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空のステラ  作者: 実茂 譲
2.セント・エクスペリー荘
17/56

16.

 殴っても殴っても鍛冶屋たちは起き上がる。

 そして、進み続ける。

 食べ物の匂いのするところなら、どこへでも前進する。

 魔法使いの結界も猟術士の罠も闇術士の影縫いも功を奏さず、鍛冶屋たちを止めることはできなかった。

 彼らはどんな食べ物でも見逃さなかった。フライパンの上の朝に焼いた卵の残り、缶の底にあるクッキーのかす、ずっと前からポケットに入っていたキャンディ。これら全てが食い尽くされていった。

 冒険者たちの組織された抵抗はやがて乱戦へと変じ、最後は孤軍奮闘のなかで鍛冶屋たちに組み伏せられ、ポケットのなかをまさぐられ、服を引っぺがされて、飴玉一つ、ビスケット一つとして見逃さずに奪い取られた。

 イリヤムは四階の防衛隊に加わっていた。ダンジョン探索を行わないイリヤムは戦闘部隊ではなくバリケード構築班に組み込まれていた。飛行艇工房の技師見習いのフィリップ・ペリシールや占星術士のマレク・パルメルク、それにリュート弾きのマルコ・プレスティフィリッポもやはりバリケード班に入れられていた。

「戦闘部隊がここから出撃して十五分経った」

 飛行艇技師見習いのフィリップが作業の手を休めて、懐中時計を見ながら言った。戦闘部隊というのは少年と少女の剣士が一人ずつ、魔法使い二人、闇術士の少年と銃術士の少女が一人ずつ付いた計六名からなるダンジョン冒険者の一隊のことで、彼らはイリヤムたちにここでバリケードを作るように言うと、別の戦闘部隊に合流すべく出発したのだった。

「ちゃんと合流できたかな?」

「まさかやられちゃってないよね?」

 そう言ったのは占星術士のマレクだった。星を見る都合上、彼の部屋は最上階の屋根裏にあり、まだ鍛冶屋たちに襲われていなかった。しかし、この調子ではいずれ屋根裏部屋にも鍛冶屋の侵入を許すことになるだろう。果物好きの彼は先週の終わりに奮発して結構な値段の桃を買った。今ではそのことが悔やまれてならなかった。彼はどうせ鍛冶屋たちに食べられるくらいなら自分が丸ごと飲み込んで窒息したほうがマシだと思い、部屋に帰りたがっていた。しかし、帰ろうとするたびに他の三人がマレクをバリケードに引っぱり戻す。

 仕方なくバリケード作りに参加するマレクだったが、リュート弾きのマルコ・プレスティフィリッポもちょくちょくさぼってリュートを気まぐれに鳴らしたりするので油断できなかった。この杏色の長い髪をした美男子は世界中の女の子が自分を愛してくれているという大変めでたい妄想を信じていた。だが、だいたいの場合、彼は女性に袖にされる。これに関して、以前、イリヤムは女子の一人にきいてみたことがあった。

 ――なんでプレスティフィリッポってモテないんだ? 顔はたぶんセント・エクスペリー荘で一番だと思うけど。

 ――一番だからよ。プレスティフィリッポはきれいすぎるの。だから、女の子はいやがるの。もう少し、今の状態からほんの少しだけ顔が不細工になれば、きっと女の子たちはプレスティフィリッポを取り合ったと思う。性格はまあ、悪いほうではないし。オツムは残念だけどね。でも、今のプレスティフィリッポはきれいすぎるの。目も鼻も口元も髪もみんなきれいすぎるの。そんなきれいすぎる人を恋人に持つと、女の子はみじめな思いを抱くの。だから、プレスティフィリッポはモテないのよ。

 バリケード班に入れられたプレスティフィリッポは男が四人集まって廊下にオンボロ家具を積み立てる不幸を嘆いた。

「ああ、ぼくは不幸だ」

 また始まった。イリヤムとフィリップとマレクは心のなかで毒ついた。プレスティフィリッポは続けた。

「どうしてぼくはここにいるんだろう? 女の子と一緒に星を眺めるかわりに埃まみれの家具をかついで、男四人でバリケードを作るなんて。うう、ぼくはなんて不幸なんだ。こんな不条理、きっと世界中の女の子が許さないよ」

