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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ワンライ詰め

作者: ミツ缶

フリーワンライお題

1「昔の約束」 

2「虫の音」「溶けた」「軍人」

に沿って書いた短文二編です。

人物に名前を使わないで書く、というのが自分の中のもう一つのテーマでした。

※2の方は本当に極軽い物ですがBL要素・グロ要素を匂わせる物がありますのでお気をつけ下さい。


【1:テーマ「昔の約束」】



 その日彼女は上機嫌だった。

 

「ねーえ、見てこれ!新しいドレスを仕立ててもらったのよ!似合うかしら?」


 ひらりと虚空を舞う、見るからに上等な生地の赤いドレス。

 白いテーブルの向かいで、青年はつまらなそうに肘を着いてちらりと視線を向けた。

 この部屋には何も無い。何も無いから見るモノが彼女しかないのだ。本当は見たくないのだが、致し方がない。


「ふーん……いいんじゃね?」


 ボリュームの有るドレスの裾を持ってくるくると楽しそうに身を翻す彼女は、現実世界から切り離されたように浮いていた。

――ああ、今日は外れの日だ。青年は大きな欠伸を一つして、ぼさぼさの頭を乱雑に掻く。

 ≪こりゃ長くなるかもしれない。≫

 飯食ってから来れば良かった、と後悔しても最早遅い。

 艶々とした光沢が美しい真白の絹には金の刺繍。赤い生地の下から川の様に流れて、無機質な床を覆う。

 見れば見る程呆れてしまう。彼女の家は確かにその昔、地元でも有名な富豪であったそうだが、後年には坂道を転がるように転落していったのだ。青年は見慣れたいつものドレスをまじまじと眺めつつ、溜息を一つ吐いた。

 ≪こんなにこだわるのは、……まあ、楽しかった思い出だからなんだろな≫

 気が遠くなる程の繊細な刺繍がふんわりと広がったスカート部の裾や、胸の丘陵をこれでもかという程豪奢に飾っている。赤い生地の下から帳のように流れ出る真白の絹には、到底庶民には手が出せないであろう贅沢な金の刺繍が盛り沢山だった。


「私ねぇ、昔から赤が大好きなのよ。赤に合わせるのは白い絹に……絹よ?その辺の人が着ている様な木綿の白布なんて真っ平なんだから!」

「……へーい……つか俺綿シャツなんだけど。」

「貴方は良いの。貴方は私の特別だもの。フフッ……それでね、……ええと、……あら、なんだったかしら……」


 広げられた裾がぱさりと落ちて、踊る彼女の動きがゆっくりと止まる。

≪ねえ、何だったかしら?≫と呆然とした面持ちで、彼女は項垂れている青年の方へと錆びた人形の如く鈍い動きで首を傾けた。

 天井の蛍光灯に照らされる濁った青い瞳からは、いつもの知性の色は欠片も見受けられなかった。


「赤いドレスが好き、白い絹が好きっつか絹じゃないと嫌、後は金の刺繍が堪らないんだろ?……ったく、耳にタコが出来るわ」

「違うわ!『赤いドレス』が好きなんじゃないもの、『赤』が好きなのよ!」

「どっちだって良いじゃねーか……」

「違うもの……だって、貴方が私に最初にくれたモノ、何か覚えてる?」


 皺なのか二重なのか判別が付かない瞼を持ち上げて、上目遣いに睨んできた。青年は一瞬難しい顔をした後≪しょーがねーなああ≫と呟いて席を立った。

 『彼女』は別に嫌いではない。しかし自身はこの小芝居が一番嫌なのだ。

 夢の中を行き続ける目の前の『彼女』。この『彼女』に会いに来たわけではない。

≪今日は外れの日。あーークソッタレ爺め、さっさと逝きやがって≫

 白いレースの裾から灰見える、痩せて骨と皮ばかりの手。

 皺の上には薄茶色の染みのような老斑がぽつぽつと散っていた。

 


「忘れる筈が無いだろう!麗しの君。君には真紅の薔薇が良く似合う。……だが薔薇には棘がある。美しい君の白い手を傷つける訳にはいかない。だから私は絹で茎を包んで一輪の薔薇を君に捧げたのだよ。そう、花弁の中にそっと金の指輪を含ませて……ね」

