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空のステラ  作者: 実茂 譲
3.ステラ・マリス
21/56

20.

 王都の西、ノース・ウィンドウ湖の岸辺、旅籠街と漁船がもやい綱を投げる魚屋通りの境目に巨大な格納庫がある。

 扉には白いペンキでこうある。


    『ビッグ・ジョーの店』

――飛行艇貸します 格安・良好・重武装――


 湖の水は格納庫の内部まで引かれていて、格納庫のなかでは機関砲やロケット弾を積んだ飛行艇が何艘も浮いていた。

「だ~か~らぁ!」

 イリヤムがプールサイドでうんざりした調子で声を上げた。

「あんなヘボ艇で三分の一も払えるかよ! あれを貸すってんなら、そっちの取り分は四分の一だ!」

 イリヤムはステラを連れて、貸し飛行艇屋にやってきた。そして、社長のビッグ・ジョーことジョセフ・マクナガンを相手に交渉とも苦情とも取れないやり取りをしていた。

 ビッグ・ジョーは自称するだけあって大きな図体をしていた。一番大きなサイズのシャツでさえボタンがはちきれそうになっていた。まだ朝の十時だというのに艇が浮かぶプールの横にテーブルを持ち出し、ステーキを食べている。彼はこうやって手持ちの艇を眺めながらステーキを食べるのが好きなのだ。襟に突っ込んだナプキンが出っ張った腹の上に垂れ、その両手は分厚いミディアム・レアの肉を切るためにせかせかと動いていた。

 ビッグ・ジョーはイリヤムから何を言われても鷹揚に構えて、ステラは駆け出しの賞金稼ぎだから練習用の〈ルーキー〉しか貸せないと繰り返した。

 だが、イリヤムもしつこく食い下がる。ルーキーは四五四口径機銃を一丁装備しただけで速度も最高で一〇五キロ出るかどうかの艇だ。操縦しやすいが、スペックが低かった。

 イリヤムは言った。

「おれの記録クリスタルを見ただろ? ステラがカーターの艇でゴブリンを二機撃墜したのもちゃんと確認できただろ?」

「これじゃ不十分なんだよ。せめてカーター機の記録クリスタルを持ってくれば、話は違ってくるんだがね」

「とにかく、ルーキーなんか貸すんなら、そっちの取り分は報酬の四分の一。それが嫌なら、ヘリングボーンムーアかマーシュタウンの貸し屋に行くまでよ」

「まあ、そう慌てなさんな、若いの」

 ビッグ・ジョーはナプキンを取ると、ニコニコ笑いながら口髭を撫でつけた。

「このお嬢さんにラグタイム・クラスの艇を貸すなんてのは無茶が過ぎるよ。せめてギルドからの推薦状があればねえ」

「んなもん待ってたら、半年はかかる。おれらには今すぐ使える艇がいるんだ」

「そうは言ってもねえ、たとえ二分の一もらえるとしても、素人同然のお嬢さんにラグタイム・クラスを貸すとなると、どうしても尻込みするもんだよ」

「だから! ステラの操縦技術は折り紙付きなんだよ。カーターのとっつぁんの艇をあそこまで操れたんだから!」

「カーターの推薦状はあるかい?」

 イリヤムは額を手で押さえた。これでは堂々巡りだ。

 ラチがあかないと思い始め、マーシュタウンへ行くことを本気で考え始めると、それを目ざとく感じ取ったビッグ・ジョーは微笑みながら脂身が刺さったフォークをふった。

「まあ、待て。マーシュタウンくんだりまで行かなくても、ラグタイムと性能が釣り合って、しかも万が一、墜落してもさほど惜しくない艇がある」

「……なんかいわくつきな気がしてきた」

「そんなに大したことじゃない。ステーキを食い終わったら、そいつを見せるよ」

 ビッグ・ジョーは汚れた白い脂身を口に運んだ。イリヤムは飛行服のポケットに手を突っ込んで、小石を蹴った。石は複葉飛行艇のフロートに当たってカツンと鳴いてからチャポンと落ちた。