 イリヤムとフィリップとマレクはプレスティフィリッポの気が狂ったと思った。マレクが人差し指をこめかみのそばでくるくる回した。

 イリヤムはやれやれと愚痴りながら、物置部屋に行き、ソファを引っぱった。

「フィリップ、マレク、プレスティフィリッポ。手伝え。こいつをてっぺんに置いて終いにするぞ」

 イリヤムの部屋はすでに鍛冶屋たちの支配下に置かれていた。パンやジャム、ベーコン、卵は全て食い尽くされたことだろう。

 これ以上の害を被ることはないし、鍛冶屋を倒したところで賞金が出るわけでもない。それでも彼がバリケード作りをやめないのは戦いに参加することによって自らの矜持を示すため、ざっくばらんに言えば根性のあるところを見せつけてやるために他ならなかった。

 今、イリヤムに湧いている感情はグリフォンに戦いを挑んだり、悪天候で視界が塞がったなか計器の数字だけを頼りに飛びきろうとするときに湧くものと全く同じものだった。

 人間を打ち伏せようとするあらゆる障害に立ち向かうことにこそ、人間の本質はあるのだ。それを証明するために彼は逆さにしたソファーをバリケードのてっぺんに積み上げる。

 マレクが部屋の奥で見つけた天球儀をバリケードの頂上に置いた。星を散らした夜色の丸い玉がこのバリケードの象徴であるかのように。

「おい、フィリップ。このバリケード、なんかバランスが悪くないか? ぐらぐらしてるぞ」

 と、イリヤム。フィリップは眼鏡を拭きながら、

「しょうがないよ。ぼくは煉瓦積み職人じゃないんだ。うまく揚力を稼ぐとか気流を切る翼とかなら作れるけどバリケードなんか作れるもんか」

「戦闘部隊はどうしちゃったのかな?」

 プレスティフィリッポがたずねた。

 イリヤムは肩をすくめた。

「いざとなったら、おれたちも戦わなきゃいかんかもしれん」

「戦うってどうやって?」とマレク。

「おれが知るもんか。占星術士なんだから天球儀でどつくとか隕石を降らせるとか、なんかしらあるだろ?」

「悪いけど、鍛冶屋たちが来たら、ぼくは部屋に帰らせてもらうよ。桃を食べるんだ」

「ちゃんと熟れてるのかい、その桃は?」

「今が食べ時だよ、フィリップ。二つ買ってきて、一つ食べたんだけど、あんなにおいしい桃は食べたことがないね。鍛冶屋にくれてやるなんてもったいない。ぼくはゴメンだね」

「しいっ」とプレスティフィリッポ。「何か聞こえる」

「なんも聞こえないぞ」

「バリケードの向こうじゃないよ。こっち側、裏手の通路から聞こえる」

 三人はプレスティフィリッポの気が狂ったのだと思ったが、耳を澄ますと、プレスティフィリッポの言ったことが正しかった。足音が後背地から聞こえているのだ。しかも、それは近づいていた。

 四人の脳裏に最悪の結末がよぎった。鍛冶屋たちは別のバリケードを突破して、イリヤムたちの背後にまわり、攻め込もうとしているのかもしれない。

 そうなると万事休す。イリヤムは自分たちが積み上げたバリケードを登り、向こう側へ逃げなければいけない。だが、バリケードをよじ登っているところで鍛冶屋たちに捕まり、引きずりおろされ、食べ物を持っていないか確かめるために、身ぐるみ剥がされるに違いない。

 イリヤムはゴクリと唾を飲んだ。そして、飛行服のベルトに下げたホルスターから中折れ式のリヴォルヴァーを抜くと、撃鉄を半分だけ上げて回転弾倉を指でまわして、全薬室にコショウ弾が装填されていることを確かめた。

 マレクは天球儀を持ち、フィリップは携帯用分度器を持った(それが彼らにとっての武器のつもりらしい)。プレスティフィリッポは、ぼくは平和主義者だ、と言って抵抗をあきらめ、どうせやられるのなら女の子の鍛冶屋にやられたいとつぶやいていた。

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