29.
黒猫劇場は役者が子どもなら楽士も子どもで脚本家も子ども、演出家も子ども、ビュッフェの売り子もお土産屋の売り子もみな子どもが行っていた。
セント・エクスペリー荘の劇場版といったところではあるが、さすがに所有者は大人だった。彼にはウィンフレッド・ハミルトン=ハミルトンという立派な名前があったが(というのも彼は自分の名前を貴族っぽくするためにミドルネームとラストネームをわざわざ=でつなげたのだ)、みなからはオムレツ野郎と呼ばれていた。
というのも、「オムレツを作るには卵を割らなければならない」という格言がお気に入りらしく、有料トイレでチップを渡すときや劇場所有者仲間のポーカーでおけらにされたとき、そして財布を空っぽにして家に帰り怒り狂った妻に殴られたときなど、あらゆるとき、あらゆる局面において、この「オムレツを作るには卵を割らなければならない」という格言をしゃべりちらかすからだった。
客もほとんどが少年少女だった。
彼ら彼女らは他の劇場で観劇をする大人の客や一流新聞に特別コラム欄を持つ演劇評論家よりも手厳しい批評家ぞろいだった。
劇がつまらなければ、すぐにパンフレットで折った紙飛行機やロケット花火を飛び散らかす上に上演中でもかまわず、劇の不出来をからかう替え歌を大声でがなり立てるからだった。
台詞を忘れたらご愁傷様で代わりに台詞を知っている少年なり少女なりが舞台に飛び上がり、代わりに大声で台詞をがなり立て、役者の顔を平気で潰した。
だが、こうして、情け容赦なく鍛えられた役者の卵たちはたいていが立派に孵化して、一流の役者として活躍していった。
それに、一部の役者は飽きっぽい少年少女たちを絶句させ劇に釘付けにさせることが出来た。
クリス・ホイッティングワースもその一人だった。
その日も席は満員で劇が始まるまでのあいだ、紙飛行機が飛んだり、アルコールランプでサラミをあぶったりする連中がいた。
だが、ソケットにミスリル・パウダーを詰め込んだ舞台用ライトが緞帳を照らし出すと、紙飛行機や私語がピタリと止まり、劇が始まるのだった。
クリスのファンは多岐に渡った。
美少女としてのクリスを見に来る少年と美少年としてのクリスを見に来る少女たち、そして結構な数の大人たちといった具合で、クリスの澄んだ水の流れのような声で放たれる名文句の数々や痺れるほど格好いい剣さばきなどを見ては羨望のため息をつくのだった。
二階席から劇を見ていたステラも思わずうっとりしてしまうくらい見事な役者ぶりで、イリヤムはまた性の違いにまつわる面倒事が起こるのではないかと危ぶみ、ため息をついた。
イリヤムに言わせれば、クリスは罪作りな存在であり、クリスがらみの自殺者がまだ出ていないのは、単に運がいいからであって、いつ性の混乱に憔悴した少年なり少女なりが浮遊島の端っこから飛び降りてもおかしくないのだった。
羽根帽子にマント姿のクリスが剣を操って、悪党たちをバッタバッタと薙ぎ倒しているのを見ていると、イリヤムは、おや、と思って、目を凝らした。というのも、やられ役の中に彼の知り合いでダンジョン冒険で生計を立てているカプロニ、アレク、そして老け顔ヴィルがいたのだ。
妙なこともあるものだと思いながら、幕間、ステラと廊下に出ると、今度は売店コーナーでカプロニとアレクとヴィルが白いシャツに蝶ネクタイの制服姿でサンドイッチ弁当を売っていた。
「お前ら、何してんだ?」
イリヤムがたずねると、ヴィルがフンと鼻を鳴らして、ただ一言、
「生きるためだ」
――と、言い放った。
「かっこつけてないで、ちゃんと説明しろよ」
「ダンジョンにもぐれないんだ」と銃使いのアレクが言った。
「どういうことだ?」
