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月の光を纏う者  作者: 猫崎 歩
終章
75/79

第74話 星空の中 別れの時

 エアニスは白い地面に突き立ったオブスキュアを引き抜いて、腰の鞘に納めた。

 深く溜息をついて、荒れ果てた神殿内を見回す。真っ白で何処までも続く床はすっかり荒れ果ててしまった。

 チャイムと目が合った。砂埃にまみれた彼女は、頬を拭いながらエアニスに笑いかける。

 トキはらしくもなく、地べたにへたり込んだまま額に手を当てていた。死んでもおかしくない傷を強引に塞いで駆けつけてくれたのだ。相当の無茶をしたのだろう。

 ティアドラとレイチェルはヘヴンガレッドが鎮座する祭壇の前に並んで立ち、エアニスの方を見ていた。

 エアニスは肩をすくめ、右手で握ったままのヘヴンガレッドを見た。

 レナ=アシュフォードの形見を見つめた。

 また助けられちまったな。

 "石"を胸に当てたエアニスは、ほんの一瞬だけ目を閉じて心の中でレナに別れの言葉を贈る。

 ありがとう。俺はもう、大丈夫だから。

 エアニスは目を開けると、ヘヴンガレッドをレイチェルに向けて放り投げる。レイチェルは慌ててそれを受け止めた。非難するような視線を向けられて、エアニスは悪戯めいた笑顔を返す。

 ティアドラも自分の杖に嵌め込んでいたヘヴンガレッドを慣れた手つきで取り外し、レイチェルへ手渡す。

「・・・さぁ、我らエルカカの民が250年以上掛けて成しえてきた事の総仕上げじゃ。頼んだぞ」

 レイチェルはエアニスとティアドラと、そして自分の胸元に光るヘヴンガレッドを見つめる。するとレイチェルは胸元のヘヴンガレッドを外し、手にした2つのそれと一緒にティアドラへに渡した。

「最後の役目はティアドラさんが行うべきじゃないですか?」

 そんな事を、言った。

 エアニスはレイチェルの意図が読み取れず、言葉を発する事が出来なかった。

「いえ、ティアドラさん、

 恐らく貴方の本当の名前は、エレクトラ=アラスティア・・・」


「はぁ?」

 硬直から脱したエアニスは呆れたように声を上げる。

「エレクトラってお前のご先祖さんだろ・・・?

 250年も昔の人間で、もう・・・」

 人間で、もう。

 死んでいるのか?

 もし、エレクトラという伝説に残るような魔導師が、エアニスと同じエルフの血族だったらどうだ?

