魔王クリステラ
「……、最近進みが遅い?」
ふわりふわり、と空中に指を指し小さく呟く。私の手足達から伝わる情報で、頭の中で地図を描く。やはり、侵食が遅い。この町にそんなに強い者がいただろうか? ……暫し、記憶を探るが思い当たらない。他の街から来たのかもしれないが……ふむ、様子見かな。
「クリステラ様」
ノックもせずに、部屋に入ってきたのは私の側近。私の一部でありながら、他のソレらと違い、感覚を共有していない。気付けば側にいた彼。
真っ白な髪に薄い水色の瞳は、全体的に黒くて赤い瞳をしているソレらとはまるで対照的。だけど、感覚は彼を私の一部だと強く認識している。私だけど私ではない彼が怖くもあり、だがそれ以上に私の心は彼を求めてやまない。
……ほら、今だって。
「どうしました?」
「何でもない」
不思議そうにこちらを見る側近にそう答え、無意識のうちに彼に伸びていた手を戻す。なおも不思議そうにしていたが、私が口を開かないことを分かると、側近は目の前のテーブルに紅茶を置き、向かいのソファーに座る。
今日も、美味しい。側近の淹れる紅茶かわ楽しみになったのは、いつからだっただろうか。……そもそも、側近はいつから私の側にいたのだっけ。最初のごはんを食べたしばらく後に生まれた子……だったような?
「何か気になることでもありましたか?」
「んー、まあそこまで重要じゃない、かな。そんなことより、えっと、オーガを派遣したところがあるでしょ? そこの進みが遅いような気がして。私も、何だか減っているみたいだし」
ごはんを食べれば、増えられる私でも、少なくなってくると、ごはんを仕留めることも難しくなってくる。そうなると、悪循環で私がどんどん消えていってしまう。消えるのは嫌だ。消えるのはダメだ。消えてしまっては……嫌な想像で怖くなって、自分の体を抱きしめる。
「大丈夫ですか?」
気付けば、側近が隣に座り心配そうにこちらを見ていた。
「……うん。大丈夫、だよ? でもちょっとの間、手を握っておいて欲しいかも……」
「クリステラ様のお望みとあらば」
側近はゆったりと微笑み、私の手をぎゅっと握る。繋がった手から体温が伝わってきてあったかい。えへへ、と思わず笑みが漏れた。
「それで、オーガが押し負けているという話でしたね。……どうやら、勇者が現れたようです」
「勇者って、あの?」
「はい。異世界から召喚され魔王を殺す、あの勇者です」
私が始まった時からある知識の一つ……勇者。魔王を殺し、人類を救う者。私が魔王として生まれた時から、それが来るのは決まっていて、その時が今。……ああ、いやだ。私は死にたくない。消えたくない。沢山の死骸を山積みにして、その上で生きていくのだ。それが私、魔王なのだから。
大丈夫。勇者に立ち向かい、勝利した魔王もいるのだ。私がそちら側に行けばいいだけのこと。
「そっか。勇者……なら対策を練らないと。つよーい子たちを送る? いや、でも万が一殺された時に、経験を積まれるのはだめ。でも他の子たちだと……」
うーん、と考えを廻らせる。勇者にはステータス、というものが存在して、強い魔物を倒すほど上がるらしい。それ故に、ジャイアントキリングを起こされた時が少し怖い。とはいえ、弱い子たちを向かわせても、無駄な死にしかならない。
「私が行きましょうか?」
「側近が? ……うん、そうだね。側近になら任せられる」
側近はいつも私のそばにいる故に、魔力の影響も一番受けている。なので、レベルが他の子達とは比べ物にならないほど高い。それは私に匹敵するほどに。だから、信じられる。側近なら勇者を殺してくれるだろう。
「ええと、回復魔法と剣と……」
