悪魔の食事 ③
グレス=首領、バラト=参謀です。
底知れない闇が地下迷宮内を包み込む。
闇の中を切り裂き、大広間へと向かう男2人。
焦燥の念を感じているのか、脂汗を顔に滲ませながら前へ前へと進む。
相手の事を気にしていられず、我先にと死に物狂いで疾走する。
(なんだ!?この底知れない恐怖は!?)
(わからん!!もう逃げるだけだ!)
『まだ逃げるのか?そろそろ面を見せろよ。お前らは潔くあるべきところに収まれ』
ゾクッッ!!
2人の心の中に直接干渉される。
声の中に篭る生物の本能を掘り返されるような根源的な恐怖。
逃げている間、絶え間なく2人に語りかけ、精神を削り取る。
(やばいやばいやばいっ!?見つかったら終わりだぞっ!どうすんだよっ!?)
(とにかく足を動かすしかねえっ!!距離を取らないとマジで喰われるぞ!!)
『お前らは既に俺の蜘蛛の巣の中だ。到達点は『死』だけだ。潔く俺に捧げろ』
ゾクゾクゾクッッッッッッッ!!!
心への干渉が止まらない。
全ての行動が相手に筒抜けになり、心の余裕がガリガリ削り取られて行く。
心臓の心拍音がこれまでにないほど大きい。
一つ一つの鼓動が、まるで死へのカウントダウンを表しているようで、死が近いことを身体の中で感じとる。
先程までの貧困街の強者である自身は露ほども残っていなかった。
今はただテーブルの上に並べられる一つの食材。
『死』では終わらない底知れない恐怖が2人を蝕んで行く。
走る走る走る走る。
2人は地下迷宮内を走り、上へ上へと向かう。
まるで天へと向かって神へと贖罪するかのように。救済の蜘蛛の糸を登るように。
だが、救済の蜘蛛の糸は儚く切れるもの。
蜘蛛の巣に囚われたものは救われることはない。
2人は逃げているつもりだが、逆に追い詰められていることに気がつかない。
「こ、ここもかよ!魔石灯が緋くなってやがる!」
「絶対その道はとっては駄目だ!捕食者の蜘蛛の巣だ!」
血で染め上げられた魔石灯が分かれ道の片方で地下迷宮内を照らし、辺りを緋く染め上げる。
まだ正常な道へと駆け込む事数度。
この2人は、恐怖に怯え、恐れ、正常な思考が出来ない。
そして…。
「さ、先がねえ…」
「誘われてたのか…」
「ならさっさと戻るぞ!ここから離脱しないとやばい!」
コツ、コツ、コツ、コツ、コツ。
辺りを反響する靴の音が次第に大きくなる。
死が、近い。
((やばいやばいやばいやばいやばいっ!?))
心臓の音が果てしなく大きい。
身体中が恐怖の鼓動に包み込まれ、全身から脂汗が滲み出る。
振り返りたくない。
振り返ったらそこに『恐怖』がそこに必ず顕現しているはずだ。
でも逃げるには振り返らなければ始まらない。
両手をギュッと握り締め、血が手先を通って滴り落ちるのを感じながら、ゆっくりと振り返る。
數十分前。
2人は予定通り、大広間へと最短距離で走り抜けていた。
この時、2人はまだ余裕が完全には無くなっておらず、敵に勝つ事が頭の中に残っていた。
だが、余裕は死神によって、じわり、じわりと侵食されて行く。
料理に『恐怖』という味付けをするようにして、ジワジワと味に旨味を足して行く。
「…おい。煙が立たなくなってるが、どういう事だ」
「火の元に気付いて消した?そんな訳がない。混合魔法製の火元だぞ。小火とは訳が違う」
「だが、現実として、ここに煙が来ていない!消化したとみるべきだろ!」
首領が大声で怒鳴る。大声が地下迷宮内を響き渡り、何処かで反射してこだまする。
「まだ、距離があったはずだ…。なのにこの対応、敵は1人ではないのか?」
焦りを拭えない参謀。
これまでにない力を持つ敵に脅威を感じ、ポタリと汗が頰から流れ落ちる。
「まだ、わからん。取り敢えず当初の予定に向かっておくぞ。上層の方が離脱は簡単だからな」
「ああ、止まるのは自殺行為だ」
2人は走るのをやめない。
辞めたら死ぬ事が分かりきっているからだ。
上層へと向かう途中、辺りに違和感がひとつ、ふたつと噴出してくる。
魔石灯の灯りが明らかに色が違う。
破壊されている場所もあれば、緋く塗りつぶされているところもある。
「なんだ…?異常に灯りが壊れてるぞ?」
「ああ…緋く彩られているのは血の跡か?でも血が固まったにしては黒すぎる」
地下迷宮内の異変が二人を少しずつ包み込んで行く。
それは蛇の口内へと入口のようで、地獄への大門のようにも見える。
焦りが拭えない二人。もしかして、俺らは相手の掌の上なのかもしれない…。
と、その時、前を見ると、フードを被った男が1人、道の真ん中で倒れ伏せていた。
その人を中心にして血の水溜りが広がっており、先がない事を如実に表している。
2人はその倒れ伏した人に近づくのを躊躇った。
なぜならそいつは敵のうちの1人なのかもしれないのだから。
(おい、無視するか?)
