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月の光を纏う者  作者: 猫崎 歩
終章
71/79

第70話 途切れた真実

 固く凍る雪原を蹴って、エアニスはアイビスへ斬りかかる。

 相手が丸腰であろうが関係無い。彼女達魔族は人間の常識が通用しない相手だ。

 彼女は嬉しそうに笑い、その右手を振り上げる。その左手にどのような力があるのかは分からなかったが、エアニスは長剣の長さを活かしアイビスの間合いの外から彼女の喉元を狙い切っ先を突き出した。

 しかし、その間に大剣を携えたイビスが割り込み、エアニスの剣を上段から叩き伏せた。エアニスの鋭い踏み込みは一瞬にして静止する。

「邪魔をするな!」

 イビスはエアニスの目を睨み、何も言葉を発しない。

 睨み合う二人の脇をレイチェルの放った術が行き過ぎ、アイビスの体の直前で見えない壁にぶつかり消し飛んだ。それと入れ替わるように、両手にナイフを構えたトキがアイビスに斬りかかる。息の合ったトキとレイチェルの攻撃を視界の端に収めたまま、エアニスは目の前の魔族に言う。

「・・・なんだ、俺の相手はお前になるのか?」

「女の姿をしているあいつと戦うよりは、幾分やり易いだろう?

 お前は平気で人を殺せるのに、女子供には極端に甘い偽善者だ聞いているぞ」

「なっ!・・・どこのどいつだ、ソレ言ったの!」

 イビスとアイビスが身を置いている犯罪組織、ルゴワールから得た情報だろう。

 自分でも自覚していた図星を突かれ、エアニスは乱暴にイビスの剣を払い退ける。

「迷惑なんだよ、お前ら魔族は!!

 人間に迷惑掛けないように向こうの世界で大人しく暮らしてろ!!」

「勝手だな。我々から見れば、お前達人間の方が迷惑だ」

「何だって!?」

「お前達は俺達にとって・・・侵略者だ」

「・・・ッ!?」

 常に無表情なイビスの顔に、僅かに感情が浮かんだ。上段から振り降ろされた斬撃からエアニスは剣を引き後ろに飛ぶと、転がるようにして間合いを取った。

 イビスの剣は、そのまま凍った雪原を深々と切り裂く。

 何も変哲の無い、ただの斬撃。しかしエアニスは、本能的にその刃を受けるのを拒んでしまった。

 何故だかは、分からない。


「昔は我々だけでなく、様々な種族がこの世界で共存していた」

「・・・?」

「だが、歴史を重ねる度にお前達人間は増え続け、自分達と姿形や在り方の違う存在を迫害するようになった」

「何の・・・話だ?」

 剣を振るい、がなり立てるエアニス。しかしエアニスの剣はなかなかイビスには届かない。この時点で、単純な力押しでは勝てないと感じた。

「我々は、お前達人間の感情を糧にして存在する事を知っているか?」

「糧?」

 話しながらも二人は剣を振るう。エアニスはイビスの手の内を探るような一歩引いた剣戟を。イビスは攻めに転じるつもりがないのか、さっきからエアニスの剣を捌くのみだった。