「ああ、貴方!そうよ、私、とても嬉しかったの!!ねえ、言って、その後に続くの、私達の――……」


 抱き締めてくる体は華奢で青年の胸の辺りにも届かないのに、その力は押し潰さんばかりに強かった。この骨ばった体の何処にこんな力があるものなのか。

 元は大層美しかったという金の巻き毛は、白茶けてぱさぱさと乾いていた。


「永遠に君を愛し、傍を離れないよ……――そう、死ですら私達を離す事など出来はしない」



 自身の芝居がかった口調に寒気がする。しかし腕の中で震える彼女を見て、青年は安堵の息を漏らした。

 見る間に『彼女』――祖母の瞳に、知性の光が戻ってくる。

 この儀式を終えなければ、敬愛する祖母は戻ってきてくれないのだ。昔の、華やかで愛する人が傍に居たあの時代から引き戻すのが、祖父の生き写しなどと親類から口々に言われる自身の役割だった。

 何も無い病室の中で、祖母はクローゼットに大事にしまわれた思い出の赤いドレスと、祖父との約束を身に纏う。


 

 遠い日の約束を、孫に押し付けた祖父を恨む。





【2:テーマ「虫の音」 「溶けた」 「軍人」】


 けたたましい蝉の声が脳内を支配する。


 所謂『蝉時雨』という奴だろうか。

 風物詩を美しい言葉に変換して楽しむような風流さなど、自身は欠片も持ち合わせては居ないが、成る程、確かに時雨と言われて違和感は無い。

 疎らに鳴き始めたかと思えば一斉にその声を響かせ、ややもすれば止まる。その繰り返しだ。煩わしさも急に降っては通り過ぎて行く時雨と変わらない。

 ざりざりと草履をだらしなく引き摺って、逃げ水だけが点在する故郷の砂地の上を行く。歩く小道の端には日の光を浴びて青々とその手を伸ばす丈の高い雑草と、やせ細った木が幾つか生えていた。

 鳥の巣と周囲から称される癖毛の先に、汗の玉が幾つも滑り落ちる。青白い顔をした青年の、真っ白な丸襟のシャツに黒い染みがじわじわと広がりつつあった。

 この季節の陽射しに一切の容赦は無い。

 大地に焼き写した様な樹木の黒い陰のコントラストは悪くは無いが、肺の奥まで侵す草花の青臭い匂いは青年の肋骨の浮いた胸を酷い気分にした。

 ≪……夏の熱気を孕んで噎せ返らんばかりのこの匂いが良いのだと、そう嘯いていた阿呆が居たな……≫

 青年の風が吹けば飛んでいってしまいそうな程細い体には、身に纏う白いシャツは余りに大きい。半袖は長袖の要領で二の腕まで滑り落ち、広がる襟は鳩尾近くまでその殆どを晒してしまっている。疎開先で着る物が何も無くて、体格が全く合わない友人が遺していった服を着用したのは良くなかったかも知れない。

 しかし傲慢ともいえる力強さを以って降り注ぐ黄金の陽射しは、不思議と彼の肌を赤く焼け爛れさせる事はなかった。


「やあ、約束通り来たね」


 見渡す限りの田畑と、その四方を走る小道と、後は何処までも広く深い色を写す蒼穹が有る。

 それ以外には何も無い。ただ、目の前を遠ざかり続ける逃げ水だけが在った。

 青年はふと足を止めて酷く苦しげに顔を顰めた後、両手で耳を塞いだ。

 蝉の鳴き声がどうにも煩かった。何なのだ。蝉がとまる様な樹木などこの田畑の小道には殆ど無いというのに。


 ≪……あれ?≫


 ふと道の端に生えていた筈の痩せ細った木を探せば、いつの間にかその姿は完全に消え失せていた。

 眩しい色彩で精一杯葉先を伸ばしていた草花が見る間に黒ずんで、炉にくべた様に塵となって霧散する。

 しかし噎せ返るような草花の臭いと、色の濃い木陰と、気が狂わんばかりの蝉時雨は相変わらず青年の弱った体を苛み続けた。

 何なのだろう。一体。

 耳元を押さえながら気を紛れさせようと空を見上げれば、遠くの山近くに見える綿を積み上げたような入道雲がゆっくりと流れていた。……あの雲は何処か気分を高揚とさせてくれる。