自分の胸に手を突っ込み、中身を探る。……物理的な中身ではなく、私が今までに食べた人間の才能を、取り出そうとしているだけだ。確か、最初の頃に食べた中になかなか良い物があったはずだ。んー、と奥の方へと手を突っ込み、見つけた。
取り出すと、二つの光は私から逃げるように、すぐ側近の中に入り込んでしまった。いや、才能に心なんて無いはずだから、私の気のせいだろうけど。
「宝物庫の物は適当に持って行っていいから……死なないでね?」
側近を信用していない訳じゃないけど、ついそんな風に言ってしまう。
「大丈夫ですよ。私はクリステラ様の側近なのですから」
「うん……信じてる」
「では、行ってきます」
「いってらっしゃい」
側近の姿が掻き消え、遠くに魔力が移動したのを感じた。……出来るだけ早めに帰ってくるといいな。見えるはずもないのに、窓から外を覗いてそう思った。
「……うぅん? あれ? なんで、」
側近が勇者を殺しに行ってから、一週間ほど、嫌な感覚がして読んでいた本から顔を上げる。
「なんで側近の魔力が感じられない……?」
私は常に、魔物達と魔力の糸で繋がっている。だから、いつだって側近の無事を確認出来ていた……なのに、今は彼と繋がる魔力の糸がない。不安で不安で涙が溢れてくる。
「やだ。やだよ。側近がいなくなったら私……」
……私? その次に続く言葉は何だ? 魔物は私自身であって、側近だって同じ。そのはずなのに。ああ、きっと、私自身が削れるのが嫌なだけだ。そう結論付けて、私は涙を拭い立ち上がる。――それなら他の魔物が死んでいくことに、もっと心を動かさないとおかしい事に、気付かないまま。
「大丈夫、大丈夫。私の側近だから。きっと、結界の中に入っただけ」
そう自分に言い聞かせる。繋がる糸が無くなっても、死んでしまったとは限らない。私と繋がっていると、街の中で魔物だと気づかれてしまうから、意図的に切っている可能性もある。そう思えば、少しだけ落ち着いた。
それでも、本を読み続ける気にもなれずに本棚へとしまう。そして自分の部屋に戻ろうと、ドアへと足を向ける。そして一歩踏み出し――急に、足から力が抜け崩れ落ちた。
「ぁれ?」
おかしい。起き上がろうと机に手をかけても、上手く掴めずに立ち上がれない。魔力を練って、浮遊の魔法を掛けようとしても魔力を上手く練れない。
ブチンと何かが千切れる音が聞こえて、思わず辺りを見渡した。見渡して――これが、魔力の糸が千切れた音だと気付く。たくさんのワタシと繋がっている糸が、一瞬で途切れた。総数からすれば数割にしか過ぎないけれど、未だかつてない喪失感に、体が冷えていくのを感じる。
「い、やだ。わたしが、わたしがきえていく。やだよ。きえたくない。そっきん、たすけて……っ」
いやいやと首を横に降る。私が側にいて欲しいときは、いつだって側にいてくれた側近。彼がどこにもいない。……私が、送り出したせいだ。彼の無事を確認しなければと思うのに、消えてしまう恐怖で私は動けない。
「あ、ぅ」
こうやってグズグズとしているうちにも、私と魔物達を繋ぐ糸はどんどんと減っていく。彼らの死に際を確認してみても、相手はわからないままだ。……まるで、私が彼らの記憶を見れる事を知ってるかのように、皆背後からの攻撃でやられている。
内通者がいるということはない、はずだ。魔物達は我が子であり私。私に逆らう事なんてありえない。……ならば、何故? 答えの出ない問い。――そりゃあそうだ。答えから目をそらしてるのだから。
答えが分からなくても、私は対策しなければならない。ひどく時間をかけて魔力を練り上げ、魔物達に警戒を促した。
警戒を促してもなお、消えていく魔物達に怯える日々が続き――
