君はお嫁さん
梅雨明けが宣言された、ある火曜日。
テレビから聞こえる天気予報では、今夜は熱帯夜だと報じている。
「もー、ダメ。暑い、ムシムシする、何もする気にならない」
行儀が悪い、と怒られないのをいいことに、テーブルにグタリと上半身を伏せて愚痴をこぼす。
「夏美は夏生まれの癖に、暑さに弱いよね」
「夏生まれは暑さに強い、なんて誰が決めたのさ。おかしいでしょ、その理論」
苦笑しながら声をかけてきたのは、向かいに立っている彼氏の杉田 創。
週末でもないのに、彼がうちにいる理由…それは…
「ほら、ご飯出来たよ。冷める前に食べよう」
…そう、私は壊滅的な程に家事が出来ないのだ。
洗濯は洗濯機にまかせばいいのでなんとかなっているが、炊事に関しては一切ダメである。
包丁を握らせれば、何故か利き手である右手に傷を作り。
火を使わせれば、フライパンが焦げて使い物にならなくなる。
その為、食事はすべてスーパーの惣菜かコンビニのお世話になりっぱなし。
しかし、夏になった途端、私の食生活は変化する。
夏バテとも違うが、とにかく冷たいもの―ビールとアイスクリームである―以外を食べようという気にならないのだ。
その結果、夏が終わる頃には体重が大幅に減っている。
しかしそれは不健康なダイエット。肌も髪の毛もかなり影響を受けている。
指先が乾燥してささくれたり、おでこにニキビが出来ているのに頬や目元は乾燥してガサガサになったり。
若い頃なら気にならなかった不健康なダイエット、しかしお肌の曲がり角を意識しだす28ともなると…そのダメージは計り知れない。
今年こそは、なんとかしたいと思っていた。
ある日、彼に暑くてもご飯を食べる気になる方法はあるかと尋ねたところ、こんなことを言われた。
『誰かと一緒なら食べる気になるんじゃない?』と。
彼曰く、一人だから食べる気にならないんだ、誰かと一緒の食事なら食べることは出来る、と。
毎日誰かを誘って外食はなぁ…と渋い顔をしていると、更に一言。
『僕が作りに来るから、一緒に食べよう?』
いやいや、貴方も仕事があるだろうと断ったが、彼はしぶとかった。
断り続ける私になんだかんだと理由を述べ、最終的に自分の望む展開にもっていくあたり、流石営業マンと誉めるべきだろうか。
経緯はどうであれ、健康的な食生活を送れていることに、彼にはとても感謝している。
「今日は豆腐ハンバーグにしたよ。豆腐を多めにしたし、ソースをおろし醤油にしたからさっぱり食べられると思うんだけど」
「お、美味しそう。おろし醤油なら、確かにさっぱりだね。んー、いい香り」
真っ白い大根おろしと、添えられた青じその緑。
鮮やかで、視覚から食欲を刺激してくる感じだね。
手を合わせて、いただきます。
「ん〜、美味しい。創の作るご飯は、なんでも美味しいよね。これだけ料理が上手なら、いいお嫁さんになるんじゃない?」
冗談ぽく伝えると、何故か箸を止める創。
ん?お嫁さん発言は気に障ったかな?
でも、これまでも何回か言ったことあったよな…。
ぱちり、と箸を置いて、創が真面目な顔で話しかけてきた。
「…あのさ、夏美」
「は、はい。なんでしょう?」
思わず背筋を伸ばして返事をする私。
「これまでも何回か言われたけどさ。…それって僕をお嫁さんにもらってくれるってこと?」
「…ふぇっ!?」
いやいや、そんな深い意味なんてないんですけど!?
純粋にそう思っただけで!
アワアワする私を見て眉を下げる創は、うつむき加減で、小さく呟く。
「僕をお嫁さんにしてもいいと思ってくれてるんだと、思ってたのにな…」
「いや、あのね。創を嫁にするのが嫌とかじゃなくて…ええと」
「…じゃあ、僕をお嫁さんにしてくれる?」
なんで、こんな話の流れになってんの!?
ちょっ、誰か説明してー!
一人挙動不審な私に、向かいに座っている男はにっこり笑って……
「僕をお嫁さんにしてくれるよね?」
NOを言わせない、その無言の圧力。
はい、と返事をするしかなかった。
これって、プロポーズ…なんだよね?
何か間違ってる気がしないでもないけど…ま、いっか。
彼がいる、居心地のいい空間と美味しい食事。
今年の夏からは不健康なダイエットとお別れできそうです。
お読み下さり、ありがとうございました。