31.
ラビス樹海はエメラルディア島の南西部に広がる広大な森林地帯で、ジュエリス王国開発探検局から第五級のダンジョンとされていた。
滅び去った古代帝国の都があった場所が、蔦と樹と水に覆い尽くされていた。王都ライトがまるごと三十は入るほどの広さの森のなかには、滅亡からこのかたまだ誰の手にも触れられていない黒曜石の寺院や美しい花々を育む澄んだ水の流れがあり、冒険者を誘っている。
もちろん、魔物も棲んでいるのだから、油断は禁物だろうが、第五級のダンジョンでは魔物もたかが知れていた。よほど変なところに行かない限り、やっかいな魔物と出くわすことはないだろうというのが、ヴィル、アレク、カプロニの考えだった。
ステラはといえば、ダンジョン探索というのはもっと殺伐としているのかと思っていたのだが、何だか遠足の延長のようで、やや拍子抜けしていた。
王都ライムの南駅からアビス樹海のある南西部まで汽車で行き、駅の出口から樹海の入口までの道際にはキャンディやアイスクリームを売る屋台、土産屋、缶詰専門店、簡単な武器修理を行う店が並んでいた。
冒険者が樹海で手に入れた素材を買い取る店もあったが、第五級ダンジョンでは採れる素材もたかが知れているとせいか、いまいち身の入らない商売をしていた。
むしろ、素材買い取り屋は空いたスペースを冒険者向けのちょっとしたレストランにしていて、そちらのほうが収益を上げていた。
冒険者を自称する少年や少女たちがパーティごとに集まり、これからの探索ルートを記した地図をテーブルに広げたり、あるいは帰還したばかりのパーティがトランプをしながら、ドレッシングのかかったこんがりチキン入りサラダをパクついたりしていた。
樹海の入口には二本のオベリスクが立っていて、それはかつて大陸全土を制した偉大な帝国の都の入口がここに存在していたことを雄弁に物語っていた。
もっとも冒険をしにきた少年少女の前には古代文明の歴史の息吹も犬のオナラほどの価値もないらしく、二本のオベリスクは少年少女たちの情け容赦ない彫刻メッセージの餌食となっていた。
一番古いものは数十年前のもので新しいものは今そこで魔法使いの少女によって彫られているのだが、『ミレリア・サンドハースト参上』のように自分の到達の記録を残すものもあれば、『礼拝堂跡の三聖人像を壊しちまった』と懺悔するものもあり、他には『破壊こそ至高の芸術!』『切り裂きモグラを焼いて食ったらうまかった。だまされたと思ってやってみろ』『だまされた! 下痢がとまらねえ!』『クソの話をオベリスクに刻むな、クソども』『風紀委員気取りは黙ってろや、くそったれ』『どいつもこいつもおれのクソを食らえ、くそったれ』『みんなもっと紳士らしく行こうぜ』『どなたさまもわたくしのお排泄物を召し上がってくださいまし。おウンチたらし』など実に多彩なメッセージが刻まれていた。
「こんなメッセージも――」ヴィルが言った。「あと数千年経てば、立派な歴史資料だ。当時の生活を窺う手がかりになる」
そう言いつつ、厚刃のナイフを取り出すとガリガリやり出し、『前略 未来の人々へ。きみたちの世界ではハンバーガーにマヨネーズをつける外道はまだいるのかな? いたら早々に処分することをおすすめする。草々』と刻んだ。
未来、という言葉がオベリスクに刻まれたとき、ステラは冷たい指で背中を撫でられたようにぞくっとし、一瞬何かが頭のなかに閃きそうになった。
だが、閃きは像を結ばず、消えてしまった。
樹海にもぐる最後の確認でそれぞれが武器や食料などキャンプに必要なものの在庫を確認した。
ステラは頑丈な飛行服を着て、カプロニから扱いやすい片手剣を一本借りていた。
セント・エクスペリー荘を発つ前に軽くカプロニと切り結んだが、ステラの剣術は体術に負けないほどの技量だということが分かった。
「一つ一つ、失った記憶が取り戻せる」
カプロニはマカロニやオレンジの缶詰をキャンバス地のバッグに詰めなおしながら言った。
「イリヤムからきいたよ。何か使命があるけど、思い出せないんだって」
「はい」ステラが言った。「わたしは飛行艇に乗って割れた空から飛び出してきたとイリヤムは言っていました」
「にわかには信じがたい話だね」
「そうですね。でも、わたしにはその手がかりしか、自分の記憶を取り戻す術がありませんから」
ヴィルが魔法の杖でオベリスクをゴツゴツ叩きながら、声を上げた。
「おーい、お嬢さん方。おしゃべりは終わりだ。準備ができたら出発するぞー」




