第08話 秘密の故郷 -前編-
レオニクル大陸の端に連なるアンバー山脈。
その山脈の裾に、人里から離れた小さな村があった。
レイチェルの故郷、エルカカ。
地図にも載らず、存在さえあまり知られていない隠れ里。
エルカカには、村人だけが知る一つの秘密があった。
その日は朝早くから村で騒ぎが起きていた。
外からのざわめきにレイチェルは目を覚ます。
「なに・・・?」
薄日の差し込む窓から顔を覗かせると何人かの村人達が村で一番大きな屋敷、このレイチェルの家に集まっていた。
部屋を出ると、丁度レイチェルの父親が廊下を走り彼女の部屋へと滑り込んできた。
30代前半ばだが、年の割りには若さの残るレイチェルの父親。若くしてエルカカの村を取り仕切る立場にあった。
「ど、どうしたの?お父さん??」
レイチェルの父は、喜び紅潮した顔でレイチェルに言う。
「聞け!!レイチェル、最後の"石"が見つかったぞ!!」
突然の報せに、未だに残る眠気も吹き飛んだ。
◆
ヘヴンガレット。
250年前、かつてこの世界に"魔物"と言う種が跋扈していた時代。
ある日突然歴史に現れたエレクトラという名の魔導師が、魔物を始めとした人と相容れぬ全ての異形を、たった一人で此処とは別の異世界、"レッドエデン"へと追放してしまったという言い伝えがある。ヘヴンガレッドとは、その魔導士が持つ杖に収まっていた魔導石の事だ。
しかし魔導師が魔物をこの世界から追放する時、"石"は彼の膨大な魔力に耐え切れず、7つに砕けて世界中に飛び散ってしまったのだという。
かくして世界から魔物という脅威が消え去り、そして新たな火種が生まれる。
人々は強大な力の宿る"石"の欠片を探し求めたのだ。そして、欲望と力を持つ者達の間で、争いが起きる。そして今も何処かで"石"を巡る争いは続いているのだという。
ここまでが、この世界に住む者であれば誰もが知っている、大魔導師エレクトラのおとぎ話だ。様々な伝説や、地方によってあらましの違う言い伝えがあったりと揺らぎの多い話であるが、大筋は変らない。
250年前の出来事は、おとぎ話と呼ぶ程昔の出来事かと言えば意見が分かれる所であろうが、この世界で活版印刷が発明されたのはほんの数十年前の事である。それ以前の史実は口伝や手書きの書物、さらにそれを写した写本など、今の時代から見るととても信頼の置けないあやふやな物だった。
だからこの世界では、250年前の出来事も現実味の無い遠い時代のおとぎ話として映るのである。
そして、ここからがエレクトラに連なる者達しか知らない、隠された歴史。
世界を救った代わりに、新たな争いの火種を生み出してしまったレクトラは、当の本人も砕けた石を集める旅に出たものの、残りの生涯全てを費やしても、たった一つの欠片を見付けただけでこの世を去ってしまった。
やがてその志はエレクトラの子供と、仲間達へと引き継がれてゆく。
いつしか彼らは人里離れた地に旅の拠点を作り、今も彼の意思を継ぎ"石"の欠片を探し続けているのだ。その使命を背負った者の子孫が、今のエルカカに住む村人達である。
そして、この村の族長であるレイチェルの父は、大魔導士エレクトラの直系の子孫であった。
無論その娘であるレイチェルも、その大魔導師の血を継いでいる。
◆
そして今日。
ついに7つ目の石、最後のヘヴンガレットが見つかったのだ。
5つ目の石が見つかったのが7年前であり6つ目の石が見つかったのは2年半前である。250年続くエルカカの歴史に無い、立て続けの発見だった。
レイチェルの家の大広間に、十人程の村人達が集まっていた。エルカカの民の多くは世界中に散って石の手掛かりを探して旅をし、数年に一度、村に様々な情報を持ち帰る。ここに居るのはそんな旅人達を束ねる村のグループリーダー的な面々だ。彼らが囲んでいる机には、けさ旅から戻った仲間が持ち帰ったヘヴンガレットの最後の欠片が置かれていた。
「間違いない・・・本当に最後の石だ・・・」
男の一人が、感慨深く言った。
「250年も続いた我々の役目も、これで終わりか。
何か寂しいものだの・・・」
ぎらぎらと強烈な魔力を放つ石を眺め、村人たちは感慨にふける。250年間、村人全員で背負ってきた役目が遂に終わるのだ。この出来事に何も感じないエルカカの民はいないだろう。
「何を言ってるんですか。
これから最後の大仕事が始まるじゃないですか」
レイチェルの父が明るく、それでもどこか神妙な口調で皆に話す。
「すぐにでも石を封印する為に旅立とうと思います。
レインバークさん、ヴィッツさん、ご一緒願いますか?」
今まで集められた石は、代々の族長のみが知るという秘密の場所に安置されている。
