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空のステラ  作者: 実茂 譲
3.ステラ・マリス
23/56

22.

 カステルヴェルデはアメジステ島の首邑であり、『緑の城』の名の通り、丘の上に緑の青銅屋根を乗せたプディング型の城があり、その裾を城下町が取り巻いていた。町の煙突からは夕食を煮る煙が立ちのぼり、西から差し込む茜色の光へと散らされていった。

 カステルヴェルデは他の多くの都市と同様に湖のそばに建てられた街だった。正午に王都を出発した二艘の飛行艇は今や高度を十メートルに落として、ヴェルデ城を正面に眺めながら、城下町の裾を浸す湖に着水しようとしていた。

 夕焼けに縁取られた城が強く輝いている。逆に飛行艇が着水した湖面は黒曜石のような深い色を湛えているように見えた。

 漁師たちはその黒く冷たい水から網を引き出して、鱒を獲っていた。漁師たちはこんな美しい城の影のなかで黒真珠のような光を湛える湖に舟を浮かべて魚を獲ることを誇りに思っていたから、飛行艇の到着もちらりと横目で見て、まるで荘園の領主が渡り鳥が自分の領地の池で休むことを許してやるような鷹揚な気持ちになることができた。

 イリヤムとステラが飛行艇発着場の桟橋に降りたときには、もう時計の針は午後五時半をまわっていた。旅客艇の切符売り場の柵にはオリーブグリーンのブラインドが下ろされ、白地で『本日の営業は終了いたしました』とある。桟橋にいるのは射的屋のテントにたむろする少年たちとカワカマス釣りをしている麦藁帽子の老人くらいのものだった。桟橋の左右には飛行艇やモーター・ランチが静かに浮かんでいて、ちゃぷ、ちゃぷという音が耳のなかへ染み入るように聞こえてくる。

 ステラは空を見上げた。夕暮れ時の紫とオレンジの層が成す雄大な光景が広がる。それはまだ立ち消える気配はなく、このまま行けば、美しい夕暮れの空を仰ぎながら、カステルヴェルデ市街へ歩いていけそうだった。

 丘をなぞるような街路を歩きながら、ステラがたずねる。

「これからどうするんですか?」

 荷物袋の紐を片手で握って背負ったイリヤムが答えた。

「ここでアッカルド狩りをする」

「アッカルド?」

「飛行艇くらいの大きさがあるでかい鳥だ。最近、そのアッカルドがここから南西へ八十キロの地点に浮かぶ島に巣を作ったらしい。アッカルドは気性が荒くて、船や島を見かけると錐みたいに尖った口ばしで問答無用に突きかかってくる。このまま放っておくと、カステルヴェルデと他の島を結ぶ定期便の艇を襲いかねないってことでカステルヴェルデのお殿さまが賞金をかけたってわけだ。一羽撃墜で半ルク。五十羽墜としたら、二十五ルクに五ルクの色をつけて三十ルク払うって話だ。割りのいい仕事だけど、最低でも二機でかからないといけない仕事だったから、今までは受けたくても受けられなかったんだよ。でも、今は違う」

 そう言って、ステラを見る。

「頼れる相棒がいるからな。がっちり稼がせてもらおうぜ」

「はいっ」

 丘の道を上りきると城門前に出た。

 城門は青銅を葺いた二つの尖塔に挟まれていて、石のアーチにはカステルヴェルデ伯爵のハープに二つの鈴が結び付けられた紋章がかかっている。その紋章を胸に刺繍したお仕着せ姿の門番が矛を手に立っていた。

「アッカルド退治の仕事で来たんだけど。お殿さまに会えるかい?」

 門番は訝しげに眉をひそめながら、

「ギルドからの紹介状はありますか?」

 とききながら、手を伸ばした。

 イリヤムは上着のポケットから四つ折りにした紹介状を門番に渡した。

 門番はしばらく紹介状の紙面を左から右へ左から右へと繰り返し眺めながら、最後には納得した様子で紹介状をイリヤムに返した。

「確かに確認しました。ですが、伯爵さまはもうお休みになられます。明日の朝、十時にお越しください」

 イリヤムとステラは回れ右して、もと来た道を戻ることになった。

 旅籠の集まっているのは湖岸のそばだったので、また時間をかけて城下町の丘を下らなければならなかった。

 通りに開いた戸口や窓のあちこちからシチューの匂いがしてきて、口のなかにツバがたまった。

 カフェの親爺が席を通りに作ると、仕事を終えた職人や漁師たちがやってきて、木の実をつまみながら、黒い壜に入った地元産の赤ワインを水のようにがぶがぶと飲んだ。

 太陽が沈んで間もない街は笑い声や手回しオルガンのポルカ、コミック・ソングを唄う声で満ち溢れた。


 パールグレイのシルクハット

 ボタンホールにカーネーション

 あの洒落者は何者だい?

 かの奴こそ、モンテ・ジーノの銀行破りなり


 空に星がかかったころになって、二人はようやく一軒の宿屋に辿り着けた。宿に着くのが遅くなったのは、どの宿屋もうまい料理、熱い風呂、ふかふかのベッドを自慢していたので、どこに決めたものかといろいろ目移りしたせいだった。

 二十軒以上の宿屋のなかから二人が選んだのは〈赤銅の雄鶏亭〉という店でうまい料理、熱い風呂、ふかふかのベッドに加えて、一度の食事につき二杯までただで飲めるアップル・サイダーがつくということからステラの目がきらきらと輝いたので、そこに決めることになったのだ。

赤銅の雄鶏亭は二階建てのこじんまりとした宿屋だったが、旅籠街の行き止まりにある高台に建てられていたので、湖を臨むことができた。

 イリヤムが宿屋の受付で革装丁の宿帳に自分の名前を綴っているあいだ、ステラは湖の星を見つめていた。

 鏡のような湖面には満天の星空がそのまま写し取られていた。

 それらの星の光は草原に野営する十万の兵士が焚いた火のように震えていた。黒い水面をじっと見つめていると、本当に兵士たちがいて、星の焚き火のまわりに集まって、コーヒーを淹れたり、トランプをしたり、水に濡れたゲートルを絞ったりしている姿が見えてきそうに思えた。

 鱒のムニエルが出た夕食の席でそのことをイリヤムに話すと、イリヤムはナイフとフォークを置いて、ナプキンで口を拭うと指を組んだ手をテーブルに軽く押しつけて、さも真面目そうな顔で言った。

「そりゃ、幽霊かもしれないな。死んだ兵士たちが星で焚き火をしてるのかもしれないぜ」

「意外です」

「なにが?」

「バカなこと考えてるっておちょくられると思ってました」

「おれはどんなふうに見えてたのやら。こう見えても結構なロマンチストなんだぞ」

 ステラは、ふふっ、と笑った。

 食堂には二人の他に宿泊客が一人いた。禿頭の小太りだが鬚だけは立派な皇帝鬚をした男で、彼は口髭用の整鬚剤を売ってまわるセールスマンだった。セールスマンは笑いあっている飛行服姿の少年と少女を見て、ああ、自分にもあんな時代があったのだなあ! と一人、思い出にふけり、嘆くのだった。

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