私は玉座に座る。……勇者が近づいて来ている。戦いたくない、という意思は無視され、私という魔王は勇者を迎え撃つ準備をしている。……もうすでに、魔物達はごく僅かしか残っていない。森の奥で静かに暮らしている子達。その子たちから運ばれる少しの魔力で、私は最低限の存在が許されている。
……この城は、よく音が響く。ああ、勇者の足音が聞こえる。
「……あれが魔王、か?」
「勇者様、見た目に騙されてはいけません。魔王とはあのようななりでも、とんでもない能力を秘めているものですよ」
「でも、ちっちゃい女の子を倒すのはちょっと気が引けるかも……」
「確かにね。……でも両親の仇、取らせてもらうわよ」
玉座の間の扉を開け、入ってきたのは、勇者、魔法剣士、僧侶、魔法使いの四人。私を殺すであろう人たち。もう恐怖という感情が麻痺してきた私は、ぼんやりとその四人を眺める。
そんな私が気に触ったのか、魔法使いが放った魔法によって、戦いの火蓋が切って落とされた。
一方的な戦いだった。私が不利だという方に。ただでさえ数的不利な上、私はひどく弱体化している。必死に逃げているが、もうすぐに死んでしまうだろう。あちらのパーティも、困ったような表情を浮かべている。
「あっ」
魔法が足首に掠り、転ぶ。
「勇者様」
「……ああ」
「ころっ、ころさないで。やだ、やだやだやだ。お願いだからやめてよぉ……」
勇者が憐れみの表情を浮かべながら、聖剣を振りかぶる。私はそれを恐怖から目を離せずに見つめて――鮮血が飛び散り、私は真っ赤に染まる。勇者の、返り血で。
「……え?」
「クリステラ様」
勇者の後ろの魔法剣士の姿が瞬いたと思うと、そこには側近が立っていた。勇者を刺し貫いた剣の持ち手は、彼の右手が握っている。
何が何やら分からず、ぽかんと眺めていると側近は剣を引き抜き、私と同じように動揺していた魔法使いと僧侶の首を刎ねる。ぐしゃりと、死体になった三人が倒れる音が耳に響く。
そして側近は、私の前に立つと笑みを浮かべた。
「ご無事でしたか?」
「側近、こそ。私、側近が死んじゃったかもって心配で……他の子たちも消えていっちゃうし……」
「ご心配をおかけしました。でも、もう大丈夫です。勇者はもういません……私が、殺しました」
「そうだ! 何で側近が勇者の仲間になっていたの?」
ちらりと勇者の死体に目をやり、そういえばと側近に問いかける。魔王の本能として、勇者が息絶えているのが分かって、少しだけホッとした。……これでもう私は消えないで済む。
「勇者の力が想定より強かったため、油断させようと思いまして……うまく行ったとはいえ、クリステラ様を不安にさせてしまった事を、お詫び申し上げます」
「ううん、いいの。側近がそうした方がいいと思ったなら、きっとそれが正しかったんだよ」
確かに、側近が裏切ったのかと少し不安になったけど、私を助けてくれたという事実があるのだから、今更疑う事もない。
――安心したからか、とても眠くなってきた。目が霞んできて、瞬きが多くなる。
「お疲れのところに、無理をさせてしまいたね。ベッドまでお連れしましょう」
「う、ん。おねがい……」
「クリステラ様……。貴女をお慕いしております」
そう囁く側近の髪は黒く、瞳は真っ赤に染まっている。
「私を殺し、私の家族を殺したお方。とても憎くて、とても愛しい貴女が、大好きです」
「……私が勇者を支援し魔物を殺させたと、貴女が聞いたらどう思うのでしょうか。嫌うのでしょうか……私を嫌うことが、出来るのでしょうか」
「もう私しか頼る事は出来ません。残りの我が兄弟も、今頃毒によって死んでいるでしょう」