 入道雲の方が余程この季節に相応しい。あんな酷い臭いの何処が良いのだ、あの阿呆は。

 頑是無い子供の頃は、あの雲の上で大の字になって眠ってみたいと思っていたのだ。


「そう言ってくれるな。君も幼い頃は好きだったじゃないか……この季節は特に、暑い陽射しから守ってくれる森の中で共に遊んだ」


 逃げ水がそこかしこに広がっていく。

 やがてそれは一つの集合体となり、海となって蒼穹と共に眼前へ広がった。

 青年は流れ落ちる汗拭った。ぼんやりとした瞳が金の陽射しが照らし出す世界を見渡せば、周りの田畑はいつの間にか海の白い小波に消え、自身が歩む一本の小道だけがなみなみに水を注がれたコップの上に浮かぶ落ち葉の様に揺蕩っていた。


 ああ、蝉の声が。虫の声が煩い。

 もう止めてくれ。


「…………なんで海なんだ」

「故郷の森の中は共に遊び尽くしただろう。君は、海を見てみたいのだとよく言っていたから」

「だからといって田畑を潰すな。作物が育たなかったら皆が飢え死ぬだろうが」

「心配ないよ。此処の田畑はとうに焼け野原だ。他に誰もいないし、困る事は何も無い」


 ≪君も俺もこうして出会えたのなら、もう何も必要ないだろう?≫


 青年は痩せて落ち窪んだ胡乱な瞳を横に走らせた。

 肩先が触れんばかりの真隣に、いつの間にか所々焼け焦げた煤塗れの軍服を身に纏った青年が真っ直ぐに海だけを眺めていた。


「……色々な世界を見たよ。君が見たいと熱望した大海原も、故郷よりももっと濃い緑と土の臭いをさせた異国の島や、氷の粒が舞う極寒の大地も」


 覇気の有る声が、蝉時雨の中でも際立って強く耳に届く。

 痩せた青年は耳を押さえていた手を下ろして、小さく『そうか』とだけ答えた。


「だが、海も、大地も、森も、人も動物も、全て赤く染まっていった。」

「……そうか」

「虚しかったよ。……少し疲れたと思った時、俺も真っ赤に染まってしまった。油断したんだろうな。……君の事を考えていた」

「はあ?俺のせいかよ……知るか」

「君のせいだよ。故郷が焼かれて消える少し前に、君が遠く田舎の親類の所へ移ると手紙をくれたから……嬉しかったんだ。本当に」

「まあ……結果は同じだったがな」


 額の汗を拭った筈なのに、掌は真っ赤に染まっていた。

 汗だと思っていた雫は次第に秋の夕暮れ色に染まり、足元に真っ黒な水溜りを広げていく。隣の青年の軍靴の下も、真っ黒に染まっていた。

 水面が金の陽射しを浴びてゆらゆらと揺れる。

 これ程の大海原で、切望した小波の音は全く聞こえなかった。

 代わりにいつまでもけたたましい蝉の声と、隣の青年と息急き切って遊んだ幼い頃の、思い出の草花の青臭い香りだけがプンと強く香った。


「君は何時から草花の匂いが嫌いになった」

「……肺を悪くしてからだ」

「そうだろうか?必ず山や森の中の療養先を選んでいただろう」

「空気が良いからだ。それ以外に何も無い」

「この期に及んで。暫く会っていなかったが、全く君は変わっていないな」


 煤に塗れた精悍な顔に、呆れたような笑顔が浮かぶ。

 嘗て堂々たる体躯だった軍服の下は痩せて骨と皮ばかりになっていたが、それでも自身よりかはまだ筋の張った男らしさが残されていた。

 それが何故だか酷く青年の薄い胸を締め付て、気が付けば隣の男の腕を掴んでいた。まるで水を含ませた綿の様に、じわりと夕暮れ色が軍服から零れだして自身の手を染めたが、そんな事は最早どうでも良かった。

