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月の光を纏う者  作者: 猫崎 歩
終章
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最終話 雪の夢

 夜空を覆う分厚い雲から、小さな雪片がゆっくりと舞い落ちる。

 薄く雪の積もる草原を、暖かそうなマントを羽織った人影が歩いていた。

 足を滑らせないよう坂を登り、辺りの稜線を全て見渡せる、なだらかな丘の上に立つ。

 その丘の上には一本の木と、その傍らに小さな墓標があった。

「久しぶり」

 マントを羽織った人影は、深く被っていたフードを跳ね上げて、小さく笑った。

 レナ=アシュフォード。

 墓標に刻まれた名前だった。墓石は以前訪れた時のトラブルで少し欠けてしまった筈だが、その跡は綺麗に修復されていた。

「前に来たのは・・・いつだったかな。

 あれから色々あって、随分と経っちまった気がするよ」

 マントの男は荷物からガス缶とバーナー、幾つかの器を取り出す。水筒に入っていた水を鍋の形をしたコッヘルに流し込み、ガス缶と繋いだバーナーの上に乗せて湯を沸かし始めた。

 墓標には丘の上に一本だけ立つ木の枝が真上に広がっているお陰で、それほど雪は積もっていない。男も木の幹に背を預け一息つき、辺りを見回す。

 大地一面を覆った雪が、雲から滲む月明かりを反射させているのだろう。真夜中だというのに辺りは薄っすらと均等な明るさが広がっており、遠くまで続く白い稜線が見て取れた。


「・・・失って初めて分かる、って言葉があるだろ?」

 男はおもむろに話し始める。

「あれは、まぁ、本当だな。

 いくら分かってるつもりでも、いざ "その時" が来ると自分が全く分かっていなかった事を思い知らされる。

 きっと人間は、手にした物を失ってみないと、その本当の価値を理解出来ないんだろうな。

 馬鹿な生き物だ」

 自嘲気味に笑って、男は俯いた。

「一緒に旅する仲間ってのは、いいものなんだな・・・。

 こうして一人旅に戻ってみて、あいつらの大切さが良く分かった。

 一人は、寂しい・・・」

 男の人生の中では、一人の時間の方が圧倒的に多い筈なのに。

 人は一度安らぎの場を得てしまうと、もう元の場所には戻れないのかもしれない。

「安らぎの場、ね・・・」

 シュコココ、とコッヘルの中の湯か沸き始める。男は左手にグローブをして、熱くなったコッヘルを掴み、小さなポットの中に注ぐ。そして乾燥させた紅茶葉を包んだ絹袋を取り出し、それをポットに放り込んだ。

「まぁ、もう暫くしたら連中の所に帰るつもりだよ。

 一人で旅してる理由は、まぁ、これまでの清算ってとこか。

 ザード=ウォルサムに、月の光を纏う者、そして、エアニス=ブルーゲイル。

 この名前の人間は全て同一人物だという事実と、そしてその男は死んだという嘘の情報を色々な手で流して回ってる。

 嘘の前提に真実を織り交ぜたお陰かな。信頼性の高い情報網をなかなか良いペースで広まってくれたよ。

 噂の広まり方も波に乗ったようだし、まぁ後は放っておいても俺の目的は達成されそうだ。

 ゲイルに譲って貰った、エアニス=ブルーゲイルの名を捨てちまったのは、申し訳ないと思ったがな」

 今や名も無き男は、暫く暗い空を見上げ、詫びるように目を伏せた。

 紅茶葉が蒸れた頃合を見計らい、ポットを手に取り2つのカップへ中身を注いだ。ふわりと、林檎の香りが漂う。カップの1つを墓標の前に置き、男はもう1つを口に付ける。


「そうそう。俺、ようやくお前との約束、守れそうだ」

 男は思い出したかのように言った。

「もう誰も傷付けないって約束」

 彼女と交わした、最後の言葉。

 最期の、約束。

「復讐だとか、誰かを守る為だとか、これまで色々理由を付けて沢山の人を傷つけてきたけど・・・

 あの旅が終わった事で、その理由も無くなった。

 だから、お前との約束、守ろうと思って。

 一人旅になってから今まで、剣も銃も抜いた事は無いんだぜ?」

 このまま旅の目的が達成出来れば、男はこれからも剣を手にする必要は無くなるだろう。彼女との約束を、守り続ける事が出来るだろう。

「早くあいつ等の所に・・・チャイムの所に帰って、

 誰も傷つける事無く、誰にも傷付けられる事の無い生活をしたいね・・・」

 戦争が終わって数年が過ぎたこの世界では、それは比較的当たり前の事だ。しかし、そのような生活から程遠い世界を生きてきた男は、夢見るようにその願いを口にする。

「・・・なぁ、レナ」

 そして、ここにいる筈の彼女の名を呼んだ。


 男は辺りを見回す。

 当然、男の周りには誰も居らず、細かな雪が舞っているだけだ。


 男がこの場を訪れると、そこには必ず彼女の姿があった。

 それは、この地に眠る彼女の霊魂というものか、それとも男が勝手に見ている幻想か。

 どちらかは分からなかったが、男にとってはどちらでもよかった。

 しかし、今の男には彼女の姿が見えず、その存在の欠片すらも、感じ取る事は出来ない。

 男はもう一度、彼女の名前を呼ぶ。

 返事は 無い。


 彼女は、行ってしまったのだろうか。

 あるいは、男の中で過去や彼女に対する未練が断ち切られたのだろうか。

 男は鼻をすすって、雪の舞う空を見上げる。

「あ、あぁ、まだ、あの旅の結末を話してなかったな」

 声を詰まらせながらも、男は明るい声で言った。

 何も悲しむ事は無い。

 それはきっと、男が前に向かって進む事が出来たという事なのだから。

 きっと彼女は、もう大丈夫だねと、言ってくれたのだから。



 墓標に寄り添い、懐かしむようにあの日々を振り返る。

「うん。そうだな。 まずは・・・  」

 そう言って、男は旅の話を始めた。



月の光を纏う者

終 り

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