「お前達人間が"認識"する事で、我々の存在は強固な物になるという事だ。

 最も分かりやすいものは、"崇拝"という行為だ」

「はっ! 何でお前らみてーな害悪を崇なくちゃいけないんだよ!?」

 イビスはエアニスの反論に失望するかのように目を伏せた。剣を弾く反動を利用し、大きく間合いを取り、静かに雪原へ降り立つ。その一挙手一投足には余裕すら感じられた。

「人間達の歴史にも残らない、遠い昔の話だ。

 お前達が我々を崇める事によって、我々はこの世界に存在していた。

 お前達の祈りが我々の力となり、我々はその力を使いお前達を救ってきた」

 イビスは構えを解いて、エアニスを見下ろすようにして話を続ける。

「・・・だがいつの頃からか、お前達人間は、我々を恐れるようになった」

 エアニスも攻撃の手を止める。イビスの言葉の先が少しだけ気になったのだ。

「お前達の感情を糧に存在する我々としては、"崇拝"が"恐怖"へと変わっただけだ。

 認識の違いはあっても、同じ感情である以上特に問題は無い。

 むしろ"恐怖"は、"崇拝"よりも大量の人間に伝播する。個々の質はともかく、これまでよりも多くの力が我々の元へと集まるようになった」

 イビスの話はエアニスだけでなく、チャイムとティアドラの耳にも入っていた。

 怪我人の手当てを続けながら、ティアドラは唇を噛んだ。

「だがお前達が俺達を崇め称えないのであれば、その代わりに恐怖と畏怖の念を抱き続けて貰わねば、俺達はこの世界に存在できない」

「・・・!」

 エアニスは息を呑む。

「これが今も続く、俺達とお前達の関係だ」


「最初に裏切ったのはお前達人間だ」

 イビスは告発するかのような口調で言った。

「我々の仲間がこの世界から追放されて250年だ。この世界の人間達は、我々の存在を忘れつつある。お前達が我々の存在を忘れてしまえば、人間の"認識"や"感情"を糧に存在している俺達は消えてしまうだろう」

 イビスは下ろしていた剣を構え直し、エアニスに歩み寄る。

「この世界にに残っている我々では数が少なすぎる。僅かな人間にしか認識されない。十分な恐怖や畏怖を抱かせる事が出来ない。

 だから"石"を使い、追放された仲間達をこの世界に呼び戻さなくては、いずれお前達は我々の存在を忘れ、俺達は本当に消えてしまう」

 イビスの言葉を、世界の仕組みの一端を理解し、エアニスの心は揺らいでいた。

 そして、彼等の戦う理由も、理解出来た。

「我々もお前達と同じだ。生きるために、存在するために戦っている。

 生きる為には、その"石"が必要だ」


 二人の間に沈黙が落ちる。

 イビスはエアニスの反応を伺うかのように、剣を止めて彼の瞳を覗き込んでいた。

「・・・ははッ、崇められて存在していたなんて、まるでお前ら魔族は神様みたいだな?」

 からかうように言ってみたエアニスだが、震わせた喉が乾いている事に気付く。イビスの途方も無い昔話に動揺しているのか。

「神などこの世界には存在しない。

 だが、お前達が俺達を崇めていた頃は、我々はお前達に神と呼ばれていた」

 事も無げに発せられた言葉に、エアニスは絶句する。

 エアニス自身も"神"などという存在は信じていない。しかし、振舞い次第ではそれと誤認されかねない力を持つ者が、目の前に存在する。

 魔導の概念すらも超越した力を持つ魔族。それが人間達に未知の力、神の奇跡だと認識されていたとしても不思議ではない。

 神話や伝説に登場する"神"という存在は、今の"魔族"の事を指しているとでも言うのか。

 今の世界へと伝わる事無く途切れてしまった、この世界の真実。

 エアニスは喉を鳴らす。

 根拠など無い。全てはイビスの作り話かもしれない。しかし、何故かイビスの口から語られた言葉が、嘘だとは思えなかった。

 イビスの話に飲まれそうになっていたエアニスは、頭を振って剣を構え直す。

「興味深い話ではあるが・・・悪いな。

 だらといって、俺たちがすべき事は変わらないんだよ」

「だろうな。

 だが覚えておけ。

 我々は太古の昔から変わらない。

 変わったのは、我々に対するお前達人間の認識だ」

 これ以上イビスの話を聞いていたくはな無かった。自分達の戦う理由が彼等と同じだと、認めたくなかった。

 エアニスは急き立てられるようにイビスへと斬りかかる。

「はっ! 正義は我に有りとでも言いたいのか!?

 正義なんてモンはこの世界には無いんだよ! その言葉はエゴイストどもの妄言だ!」

 甲高い金属音が響き、イビスはエアニスの剣を正面から受け止める。噛み合った刃がチリチリと空気を焼く。声を張り上げたら、失せかけていた闘争心が再び昂ぶって来た。

「それに、勝手だぜ。

 お前の言う事が本当なら、たしかに人間側がお前達との共存関係を崩す切欠になったのかもしれない。

 だがお前達は、俺達を本当の意味での食い物にする事で、それを善しとした!