 250年以上生きるエルフ族など、いくらでもいる。

 そうだとしから、ティアドラの・・・エレクトラのでたらめな魔力やずば抜けた魔導技術は納得出来る。

 その思いに至り、エアニスは言葉を詰まらせた。

「心咬みの杖の伝承は知っています。

 それこそ御伽噺、きっと口伝のみですが、その杖はあなたの持ち物だという事は聞いた事があります」

「はて・・・そんな伝承は聞いた事が無いの」

 ティアドラはレイチェルの頭の上を見ながら、とぼける様にそう言った。

「歌ですよ、村に昔から伝わる童謡に、あなたとその杖の事が出てくるんです」

「歌じゃと! わしの歌があるのか!?」

「・・・」

「・・・」

 思わぬ所に食いついて来たティアドラを、エアニスとレイチェルは眉の間に皺を入れながら見つめた。呆れの表情だ。ティアドラはコホンと咳をして、

「・・・・・・・うむ・・いかんな、ついうっかり・・・」

 ポン、と自分の後ろ頭を叩く。ティアドラはこうしてレイチェルの推測を正解だと認めてしまったのだった。


「ふむぅ・・・流石にヒントを出しすぎてしまったかの。

 いかにも。

 わしはおぬし達が言う所の、御伽噺の魔導師、エレクトラ=エルカトレじゃ。隠しておって、すまなかった」

 ティアドラは一礼とともに、改めて本当の自分の名を名乗った。

「あんた、エルフだったのか? じゃあエルカカの民ってのは・・・」

「いいや、違う。確かにわしは250年以上・・・もう300年以上生きておるが、エルフではない。人間じゃ」

「なら・・・」

「"石"の力じゃよ。せっかくこんな便利なものがあるんじゃ。使わねば損じゃろう?」

 あっさりと、そう言って退けた。

「とはいえ・・・あまり威張れる事をしておる訳じゃないがな。

 無論、わしの身体は250年も前にとうに朽ち果てておる。

 じゃから今は、この人間の体にわしの魂を憑依させておる。身体を入れ替え続け、生き長らえておるんじゃ。

 この娘で、6人目じゃな」

「憑依・・・」

 人の意識が他人の体を乗っ取り、奪う事。

「損傷の少ない遺体を捜して、それを使わせて貰っておる。身体は無事でも心が死んでしまった者など、な。

 ・・・人の道から外れた愚行じゃという事は理解しておる。

 が、わしがこの世界に留まり続けるにはこの方法しか無かったのじゃ」

 やや声のトーンを落として、ティアドラは告白する。

 しかしエアニスが気になるのはそんな事ではない。

「別に、人の命の倫理観について議論する気はねぇよ。

 それよりもアンタ・・・男じゃなかったのか?」

 心苦しそうに告白するティアドラに対し、エアニスが最も疑問に感じたのはそこだった。彼女は毒気を抜かれたように笑う。

「そうじゃ。

 その時使える身体などそう自由に選べるものではないからの。この身体に移る時には、この娘の身体しか無かったという訳じゃ」

 エレクトラは自分の手の平を見つめながら神妙な面持ちで呟き、

「それに、男の身体よりも若い女子の身体が良いにきまっておるじゃろう!!」

「うっわぁ・・・」

 はっはっはと、豪快に笑うティアドラをエアニスは蔑んだ目で見下ろす。

「いいですねぇ、僕も少なからず女の子になってみたいと思った事はありますよ」

「・・・乗っからなくていいわよ、このエロメガネ・・・」

 エアニスが振り向くと、トキとチャイムも、エアニス達の近くに来ていた。いつの間にかエアニス達の話を聞いていたようだ。

 ティアドラはこの場にいる全員が自分の言葉に耳を傾けている事を確認すると、不意に豪快な笑みを沈ませる。

「じゃがまぁ、この身体も・・・いや、わしの存在そのものも、もう限界のようじゃ」

「・・・え?」

 突然変わった彼女の声色に、その場に居た全員の胸に、何とも言えぬ不安がよぎった。

「わしは既にこの世界から去っていなければならぬ存在じゃ。

 "石"の力を使い、なんとか250年間この世界にしがみついて来たが、その中でこの世界のルールを一つ、知る事が出来た」

 淡々と、ティアドラは自分の事を語る。まるで、他人事のように。

「ただ生き長らえてるだけならば、わしの存在はこの世界に認められるようじゃった。

 じゃが、本来死んでいる筈のわしの行動が誰かに影響を与える程、世界に歪みが生じてゆく。

 その歪みは、この世界にとって許されぬ物だったようじゃ。

 すると世界の意思は、その歪の原因を、わしを淘汰しようとする。

 まるで人の体の中で悪さをする病原菌を退治するように、な」

 突拍子のない理屈だった。だが、まるで理解出来ない事ではない。世界を人間の体に例えた説明は、すんなりとエアニス達の理解を促した。

 それと、世界を一つの生き物のように扱うティアドラの話に既視感を感じた。

 ガイア仮説。

 この山に入る時、エアニス達は山脈の向こう側の景色を前にして、そんな話をした。この世界を一つの生物として定義する考え方。もしこの世界にそんな意思めいたものがあるのだとしたら、それこそ本物の神ではないか。古の時代の魔族や、その血を引く純血のエルフなど、ただ単に人間が祭り上げただけの偽者だ。