(ああ、その方がいいだろうよ。死者に構っている暇などない)
2人は無視する事を決断するが、フードの男は命絶え絶えに、枯れ果てた声を絞り出して助けをこう。
「だ、だすけでぐれぇ…、なあ、グレス、バラト…。この血を止めてクレェ…」
「「なっ!?ゲルガーか、お前!?」」
「あ、ああ…、俺だ、俺だよぉ、早くしてくれえ」
「ああ!少し待ってろ」
倒れたやつが仲間だとわかり、すぐ助けに向かう 2人。
情報が欲しい、その一点でこいつを助けようとする。
普通なら捨て置く所だが、こいつは一度『やつ』と交戦しているはずだ。
情報を抜き取れば捨て置く、あの血の流れ具合だと助かる見込みはない。
安直に寝転がるゲルガーに駆けつけるグレスとバラト。
うつ伏せに倒れるゲルガーを仰向けにしようとグレスが手をかける。
そしてゲルガーの顔を覗くグレス。
その後グレスは絶句し、血の気が引いた。
「な、な、な、な、こ、れは、どういう事だ!?」
「どうしたグレス!…な、なんだこれは…、顔がねえ…。血に似た塊だ…」
ゲルガーの顔が無い。
フードの中に隠されていた顔は、ただ無造作に形作られた緋い塊の何かだった。
申し訳程度に顔の部品が彫られているだけで、細工が全くなく、ただ穴が開いているだけだ。
ゲルガーと思われた物の真実を知り、硬直する2人。
嵌められた!と、グレスは心の中で頭を掻き毟るが、それをおくびに出さず、この場を離脱しようとする。
「ああ、助けに来てくれて嬉しいよ…、でも遅すぎたね…」
ゲルガーの人形の口が不気味に動き出し、さっきの片言のような声とは打って変わり、流暢に喋り出す。
「ああ、俺はこんな身体になってしまったよ。何も出来ない不自由な身体だ。ただ、主の命令をこなすだけの人形さ」
「おい!ゲルガー!お前なのか!?どうなってんのか説明しろ!!」
「ああ、ああ、俺はもう助からねえ。永遠に助けは来ない。ああ、ああ、ああ、俺もチェリルもダンソンも、全員じ、じ、地獄の住人だ」
バラトの問いに一切返事をせず、独白のように語り出すゲルガー人形。
流暢であった言葉がまた崩れ出し、喋れなくなって行く。
ボトリ。
ゲルガー人形の顔の一部が剥落して、醜い顔がより酷くなってしまった。
それでも気にせず、独白をし続けるゲルガー。
まるで神に償いを告白するかのように。助けを持たれる迷い子のように。
「ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、俺はどこで人生を間違えた、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、俺は、おれは、おれは、オレハ、オレじゃいられない。ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ」
「おい、助けに来たぞゲルガー!しっかり気を保て!俺らの顔が見えないのか!?」
「ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、何故オレタチだけなのか、何故貧困街の下っ端だけなんだ。それはあまりに理不尽だ。ああ、ああ、ああ、ああ、貧困街の住民はみんな平等だろう?ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、例外は、な、ななないないないないないない!」
「げ、ゲルガー?お前何を言って…?」
ずっとゲルガー人形は窪んだ穴の目で天井の一点をながめ、穴の口で話していたが、急にグリンッ!とグレスとバラトに視線を投げかける。
その穴の瞳は緋く、そして、深淵の闇を覗くようであった。
やはり、闇の中に広がるのは、人の死体が蠢き、苦しみの叫びを上げる、地獄のような光景だった。
その人の中にはゲルガーの死体らしきものもあり、今はピクリとも動いていない。
他方にはチェリルもダンソンもしたいの状態で、得られもしない安泰を願って、怨嗟の声を上げながら地獄を徘徊している。
「ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、グレス、バラト、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、あんたらもこ、ここ、ここ、こっち側にいるべきニンゲンだ、だ、だだ。お、お、俺が、迎え入れてやる、貧困街の住人はい、い、い、一心同体だ、だ、だろ?」
