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◆◆◆


 その翌日、まだ日が昇って間もない時間帯――千早は木刀を構え、同じく木刀を手にした斎藤と中庭にて対峙していた。本来は竹刀での予定だったが、千早が木刀での試合を申し出た為だ。


 まだほとんどの隊士たちは眠っている。今ここにいるのは、千早のことを知らされている極少数の幹部――つまり近藤、土方、山南、斎藤、そして沖田と日向だけであった。


「全く斎藤の奴、いきなり何を言い出すかと思えば」

 土方はぶつくさと文句を言いながら、中庭に面した部屋から二人の様子を見やる。その隣には、そんな土方を宥める近藤の姿。

 

「まあそう言うな。佐倉君の入隊を断る為だと言うのだから、仕方があるまい」

「いや、そもそもがおかしいだろ。一体あの女は何を考えていやがるんだ。女が隊士なんて認められるわけがねェってのに。だいたい、どこの国に刀を振り回す女がいるってんだよ」

「だがなぁトシ、佐倉君の今の気持ちを考えれば当然だとは思わんか。聞けば小銭も無いというのだろう? 駆け落ちということは国にも帰れぬのだろうし」

「おいおい、まさか本当にあの女の言葉を信じてるなんて言うんじゃねェだろうな」

「……だがなぁ、嘘をつくような子にも見えんし」

「おいおい、冗談も大概にしてくれ、近藤さん!」

 土方は声を荒げる。まさか本当に新選組に引き入れる気ではあるまいな、と。彼が隣をじろりと見やれば、近藤ははっはっはと豪快な笑い声を上げる。


「まぁ心配することもあるまい。斎藤から一本取るなど、総司程の腕がなければ無理だろう」

「そりゃそうだが」

 ――俺の言いたいのはそういうことじゃねェんだが。

 土方は近藤の言葉を肯定しつつも、内心では深い溜め息をついて中庭へと視線を戻した。

 そこでは千早と斎藤の二人が打ち合いを続けていた。既に試合開始から十分以上が経過した今も、勝敗は決していない。というのも、斎藤が提示した試合形式が時間無制限だったからだ。ちなみに千早の勝利条件はこうである。斎藤が千早から五本先取する前に、千早が斎藤から一本でも取れば勝ち。――一見簡単そうに見える条件である。しかし、相手との格が違えば勝つのは至難の業だ。斎藤は新選組内で沖田と一、二を争う剣豪であるわけで、誰もが千早の勝利はあり得ないと思っていた……のだが。


 試合は思ったよりも長引き、通常なら五分もあれば決する筈の勝敗もまだ決まらない。千早は既に斎藤から四本取られており――もちろん木刀であるから寸止めだが――後がない状態だったが、それでも彼女は十分すぎる程に対抗していた。それはもう、周りがまさかと驚く程に。


「……あの娘、なかなかやるね」

 沖田は二人の打ち合いを縁側から興味深そうに見つめていた。その隣に立つ山南も同様の様子だ。

「そうですね。佐倉さんの型には乱れがない。余程の鍛錬を重ねてきたのでしょう」

 そしてまた、その隣の日向は落ち着かない様子で試合を観戦している。


 ――千早は有段者だ。剣道を始めたのは中学一年のとき。剣道歴は六年でそれほど長くはないが、既に三段を有している。実際はそれ以上の実力があるが、剣道歴が足りない為昇級できないだけだ。


 が、それでもやはり斎藤から一本取ることは容易ではなかった。そもそも実戦経験が違う。いくら現代で試合を重ねていようとも、いくつもの死線をくぐりぬけて来たであろう斎藤に簡単に勝てるわけがない。

 もしもこれが道場で、しかも竹刀での戦いなら千早の方が有利であったかもしれない。現代剣道は試合に特化している。足さばきも、竹刀の軽さを利用した腕の振りも――。だが、ここはむき出しの地面。そして使用しているのは木刀だ。その重さは竹刀の約三倍。刀と同じ重さである。にもかかわらず千早が竹刀ではなく木刀での試合を申し出たのは、竹刀で勝っても意味がないと考えたからだった。


 千早には剣術はわからない。実際、女の自分では人を切ることなど出来ないだろう。それにそんな覚悟もない。けれどせめて、それが可能であるという実力を見せなければと思っていた。その為には、より実戦に近いであろう木刀で、斎藤から一本取らなければならない――と。