 それも人間が望んだ事だとでも言うのか!?」

 噛み合った剣をイビスは振り払う。火花と、可視化した魔力の余波が飛び散った。

「・・・お前ならば我々の事を理解して貰えるかとも思ったのだかな」

「あ? 何だと!?」

「お前達エルフも、この世界から迫害された歴史があるだろう。事実、今も人間と共存出来ているとは言い難い。いずれお前達の種は、人間達に追いやられる様に消えてゆくだろう。

 今のお前の存在は、人間のそれよりも我々に近い」

 イビスの言葉にエアニスは気分を害する。左手で握る"オブスキュア"へ魔力を押し込み、一際乱暴な一撃をイビスへと叩き付けた。

「生憎、俺は種とか同族とか、そんな面倒臭いモンに囚われるつもりは無いんだよ」

 エアニスの力が弾ける。魔力で増幅された分厚い剣圧を受け止め切れず、イビスは雪原をブーツで削りながら後退する。

 エアニスの剣に赤く淡い光がまとわり付いていた。魔法剣・オブスキュアが魔導的側面への干渉力を高めている時の特徴だ。この間、エアニスの魔力もオブスキュアに食われ続ける。だから、長々と剣を交える気は無い。

「御伽話は終りだ。人間だとか魔族だとか関係ねぇ。

 結局、誰であろうと価値観が違う者同士は潰し合うしか無いんだよ」

「・・・そのようだな」

 純然たる事実。その理に従い、この世界はいつまでも愚かな争いに明け暮れている。そしてエアニスは、それに従う事は過ちでは無いと思っている。

 イビスはこの話をする事で、エアニスに何を望んでいたのだろうか。

 彼はそれきり口を噤んでしまい、それが何だったのかは分からず終いだった。



 文字通り火花を散らしながら戦っているエアニスとイビスを、アイビスはまるで微笑ましい子供の喧嘩でも見るような目で見ていた。

 その横顔に容赦無くトキは9mm貫通弾を撃ち込む。しかし、アイビスがトキの方へ視線を向けると、その直線上にあった貫通弾は虚空で静止し、バラバラと雪原へと落ちた。どういう理屈かは分からないが、とにかく正面からでは銃は役に立たないらしい。トキはナイフを右手にアイビスへと駆け出す。




 アイビスは、はぁ、と溜息を吐いて、

「あんた達じゃ役不足じゃないかな?」

 パチンと、指を地面に向けて鳴らした。

 ボゴリと地面が泡立つ。

 足場を乱され、トキがバランスを崩す。隆起した地面に足を取られたのかと思ったが、トキの足首は地面から生えた細く白い腕に掴まれていた。

 背中をぞわりと寒気が走る。しかし、すぐにオーランドシティで彼女が土塊でゴーレムを作っていた事を思い出した。

 ネクロマンシー。死体や魂を操って自分の手足とするのが彼女の戦い方だ。魂を集める力さえあれば、死体が無くても土や雪でゴーレムを作り出す事は可能なのだ。

 トキは掴まれていない反対の足で、地面から生えた白い腕を蹴り飛ばす。雪で出来たそれは思いの他脆くバラバラに砕ける。しかし、雪の地面から生えてくる腕は一本二本ではなかった。腕に繋がる肩が形作られ、人の頭部を模した雪の塊が雪原を次々と突き破る。 雪原に埋まる下半身を引きずり出し、今まで何度か見た生ける屍のように、生気の無いゆらゆらとした動きで立ち上がる。

 ほんの数秒でトキは真っ白なマネキンのようなゴーレムに囲まれてしまった。トキの頬が強張る。魔力で操られる人形は急所といった概念を持たず、倒すには身動きが出来ないほどにその体を破壊するしかない。しかしトキの持つナイフと銃は、派手な破壊を目的とする武器ではなかった。

 そして何より、自分とエアニスが犯した過ちがトキの動を鈍らせる。

 この雪像は、本当にただのゴーレムなのか。さっきのように、アイビスの幻術で人間をゴーレムとして認識してしまっているのではないか。

 トキが躊躇っていると、彼後ろに控えていたレイチェルが即席で作った魔導式を雪で出来たゴーレム達へ発動させた。ゴーレム達に囲まれていたトキを巻き込む形で。

「ちょっ!?」

 瞬間的にトキの周りの空気が焼けるように熱くなる。遂にレイチェルまで、エアニスやチャイムのように敵を味方ごとぶっ飛ばすような見境の無い子に育ってしまったか、と慌てたトキだったが、