エルカカの民の目的である、ヘヴンガレットの完全な封印は、石の欠片が全て揃った時でなれれば不可能だと伝えられているからだ。現に、これまでにも様々な方法で石を破壊しようとしたが、欠片を破壊する事も、封印する事も、いまだかつて出来た者はいない。
全ての石が集まった時、その力を使って、250年前エレクトラがそうしたように此処とは別の世界、"レッドエデン"へとヘヴンガレッドを放逐するのである。
「では、そうですね・・・明後日には出発しようと思います。
順調に行けば、1ヶ月程で帰って来れる程でしょう。
ですが・・・」
族長はここで言葉を切ると、
「石を持ち帰った仲間によると、石を狙う勢力と争ったといいます。魔導師ではなく、近代的な武器を持つ一団だったそうです。
追撃を完全に振り切って村へ戻ったらしいですが・・・用心するに越した事はありません。戦える用意はしておいてください」
珍しい事では無かった。
ヘヴンガレッドの存在は、一般ではただの伝承、おとぎ話として捉えられている。だが"石"の実在を確信し、そのおとぎ話を信じる者がいるのだ。幾度と無くエルカカの民は"石"を求める勢力と戦ってきた。
"石"の価値は世界情勢をも動かす力を持がある。それは過去の"石"の争奪戦で証明済みだった。
例えば、7年半前に見つかった5つ目の石。それは、これまで10年以上続いた世界大戦の意味を覆し、戦争の目的が領地の奪い合いから、"石"の奪い合いへと変わった。
この時は多くの犠牲を払いつつも、争奪戦はエルカカの民が勝利する事となる。
そして2年半前に見つかった、6つ目の"石"。
この戦いの結末は、最終的に20年間続いた戦争の終結へと繋がった。
いずれの戦いも石の存在は最後まで公になることは無く、全ての戦火は侵略戦争の形で街を焼いた。
歴史の真実を知るのは、エルカカの民を初めとした、"石"に直接関わった僅かな者達だけだった。
戦争が終結を迎えてからまだ一年余り。
今回発見されたこの石が、再び戦争を引き起こす引き金になりうるのだ。
かつての争奪戦の激しさは、未だ記憶に新しい。
発見された石に対するエルカカの民達の眼差しは厳しく、また畏怖の念が込められていた。
◆
その夜、レイチェルは父親に改めて石を見せて貰った。
とはいえ、石は昼間見た、紅い歪な石の欠片ではなく、丸く黒い宝玉へ姿を変えていた。そのままでは石から放たれる魔力が強過ぎて、魔力に敏感な魔導士ならば離れていてもその異質な存在ら、この力を世界の発に気付いてしまうのだ。
その強過ぎる魔力を隠す為、魔力を遮断する黒オニキスへ石を閉じ込めるのだ。これはエルカカが昔から石を隠す為に使ってきた技法である。
「こうしてみると、とても世界中が狙ってる宝にはみえないね・・・」
「こら。宝なんて軽い言葉で呼ぶなよ」
何気ないレイチェルの呟きを父親はとがめた。
「無限の魔力増幅器、願いを叶える紅い石、永久機関、ブラッディ・ティアーズ、災いの血晶・・・
まぁ色々言われてるけど、お前の言う通りだな。欲を持つ人間からしたら、これはただ金と力と権力を生み出す為のものでしかない」
レイチェルの感想に同調してしまう父親。
「世が世なら、この力を世界の発展に役立てる事が出来たんだろうが・・・
残念ながら今の世の中では争いの種にしかならない。勿体無い話だ。
我々が出来るのは、争いの種を封印し、秩序を取り戻す事だけだ」
レイチェルの父は、石を弄びながら自嘲気味に語った。
「これからエルカカはどうなるのかな・・・?」
レイチェルは少し心配した素振りで父親に問いかける。
「私達は今まで一つの事を目的に生きてきたのに、その目的が無くなってしまうんだもの。どうすればいいか分からなくなる気がするの」
その言葉に少し呆けた顔で父親が問いかける。
「お前は石を探す事が人生の一番の目的なのか?」
「それは・・・エルカカの人なら皆そうじゃないの?」
はあぁ、と溜息をつく父親。
「レイチェル、お前は真面目過ぎる。エルカカの民である前に、お前は一人の女の子なんだ。
そんな古臭い考えをしているようじゃ老けるぞ」
一族の長が、一族の存在意義を全否定してしまった。レイチェルの目が思わず点になる。
レイチェルの父親は突飛な考えを持つ人間だ。型に囚われず、自分の意思を真っ直ぐに通す。その歪みの無い意思と、人を惹きつけるカリスマを認められ、若くしてエルカカの民を束ねる任を任されているが、彼は歴代の族長に比べると一族の使命を軽く見ているきらいがある。
「あ、お前、父さんの事を族長失格だ、とか思っただろう」
「少し思った」
笑いながら答えた。
「父さんだって、エルカカの族長である前に、お前の父親だ。一族の宿命なんかより、お前の幸せの方が大事だと思ってるんだぞ」