 そのような、本物の神の意思が存在するのか。

「・・・分かりやすく言ってくれ」

 思考の巡らせながら、エアニスは結論を促す。

「お主達をここまで導いたり、魔族との戦いに手を出したりしたせいで、わしの命は風前の灯火というわけじゃ」

「・・・」

 予想通りの答えに、エアニス達は愕然とする。

「まぁ、命というか、わしの命を繋ぐ"石"の力が、じゃがな。

 この世界に干渉するほどに、わしの命を繋ぐ"石"の力は薄れてゆくようなのじゃ。

 わしの事を"異物"と認識した世界が、わしを排除しようとしておるのだろう。

 これまでは最後の"石"の封印を見届ける為この地に住まい、己の正体を隠してエルカカの民にほんの少しだけ力を貸し、導いているだけじゃった。

 世界の流れに、極力干渉せぬようにな。

 しかし、今ここでわしに力を与えている"石"は封印され、その力はこの世界から消え去る。そうなれば、どの道わしもこの世界に留まり続ける事は出来ぬ。同じ事じゃ。

 ならば最後は思いきり力を振るってみたかったというだけの話じゃ。

 楽しかったぞ」

 十分だと言わんばかりに、ティアドラはにこりと笑った。

「いいのかよ、それで・・・」

「いいんじゃよ。もう十分生きた。それに、流石に少し疲れたわ。

 思い残す事は無い。わしの子供達のおかげでな。

 本当によくやってくれた」

 そしてティアドラは、レイチェルに渡された"石"をそのまま彼女へ返す。

「というわけで、わしじゃ封印が終わる前に存在が消えてしまうかもしれぬ。

 レイチェル、お主がやってくれぬか?」

 ティアドラに"石"を渡されたレイチェルは、呆然とした面持ちで自分の手元を見つめ続ける。

 その表情は、何故かチャイムを不安にさせた。

「・・・どうしたの、レイチェル?」

「!、うん、大丈夫・・・」

 チャイムに顔を覗き込まれ、レイチェルはその顔を無理矢理笑みへと変えた。



 チャイム達に背を向け、レイチェルは祭壇の前へ立つ。

 祭壇の上に薄く積もった砂を払うと、その下には7つに分かれたヘヴンガレッドの力を一つに結合する為の魔導式が描かれていた。

 レイチェルはその式を読み取り、ヘヴンガレッドを並べてゆく。

「待て」

 その声に全員が後ろを振り向く。

 声の主は、エアニスによりその存在を否定され、力の殆どを失ったイビスだった。その両腕には地面から伸びた木の枝が絡みつき、その動きを封じていた。ティアドラの持つ、心咬みの枝の力だ。

