48.
イリヤムのラグタイム、サヴォイのガリバルディ、マリンのレッドバロネス、そしてステラ・マリスは西北西に針路を取り、座標八〇・一三二、高度九〇〇メートルの空域を目指して飛んだ。
風は南東から風速八キロ、視界一九〇〇メートル、雲は多いが、よく晴れている。
ハンザのファーヴニルが四人のすぐ後ろから付き、そのうち四つの機体の上空をカバーできる位置についた。逆に四人目がけて銃弾を雨と降らせることのできる位置でもある。
イリヤムが通信を入れた。
〈おい、ファーヴニルの野郎〉
〈なんだ?〉
〈ついてくる気か?〉
〈ジュエリス王国のために飛ぶのが黒翼騎士の務めだ〉
〈そうか。名前は?〉
〈ハンザ。ハンザ・フォン・ブランデンブルク〉
〈おれは――〉
〈知っている。イリヤム・ロメッツ。資料を読んだ。あのグレアム・ロメッツの息子だろう?〉
五機の飛行艇はスロットルを全開にして飛んだ。
追い風が突然向かい風に変わり、小さな風防ガラスを飛び越えて顔にぶつかってきた。
艇の速度が落ちる。
世界が破滅するか否かの瀬戸際で空は途方もなく高く青く深い。
平穏さが逆に不吉に思える。
イリヤムは舌打ちした。この手の弱気な考えはパイロットの神経を食う。最後の一秒になるまであきらめてはいけない。
ステラ。
自分が消えることと引き換えに世界を救おうとしている。
今夜、世界はステラに大きな貸しをつくるだろう。
それをどう返せばいいのか。イリヤムには検討もつかない。誰にも分からない。
リヴァイアサンを倒したら、ステラと共に過ごした日々の記憶までなくなるのだろうか?
迷いが、機の動きに現れる。風に操縦桿をさらわれそうになる。
――こんなとき父さんならなんて言うだろう?
「しっかりしろ、イリヤム」イリヤムは操縦桿をしっかり握り、まるで父親が乗り移ったように口のなかにつぶやく。「お前の正念場だ。仲間を信じろ。自分を信じろ。そして、ステラの――ステラの勇気を信じろ」
各艇の操縦席に、計器類と一緒にはめこまれた時計はほとんど午後四時を差している。
全員が照準器をのぞき込んだ。
一五〇〇メートル向こうに小さな黒い点が見えた。それは小刻みに光を跳ね返し続けている。気球とプロペラを併用した飛行機械だ。巨大な気嚢があり、その上の発動機に四つのプロペラが回転している。小刻みの光はそのプロペラが跳ね返した日光だ。
五機がいっせいに発射レバーを引いた。
十二・七ミリ、四〇・四〇口径、五〇口径の機関砲が火を噴く。
最初の弾が気嚢を撃ち抜いたのは午後三時五十九分五十三秒のことだった。ステラの放った弾だ。
ガスが爆発し、リヴァイアサン・コアを入れた水槽が落ちていく。
これで終わりだ。
誰もが思った瞬間だった。
リヴァイアサン・コアが空に停止した。
そして、その背後の空が割れた。
もろいガラスのような音を立てて、平和と戦争の異世界を分ける境界が崩れ、異形の兵器たちが瘴気のごとき紅蓮の靄とともになだれ込む。目のないぬるりとした巨大な蛇が世界の裂け目から頭をねじ込もうとする。次の瞬間、三〇〇メートル四方で世界が噛み破られ、その姿があらわになる。
蒼白い壁のような巨人の胴体には鉄と砲と鉱石が埋め込まれ、巨人の首からは目のない蛇の頭が四つ生え、腕から生える恐竜のごとき巨大な手はヒビの入った空間に鉤爪をめりこませ、まだ向こうの世界に残っている体の半分をこちらの世界へ引き出そうとしていた。そのまわりを守護天使のように何百という無人戦闘機や飛行艦が飛び回る。
これが神なのだ。
未来の人間が全てをゆだね、己が運命を閉じ、破壊と再生産の悪夢のループを統べることになった神なのだ。
すでにコアは本体のなかに埋もれている。
肉は細胞分裂を続けて、脹らみ続ける。
本当に自分たちはこれに勝てるのか。
誰もが呆然とし戦慄さえ感じ始めたときだった。
〈戦闘開始!〉
イリヤムの声が全員の通信へがなり立てた。そして、フルスロットルでリヴァイアサンのまわりを飛び交う戦闘機の群れに突っ込むと、機銃掃射であっという間に二機を屠った。
イリヤムは三機の戦闘機に喰いつかれた状態で大きくループしながら叫んだ。
〈こいつらには魂がない! 飛行艇乗りの魂がな! そんなやつらに墜とされてたまるか! 世界をめちゃくちゃにされてたまるか! 本物の飛行艇乗りが五人集まれば、勝てない敵なんていねえんだ!〉
イリヤムのラグタイムはループの最中に横滑りしながら機を水平に立て直し、追いかけてきた一機の正面を機銃で切り裂いた。
〈行くぞ! 目標、リヴァイアサン・コア! 本物の実力を見せてやれ!〉
〈了解!〉
四機がこたえ、リヴァイアサンとそれを取り巻く破滅の兵器へ撃墜の味を教えるべく突っ込んでいった。




