6.
ステラが宿貸し出しのゆったりとしたくつろぎ着に着替え、まだ湯気が出て火照っている体を回廊テラスで冷ましに来た。
ハンモックでは吊ったオイルランプの明かりを頼りにイリヤムが難しい顔をして、何かの冊子を食い入るように見ていた。
「何を見ているんですか?」
イリヤムはカタログから目を離すと、凝った目頭を押さえながら、
「カタログだよ。デパートの。ほら」
そう言って、カタログをステラに見せた。
「サザンプトンズ?」
「世界で一番でかいデパートだ。このページを見てみ」
そう言って差し出したのは飛行艇用の部品のページだった。
ドラゴンの心臓を加工したエンジン、火精霊の息吹を閉じ込めた点火装置、機体にワイバーンの鱗を溶接する防御力上昇加工、グリフォンの羽根を使った揚力倍増技術――どれも百ルク以上はするものばかりだ。
「いい艇を作ろうとすると、どうしても物入りになるんだよ」
イリヤムは、はあ、と吐息をついた。
「もっともっと稼ぎたいけど、一人じゃ限界かな。交易空路に出てくるはぐれモンスターじゃあまり金になんないし」
「もっと強いモンスターと戦う必要があるってことですか?」
「そうだな。もっと高い賞金首を狙うのが一番手っ取り早い。もし、おれが剣か魔法が使えたら、ダンジョン探検を並行するって手もある。部品に必要な素材が手に入るし、余った素材を売って、大儲けできる。今日ステラがねじふせたゴードン兄弟だって一日で百五十ルクも稼いだんだぜ? ステラだったら、ダンジョン探検ができるかもな」
「そうですか?」
「あれだけ腕っ節が強けりゃ、いろんなパーティから引く手あまただよ」
ステラはページをめくった。サザンプトンズはいろいろなものを売っていた。特製ストロベリー・ジャム、アブサン・スプーン、ウールの狩猟用婦人服、鳩胸型の白鑞製ティーポット、王室御用達の窯で焼いた食器一揃え、ダンジョン探索を題材にしたすごろく、十五種類の曲が鳴らせるオルゴール、人魚の形を模ったハサミ、最新式言霊結晶通信装置〈ホライズン・ボイス〉、獣青鋼を使った片手剣、風系魔法の術式一覧表、占星数秘術の石板、黒紅樹に第二号抽出魔石をはめ込んだ魔道士ギルド推奨の魔法の杖などなど――。
「いろいろなものが売っているんですね」
「サザンプトンズで売ってないものを探すほうが難しいくらいだ。ライトに行ったら、冷やかしに寄ってみよう。いろいろなものがあるから、ひょっとすると、記憶が甦る手がかりにぶちあたるかもしれない」
「ぶちあたるでしょうか?」
「わかんね。でも、まあ、取りあえず飛ぶ。後のことは空で考えればいい」
よっ、と言いながら、イリヤムはハンモックから降りた。
「じゃ、一っ風呂浴びてくる」
イリヤムが宿屋のなかへ行ってしまうと、ステラはポーチに一人になった。
外に出てみる。宿屋から二本の道が走っている。一本は雑木林、もう一本は湖に通じているのだが、実は二つの道はつながっていて、一方から歩き出せば、林と湖を通り過ぎて、宿屋の前に戻ってくることができた。
ステラはまず雑木林につながる道を歩いた。手提げランプを持たなかったが、満天の星空が道の明かりをとってくれた。星の光はまるで木漏れ日のように道に落ちていた。それは銀貨のように拾い上げられそうなくらい強く光っているのだが、実際に手を差し出すとスッと消えてしまう繊細な光だった。
十分ほど歩くと、樹と樹のあいだに湖のきらめきが見えた。湖岸には釣り舟と飛行艇を格納した小屋があり、イリヤムの愛機は桟橋にくくられた状態で、尾翼を陸に向け、機首を湖の対岸に向けて、静かに浮いていた。
湖には星空が映っていて、イリヤムの艇は星のなかを浮かんでいた。ある種の乗り物は休んでいるときでさえ、星空に遊ぶ権利があるかのようだった。ステラは湖面に映る星をじっと見つめた。名前のおかげか星がとても身近な存在に思えた。
イリヤムはステラが飛行機に乗って落ちてきたと言っていた。
記憶を失う前のステラは、こんなふうに素晴らしい星空のなかを飛んでいたのだろうか?
もし、そうなら記憶を失ったのは惜しいような気がしてくる。
「でも――」
もしかしたら、これから星空のなかを飛ぶことがあるかもしれない。全くないとは言い切れない。
ステラが宿屋に帰ると、風呂上りのイリヤムが腰に手を当てて、シロップの炭酸水割りを飲んでいた。
「かぁーっ! 風呂上りはやっぱこれに限る!」
満天の星空と炭酸水に呻る少年。
なぜだか分からないが、ステラはクスッと笑ってしまった。