 すぐ後ろには、アイビスも全く同じ様に自由を奪われ、その場にしゃがみ込んでいる。

「向こうとの世界との繋がりは、これで完全に無くなってしまうのか・・・?」

 言い伝えに従うままのレイチェルには、イビスの問い掛けにはっきりと断言できる答えを持ってはいなかった。口ごもるレイチェルの代わりに、ティアドラが答える。

「・・・"石"の封印を行えば、この世界とレッドエデンを繋ぐ"門"は二度と開かなくなる。・・・いいや、"門"自体が無くなる、といった認識の方が近いの。

 今までのように、周期的に門の力が弱まり稀にこちらの世界に魔族が迷い込む事も無くなるじゃろう」

「向こうの世界に居る連中はどうなる?」

「それは誰にも分からぬ。

 この世界の法則・・・いや、"意思"によって、世界に都合が良い様に処理されるのじゃろう」

 この世界の意思。言い換えれば、それは神の意思なのかもしれない。

 レイチェルは先の話を思い出し、そんな事を考えていた。

「ならば、"門"を消してしまう前に、俺達を向こうの世界へ行かせてくれ」

 イビスの申し出に、アイビスを含むその場の全員が驚いた。

「イビス! それじゃあ・・・!!」

 アイビスが非難するように声を上げる。

「俺達の目的は、250年前に離れ離れになった仲間と再会する事だ。

 本当は向こうの世界に追いやられた仲間達をこの世界に呼び戻したかったが・・・それが叶わないというのであれば仕方無い。

 俺達が、向こうの世界に行くまでだ」

「向こうの世界が・・・どうなってるのか分からないのよ?」

「この場で完全に滅ぼされたり、この世界に置き去りにされるよりはマシだ。

 ならば、俺達も向こうの世界に行かせてくれ。

 仲間の元へ行かせてくれ。

 お前達にとって、何の問題も無い筈だ」

「・・・」

 イビスの言葉は、僅かながらレイチェルの心を打つ。

 平坦で感情の  声だったが、何処か懇願するかのような切実さを感じた。

 彼らは、その目的の為に"石"を求め、沢山の人間を傷付け、殺してきた。

 だがそれは、ただ仲間の元に帰りたいという、人間にも理解できる想いが動機なのだ。

 彼らは、純粋な悪ではないのかもしれない。

 ただ、人と魔族に価値観の違いがあっただけだ。それは人間同士にもあるものだ。

 だからと言って、彼らのした事がレイチェル達、この世界の住人にとって許されるものではないが、憎みきれるものでもなかった。

 イビスの言葉を聞き、アイビスは浮かしかけた腰を落として俯いて下唇を噛む。

 悔しそうに、諦めきれないといったように。

「すまない、アイビス。

 二人で皆の元へ帰ろうと言った約束、こんな形でしか叶えられそうにない」

「・・・もう、いいわよ。あなたのせいじゃないわ。

 あーあ・・・私が遊び過ぎずに、もうちょっとマジメにやってればこんな事にならなかったのかな・・・」

「そうかもな」

「っ!?、ちょっとぉ!!そういう時は"そんな事ないよ"とかさぁ・・・!!」

「冗談だ」

 レイチェル達は、その時初めてイビスの笑顔を見たような気がした。

 毒気を抜かれたような気分になるレイチェル。

「こいつらはルゴワールを操り、間接的にとはいえお前の故郷を軍隊に襲わせた張本人だ」

 その耳元に、エアニスは冷たい声で囁く。

「お前の父親の、エルカカの仲間の仇だ。そんな奴を見逃せるのか?」

 エルカカの村を直接焼き払ったのは、ルゴワールのマスカレイド部隊達だ。それについては数日前、エルバークの一件でレイチェルにとっても心の整理が付いていた。

 だが、その黒幕とも呼べる相手は彼等魔族なのだ。

 エアニスはその事実を、はっきりと言葉で示す。

 しかし、レイチェルは静かに首を横に振った。

「エアニスさんは、そうやって全ての敵を憎んで、戦争を戦い抜いたんでしたよね?」

「・・・」

 エアニスは大切な人を殺した軍隊を、皆殺しにした。

 その軍隊を指揮していた国の要人も殺した。

 その国と繋がりを持ち、裏から操っていた帝国の王を殺した。

 エアニスを憎む者達を皆殺しにした。

 憎しみの連鎖は、何処までも続いてゆく。そして、今でもその連鎖は終わったとは言えない。

「私には、そこまで人を憎み続けることはできません。

 許す事とは違いますが、何処かで折り合いを付けなければならないと思うんです」

 それがイビス達の追放であるのなら、それで構わないと思った。

 レイチェル達にとっても、イビス達にとっても、最良の落とし所なのかもしれない。

「言ってくれるじゃねーか・・・

 まぁ、お前がそう言うなら俺はいいんだ。

 後悔さえしてくれなければ、な・・・」

「すみません、生意気な事言って」

 レイチェルは笑って、再び祭壇へと向き合う。両手をかざし、父親から教えてもらった封印の呪文を唱え始める。


「・・・よく見ておくといい。門が開くぞ」

 ティアドラがそう呟いた直後。

 腹に響く、重々しい音が響いた。

 まるで巨大な石門が開かれたような音。そして、エアニス達の目の前に広がる真っ白な空間が、黒く塗りつぶされた。

「うわっ・・・」

 チャイムは思わず、近くにいたエアニスの手を掴んだ。

 辺りを見回す。目が痛いほどに明るかった空間は、今や光源ひとつ無い。魔導で明りを作り出そうかと思った時、エアニスの横顔がうっすらと見えてきた。完全な闇という訳ではないようだ。徐々に、暗闇に目が慣れてくる。

「こいつは・・・驚いたな・・・」

 薄闇の中、エアニスは天井を仰ぎ、目を見開いていた。

「な、何何?、何が起こってるの・・・!?」

「大丈夫・・・慌てることは無い・・・目が慣れればお前にも見えてくる筈だ・・・」

 エアニスがチャイムの手を握り返す。チャイムはその言葉に少しだけ安心し、エアニスと同じように、目を眇めながら天井を見上げた。

 やがて。

「・・・・これって!」


 それは漆黒の闇に輝く、無数の光点。

 満点の、星空だった。

 いや、星空とは少しニュアンスが違うのかもしれない。

 チャイム達は、その星空の中に居るのだ。

 大気による揺らぎの無い透明感のある空間に、幾千、幾万もの星が、輝いていた。

 それはチャイムの頭上だけでなかった。

 星はチャイム達の足元にも、何処までも続くように輝いていた。地面を踏みしめる感触は残っているが、チャイム達は上下左右見渡す限りの、無限の星空の中に居たのだ。

「・・・宇宙空間・・・」

 トキが乾いた声で呟く。

「それって・・・空のずっとずっと上にあるとされてる世界の事ですか?」

 この状況を作り出したレイチェル自身が、戸惑いながらトキの呟きに反応する。

「えぇ・・・雲の上には天国や神々の住む天界がある・・・というお話とは別の側面から唱えられている学説です。つまり、魔導師や宗教家ではなく科学者による、割と近年から考えられるようになった説ですね。

 眉唾ものの学説なので、僕もあまり詳しくは知りませんし、覚えてもいないのですが・・・」

 トキは一度言葉を切ると、指でこめかみを叩きながら記憶を絞りだす。

「この世界は丸い球体の上に成り立っているとされてますよね?