「あの飛行艇じゃ駄目なんですか?」

 ステラがたずねると、イリヤムは両手を広げてお手上げと言った調子で言った。

「ルーキーじゃ性能でラグタイムについてこれない。組んで戦えないんだ。二人で組んで稼ぐときの鉄則は艇の性能を必ず均一にすること。そうじゃないと連携が取れない。ラグタイムばっかり先にいってルーキーがのろのろついてくるんじゃ、結局単機勝負をしてるのと変わりがない。それにしても、あのデブ社長、一体どんな艇を見せるつもりなんだろな……は、は、はっくしょん!」

 イリヤムのクシャミは七回続いた。ガラスの温室から出ると、イリヤムは浴場に行き、体じゅうにくっついたコショウの粉を洗い流した。それでもまだ洗い残しがあるらしく、こうして、クシャミが止まらなくなる。

「はっくしょん! はっくしょん! うー、参るな、こりゃ。敵とドッグファイトしてる最中にクシャミが止まらなくなったら間違いなく撃墜されるな」

「そうならないためにわたし、頑張ります」

「その気持ちは嬉しいけど、ルーキーを貸し出されるようじゃ、本気でやばい。そういえば、昨日は大変だったな。初日にあれだから驚いたと思うが、まあ毎日あることじゃない。たまにだ、たまに」

「たまに、ですか」

「そっ。部屋に鍵かけて閉じこもってれば何とかしのげる。そういや、ステラは昨日、新聞部屋で泊まったんだっけ?」

「はい。クリスさんとエイミーさんが一緒に」

「クリス。クリスねえ……言っておくがあいつは女だからな」

「え!」

 ステラが目を丸くした。イリヤムはクシャミでめくれ上がった飛行士ケープを元に戻しながら続けた。

「本名はクリスティーナ・ホイッティングワース。見た目は中性的な美少年って感じだろ? それで新入りの女子を引っかけるんだよ。あいつ、よく女子からラブレターをもらって対応に困るってぼやいてるけど、半分はあいつの自業自得なんだぜ」

「じゃあ、女優さんなんですね」

「そうだけど、舞台で女役をしてるのを見たことがないな。そう、たいていは小さい劇場の剣劇ものだ。そのうち見に行くのも面白いかもな」

 ビッグ・ジョーがナプキンをむしりとって、テーブルに放った。横幅の広い体を左右に揺らしながら立ち上がる。

「よし、じゃあ、奥の格納庫に行こう」

 広大なポンド部屋のさらに奥に柵式シャッターが閉じてある部屋がある。作業台のそばにいた整備士にビッグ・ジョーが話しかける。

「最後にここの艇の整備をやったのは?」

「昨日の夜ですよ、社長。燃料は入ってますし、結晶発電機もきちんと洗浄しました」

「こないだ、エンジンかけたとき、ノッキングしてたろ?」

「供給バルブがいかれてました。それも修理済みです」

「じゃあ、今すぐ飛ばせるわけだな?」

「ええ、あれを飛ばせる艇乗りがいればの話ですが」

「よし。シャッターを開けろ」

 整備士がクランクを回すと、シャッターが動いて右へと折り畳まれた。

 格納部屋に浮いていたのは牽引式エンジンをぶらさげた淡い水色の単葉飛行艇だった。

「ステラ・マリスじゃないか!」

 イリヤムは遭難した探検隊が突然ひょっこり帰ってきたかのような素っ頓狂な声を上げて、驚いた。

 予想通りの反応を見て、ビッグ・ジョーは嬉しそうにニヤニヤしている。

 ステラ一人がよく事情を飲み込めていなかった。艇を見る。淡い水色の翼がエンジンから左右に伸びていて、エンジン架で支えられたエンジンの下に操縦席があった。翼の左右からはフロートが伸びている。機体は水色だが水に浸かっている部分だけは淡い赤である。

