝に何かあっては困りますから」

 その言葉は説得力に満ちていた。確かに、千早の正体が何者であろうと、帝に危害が加わることは避けたい筈だ。それは「新選組の(こころざし)に賛同するから」などと言われるよりずっと信憑性がある。


 近藤はそんな二人のやりとりに、腕組みをしたまま今度こそ大きく(うな)った。どうやら千早も土方もお互い全く譲るつもりはないようである。こんな状況で、どのようにこの場を治めるのが正解なのか――そう思い悩んでいた。が、その時である。


 タン――と音をたてて、勢いよく障子戸が開かれた。皆が驚いてそちらを見れば、そこには沖田が立っていた。


「総司か。……何の用だ」

 土方は沖田を横目でじろりと見やる。そして「入って来るなと言ってあった筈だが」と続けた。つまり“今すぐ立ち去れ”という意味だ。けれど沖田は、その意味がわかっていながらもそこを退かなかった。それどころか、彼はニコリと笑みを浮かべる。


「だって話長いんですもん。皆起き出してきちゃいましたよ。誰かに聞かれたらどうするんですか」

 そう言って、敷居をひょいと飛び越え部屋に入って来る。そんな緊張感のない沖田の様子に、土方は舌打ちした。


「そんなことを伝えにわざわざ来たのか」

「まさか」

「じゃあ、何しに来た」

 土方は苛立ちを隠せない様子で沖田を睨む。

 土方は知っているのだ。沖田がこういう笑い方をしているときは、大概面倒なことを言い出すときだと。


 そんな土方と同じく、千早もまた、沖田の突然の登場に胸騒ぎを感じていた。そもそも彼女は沖田にいい感情を抱いていない。出会いは最悪だった上、その後の帝に対する言い分も無礼極まりないものだったのだから仕方ないとも言える。だがそれを抜きにしたって、沖田の無邪気すぎる笑顔の裏に、何かトンデモナイ怪物が隠されているのではと恐怖すら感じてしまうのだ。


 けれどそんな千早の心境など知らない沖田は、笑顔のままでさらりと告げた。


「この娘、僕にくれません?」――と。

「――は?」


 瞬間、千早は自分の耳を疑った。思わず変な声が出てしまう。

 ――僕にくれって、どういう意味!?

 自分をまるで物のように扱うその言葉と内容に、彼女の理解は及ばない。


 けれどそれは彼女だけではなかったようだ。土方や近藤、斎藤までもが唖然とし言葉を失っている。


「ねえ、千早ちゃん。悪くない話だと思うんだけど」

「……ええっと」


 そんな中、一番最初に我に返ったのは土方だった。彼は襲いくる頭痛を和らげようと右手でコメカミを押さえながら、沖田を睨みつける。


「……総司、いったいそれはどういう意味だ?」

「そのままの意味ですよ。土方さんは日向ちゃんを小姓(こしょう)にするって話だったでしょう? なら、千早ちゃんは僕の小姓にしようかなぁって。小姓なら戦いに出なくてもいいですし女の子でも出来るでしょう? それで万事解決、何にも問題ないと思いますけど」

「問題ならある」

「その子が嘘つきで、何者かもわからないって? 心配ないです」

 彼は素早く切り返す。それは、誰にも反論の余地を与えない、と。


「少しでも変な動き見せたら、僕、斬っちゃいますから」

 ――それは絶対的な脅し文句だった。沖田の目は本気だ。


 千早はその冷えた眼光に思わず背筋が凍るのを感じた。けれど、これはチャンスだ、とも思った。


「あっ、それとも土方さん、もしかしてこの子まで自分のものしようとしてたんですか?」

「総司ッ!」

「まぁまぁトシ、総司がここまで言うんだ。心配あるまい」

「近藤さん! あんたは甘ェんだよ!」


 千早は目の前の光景を見つめて考える。

 ――私が、沖田総司の小姓に……?

 沖田のことは正直言って苦手だ。それどころかはっきり言って嫌いである……が、それでも背に腹は代えられない。それに、沖田の言った小姓というものならば、どうやら戦いに出る必要もないらしい。となれば、選択肢は決まっているではないか。


「あの、私……」

 だから彼女は決意して、沖田に深々と頭を下げた。


「私を……沖田さんの小姓にして下さい! お願いします!」

 沖田の真意はわからない。けれど、ここに置いてもらう為にはこれしかないのだ。


「うん、こちらこそ宜しくね、千早ちゃん」

 沖田は自分に向かって頭を下げる千早の姿を見て、満足げに微笑んだ。



 それはあまりに怒涛の展開で土方は決して納得していなかったが、けれど一応なんとか無事に、千早は沖田の小姓として新選組に置いてもらえることになったのである。――自分のその選択を、この後すぐに後悔することになるとも知らずに。


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