「どうした? 終わりか?」

 斎藤は目の前の千早を挑発する。息を切らせ、額から汗を流す少女を見据えて。


「いいえ、まだです」

 はっきり言って部は悪い。けれどそれでも、決して諦めるわけにはいかなかった。もしここで自分が負ければ帝はどうなるのだ。自分を庇って怪我をした彼を、絶対に死なせるわけにはいかない。


 彼女は大きく息を吐いて呼吸を整える。集中力だけは保たねばならない。隙を見せればあっと言う間に試合終了だ。


「――ヤッ!」

 千早は打ち込む。かつて、帝とした会話の内容を思い出しながら――。


◇◇◇


 それは一年程前のこと。帝の家の庭での打ち合いの休憩中に、帝がこんなことを言い出した。


「なぁ千早」

「うん?」

「例えば俺たちが戦国時代にタイムスリップしたとしてさ」

「えー、何それ」

「例えばだって」

「それで?」

「俺たちが、侍に勝てると思うか?」

 それは多分、剣道を(たしな)むものなら一度は考えることだろう。その質問に、千早は少し考えた末こう答えた。


「無理じゃない? 剣道と剣術って違うんでしょう?」

「だよなぁ。無理だよなー」

「でもそれ面白そう。刀では戦えないけど、剣道っていうスポーツなら……」

「ワンチャンあり得るよな!」

「だよね! うーん、でも、どうやったら勝てるんだろう」

「やっぱり作戦が物を言うと思うんだよ」

「作戦?」

「そう、相手が強ければ強い程、引っかかる確率が上がるっていう」

「例えば?」

「そうだな。例えば――」


◇◇◇


 その時帝の言った言葉。千早はそれを今もよく覚えていた。

 それ以外にもお互いにいくつもの案を出し合ったことも。勿論、空想の域を出ない話ではあったけれど、彼女は今、その内の一つを実行している。


 試合開始からそろそろ十五分が経過しただろうか。千早は息を切らせながら――勿論それも演技であるのだが――作戦の仕上げに入った。


「ヤアアアッ!」

 千早は斎藤に向けて、今日何度目かの三段技の一手目、小手を繰り出す。


 だがそれは今日何度も仕掛けた技だ。斎藤は軽く受け流す。

 そして次に二手目の面。この流れもお決まりだ。斎藤は十五分もの間、千早の仕掛けを受け続けているのである。防ぎきれないはずが無い。そして三手目の面――勿論、これも防げる筈だった。

 だが――。


 斎藤の予想に反し、次に飛んできたのは胴だった。千早は面と見せかけて胴を打ったのである。


 千早は今日何度も、小手・面からの面、もしくはそこからの胴――この三段技を繰り返し斎藤に見せていた。が、その繰り返しこそが罠だった。

 彼女はそのどちらの三段技も、敢えて見分けられるように仕向けていた。眼球の動きと合わせて、面と胴を分けていたのである。

 つまりこの十五分の間の全ての動きこそが罠だった。


 それまでのパターン、そして千早の眼球の動きであれば、面を狙っていたであろう三手目。だが、千早は胴を狙った。それはほんの一瞬のこと。


 もともと千早の仕掛け技のスピードは速く――それはこの十五分の間に徐々にスピードを落としていたがそれすらも千早の作戦で――この最初で最後の一撃に全身全霊を込めた千早の仕掛けを、斎藤は読み切ることができなかった。

 そして、彼が千早の攻撃が面ではなく胴だと気づいた時にはもはや時は遅く、千早の三手目は斎藤の胴へ達していた。勿論、寸止めではあるが。


「――なんと、まさか」

 瞬間、最初に声を発したのは近藤であった。

 斎藤の勝利を疑っていなかった彼は、驚きのあまり開いた口がふさがらないようである。


 勿論それは他の面々も同じだ。

 思いもよらなかった展開に土方は大きく顔をしかめ、沖田はどういうわけか不敵な笑みを浮かべていた。山南と日向は純粋に驚き、そして千早に一本取られた当の本人はまるで瞑想でもするかのようにしばらくの間両目を閉じて、その場から動かなかった。


 ――いずれにせよ勝敗は決した。実質千早に有利な条件であったとはいえ、勝ちは勝ちだ。斎藤もそれを認めた。


 そしてこの結果と斎藤の強い後ろ押しにより、千早の今後の処遇を話し合う場が提供されることとなったのである。

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