 その球体は、宇宙という真っ黒な海の中に漂っているのだ・・・とか何とか・・。

 漂っているのはこの世界だけじゃなく、幾つもの別の世界が丸い球体として存在しているそうです。黒い海の中央には太陽があり、海に浮かぶ無数の世界はその光に照らされて輝いて見える・・・つまり、僕たちにはそれが星として見えていて・・・とか・・・」

「・・・?? 良く分からんな・・・」

「まぁ、正直僕もイメージできません」

 首を傾げるエアニスに、断片的な説明しか出来なかったトキはメガネを直しながら言った。

「イメージも何も、今おぬしらの目の前にあるのがそれじゃろうが」

 ティアドラが苦笑交じりで言った。

「その学説は大方当たりじゃ。

 そしてこの空間に幾千、幾万も輝く星の一つ一つが、ひとつの世界として成り立っておる。我々の世界も、この数え切れない星々の、ほんの一つに過ぎないんじゃよ」

「・・・・・」

 途方も無い話に、全員が黙り込んだ。

「そして、レッドエデンもその一つじゃ」

 ティアドラがエアニス達の後ろを指差した。反射的にエアニスが後ろを振り向くと、そこには巨大な赤い大地が、淡く光り輝いていた。



 

 その大きさに、エアニス達は言葉を失う。飛空挺でひたすら空を昇ってゆけば、このような景色が見られるのではないだろうか。地平線は丸く弧を描き、その両端は繋がっていた。地平線が円を描いているのだ。

「これが、レッドエデンじゃ。我々の世界も、こうして丸い形でこの漆黒の宇宙に浮かんでおる。レッドエデンとは違い、我々の世界は綺麗な青色をしておるがな」

 エアニス達は呆然と、その壮大で途方も無い光景を、見つめ続けた。

「これが・・・世界を外から見た姿か・・・」


 ぐらりと。

 祭壇が傾いた。

 今、エアニス達の足元に地面は無い。エアニス達の姿と、祭壇だけが黒い海の中に浮かんでいるような状態だ。

 その見えない地面の中に、祭壇がゆっくりと沈み始めたのだ。まるで砂に飲み込まれるように、ゆっくりと足元に広がる漆黒の海へと沈んでいった。

 もちろん、祭壇の上のヘヴンガレッドも一緒に。

 その先には、レッドエデンの赤い地平線があった。

「・・・・・・」

 エアニス達はそれを黙って見守る。

 それから少し遅れて、イビスとアイビスの体も、同じように黒い海の底へと沈み始めた。イビスは落ち着いた様子で、アイビスは不安そうに、不思議な重力に引かれる己の体を見る。