「やめてよ、どさくさに紛れてそういう事いうの」
照れるように、はにかむようにして、レイチェルは父から目を逸らす。
「お前も一族の定めに囚われず、自分の夢を持て、と言ってるんだ。
何かないのか??」
「あたしの、夢?」
もちろんレイチェルにもやってみたい事は沢山あった。
でも、まずやりたい事は既に決まっていた。
「村を出る事かしら。私生まれてからずーっとこの土地を離れた事がないもの。
外の世界を知りたいわ」
「ははっ、また無欲な夢だなっ」
「こんな狭い世界に居たんじゃ、どんな物が欲かのかも分からないわ」
「・・・そうかもな」
村では女は17歳になるまで旅立ちは認められないのだ。古い風習だが、レイチェルにとってはそれが当たり前であった。
「そうか、レイチェルも来月で17歳なんだなぁ」
「なによ、いきなり??」
「石を探す旅は必要無くなったが、父さんが旅から戻ったらいろんな国に連れて行ってやろうか?」
「嫌よ、父親同伴の旅なんて。私は自分の力で世界を見てまわりたいのっ」
「はは、もう子供じゃないんだもんなぁ・・・」
どことなく寂しそうに頭を掻く。
「さて、と。明日も忙しくなるな。父さんはもう寝るぞ」
石を箱にしまい、膝を叩いて椅子から立ち上がる。
「おやすみ。あたしは食器洗ってから寝るね」
「あぁ、おやすみ」
居間からレイチェルの父は立ち去り、レイチェルは台所に置いてある食器を片付け始める。
一人で食器を洗っていると、ぽっかりと心に穴が空いているのに気が付いた。
レイチェルは、石を探す旅に出る事を楽しみにしていたかもしれない。別に石を探すという目的が失われても、旅に出る事は出来るのだが、旅の目的を失った事で旅に出る意義が無くなってしまうような気がした。旅に出る必要が無くなった事で、ひょっとしたら、これまで間続いてきたこの狭い村での生活が、これからもずっと続くかもしれないと思うと、途端に心細くなった。
17年間持ち続けた目標を見失い、これからの自分がどうなるか分からなくなったレイチェルは、自分でも良く分からない不安に囚われていた。
「なんだか・・・」
「ひゃっ!!」
突如背後から声を掛けられ、飛び上がるレイチェル。
「お、お父さん、何よ、まだいたの!?」
「居ちゃいけないのか?一家の主が我が家に」
まだ心臓がバクバクしている。思わずしゃがみこんでしまったレイチェル。
「いきなり声かけないでよね。で、何か用?」
レイチェルの父親は頬を掻きながら、
「いや、食器洗ってるお前の後姿が母さんそっくりに見えてな。思わず・・・」
「・・・はぁ・・・」
どんな顔をすれば分からず、曖昧な反応しかできなかった。
「母さんも村のさだめには真剣に尽くしてきた。
父さんの手で、最後の石の封印ができれば、母さんも喜んでくれるかな・・?」
レイチェルの父にしてはらしくもない、独り言のように、寂しげに呟いた。
「・・・きっと喜んでくれると思うけど、そのせいで父さんが怪我をしたりすと母さんは悲しむんじゃないかな?
無理はしないでね」
「ははっ、母さんみたいな事を言うようになったんだな。ありがとう」
レイチェルの母親は、7年前の"石"をめぐる戦いで命を落としている。
村の中でも勇敢で、力を持った魔導士であったが、村に攻め入った軍隊の持つ銃器の前に何人もの仲間と共に敗れたのだ。
かつては力の象徴とされてきた魔導だったが、近年では銃火器等の近代兵器にその座を奪われようとしていた。村人の殆どが魔導の才能があるエルカカでも、近代兵器の出現した7年前の戦争では多大な犠牲がでてしまった。
このまま時代が流れれば、エルカカの持つ力は確実に時代遅れの長物となってしまう。だからできるだけ早く、エルカカの民が縛られるさだめを終わらせなくてはならないのだ。
戦いを、終わらせなくてはならないのだ。
◆
その夜、レイチェルは夢を見た。
見ていたのは7年前の、村に軍隊が攻め込んだ日の夢。
ずっと昔に心の奥底に封印した光景を、久しぶりに見る事になってしまった。
全身にびっしょりと汗をかき、意識が覚醒する。
暗い部屋の中、半身を起こし頭を抱えて震えた。
抉られたように胸が痛んだ。
まだ悪夢の中にいるようだ。
そして別の不安が頭をよぎる。
レイチェルは予知夢を見る事があった。
少なくとも、何かの悪い予兆を夢で感じ取る事が多いのだ。
ならば今の悪夢は・・・?
ごおおぉぉ おぉぉ ぉん・・・・
村の外で、低く唸るような轟音が響いた。
夢を見た恐怖で体は動かなくなっていたので、視線だけを窓の外に向ける。
見えたのは白く輝く幾つもの照明弾の光と、夜空を焦がす火柱。
7年前の幼い日の夜に見た光景と、良く似ていた。
そしてレイチェルの悪夢が始まる。