「あちちっ!・・・・と?」

 熱くはあったが、我慢出来ない程の熱気ではなかった。しかし、出来損ないの炎の術は、雪で出来たゴーレムの動きを鈍らせるには十分だった。ゴーレム達には有効で、トキには害の無い加減で術を発動させたのだ。トキは知らない事だったが、炎などの激しい性質の魔導をここまで正確に加減出来る魔導師はそう多くなく、それが出来る者は天才的な魔導のコントロール力を持っていると言っても良かった。

 トキは目の前の崩れかけたゴーレムに肩からタックルする。ばぐしゃっ、と溶けかけたゴーレムは濡れた音を立て崩れる。トキは立ちはだかるゴーレムを次々と粉砕し、6、7体目の体を突き破ったその時。

 突き破ったゴーレムの体のすぐ向こうにアイビスが立っていた。彼女の顔には不意を突かれたような驚きが浮かんでいる。トキと彼女との距離は5歩と無い。トキは突進を緩めず、腰だめに構えていたナイフを、魔動的な干渉力を高めた銀のナイフを彼女の腹へと突き立てた。

 アイビスの表情が歪む。

 トキはそのまま躊躇う事無く、刃が上を向いたナイフを、腹部から喉元まで真上に走らせ彼女の体を縦に引き裂いた。

 耳を覆いたくなるような女の悲鳴。

 トキはアイビスの喉にナイフを残したまま、バックステップで距離を取る。

「レイチェルさん!!」

 トキが呼びかけた時には、レイチェルの魔導は完成していた。

 彼女のハンマーロッドに寄り添うように、一条の光の槍が出現していた。レイチェルがハンマーロッドを地に打ち付けると、それが引き金であったかのように、光の槍はアイビスに向かい虚空を一閃する。

「なによ、こんなものっ!」

 人間が数秒の呪文詠唱で作り上げた術など大した威力を持たない。実際、今アイビスに向かい来る光の槍からも大した力を感じなかった。アイビスは光の槍を無視し、トキの腕を掴もうと手を伸ばす。

 しかし光の槍はアイビスの体ではなく、彼女の喉に刺さったままのナイフに突き立った。

 アイビスの喉元で魔力が膨らみ、銀のナイフが強烈な閃光と共に爆散した。

 彼女の上半身はバラバラに吹き飛び、黒焦げた下半身は何度も地面を跳ねて転がり、ゴーレム達の群れにぶつかって止まる。

 その体が濡れた墨のように黒く染まる。やがて彼女の体は衣服と共にぐずりと形を崩すと、雪原に吸われる様に消えていった。


 レイチェルはハンマーロッドを杖のように持ち、力が抜けたかのようにぺたりとしゃがみ込んだ。

「・・・・上手くいきましたね」

「甘く見られていた所が救いだったとは思いますがね・・・」

 トキは薄っすらと浮かぶ冷や汗を拭い、そう答えた。

 エアニスやティアドラから聞いた話の限り、魔導に縁の無いトキには魔族と戦う術が無いかと思われていた。事実、オーランドシティでアイビスと対峙した時、トキは全くの役立たずだった。

 トキはそれ以来、レイチェルやチャイムと相談し、彼女達に魔導的な干渉力を持つ武器や道具について知識を乞い、自分なりに出来る事を研究していた。

 そして辿り着いたのが、魔力を持たないが故に軽視される自分の立場を最大限に利用する事。そして、レイチェル達には難しい近接戦を介して、彼女達の術の"楔"を、この手で打ち込む事だった。

 トキがアイビスに突き立てたナイフは、爆弾のようなものだったのだ。

 強力な魔導を詰め込んだ爆弾を用意しておき、詠唱の短い術でそれを起爆させる。戦いの中、長い詠唱時間が必要となる強力な術を使える機会は少ない。しかし、あらかじめこういった物を用意出来れば、瞬時に同等の威力を持った魔導を発動させる事も出来るのだ。

 それをレイチェルが遠距離から打ち込んだとしても、当てる事は難しかっただろう。だから一見魔導的な力を持たず、魔族達から軽視されているトキに楔となるナイフをアイビスの体に直接打ち込んで貰ったのだ。