 沈み行くイビスが、エアニス達を見上げて言った。

「礼を言う」

 それに対して、アイビスは口元をわざとらしく歪め、舌を出すのみだった。

 二人の姿は、祭壇と同じように、レッドエデンの赤い地平線へと消えてゆく。

 その姿が小さくなって見えなくなるまで、エアニス達は彼らの姿を無言で見送った。



「・・・全部、終わったんだな」

 ヘヴンガレッドの魔力が感じられなくなった頃、確認するかのようにエアニスが呟いた。

「うむ・・・。

 この空間もヘヴンガレッドの力で維持されておるが、その力の残滓が消えれば、我々も元の場所に、バイアルスの雪山へと戻れる筈じゃ」

 そう説明したティアドラに声を掛けようとして、エアニスは絶句した。

「・・・お前・・・その体・・・!」

 ティアドラの体が、霞みがかったように薄く透けていたのだ。まるで幻術や光の魔導で作り出した幻のように。

「おっと・・・わしに残された時間も、もう終わりのようじゃな」

 ティアドラは透けた自分の手を見やる。殆ど透明になってしまった指先から、サラサラと光る砂のようにその体が虚空に溶け出す。

「おい!」

 思わずエアニスはティアドラの肩を掴むが、その触れた肩も霞む様に揺らぎ、光る砂が舞った。触れれば壊れ、かき消えてしまいそうで、エアニスは慌てて手を引く。

「さっき話したじゃろう。

 この世界から"石"が失われてしまえば、わしはこの世にとどまる事が出来なくなってしまう」

 少し寂しそうに、ティアドラは言った。

「わしとていつまでも生き永らえておるつもりは無いわ。

 わしの子供達は、成し遂げてくれたからの。

 250年前にわしがやり残してしまった事を、未練を、断ち切ってくれた。

 何も思い残す事無くこの世を去れるわい」

 ティアドラはレイチェルに向き直り、その柔らかい金の髪を撫ぜた。

「お主達には本当に辛い運命を課してしまったと思っておる。

 すまなかったな・・・」

 その言葉に、レイチェルの瞳から涙がこぼれた。レイチェルは慌てて目元を拭い、すん、と鼻を鳴らしてから、笑いながら首を振った。

 そうしているうちに、レイチェルの頭を撫ぜていたティアドラの腕が、完全に透けて見えなくなってしまった。

「そろそろ時間のようじゃ」

 未練は無いと言いつつも、やはり寂しいのであろう。ティアドラのその口調に、普段の元気は無かった。

 ティアドラはエアニスに向き直り、

「お主達にも礼を。レイチェルを助けてくれた事、感謝しておる。

 特に月の光を纏う者よ、お主にはシャノンも助けられたという話じゃったな。

 本当に、世話になった」

 別れの挨拶を始めたティアドラを、エアニスは辛そうな顔で見つめる。何とかしたい、彼女をこの世界に引き止めたい。

 最後まで足掻きたい衝動に駆られるエアニスだったが、その思いを押し殺し、その顔に無理矢理笑みの形を描いた。笑って、別れようと思った。

「気に、するな。今回もシャノンの時も好きでやった事だ。

 それに、なかなか楽しかったぜ」

「はっ」

 ぎこちない笑みのエアニスを見て、ティアドラは苦笑する。

「よし、餞別がわりにキスをしてやろう」

「えっ。

 いや、待てやめろ!! 貴様の中身は300歳越えたジジィじゃねーか!!」

「・・・エアニス、今少し惑いましたよね」

「黙れクソメガネ!!」

「かかっ」

 最後の最後にエアニスをからかえた事に満足したのか、ティアドラは大きく息を吐いた。心なしか、ティアドラの体が消えてゆくスピードが速くなった。

「そうじゃ、礼という訳じゃないが、わしの家は自由にして構わぬぞ。

 売れば結構な金になる物もある筈じゃ。

 おっと、世に出すにはマズイものも幾つかあるが、それはお主らで判断して処分してくれ」

 最後の最後にエアニス達にとっては割とどうでもいい事を言った。確かに、ティアドラに出来る実益的な礼はそのくらいの事しかなかったのだろう。

「ではな。

 "石"の無き世界にも、神の加護があらん事を」

 そんな言葉を残して、ティアドラの姿は完全に、消えた。


 耳を打つほどの静寂が、その場に訪れる。

 ティアドラを見送り、その場にはエアニス達だけが残された。

 いつもの4人だけが、そこにいた。

「なぁ、レイチェル・・・

 あいつの墓とかってあるのか?」

「・・・はい。エルカカの村から少し離れたところに。

 村は焼かれてしまいましたが、お墓は今もある筈です」

「そっか。まぁ、気が向いたら墓参りくらいでもしてやるかな・・・」

 250年も前に死んだ相手の、でもほんの今まで言葉を交わしていた相手の墓参りとは奇妙な感じだったが、何と無くエアニスはそこに訪れておきたいと思った。



 パキン、と、エアニスの目の前にガラスがひび割れたような亀裂が走った。

 ひび割れはピキピキと音を立てながら、エアニス達を囲むように広がり始める。

「ヘヴンガレッドで維持されてるこの空間が崩れようとしてるんです。

 じきに私達も、元の世界に送り返される筈です」

