28.
「竜炎樹の実?」
「ああ」
「ないな。竜炎樹の実は切らしてる」
「一応、在庫調べてくんない?」
「ちょっと待っててくれ」
木の実専門の魔法道具屋は鼻眼鏡の奥の小さな目をぱちくりしながら白い鬚を撫で、もったいぶった動きでカウンターの後ろにある棚と面と向かった。
棚には小さな引き出しが縦に六、横に五十の計三百個あり、引き出しのなかは名札を貼りつけた小箱でいっぱいだった。
婚約指輪を入れるのに使うようなビロードの内張りをした小箱には、水晶樹や化石樹の実、黒紅樹や火炎樹の実、金色の木の実や雷文模様の木の実など貴重な加工済み木の実が一つ一つ丁寧に包装され、入れられていた。
「ないな。やはり竜炎樹の実は切らしてる」
「ここもかよ。まいったな」
イリヤムは四十八の薬草から作った苦いリキュールをなめたように渋い顔をすると、髪をいじるようにして頭の後ろを掻いた。
老人はカウンターに片肘を預けるようにして座ると、コーヒーカップをつつきながら、
「見たところ、艇乗りみたいだな。点火装置かい?」
「そうなんだ」
「町じゅうをまわったようだな」
「もう足が棒になりそうだよ」
「そうだな……火炎樹の実ならある。加工等級は二。上物だよ」
「火炎樹じゃ駄目なんだ。ワイバーンの心臓に埋め込んで使うから、竜族と親和性のある竜炎樹以外の火種を受けつけてくれない」
「そういうことじゃ、わしは役に立てそうにないな」
「入荷の予定は?」
「未定だね。最近は安い火炎樹の実も加工精度が上がってきているから、高価な竜炎樹の実は点火用に入荷してもなかなかさばけないんだよ」
魔法道具屋の外ではステラが待っていた。
「どうでした?」
イリヤムは元気のない様子で首を横にふった。
事のきっかけは小さな木の実だった。
いつものようにエンジンをかけようとしたら、ラグタイムのワイバーン式エンジン点火装置に組み込まれた竜炎樹の実が突然真っ二つに割れてしまい、点火系統が完全におしゃかになってしまったのだ。
いくらスイッチをいじっても、点火装置がうんともすんとも言わなかったので、まさかと思って見てみたら、そのまさかだった。
三角錐に加工された竜炎樹の実は先端部分が完全に折れていた。これではいくらスイッチを入れても火花が始動装置のなかで弾けることができない。
火花が散らなければ燃料が燃えない。燃料が燃えなければエンジンが動かない。エンジンが動かなければプロペラはまわらず、プロペラがまわらなければ、飛行艇は飛べない。そして飛行艇が飛ばなければ仕事にならない。
カステルヴェルデの仕事からさらに二つ隊商護衛をこなしていたので、多少の蓄えはあったが、竜炎樹の実を買うためのお金とその加工賃を選り分けると、あまり多くは残らない。
イリヤムとステラは朝の六時から一日かかって、王都ライムにある魔法道具屋、飛行艇部品工場、時おり思わぬ掘り出し物に出くわすことのできるガラクタ屋をまわったが、どれも空振りに終わった。ビッグ・ジョーの店から実だけ借りることも考えたが、ビッグジョーの店の艇はみな火炎樹の実を点火に使っていた。
「こうなると、あそこに行くしかないな」
そう言って、イリヤムとステラがやってきたのは、王都ライムの目抜き通りに店を構える百貨店『サザンプトンズ』だった。
建物の大きさではセント・エクスペリー荘に匹敵するが、清潔さと華麗さではサザンプトンズの圧倒的勝利だった。