 暫くの間、遠くでエアニスとイビスの剣の触れ合う音だけが響く。

 トキとレイチェルは背中を合わせ辺りの様子を静かに伺う。イビスの気配は何処からも感じられない

「・・・あれで本当に死んだと思いますか?」

「見た目は地味な爆発ですけど、魔導的側面への破壊力を命一杯強化した術です・・・。

 それをあのナイフに詰め込めるだけ詰めました・・・

 あれで倒せてなかったらもう・・・」

 確かに、爆発と共にアイビスの気配は霧散した。しかし、始めから生きているとは言い難い存在である彼等の死の定義とは何なのか。体が破壊され、気配や魔導的な存在感が消えれば、それで死んだ事になるのだろうか。

 トキは腰に差したもう一本の銀のナイフを抜いて、恐る恐るアイビスの体が消えた場所へと歩み寄る。そこには彼女の体の欠片も衣服の切れ端も残っておらず、ただ踏み荒らされた白い雪だけがあった。

 突然、一瞬にして気配とも魔力とも違う、強烈な存在感が生まれる。

 アイビスが消えた雪原から、巨大な氷の刃が飛び出した。

「っ!?」

 トキもエアニス並に人間離れした反射神経を持っている。単調で直接的な動きの刃は、体を捻るようにして避けたトキの背中を行き過ぎる。しかし、彼女にはトキ達の常識は通じなかった。

 かわした刃の腹から、まるで木の枝が伸びるかのように、トキの背中めがけて細い錐が飛び出した。

 トキは背中に鈍い違和感を感じると、そのまま固い氷の地面へと叩き付けられていた。

「トキさん!!」

 悲鳴のようなレイチェルの呼びかけに応えようとトキは起き上がろうとしたが、右肩に痛みが走り、体の自由が利かない事に気付いた。そこでようやく自分の肩を氷の錐が貫き、体が地面へと繋ぎ止められている事を知った。冷たい氷に傷口を抉られているせいか、痛みよりも違和感が勝っている。

『ねぇ、今の、本気であたしを倒したと思ってたの?』

 何処からともなくアイビスの声が響く。

『全然痛くないって言ったら嘘になるけどさぁ・・・

 あれであたし達を倒そうだなんて、全く話にならないんだけど?』

「・・・!」

 退屈そうなアイビスの言葉に、トキとレイチェルは絶望にも似た衝撃を受けた。

 トキは自分の体に突き刺さる氷の錐にナイフを当てると一息にそれを切断する。傷口が広がるのを覚悟で右肩から錐を引き抜き、立ち上がった。

「ははっ、良く言いますね・・?

 あれだけ派手に体を吹き飛ばされておきながら平気だって言うんですか?」

 トキは傷の止血をしながら、何処にいるかも分からぬままアイビスにを挑発する。自分達の攻撃が全く効いていないなどと認めたくなかった。

『なに? 本気にしてたの?

 あれは演出よ、演出。

 相手を撃ったら肉が抉れて血が流れる方が、あんたも殺り甲斐があるんじゃない?

 殺られたフリしてあげてたのよ?』

アイビスの答えにトキは黙り込む。おかしいとは思っていた。何の魔力も篭っていない、ただの鉛の塊を魔族がその身に受けた所で全くダメージにはならないという理屈は以前から聞いていた。煙や霧を撃つようなものなのだという。

 しかし、トキの銃弾はアイビスの下顎を吹き飛ばし、銀のナイフは彼女の胸と腹を裂いた。彼女の体は普通の人間の肉体と同じように傷つき、赤い血肉と白い骨を露にしていた。目を背けたくなるような生々しい傷口を、晒していた。

