第07話 始まりのおわり
すっかり日も暮れた頃、トキとチャイム、レイチェルはエアニスの家に着いた。
「よぅ、遅かったな」
「全く何事も無かったかのような雰囲気ですね・・・」
既に家に戻っていたエアニスが、グラスを片手にラフな格好で疲れきった三人を優雅に出迎えたのだった。
チャイムとレイチェルがリビングに通されると、キッチンからはシチューの香りが漂っていた。
「ちょっと待ってろ、帰りに街で食えそうな物みつくろってきたんだ」
料理中だったらしく、エアニスはキッチンへ戻っていこうとする。が、そこで眉をひそめ3人に振り返った。
「・・・なんか臭わねぇか?」
居心地悪そうに部屋を見回していたチャイムとレイチェルがギクリと表情を強張らせる。
「えぇ、追っ手の目を避けるために地下水道を通ってきので・・・そのせいですね」
トキが簡単に事情を説明した。
水路と言っても、ミルフィストはそこそこの都会である。あまり水がきれいでもないし、生活排水だって流れている。トキは水路に群がるネズミやごきぶりに大騒ぎするチャイムとレイチェルを連れて街の外まで逃げのびたのだ。
刺客の相手をするよりも、二人を街の外までエスコートする方が苦労したと思うトキだった。
「汚ねーな。風呂も沸いてるから先に入って来いよ」
至り尽くせりである。
常識離れした強さを見せたかと思うと、今度はやけに家庭的な一面を見せて来た。街に住み生活する人間なのだから当然の側面なのだが。一体この男のギャップの激しさは何なのだろう。そう思うチャイムとレイチェルだった。
「そーだな。着替えが一番困るな。
俺やトキの服なら洗濯したのがいくらでもあるから、適当なのを・・・」
「エアニス」
チャイムが言葉を遮る。
「なんだ?」
エアニスはとぼけた仕草でチャイムに振り返った。
「あの剣士とは、どうなったの?」
「あぁ、あいつね、」
肩をすくめ溜息をつく。
「悪ぃ。逃げられちまった。あいつ、魔導士だったわ。
建物ごと潰されて、俺が瓦礫に埋まってるうちにどっかに消えちまった」
「瓦礫に埋まったって・・・! 怪我は!?」
「痛かったけど大した事無いよ」
ヒラヒラと手を振り答えるエアニス。確かに彼の体に怪我らしい怪我は見当たらない。多少の擦り傷くらいあってもよさそうなものだが。
「エアニスさん、トキさん。本当にすいませんでした」
突然レイチェルが改まって頭を下げる。
「全く見ず知らずの方をこんな危険な事に巻きこんでしまって、その、私・・・」
「あー分かった分かった。話は後で聞いてやるから、さっさと風呂入って来い。
いつまでも臭う服で部屋に居られると迷惑なんだよ」
手近にあったホウキで三人を突っつきながら廊下へ追い出すエアニス。
「あっ、え、でも、ちゃんとお礼を言いたくて・・・」
「別に話は明日でもできるだろ?
今日は早く休め。ここに居る以上、ある程度の身の安全は保障してやるからさ」
「・・・はい」
ぶっきらぼうな言い方だが、心苦しいほどの優しさを感じた。
その心遣いに、レイチェルは大人しく頷く。
「ん。じゃ、トキ、適当に案内してやってくれ。部屋は上の空き部屋使えばいい」
「わかりました」
リビングの戸を閉め、トキは二人を促した。
「レイチェルさん、駄目ですよ」
トキはレイチェルの顔を覗きこみ、指を立てながら言った。
「え・・・??」
「エアニスはテレ屋さんですからね、面と向かって礼を言われるのがダメなんですよ。
すぐにああやって話をはぐらかそうと・・・」
がぉん!!