 降り注ぐ雨のように。あの海原を泳いだように。

 互いの体からは夕暮れの雫がぽたぽたと滴り続けた。


 遠かった。


「……お前が悪い」

「そうか」

「子供の頃からでかい図体しやがって。頑丈で、風邪の一つも患わない。ああ、これは馬鹿だからか。まあいい。――お前、俺より長く生きれただろうに」

「言いたい放題か。だが、まあ、そうだな」


 蝉の声がより一層酷く鳴り響く。


 今はもう焼け野原と化して消えてしまったこの場所で、この男と約束したのだ。

 噎せ返るような草花の匂いの中で、蝉時雨を浴びながら。

 もう、数年前の話になる。

 ……まだ、数年前でしかない。

 ≪君は変わっていないけれど、随分と変わった≫

 そう言って軍服の男は腕に縋る鳥の巣頭を、ふわりと胸に抱き込んだ。


「お前の好きなこの季節も、好きだと言っていた草花の匂いも、どれも嫌いだ。お前を思い出して煩わしい」

「そのシャツは俺の物だろう」

「知るか。着る物が何も無かったんだ」

「……誰も君に着る物も、食事も与えなかったな」

「糞の役にも立たん病人なんざ死人も同然の扱いさ。皆生きる事に必死だ……何だ、お前見ていたのか」

「見守るだけというのは拷問に等しいと初めて知った……歯痒かったよ」


 心底苦しそうな男の声が頭上で響く。

 硝煙の香りがする肩口に頭を預けたまま、痩せ細った青年は腕を掴んでいた手を放した。……正確には、しっかりと袖を掴んでいた筈の手が腕ごと落ちてしまったのだ。

 数時間前に爆風で吹き飛んだ腕は、乾いた砂地の上に嫌な音をたてて落ち、やがて小道の草木の様に呆気なく霧散する。

 その様をぼんやりと眺めながら、青年は軍服の胸に大穴が幾つも開いた青年の方へと寄り掛かった。胸の穴から見える海は何処か寂しげで、飲み込まれてしまいそうな心地になる。

 無くなった自身の腕の代わりに夕暮れ色に染まり切った軍服の腕が、青年の体をしっかりと抱き締めて支えてくれた。

 小波が細い小道をいよいよ浸食し始めて、足元から広がる黒い水溜りを洗い流していく。


「……だったら見てるなよ、鬱陶しいな。……ああ、だが見ていたのなら笑えただろう?必死に生き残ろうとする人々の足を引っ張るだけの俺が、死に様だけは国の為に命を散らしたお前と一緒だった。何の皮肉だか」


 長年蝕んでくれた腹立たしい病で死ぬよりかは個人的には数段ましだったが、と続けようとして青年は何も言えなくなってしまった。強引に上向かされて、鳥の巣頭がふわりと虚空を掻く。

 水面に映る影は一つに溶けて、他に何も写さない。

 暫くして、ぽつりと声が落とされた。


「……何故外に出たんだ。警報が鳴っていただろう」

「……鳴っていたか?覚えが無い」

「鳴っていたんだ。君は、突然ふらふらと壕の外へ出て……誰も、止めなかったが、俺は必死で叫んだのに、」

「聞こえないな、そんなの」

「苦しくても、あのまま生きて欲しかった」

「お前のそういう所が死ぬ程嫌いだ」


 夕暮れ色の雫以外に、ぽたりと落ちる透明な雫があった。

 どちらの物とも言えぬその雫は小波に落ちて、そこから見る間に小さな若木が芽吹いた。


「………………蝉の声が、聞こえた気がしたんだよ」

「…………」

「お前が最後に俺に会いに来た日は、凄まじい蝉時雨だったよな。あの頃はまだ家族も皆居て……俺も本当の意味で生きていた気がする。肺の具合もここまで酷くは無かったしな。良く遊んだこの故郷の田中の小道をお前とぶらぶら歩いて、何だかんだでまだ平和だった」

