41.
〈ま、おれがちょちょいと本気になれば、ざっとこんなもんだ〉
〈すごいです! すごいです! すごいです!〉
〈これで賞金千ルクはいただきだ〉
〈すごいです! すごいです! すごいです!〉
〈分かったから落ち着いてくれよな〉
〈でも、本当にすごいです! あの工場へ飛び込んだときはどうなることかと思いましたけど、あそこでイビル・ティアマットを墜としてしまうなんて!〉
一三〇号空路へ戻る途上の通信記録である。
夕暮れ時。西から機をあおる光はイビル・ティアマットの炎を思い出させるものがあった。
ラグタイムが先に、後ろ百メートルのところにステラ・マリスがつき、小さな国くらいの大きさがありそうな雲のそばを飛んでいた。アンズ色に染まった雲の丘や青く澄んだ影を帯びる谷は直接当たってくる日光よりもずっと優しく色づいている。
また通信が入った。
〈――相棒として嬉しいけど、情けない話ですね〉
〈どうして?〉
〈あんな大きなこと言ったわりにあまり活躍できませんでした。ごめんなさい〉
ぺこり、と謝る音がきこえた気がした。
〈何にもしてないことはないぞ〉
〈え?〉
〈ステラがいなけりゃ、今ごろ、おれは燃えかすだった。ステラがいたから――九時の方向! 敵一機!〉
灰色の双発戦闘艇が北の空の暗がりから突然現れ、ステラ・マリスへ機銃掃射をしてきた。
ステラ・マリスは機体をひねりながら、右に避けるかわりに左へ――相手側へ曲がった。相手を食らいつかせるサッチウィーブを仕掛けようとしたが、灰色の機はその意図をかぎ取って、素早く通り過ぎ、大きく旋回しながら百メートルほど上昇した。
〈ステラ、きこえるか?〉
〈はい!〉
〈こっちは弾切れで燃料もやばい。雲に逃げろ。でかいのを倒したのにここでやられるのはばかげてる。おれが引きつける〉
イリアムのカンは相手の狙いがステラだと言っている。使命に関係があるのかもしれないが、とにかくステラ・マリスはエンジンの不調から立ち直ったばかりだ。この灰色機――確か軍用の最新機で〈ファーヴニル〉という名だ――の飛行士は不調の状態で敵にしていい相手ではないし、万全の状態でも相手にしたいとは思わない。
ステラ・マリスが巨大な雲に逃げ込もうとするたびに、ファーヴニルから放たれた曳光弾の機銃掃射が鞭のようにしなりながら迫ってくる。
イリヤムはそのファーヴニルの後ろへまわり込もうとする。照準鏡のなかではファーヴニルは竜のごとく荒れ狂い決して一か所に留まろうとせず、そのうち照準の外に逃げる。逃げるということはラグタイムの弾が切れていることに気づいていないのだ。
そのアドヴァンテージをギリギリまで利用し、ファーヴニルを追い回す。イリヤムのカンは当たった。ファーヴニルはこれだけラグタイムにまとわりつかれても、なかなかステラ・マリスから離れようとしなかった。
ついにステラ・マリスは雲に飛び込んだ。利かない視界で浮遊島にぶつかる確率もないわけではないが、ファーヴニルの相手をするよりはマシというもの。
イリヤムもファーヴニルの逆襲を食らう前に雲に飛び込み、やり過ごすことにした。
雲から出たとき、左方五百メートルの位置にステラ・マリスが見えた。巨大な雲の青みがかった影のなかには大きな湖をたたえた島がいくつも浮いていた。
ファーヴニルはまくことができたようだった。
〈ステラ〉
〈はい〉
〈正直、燃料がやばい。ここから一番近い町まで三十キロあるし、かといって海に降りたんじゃ、またあのファーヴニルに襲われる可能性がある〉
〈どうしましょう?〉
〈座標九六・一五二に島が一つ浮いているのが見えるだろ?〉
〈はい〉