 レイチェルが周りを見回して、落ち着いた声で言った。少し焦りを感じたエアニスだったが、彼女の声色に落ち着きを取り戻す。

「この素晴らしい光景を目に出来た事は嬉しいですが・・・名残惜しいですね」

 トキは自分達を包み込む満点の星々を目に焼き付けながら、残念そうに言った。

「んー。でもいつまでもこんな所に居ちゃ生きた心地がしないわ。早く帰りましょ」

「そうだな。街に戻ったらティアドラの家を借りて、パーティーとでもいくか?」

「あ、いいわね! パーッとやろうよ!!」

 エアニスの提案に、チャイムは小躍りして喜んだ。

「もちろん主役はレイチェル、お前だからな」

 おもむろに話を振られ、きょとんと呆けるレイチェル。エアニスが、トキが、チャイムが、優しくレイチェルに微笑みかけていた。

 それを切っ掛けに、不意に全ての使命を果たしたという喜びが、実感として沸いてきた。

 レイチェルは胸いっぱいに息を吸い込んで、

「はいっ!」

 胸の奥から湧き出したその喜びを押さえきれないといったように、満面の笑みとともに頷いた。

 その笑顔を横切る様に

 空間のひび割れが、エアニス達とレイチェル達を分かつように、走り抜けたのだった。



「え・・・?」

 レイチェルは反射的にエアニスに向かい手を伸ばした。

 だがその指先は、ひび割れの走った見えない壁にぶつかる。

「レイチェル!?」

 エアニスは慌てて彼女の手を取ろうとする。だがやはり、エアニスの手のひらも、見えない壁を掴むだけでレイチェルの体には届かない。

 レイチェルの顔から、表情が抜け落ちる。

「何よ、これ!!どうなってるの!?」

 チャイムは周りを見回す。周りに現れた空間のひび割れは、彼女達を包むように丸く広がっていた。まるで、ひび割れたガラスの球体に包まれているかのようだ。

 しかし、レイチェルだけが取り残されたかのように、その球体の外側に立っていた。

 トキが言葉も無く、手にしたライフルをひび割れた壁に向かい撃った。しかし弾は透明な壁に潰れて食い込んだだけで止まってしまう。ひび割れだらけで今にも崩れ落ちそうな壁だというのに、弾が食い込んだ場所にヒビが増える事は無かった。

 強烈な焦燥感に襲われるエアニス達。

 現状を正しく理解する事は出来なかったが、本能的に、このままではレイチェルと離れ離れになってしまうと直感した。

 エアニスは剣を抜き、目の前にある見えない壁を切りつけた。しかし、まるで硬い粘土を叩いたかのような手応えがあるだけで、刃は止まってしまう。ヘヴンガレッドを失った彼の剣は、今や何の力も持たない。エアニスの中で焦りが加速する。

「・・・っ、レイチェル!!」

 エアニスは剣を手放し、見えない壁に喰らい付く。何処かに穴でも空いていないかと、両手で壁をまさぐる。レイチェルとトキも、同じように周りの壁にとりついた。

「あ、あはは・・・

 やっぱり、駄目みたいですね・・・」

 レイチェルが笑いながら言った。空っぽで虚しく、乾いた笑い声だった。

「駄目って、何がだよ!?」

 エアニスが壁越しに叫ぶ。

「私も、ティアドラさんと同じだった、という事です」

「同じ・・・?」

「私も、ヘヴンガレッドの力で、命を繋ぎとめている存在だという事ですよ・・・」


 立ち尽くすエアニス達へ、レイチェルは静かに語りだす。

「私は、エルカカの村から逃げ出して、力尽きて倒れている所をチャイムに助けられました」

 3ヶ月前の話。まだチャイムが一人で旅をしていた頃の話だ。街道の外れに血まみれで倒れていたレイチェルを見つけた時の事は、当然ながら今でも良く覚えている。

「チャイムの治療のお陰で、私はあの時一命を取り留めたと思っていたけど・・・

 私はチャイムに見つけて貰う前に、多分死んでしまっていたのよ」

「・・・うそ・・・それって・・・」

 チャイムの言葉は続かない。レイチェルは軽く首を振って、話を進める。

「チャイムは何も悪くないわ。

 チャイムと出会ったあの場所で意識を失った時、私はもう駄目だと思ったわ。

 その時、死にたくないって、誰か助けてって、お願いをしたの。

 ・・・ねぇ、チャイム。今まで聞くのが怖かったんだけど、私の右のお腹に、銃創はあった?」

「・・・・・・」

 チャイムは黙り込む。あの日街道の外れで倒れていたレイチェルは、傷だらけだったものの命に関わる怪我は無かった。内臓を傷付けているような傷など無かった筈だ。

「私、村から逃げる時におなかを撃たれていたの。きっとその傷が原因で、あの時私は命を落とした。でもきっと、その間際にヘヴンガレッドは私の願を叶えてくれたのよ。

 傷を治してくれたか・・・あるいは時間操作で無かった事にしてくれたのか。ともかく、私は"石"に命を救われた。

 そしてその後、チャイムに助けられたのよ」

「それで、"石"の力が失われたら、お前の助かった命も無かった事になるのかよ!!

 お前もティアドラと同じで、"石"が封印されたらそうなるって分かってやってたのかよ!! 分かっていてこの旅を続けていたのか!!