ブロックの角から角まで三十メートルを一枚ガラスでつなげたショー・ウィンドウにはエーテル・ランプの眩い光がきらめき、陳列された商品を照らしていた。リスの毛皮で縁取ったラシャのマントやビロードの婦人用コートのあいだには、今朝店員が美しい襞を入れたばかりの稀少なシルクが一際輝き、紳士用品では夏にかぶるカンカン帽や虹色リボンを巻いたスジ入りの麦わら帽子が、冬に着るインヴァネス・コートやラッコの毛皮襟がついた外套と一緒に飾られていて、老魔道士のマネキンは魔法使い垂涎ものの最上級天然魔石をはめ込んだ化石樹の杖を握っている。ヴォーディアン・ケースの青いシダ、紫と白の蘭の花が並ぶなかに子供服を着たマネキンがかくれんぼをするように蘭の鉢のそばで身を低くしていて、そこから少し離れた位置で水兵風の子供服を着たマネキンが背伸びをして、隠れた子どもを探そうとしていた。ガラスが尽きるブロックの左右の角は展示スペースを特に広げて、本物のダブル・ベルリーヌ型エーテル・キャリッジと銀色に輝く星型エンジンを載せた飛行艇を展示していた。
巨大な一枚ガラスの展示場は、ここに飾られているのはほんの一部で、なかにはもっとたくさんの商品が溢れかえっている、この百貨店に売っていないものなどないのだという強烈なメッセージを発信していた。そして、そのメッセージは多くの人々の心を掻き立て、消費と所有への憧れを募らせるのだった。
「始めから、ここに来ていればよかったですね」
ステラが言う。その口調はどこかわくわくしている風に聞こえる。サザンプトンズのショー・ウィンドウの魔法にやられたらしい。
イリヤムは肩をすくめて、
「でも、ここじゃ定価の値段で買わされる。できれば、小売店で掘り出し物を安い値段で手に入れたかったけど、まあ、しょうがない。背に腹は変えられない。竜炎樹の実がなければ、仕事にならないんだから」
まるでステラに引っぱられるようにしてイリヤムはサザンプトンズの回転ドアを抜けた。百貨店の魔法監修役が風の術式を改良して作った回転ドアは象だって通れそうな大きなガラス戸なのに、軽く手を触れただけで音もさせずに自然と動く。
六階のガラス天井まで吹きぬけたホールがステラを出迎えた。
そこでは何もかもが豊かな色彩か眩い輝きに恵まれている。
右はドレス用布地や帽子、リボンを販売する区画だった。その売り場の奥は余りに遠いものだから、かすんで見えた。
一〇〇メートル以上ある細長いテーブルに五十人のフロックコートを着た男性販売員がいて、婦人相手に様々な色のリボンや布地を見せてはしまい、また出しては見せて、しまうといった動作を繰り返していた。
左に目をやると、宝飾品売り場が輝いていた。
ガラスのショーケースのなかにはサファイアやルビー、アレキサンドライトのティアラ、粒をそろえた黒真珠のネックレス、それにプラチナをふんだんに使った宝石時計がカチカチと時を打っている。
二人は吹き抜けの内側をなぞる螺旋階段を上っていき、魔法道具売り場を目指した。その途中にはガラス鐘のなかにケーキを入れたカフェテリアや生鮮野菜から南国の果物、そして缶詰を並べた売り場、化粧品コーナーを通り抜けた。
化粧品コーナーでは赤、黄、青の魔法薬が入った小瓶が棚に並び、カウンターそばのガラス張りのケースには海綿スポンジがぎゅうぎゅう詰めにされている。
美の追求のために散財を厭わない裕福な女性たちは手首に香水を試しに一吹きさせては香りを嗅ぐ。彼女たちは菌類学者がシャーレの菌糸を観察するような真剣さでこれが自分のイメージとぴったりくる香りであるかどうかを真剣に考えていた。
四階をさらに進んで、キネトスコープ・アーケードや屋内プールのそばを通り抜けた。
わざわざ古代都市のダンジョンに設計士と絵師を派遣して作った古代浴場を模したプールには四つの滝が流れ落ちている。
そのプールサイドには二十種類のパフェを作れるフルーツ・パーラーがあって、大人たちはパフェやソーダ水の楽しみながら、子どもたちが水を跳ね散らかしている様子を眺めることができた。
午後五時半をまわっていたが、百貨店はむしろこれからが盛況と言わんばかりに賑わっていた。