突然飛んできたナベがトキの頭に直撃した。
「余計な事言うな馬鹿!!!」
いつの間にかリビングのドアからエアニスが顔を覗かせている。
「相変わらずの地獄耳ですね・・・」
頭に被さったナベをエアニスに返しながら呟く。不機嫌そうにナベをひったくり、ぶつけてへこんだ部分を気にしながらエアニスはキッチンへ戻っていった。
「あんたたち、いいコンビだわ・・・」
小さく笑い出すチャイムとレイチェル。それにつられて、トキも笑った。
エアニスとトキと一緒にいると、どんな状況下でも空気が緩んでしまうようだ。
その後、チャイムとレイチェルは浴室から出ると、髪も乾かさず倒れ込むように眠ってしまった。朝から色々な事があって疲れきっていたのだ。見ず知らずの男の家に転がり込んでしまった訳だが、二人は久し振りに安心して眠る事ができた。
「・・・で、結局またお前と二人きりの夕食かよ・・・」
「はて? 何か不満ですか? 何も変らない、いつも通りの事じゃないですか。
美味しいですね、今日の料理。」
「・・・いい、何でもない」
エアニスは自分の作ったスープを飲む。我ながら絶品だった。気張って作ったのだからこのくらいの味は出ていないと困る。
立場的な事を考えれば彼女達にここまでする筋合いなど無いのだが、ここ暫く人との関わりを断って暮らし、人恋しくなっていたエアニスにとっては、今日の晩餐は楽しみにしていたイベントだったのだ。
基本的に人間嫌いなエアニスだが、本当の孤独を望んでいる訳でもない。その辺りの心理は自分でも良く分らない程に複雑なのだが、ともあれ。期待していた久しぶりの賑やかな食事は、明日以降に持ち越しとなった事にエアニスは肩を落とすのだった。
◆
いつもと少しだけ違う夜が明けた。
今日一日大学の講義が無いトキは、朝から溜まっていた洗濯物を干している。エアニスは朝食を食べると剣を片手にふらりとどこかへ消えてしまった。昨日転がり込んできた少女達はまだ寝ているようだ。起こす理由もないので、トキはそのままにしている。
全ての洗濯物を干し終え、トキはベンチ代わりの切り株に腰を掛けた。
少しだけ肌寒い風が木々を揺らし、木の葉が舞い散る。
山奥の秋をを感じさせる日であった。
「暇ですねぇ・・・」
大学の講義も無いし、街に散歩に出ようにも物騒な連中に狙われている少女達から離れる訳にもいかない。洗濯や掃除など溜まった家事を全て片付け、やる事が無くなってしまったのは昼少し前の事だった。
「おはよ」
不意に掛けられた挨拶に顔を上げると、チャイムとレイチェルがドアから顔を出していた。
「あぁ、おはようございます」
「すいません、寝坊してしまったみたいで・・・ご迷惑でした?」
やはり申し訳無さそうに謝るレイチェル。どうにも彼女は腰が低く、トキは接し辛い。自分の言葉遣いも人の事は言えないのだが。
「まさか、でも、丁度一人で退屈していた所ですよ」
ぱたぱた手を振り、愛想良く答えるトキ。
「ねぇ、トキ。えっと、その・・・」
チャイムが歯切れの悪い口調でトキの名を呼ぶ。
はっきりした性格の彼女にしては妙な物言いだった。
「なんですか?」
「えーっと・・・わ、私たちの服ってどこに行ったか知らない・・・?」
チャイムとレイチェルは、昨晩トキに渡されたサイズの合わない厚手の貫頭衣類とズボンを着ていた。自分の服は脱衣所で脱いだ後、放りっぱなしにしたままで眠ってしまったのだ。朝起きて服を回収に行くと、脱衣所に自分達の服は無くなっていた。
「あぁ、それでしたら・・・」
トキが家とは逆の方向に視線を向ける。すると木立に掛けられたロープに、チャイムのマントやら上着やらスカートやら下着やら下着やら下着やらが綺麗に洗濯されて、ぱたぱたと風になびいていた。
「洗濯物溜まってたんで、一緒に洗っておきましたよ」
ニコニコさらりと答え、トキがチャイムの方へ視線を戻すと、チャイムは洗濯物を見つめたまま、ひきつった顔でトキを睨みつけていた。
奇妙なチャイムの表情に首を傾げるトキだったが、すぐに思いついたかのように手を叩く。
「心配しないでください、下着の方は洗濯機で洗うと痛みそうだったので、ちゃんと手洗いしておきましたので」
「そぉいう事を言いたいんじゃないわぁっ!!!!」
ガスッ!!
チャイムが放った渾身の右ストレートはトキの左顎を捕らえ彼を大地に沈めた。
「あんた、なんっつーデリカシーの無い事すんのよっ!!この変態!!エロメガネ!!!」
「あぁ、すみません。このメガネは伊達なんですよ」
「だから聞いてないそんな事ッ!!!」
顎への一撃が効いてガクガクと膝を震わせるトキの脳天に、チョップの追い討ちがかかる。
「い、いいじゃない、何でそんなに怒るのよチャイム?