「あの」ステラはイリヤムの肩をつついた。「どういうことなんでしょう?」

「こいつはステラ・マリスだ」とイリヤム。「空軍エースのフランチェスコ・リッツォ大尉専用の艇だよ」

「すごい艇なんですか?」

「性能で言うならすごい。これなら十分ラグタイムと釣り合う」

 ステラの表情がぱあっと明るくなる。

「じゃあ、これで解決ですね! 一緒に賞金を稼げるんですよね?」

「うーん、それがなあ……」

 イリヤムは困った顔で頭を掻きながら、ビッグ・ジョーのほうを見た。

「おっさん。これ、いくらで買い取った?」

「八十ルクだ」

「やっぱりな」

「あの、それって高いんですか?」

 イリヤムは首を左右に振った。

「いや、安い。安すぎる。たぶんルーキーよりも安い」

 ビック・ジョーはガッハッハと腹を抱えて笑った。

「そりゃそうだ。この艇はな、お嬢さん、フランチェスコ・リッツォ大尉その人が注文した代物だ。そして、こいつを動かせるのはフランチェスコ・リッツォ大尉以外に誰もいない」

「え、と……」

「離水がハンパじゃないほど難しいんだ」

 イリヤムが渋い顔をして言った。

「実はおれも一度試し乗りしたことがある。一年前、トパージア島の湖でだ。こいつときたら、まるで水に吸いついたみたいでエンジンが千五百回転しても水から離れられない。それに操縦桿が敏感すぎるから、たぶん離水しても、真っ直ぐ飛ばすのに精いっぱいだろうな。こいつを操縦できるのはフランチェスコ・リッツォ大尉ただ一人だ」

「どうしてそんな艇がここにあるんですか?」

 ビッグ・ジョーは胸ポケットから葉巻を取り出すとプカプカ吹かした。

「それはな、お嬢さん。フランチェスコ・リッツォ大尉その人がおっ死んだからなんだよ。といっても、艇で死んだんじゃない。大尉はスピード狂でね。エーテル・キャリッジのレースにも凝ってた。ロイヤル・ジュエリス・カップで時速百二十キロで飛ばしていたらカーブを曲がり切れずに大きな樫の木に正面衝突しちまったってわけさ。で、遺族はこの艇をどうしたもんか悩んだわけだ。なんたって大尉その人しか乗れない艇なんだから、持っていてもしょうがない。無駄に維持費用を食うだけだ。それで手放された。最初は五百ルクで手放されたと聞いたが、あちこち渡り歩いて誰にも操縦ができないまま、値段ばかりが下がっていって、ここに来たってわけさ」

「つまり、おっさんはステラにステラ・マリスを貸そうって魂胆か」

「名前つながりで何かの縁があるかもしれんぞ。それにな、イリヤム。お前さんの言うとおり、このお嬢さんの腕がいいなら、こいつで離水できるかもしれん。こいつなら貸してもいい。いや、そうだな、百ルク稼いで、こっちに五十渡すのなら、くれてやってもいいぞ。正直、うちでも扱いに困ってたところだ。維持費ばかり食って、まったく金にならん。かといって、こいつをスクラップにするのは艇に対する冒涜だ。許されるもんじゃない。だろ?」

 イリヤムはいつにない真剣な目でステラ・マリスを見つめた。素晴らしい艇であることは間違いない。最高の素材と最高の技師、最高の魔法使い、そして、ジュエリス空軍でも屈指のエースであるリッツォ大尉自身の経験をつぎ込んだ艇だ。

 もし、飛ばせたら――。

「ステラ、どうする?」

 きくまでもなかった。

 ステラの目はステラ・マリスに釘付けになっていた。

 そして、その目はこう言っていた。

 もし、この艇を飛ばせたら――。


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