「後衛専門の銃使いと魔法使いに対して、前を守るのがカプロニしかいない。これじゃダンジョンにもぐれない」
「なら、もう一人剣士を入れりゃいいじゃねえか」
「剣士ってのは人参みたいに畑に生えてるのをひょいと引っこ抜くわけにはいかないんだ。いい剣士はみんなもうパーティを組んでる」
「だから、お前ら、普段は槍使いとか斬術士を入れてるんだろ? ユールヒェンやロブ・マクギリベリーは?」
「ユールヒェンは里帰り、ロブは麻疹にかかってる」
「斬術士の連中は?」
「マティアス・ホルンとフレイ・デュローはもうパーティを組んでもぐってる。ギルバート・アインとイグナツィ・セロフはうまいラムチョップが食いたいとか言って、マーシュタウンに行ったきり連絡が取れない」
「じゃあ、いよいよどうしようもねえわけだな」
「その通り」
ヴィルがため息をついた。
「誰か一人、腕っ節の強いやつがいれば、こんなとこで弁当なんて売らずに済むのに」
「あの噂はどうだろう?」カプロニが言った。「ほら、ピッケルタウンの。バーソロミュー・ゴードンを素手で負かした女の子の話」
「そんなのガセに決まってる」ヴィルが言った。「あの腕力だけが長所の猪突猛進単細胞生物が女の子一人に手もなくやられるなんて、あるはずが――」
「おれが何だって?」
丸太のように太い腕が売店コーナーのカウンターの半分以上を占めるようにドスンと置かれた。
そこにいるのはまぎれもなくバーソロミュー・ゴードンであり、そして後ろにはアイザックかハロルドかクウェンティンだか分からない弟たちが控えている。
「い、いえ」ヴィルが慌てて口をつぐむ。「なんでもないです。いらっしゃいませ。何をお求めで?」
「決まってるだろ、クリスさんのブロマイドを全部だ」
そう言ってルク金貨の入った革袋をカウンターにドンと置いた。その力の強すぎるせいで、売店の弁当やコーヒー入りの魔法瓶がカタカタ鳴った。
ブロマイド等土産物部門を受け持っているカプロニが答えた。
「申し訳ございません。もうブロマイドは売り切れです」
カプロニはできるだけ申し訳なさそうに誠意を込めて謝ったが、筋金入りのクリスファンであるバーソロミュー・ゴードンの怒りを鎮めることはできなかったようだった。
「んだと、この野郎!」
胸倉をつかまれたカプロニはそのまま宙吊りにされた。
「おれさまがどれだけクリスさんのファンか、てめえ知らねえのか! 二度とおれさまの分のブロマイドまで売っちまわないようにきっちりヤキを入れてやる!」
アイザックかハロルドかクウェンティンだか分からない弟たちも、やっちまえ、兄貴、とはやし立てる。
ところが、次の瞬間には――、
「いたたたた!」
カプロニの胸倉をつかんでいたはずの腕が見事にきまって真上にねじ上げられ、バーソロミュー・ゴードンはカウンターにヒゲ面を押しつけられていた。
「またですか、あなたたちは! 懲りない人たちですね!」
ステラが一喝すると、ゴードン兄弟の残りがヒッと声をあげた。
ピッケルタウンでの記憶が色鮮やかに甦ったらしく、アイザックかハロルドかクウェンティンだか分からない弟たちはバーソロミューを見捨てて一目散に逃げていった。
腕を放されたバーソロミューがひいひい言いながら、そのすぐ後ろを追う。
イリヤムは、あーあ、またやっちまったという顔をしていた。
一方、ステラはというと、売店コーナーの三人にまじまじと見つめられいた。
ステラは少しきょどきょどしながら不思議そうな顔で「あの、どうかしましたか?」と三人にたずねている。
「これだ!」突然、ヴィルが叫んだ。
カプロニとアレクもうなずいた。こうして彼らは自分たちをアルバイト生活から救い出してくれる四人目の仲間を見つけたのだった。