トキさんがせっかく洗濯してくれたのに、ひどいわよ・・・」
トキを助け起こしながら、心底不思議そうにレイチェルは抗議する。世間知らずなレイチェルには、見ず知らずの男に下着を洗われるという事に抵抗が無いらしい。
「あ、あんたも、もー少し恥じらいっていうものを・・・
いや、も・・・、もういいや・・・」
朝なのにどっと疲れが出てきて腰を下ろす。
駄目だ。この二人天然だ。
チャイムがうなだれていると、後ろには笑みを噛み殺しているエアニスが居た。
「あんた、いままでどこにいたのよ・・・?」
「朝の散歩だ」
そう言いながら煙草に火を付けた。エアニスの腰にはちゃっかり剣がぶら下がっている。散歩に行く恰好には見えなかった。
「まぁ、大目に見てくれよ。トキも悪気や下心があるっていう訳じゃないからさ」
トキの肩に腕を回し、彼の頭をポンポン叩きながら言う。
チャイムは真っ白な目でトキを見やり、どうだか・・・と呟く。エアニスはトキに向き直ると、
「お前、チャイムに何で殴られたか分かるか?」
「右ストレートですか?」
「違う! そういう質問じゃない。
"なんでチャイムを怒らせたか分かるか?"って聞いてるんだ」
トキは困り果てた顔で考えて、
「・・・分かりません」
「って事だ。許してやれ。
こいつは他人の下着を触る事が相手にどう思われるのか分からないんだ」
「どういう教育受ければそうなるのよ・・・」
「一流の英才教育だな」
「?なにそれ・・・」
エアニスの言葉の意味を追求せず、チャイムは話を切り上げて腰をあげた。
「メシ食ったか? 昨日作ったシチュー、一晩寝かせた分いい味でてるぞ」
「あ、うん、ありがとう。頂くわ」
その言葉を聞くと途端に空腹感が沸いてきた。チャイムもレイチェルも、昨日の昼から何も食べていなかった。
「わかった。キッチン来い、手伝え」
「あ、私達がやります。エアニスさんたちは休んでいてください」
「そうか? 悪いな」
エアニス、レイチェル、チャイムに続き、一体何が悪かったのか、何を反省すればいいのか分らないトキが肩を落として家の中へと入っていった。
◆
朝食とも昼食とも呼べない食事を終えトキが淹れた紅茶を飲んでいると、レイチェルが話を切り出した。
「エアニスさんとトキさんは、今日何か予定はあるんですか?」
「ん、別に?」
「僕も大学の講義は今日ないので暇ですよ?」
二人の返事を聞くと、レイチェルはカップを置いて居住まいを正す。
「少し長くなりますが・・・お話を聞いてもらえないでしょうか?」
「・・・」
レイチェルの硬い声に顔を見合わせるエアニスとトキ。
「今更、だよなぁ・・・」
「ですよねぇ・・・」
どばんっ!!
「茶化さないでちゃんと聞いてあげなさいよっ!!」
机を叩いて怒るチャイムに二人は慌てて姿勢を正してレイチェルに向き合った。
「っても、大体見当は付いてるんだけどな」
吸っていた煙草を灰皿に押し付け、やっと真面目な表情になるエアニス。
「昨晩、トキからも少し話を聞いた。奴らの狙いは、あんたのその黒い首飾り。
・・・それ、"石"、なんだって?」
「え! はぁ、そう、石・・・なんですけど・・・え?」
明らかに動揺して言葉に詰まるレイチェル。"石"という言葉が持つ意味は、彼女にとって複雑なものであり、エアニスがどちらの意味合いでその言葉を使ったのか分からずに戸惑ってしまったのだ。
「魔導をやってる奴や、裏社会の奴は、"石"って呼んでるんだよな、ソレ」
レイチェルの胸元にかかった黒い首飾りを指差し、落ち着いた口調で言う。
「その黒い石の中に閉じ込められたもう一つの "石" が狙われてるんだろ?」
エアニスの言葉に固まってしまうレイチェル。
「なんで・・・そんな事まで・・・?」
知っているのだろう。
レイチェルの目が不思議そう、というより疑惑に満ちた視線に変わった。随分と詳しい事を言い当てられたので、驚きよりも、エアニスたちが自分達を狙う組織と繋がりがあるのではないか思ってしまったのだ。
「お前らが無知なんだろ。
それと、これは推測なんだけど、レイチェル」
「は、はい」
「エルカカの出身か?」
「!!!」
エアニスの質問に対し、両の手を口元に当て言葉を失うレイチェル。その肯定の仕草にエアニスは左手を頭に当てて溜息をつく。目の前に現れた運命の悪戯を、様々な思いを胸に睨め付ける。
「・・・やっぱりな。エルカカの連中は、"石"をブラックオニキスに閉じ込めてその力を封印、石の力を隠蔽する方法を取っていた。もしかして、と思ったんだけど」
「エアニスさん、あなた一体・・・」
「大したことじゃ無い。昔、旅の途中にお前の村で世話になったんだ。2年と半年くらい前の事か。
お宅の族長にも会った事あるぜ」
「お父さんと!?」
その言葉に今度はエアニスがが驚き、腰を浮かす。
「あんた、シャノンの・・・あのおっさんの娘か?
はぁ・・じゃああの時、俺達会ってたのかもしれないなー・・・」
これは予想外だった。エアニスはつい話から脱線してしみじみと世間の狭さを実感していた。
「元気か、あんたの親父さん?」
だがその問い掛けに、レイチェルは答える事が出来なかった。
少しだけ視線を伏せ、次の言葉を上手く紡げずにいるようだ。
「・・え・・・・?」
良くない事を聞いてしまった気がした。エアニスも同じ様に言葉に詰まってしまう。
「あのー・・・」
長く落ちた沈黙にトキが割り込んだ。
「石の話は僕も予感していました。でも、そのエルカカって所から僕には話が全然見えてこないんですけど・・」
小さく深呼吸をして、レイチェルが再び硬い口調で話しを続けた。
「そうですね、では、最初に私の生まれた村の話から始めさせてください」
そしてレイチェルはエアニス達に事情の説明を始めた。
自分の生まれ育った村の事。
一族が背負った宿命の事。
ルゴワールという組織に村を焼き払われた事。
旅の目的。
その話はエアニスとトキにとって運命を感じさせるものだった。
昨日、ほんの偶然で出逢った彼女の話には、
かつて未練を残したまま断ち切ってしまった、
自分達の"過去"が垣間見えたからだ。