 何でもっと早く俺達に言わなかったッ!!」

 エアニスは怒りにも似た感情をレイチェルにぶつける。理不尽だとは思ったが、言わずにはいられなかった。

 ティアドラもレイチェルも、自分の事を考えていない。自分が犠牲になればなどという考えは、卑怯だ。それがどれだけ他人を傷付けるのか、分かっているのか。

 もう沢山だった。エアニスの周りは、そんな人間ばかりだ。

 叫ぶエアニスを見て、レイチェルは胸を詰めつけられる。ひび割れた壁に叩き付けられたエアニスのこぶしに、彼女は自分の手を重ねる。無論、その間には壁があり、直接触れる事は出来なかった。

「・・・ごめんなさい。

 私も、自覚が無かったんです・・・。

 自分の命が"石"の力で保たれてると気付いたのも、結構最近なんです。

 体の調子を崩す事が多くなったり、魔力が不安定だったり・・・

 自分の体が時々霞んで見える事もあるんですよ?

 自分のそんな姿を見た時に、はっきりと気付いたんです・・・」

 トキの体が凍りつく。

 ファウストの街に入る前日、森の中の廃墟で野営をした時。

 トキは闇夜の中に溶け消えてしまいそうなレイチェルの姿を目にしていた。

 あれは、目の錯覚などでは無かったのだ。

「でも、それは私の思い違いで、"石"の封印が済んでも私は何も変わらずに街に戻って来て、エアニスさん達と旅の終わりの打ち上げパーティーをして、エルカカの村に帰るんだ・・・って。

 なんて思ってたんですけど、やっぱり、駄目・・・みたいですね。

 現実から、目を背けてしまったんです。

 こうなってしまう事を、認めたく、なかったんです」

 えへへへ、と、レイチェルは笑って見せる。

「だったら!! そんなふうに諦めたような事を言わないで下さい!!」

 トキは見えない壁を拳で叩く。

「レイチェルさんが帰りたいと思っているなら!!

 僕達はどんな事をしてでも、あなたを元の世界に連れ戻します!!

 僕やエアニスが一緒にここまで来たのは"石"なんかのためじゃなくてレイチェルさんの為なんですよ!!」

「・・・あぁ、そうだ! お前が帰って来られないんじゃあ、俺達は何の為にここまで一緒に戦い続けてきたのか分からねぇだろ!!」

「やっと運命から開放されるってのに、こんなのって無いわよ!!

 旅が終わったら色々な所にいっぱい遊びに行こうって、約束したじゃない!!

 こんな形でお別れなんて許さないから!!」

 叫びながら、トキとエアニス、チャイムは見えない壁を叩き続ける。その拳に、血が滲み始めた。

「トキさん、エアニスさん、チャイム・・・」

 から元気を装っていたレイチェルだが、自分の事を想ってくれる三人を見て、思わず瞳から涙がこぼれた。

 レイチェルはエアニス達に歩み寄り、ヒビだらけの見えない壁に手を当てる。そして、嗚咽交じりの声で、本音を口にする。

「帰りたい・・・

 そして、レイチェルやエアニスさん、トキさんと、もっと色々な所を旅したい、世界を見て回りたい!!

 もっとみんなと一緒に居たいよ!!」

 ぼろぼろと涙をこぼし、彼女は叫んだ。

 エアニス達は、見えない壁越しにレイチェルの手と自分の手を合わせる。

 僅かだが、レイチェルの温もりが伝わった。


 エアニス、トキ、チャイムを囲む壁のひび割れは、既に透明な壁というより、三人を包む白い繭のように、細かく縦横無尽に広がっていた。

 壁の向こう、レイチェルの背後に広がる幾千幾万もの星々が、不意に輝きを増し始める。その光は猛烈な光の奔流となってエアニス達を包み込む。まぶし過ぎて、目を開けていられないほどだった。隣に居るトキやチャイムの姿すら見えなくなる。

「レイチェルっ!」

 エアニスは薄く目を開けて、彼女の姿を捉える。その輪郭は、光に浸食されるように曖昧に滲み始める。判然としない影は、レイチェルの声で、言った。



「ごめんなさい、そして、ありがとう・・・」



「・・・・ッ!!!」

 エアニスが何かを叫んだ。だが世界から音が失われたかのように、その叫びは誰にも届かない。目に映るもの全てが真っ白な光に飲み込まれ、いつの間にかエアニスは五感の全てを失っていた。


 そして、意識が暗転する。

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