「…………あの日は、暑い日だったな」

「そうだ。馬鹿みたいに汗だくになったなぁ……次もまた、夏に此処で会おうと約束した」

「…………」

「いよいよ本格的に情勢が悪くなって、足手纏いの俺が此処を離れなくてはならなくなる年までは待って居たさ」


 ≪もう、海は止めろ。今更見慣れん物はいらん≫

 そう囁いて、俯きながらぽろぽろと涙を落とす男の坊主頭に自身の額を付けた。

 切れ長の涼しげな瞳を伏せて、長い睫の下から水晶のような水を次々と生み出す彼の姿は、煤と黒ずんだ血糊に塗れていても美しかった。

 そうだ、この幼馴染は昔から美しかった。その心も。


 一つの若木の下から、新しい木がもう一本生えてくる。


「栄養状態が悪くて、最近は耳もあまり聞こえていなかったが……今は真冬だというのに、今日の陽射しはあの日と同じ金の陽射しで……蝉の声まで聞こえたんだ」

「君は……」

「お前の言う警報は、俺には蝉の声だったんだよ」

「だから……飛び出たのか。あの爆発の中へ」

「――夏が遠かった。余りにも。もう待てなかった」


 気が付けば此処にいた。この故郷の地に。

 お前のように遠い異国の地で果てた訳でもないのに、何だか懐かしいな。


 強く抱き締めてくる目の前の体を抱き返したくても、両の腕がもう無かった。その代わり、足元から伸びてくる細い枝が軍服の背に強く巻き付く。

 自身の体をも巻き込んで、それは成長していった。


「泣くなよ、鬱陶しい」

「すまない…………本当は、少し、嬉しい。君が、今日、此処に来てくれた事が……約束を覚えていてくれた事が」

「謝るな。お前もずっと待って居てくれたんだろう……待たせたな。もう良い。十分さ」


 溺れそうなほど迫っていた海が見る間に引いて行き、元の田畑も小道も無く、ただの焼け野原だけがそこにあった。

 ひたすら土と瓦礫が目立つ平坦な地には、よく見れば所々小さな草木が芽吹いてる。

 風もないのにさわさわと揺れる新緑を見て、痩せこけた青年の顔に笑顔が戻った。ああ、笑う事など久しぶりだ。

 ――父と母、妹も。近所に住んでいた伯父も、工場へ労働しに行ったまま安否が不明だった友人も。

 小さな草木は懐かしい顔ぶればかりだった。皆も笑っている。

 お前も故郷へ帰ってきたのかと笑っている。


「……今其処で生えているのは、この冬を越して来年の春に芽吹く奴らだよ。俺達も、そうするか?」

「ああ。……聞く間でも無くそのつもりなんだろ?こんな木まで生やして」


 ずぶりと足元が沈んで、大地に体が溶けていく感触が伝わる。

 体は何処かに弾け飛んでしまったが、この心は故郷の土へ還るのだと思うと喜びだけが身の内に広がる。それも、この男が一緒だ。

 その気持ちは相手も同じらしく、輝くばかりの笑顔でその肌を硬い樹皮へと変えていく。

 互いを抱えたまま揃って溶けていく心地は、感じた事の無い安らぎだった。


「次も一緒だと思ったら嬉しくてね。君だって凄まじい枝だ……何の木になるのだろうか」

「知るか。草花でなくて良かった。すぐ枯れるか、毟られるか」

「大樹になると良いな」

「俺は食い物の木が良い。次に此処へ訪れる人が困らないだろう。……お前、蝉ばかり付けるなよ」

「さあ、それは解らないな」


 カチリ、と自身の肌も硬化して灰色の樹皮に変化していく。腕は太い幹に、髪は瑞々しい緑葉に。

 何れそうなるであろう姿に変化しながら目の前の幼馴染だったを男を見れば、薄っすらと笑みを浮かべたまま此方を見詰めていた。丈の合わないシャツも、煤塗れの軍服も突き破って、幹を伸ばす。

 ああ、もう首まで土に埋もれてしまう。

 しかし不思議と安らかな心地ばかりで、恐怖心は何も無かった。地上で目紛しい変化を遂げながらも、土の中では丸い殻に包まれた何らかの粒に全てが纏まって行くのが解る。

 言葉は要らなかった。互いを巻き込む枝が、幹が、全てを伝えてくれる。


――君の鳥の巣頭をもう拝めないのは残念だが、随分と立派な葉を付ける丈夫な木になる様で嬉しいよ。

喧しい。……お前は見るからに大樹になるな。蝉も、鳥の巣も付けられそうだ。

次は俺が鳥の巣頭か。それは良い。

……なあ、何だか眠い。

俺もだ……そうか、やっと眠れるんだな……。

……待たせてすまなかった。

今度は春に会おう。最後の約束だ。

ああ。楽しみだ。


 どちらからとも無く互いに笑い合って、瞳を閉じた。最後に見た幼馴染の顔はとても満たされた様子で、青年は安堵しながら眠りに身を任せ始める。

 次の約束は夏ほど遠くは無い。直ぐに果たされるだろう。


 あの日の蝉の声はいつの間にか消え去っていた。


 ≪……おやすみ≫

 ≪おやすみ。また、春に≫


 二本の木は見る間に消え去って、ただ焼け爛れた野だけが残される。


 遥かな蒼穹から夏の如き金の日差しが降り注いで、荒れた野をいつまでも包み込んでいた。


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