〈そこに緊急着水する。救難発信機があるから一晩待てば助けも来る〉
座標九六・一五二の無人島は三日月型の大きな湖とニレの森、赤土の丘があるだけで建物や桟橋の類は存在しなかった。
二人は機を湖に着水させると、二機を結びつけ、さらにそのロープをパッと探したなかで一番太い樹に結びつけた。
ラグタイムの助手席は今はトランクのかわりになっていて、食料と調理器具、毛布、それにたわめたチーク材に市松模様のマイクを埋め込んだ言霊結晶式救難信号発信機がある。
信号発信機をつけたままにすると、イリヤムはパンを切り、ハムとチーズを挟むと、レモン絞りに似た真鍮製のアルコールランプでコーヒーを淹れた。
湖面に星と雲の影が映るころには食事も終わり、みずみずしい草地に寝ころんでみたくなった。今日一日、とんでもない死闘に明け暮れたのが嘘のようで、イリヤムはこれが本当のことなのかどうか、顔をつねって、夢でないことを確かめた。
一人でイビル・ティアマットを墜としに行こうとしていたときに感じていた気づまりな雰囲気がすっきり消えてなくなった。
「あの飛行艇はなんだったんだろうなあ」
「なんだったんでしょうか?」
「イビル・ティアマットの賞金を横取りに来たようにも思えないしなあ」
「どうしてですか?」
「あれはファーヴニルだ。軍のトップクラスが使う艇だよ」
「すごい艇なんですか?」
「まあな。でも――ステラ・マリスには負ける」イリヤムはフフンと笑う。「もちろんラグタイムにも」
「軍の最新機ですか」
「おれもセント・エクスペリー荘でちらりときいたくらいのもんで、やりあうのは今日が初めてだ。しかし、分かんねえなあ。なんで、おれたちに襲いかかってきたのか」
そして、ステラを狙っていた。
なんでだろう、と考えても謎は解けそうになかった。
「やめ、やめ。考えても分かんねえことは考えないに限る。それより――」
「それより?」
「今度はステラの番だな」
「何がですか?」
「イビル・ティアマットの賞金が千ルク。これだけあれば、かなり腕のいいサルベージ屋を雇える」
「でも、半分はイリヤムのです」
「だな。だから、おれの取り分をサルベージ屋に払う。おれの金なんだから、おれの好きなように使えるってわけだ」
「でも――」
「ステラがいなけりゃ、おれはここにはいなかった。あの四角い青空にステラ・マリスが飛んでたから、おれはあの竜の炎に魅入られずに済んだ。大切な人が飛んでいるのを見たから、おれはあのまま飛び切ることができた」
「……」
「だから、今度はおれの番だ。使命とかってのを思い出して、さっさと片づけちまおう。で、また組んでバリバリ稼ごうぜ。相棒」
「はい!」
アルコールランプを消すと、毛布をかぶった。
さわさわと枝葉が鳴る。夜の空は昼間の戦いに静寂を上塗りして何事もなかったかのように澄ましている。
だいぶ、時間が経ち、コンパスがないときに頼りにする一番星の上を月が通り過ぎたあたりで、ステラが言った。
「イリヤム。もう寝てしまいましたか?」
「ZZZ……」
「じゃあ、言っちゃいますね。恥ずかしいけど、でも、どうしても言葉にしたいんです。さっき大切な人って言ってもらって、とても嬉しかったです。きっと大切な相棒って意味だったんでしょうけど、わたしにとって、イリヤムは違う意味で大切みたいです。そのことを考えると胸がドキドキします。いつか、イリヤムに相棒じゃない、違った意味で大切って言ってもらえる日を待ってますね。ああ、わたし、何を言っているんだろう? イリヤム?」
「……」
「寝てますね。何だかホッとしてしまいました。わたしももう寝ます。おやすみなさい。イリヤム。明日はもっといい日になりますように」