悪夢を見ているのか、額に汗を浮かべるクリステラの頭を撫でながら側近は、歪んだ笑みを浮かべる。
「貴女を追い詰めた私に頼るしかないクリステラ様。私は、そんな貴女をお慕いしております」
♦♢♦
私……僕は、昔冒険者をやっていたという父と母から生まれた、極めて普通の男の子だった。
とある村の近く、少し森に入ったところにある、小さな家。そこに僕達三人家族は暮らしていた。剣を我が身のように扱う父と、回復魔法の得意な母を、僕は尊敬していた。
ある日、僕は猫を拾った。真っ黒な毛並みに真っ赤な瞳。怪我をしているのか、か弱く鳴き声をあげこちらを見る姿に、僕は思わず抱いて家に帰った。……その子が災厄をもたらす存在だと知らぬまま。
母の回復魔法を受け、猫はすぐに元気になった。まるでお礼を言うように、僕に擦り付いてにゃあにゃあと鳴くから、僕が母に飼いたいというのは仕方ないことだったろう。そんな子供の我儘に、母はちゃんと世話をするのよと言い、猫は家族の一員となった。
それから、数年。父から狩りを教えてもらい、一人で行けるようになった頃。ソレは起こった。
いつものように森を歩き、弓矢で撃ち落とした鳥を拾ってそろそろ帰ろうかと、家の方を向いた時……煙が上がっているのが見えた。いつもなら、きっと母が料理でもしているだろうと、楽しみにしながら歩を進めるのに、その時だけは何故か嫌な予感がして、思わず駆け出す。
……僕が家についたのは、全てが終わった後だった。
まず目に入ったのは、崩れた家。あちこちに火が残り、森へと延焼しようとしている。……けれど、延焼に気付かないくらいに、僕はソレに目を奪われた。
ふわりふわりと、重力を無視して浮かぶ黒く長い髪に、血のように真っ赤な瞳。白い肌に飛び散った返り血でさえも……美しく見えた。ただそこに立っているだけなのに、後ずさりしたくなるような美しさ。それは一種の圧力となり、僕は目を離せないでいた。
「……おかえりなさい」
少女が小さく口を開く。その言葉は、母の死体を足蹴にしているとは思えないほどに、日常を思い出させるもので。父を今まさに、炎で焼き尽くそうとしているとは思えないほどに、優しげだった。
「ぐっ、逃げろ! こいつはっ……こいつは魔王だ!」
その叫び声で、目が覚める。僕は今まで何をしていた? 母の死体を踏みつけ、父を焼き尽くそうとしている少女にただいま、と返そうとしていた。……正気じゃあない。僕は少女に背を向け、走り出す。
苦しげに呻きながら父が言った言葉を思い出す。……魔王。人を滅ぼすための機械のようなものだ、とは酔った父が話していたこと。なぜそんな事を知っているのかと聞けば、昔勇者だったのだと答えられた。その時は、ただの冗談だと思っていたのだが、その後に見せられた剣技は素晴らしいもので。僕は勇者の子だったのか、などと思ったものだ。
その元勇者の父が、手も足も出ない。抵抗はしていたようだが、少女は気に止めた様子もなかった。……僕では勝てない。必死に足を動かし、少しでも家から離れ、森の中へと逃げ込む。記憶を頼りに見つけた洞窟へと駆け込み……足から力が抜けて、座り込んでしまう。
「は、ふっー」
思わず漏れた息に、慌てて両手で口を塞ぎ、荒れた呼吸をゆっくり、ゆっくりと深呼吸して整える。
落ち着いて、さっき起こった出来事を反芻して……涙が頬を伝う。これが僕の見る悪夢だったらいいのに、途中で引っ掛けて出来た傷の痛みが、僕のそんな現実逃避をゆるさない。
それでも、どんなに辛くても、僕は逃げなくてはならない。父に、逃げろと言われたのだ。逃げて……父の敵を取るための力を。決意を抱き、僕は洞窟から出――
「いただきます」
――最期に見えたのは、少女の真っ赤な瞳だった。