「やばいぞバラト!こいつは壊れてる!」
「逃げるぞ!」
「に、に、に、逃すもんか…。ひ、ひ、ひ、お前らは俺たちと同じ末路だ、だだ、だ」
2人は咄嗟にゲルガー人形から距離を取り、離脱しようとするが、遅すぎた。
ゲルガーの身体は風船のように膨らんでいき、フードがメリメリと布が裂ける音が響く。
ギリギリ身体の膨張を留めていたボタンが弾け飛び、辺りにヘドロが弾け飛ぶ。
グレスとバラトは横道に逃げようとしたが、ヘドロは2人を逃がすわけがなく、ベチャリと全身に余すことなく付着する。
装備していた防具は緋く染め上がり、顔面にもかかったその人相はゾンビとかわりなくなった。
「どわっ!?…うへえ、爆発と思ったらこれかよ、気持ち悪い」
「うっぷ…。腐敗臭と血の匂いが混ざったアレだ。いつものより100倍くせえ」
「何より爆発しなくてよかったな。まだ生きてるだけマシだ」
「ああそうだな。先に急ごう」
『そんな訳ないだろ、お前ら』
頭の奥の方で得体の知れない声が鳴り響く。
「「だ、誰だてめえ!?」」
グレスとバラトの頭、いむしろ心に向かって話しかけてくる謎の人物。
心の中を干渉され、不快に思う反面、驚きが隠せない2人は、咄嗟にその場を飛び去る。
『下にはいないよ。あとはお前らを残すのみだ』
「お前は誰だ!?」
『名乗る必要もない。ただ、喰われろ』
「顔を出せ!面と向かってぶっ殺してやるよ!!」
『お前らの言うことに従う道理はない。餌は餌らしく大人しく餌箱にはいってろ』
(くそっ!ラチがあかない!さっさと上は向かうぞ!)
(ああ!とにかくこの場は危険だ!さっさと離脱するべきだ!)
『逃げるな、そこにいとけ』
ゾクッッッッ!!!
((どうなってんだ!?))
小声で話し合うグレスとバラトを目敏く感知して忠告をする死神。
どこにもいない敵の声に怯えを隠せない2人。
汗が全身をべったりと濡らし、前髪が顔へと張り付く。
息も荒く、喉が渇き、両足がガクガクと震えだす。
『ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、さっさとこっちに来いよ。早く早く早く早く!ねえ、まだなの?まだなの?まだなの?まだなの?待ちくたびれたよ。早く早く早く早く早く早く早く』
「ゲルガー!黙れ!」
「やめてくれ!おかしくなってしまう!」
べっとりとついたゲルガーだったヘドロの一部が口の形をして、しきりに2人へとはやくこっちにこいと急かす。
バラトはヘドロを両手でゴシゴシと落とそうとするが、表面が少しだけ溢れるだけで、殆ど落ちてくれない。
『ねえ、痛いよ。俺が嫌なのか?いっしょにあっちへ行こうよ。まだなの?まだなの?まだなの?』
「黙れェェ!!!!!!!!!!!!!!」
バラトの怒鳴り声が地下迷宮内へと響き渡る。
ヘドロを剥がすことが不可能だと判断し、装備をこするのをやめる。
装備を眺めていた目を起こし、グレスに向き直ると、グレスの顔からは余裕がゴッソリと無くしており、ガタガタガタと歯を震わせていた。
「お、おい、グレス?大丈夫か?」
「駄目だ駄目だ、やめろやめろ、俺に話しかけるな、黙ってくれェ!」
「おい大丈夫か!?」
グレスの両肩を掴んで彼を思いっきり揺らすバラト。
頭を振り回されて、正気を戻したのかさっきよりは幾ばくかはマシな表情になるグレス。
「あ、ああ、すまん。俺の中に今もずっと貧困街の奴らが語りかけてくる…。や、やめろ、やめてくれ!黙ってくれェェ!、」
「おい!気をしっかり保て!さっさと離脱するぞ!」
グレスの右手を掴み、さっきまで投げ込もうとしていた横道に逃げ込むバラト。
(このままじゃまずい…!地上へ離脱しないと!)
『結局逃げるのか…。少し待たされるこっちの身にもなれ』
「うるせえ!話しかけてんじゃねえよ!!」
上へ、上へとグレスを連れて一心不乱走るバラト。
頭の中には敵の抹殺など微塵も思っていない、ただ、助かりたい、その一心で駆け上がる。
そして、今に至る。
正気をなんとか保ちつつ、なんとか振り返るグレスとバラト。
視線が横の壁を捉え、そして、闇が降りかかる道へと視線を向ける。
そこには、全身を地に似たようなヘドロに包まれ、片手には長剣を持ったハートの男が音もなく佇んでいた。
「「う、うわあああああああああ!!!!!」」
次は食事の時間です。
今回は料理の時間でした。