ダンジョン探索をする冒険者用の売り場では獣青鋼の剣や魔獣の牙の短剣、上級術式に関する魔法書や抽出魔石をはめた初心者向けの廉価版魔法の杖、斧付きの槍、プレストン&プレストン社製リピーター・ライフル、それに鎧と戦衣、胸当て、兜、剣術教書などが職業ごとに陳列されていて、かつては一流冒険者だった専門店員が接客に当たっている。
魔法道具コーナーに辿り着くと、占星術士の銀の水盤や魔法使いの薬作りに使う様々な材料――トンガリシナモン、コウモリ澱粉、タツノオトシゴの干物、深海樹の葉っぱ、お化け蟹のハサミ、ハガネ蜂の蜜、キノット石、脂身の石、壜詰めにされた古代樹の樹液がずらりと並んでいる。
イリヤムは早速、店員を捕まえると竜炎樹の実の在庫があるかたずねた。
「申し訳ありません。お客さま。竜炎樹の実はただいま売り切れとなっておりまして。再入荷の目途も経っていません」
いよいよイリアムの絶望が抜き差しならぬものへと形を変えてきた。このままだと点火装置を丸ごと取り替えるハメになりそうだった。
しかし、ワイバーンの心臓ほどの素材を手放すのは惜しいし、急旋回ターンをキメるときにエンジンを切ったりつけたりするのは信頼できる最高の点火系統があってのものなのだ。
点火装置を丸ごと取り替えるのはやはり難しい。
プール横のフルーツパーラーでチョコレート・パフェをがっつきながら、どうしたものかと思案にくれていると、
「あれれ? イリヤムとステラじゃん」
聞き覚えのある声がした。
見ると、剣を下げたマリンが両手にストロベリー・パフェとキャラメル・パフェを手にやってくるところだった。
「座っていーい?」
答えを聞く前に、もうイリヤムたちのテーブルに両手のパフェを置いて、隣のテーブルから椅子を一つ引っぱってきた。
「どーしたの、イリヤム? シケた顔して」
「竜炎樹の実が割れちまったんだ」
「え! じゃあ、点火装置が駄目になったの?」
「駄目になったわけじゃないけど、でも、加工済みの竜炎樹の実が手に入るまでは飛べない」
「それでここに来たわけ?」
「ここならあると思ったんだけどな」
「ふーん。残念」
マリンは両手に持ったスプーンで左右のパフェをすくい、順番にパクリとぱくついた。んまい、と言って目を細めるマリンにステラがたずねる。
「マリンさんはどうして百貨店に?」
「ん、まあ、ちょっと里帰りをね」
「里帰り?」
イリヤムが会話に割り込んだ。
「このデパートはこいつの実家なんだよ」
「実家って、これ全部ですか?」
そこでハッとする。そうだ、マリンの名字はサザンプトンだ。
ステラが驚いている横ではマリンがパフェをパクパクやっている。
イリヤムたちよりも遅くやってきたのに、もう二つのパフェを食べ尽くそうとしていた。
マリンは口の端についたホイップクリームを舌でペロリとやってから、
「いつもは騎士団の寮暮らしだからね。たまには親元に帰って、元気にやってございますと顔の一つも見せなきゃいかんのですよ」
「お前の父ちゃん、ダイエットに成功したのか?」と、イリヤム。
「それが増えてたよ。体重」
マリンはアハハと笑った。
「でも、竜炎樹の実かあ。まあ、こういうときは神さまが休めと言っているだと思って、休んじゃうのも手だと思うよ。なんか気分転換になるものを見つけて、心機一転巻き返せばいいじゃん」
むー、とイリヤムは呻った。
サザンプトンズの回転ドアに入り、ステラだけ先に行かせて、自分はうつむきながら、回転ドアのなかをぐるぐるまわっていた。
というのも、イリヤムの頭のなかでもマリンの言葉がぐるぐるまわっていたからだ。
だが、そのうち何か決心がついたらしく、回転ドアから弾かれるように飛び出して言った。
「よしっ、ステラ! 劇だ、劇を見に行くぞ!」
「はい?」
「このまま腐っててもしょうがない。劇でも見て、気分転換だ」