 だが、それはアイビスの演出、余興だったのだ。

 ふざけた言い方をすれば、魔族にしか出来ないようなリアリティのある死んだふりである。

 そして、アイビスは本当にふざけているのだ。

 彼女に遊ばれているのだ。


「本当に貴女は悪趣味ですね、何から何まで・・・」

『あらそう? じゃあ、もっとご期待に応えてあげようかしら?』

 アイビスの嬉しそうな声にトキが身構えると、地面から飛び出した氷の刃や辺りの雪がキラキラと氷の粒に姿を変えて、一所に寄り集まって再び少女の姿を作り出す。

 しかし、そこに作り出されたのはアイビスの姿では無い。

 緩くウェーブの掛かった黒髪に、白衣に眼鏡といった知的な印象の少女だった。

 突然現れた少女の姿に、レイチェルは見覚えが無かった。怪我人の手当てをしながら遠巻きに事の成り行きを見ていたチャイムにも、見覚えは無い。

 しかし二人とも、その少女が誰かに似ているような、何とも言えない引っ掛かりを覚えた。

 その姿を認めて、トキはよろめく様に一歩引いた。

「あ、アリシア・・・」

「!?」

 トキの震える声で、レイチェルとチャイムは状況を把握した。

 エルバーグの街で聞いた、トキの過去。

 アイビスが化けたのは、トキが死に別れた双子の妹、アリシアだった。


「あなたの事を調べた時に知ったのよ、一年半くらい前かしら?

 あなたが無力なせいで死なせてしまった、あなたの妹よね?

 どう? 似ている??」

 クルリとターンをして、その姿をトキに見せつけるアイビス。アリシアのトレードマークでもあった白衣とポニーテイルがふわりと揺れる。姿だけでなく、声までもアリシアのものだった。

 「やめろ・・・」

 トキは震える手で自分の髪を掴む。瞳の焦点は合わず呼吸は乱れ、今にも気が振れてしまいそうな様子だった。しかし、彼はそれでもアリシアの姿から目を離す事が出来なかった。その姿を網膜に焼き付けようと、瞼は瞬きする事すらも拒んだ。

 「懐かしいでしょ?

 そうだ、抱いてあげようか?この機会を逃したら、もう二度と妹と触れ合う機会は無いかも知れないわよ?」

 そう言って、アリシアはそっと両手を広げる。

「ほら、トキ。こっちに来て・・・」

 レイチェルは警戒するように、アイビスに向かいハンマーロッドを構える。そして、横目でトキの顔を見上げた。

 トキの顔から表情が抜け落ちていた。今見ているのか夢か現実か分かっていないような、虚ろな目をしている。

「トキさんっ!!!」

 レイチェルはトキの服を掴み、目が覚めるような大声で彼の名を呼ぶ。しかし、トキは無言で彼女を振り払うと、夢遊病者のような足取りで、アリシアの元へと歩み寄った。

「アリシア・・・・アリシア・・・!」

 トキは自分の胸の位置にあるアリシアの頭を右手で抱き、左手を背中に回して、その身体を強く抱きしめた。アリシアも両腕をトキの腕の下から、彼の背中へと回す。

 アリシアはトキの腕の中で優しく笑い、トキの背中に回していた手を、そっと彼の心臓を抉り出すために、広げた。


「アリシアを 汚すな」

 トキの喉から、ぞっとするような冷たい声が漏れた。

 アイビスの背中に硬い物が押し付けられた。彼女の背中に回していたトキの手には、古めかしいリボルバーが握られている。

 トキは躊躇い無くその引き金を引く。オモチャの銃のような、アナログな感触が指先に伝わり、ハンマーが薬莢を叩く。

 ハンマーの先端には小さな文字が彫られている。それは弾層の中に一つだけ収まっていた、魔導式が刻まれた特別製の薬莢を叩く。弾に刻まれた式は未完成だったが、タイプライターが文字を打つかのように、ハンマーが最後の一文字を刻み込んだ。

 ガチリと魔導式の歯車が噛みあい、薬莢の中に押し込められた秩序が世界に顕現する。

 空気を引き裂く音と共に現れたのは、トキの両腕で抱えられるような丸い漆黒の闇。

 闇は辺りの空気を吸い込み、トキは巻き込まれないよう思い切り後ろへ身を反らす。

 レイチェルの空間転移の術だった。レイチェル本人でも制御の難しいこの術を、威力を半分以下に抑えてあるとはいえ、弾丸を模した魔導石に封じ込める事に成功したのだ。

 巨大な魔導式を暗号化し、小さな魔導石に収まる大きさまで圧縮する作業が予想以上に手間だった為、たった一発しか作る事が出来きなかったトキの切り札。

 そして切り札は、これ以上無いという場面で活かされた。

 自分の背中で生まれた黒い闇に、アイビスは胴体の大部分を飲み込まれていた。遅れて状況を理解したアイビスは、驚きと憎悪の込もった表情で、目の前のトキに手を伸ばす。

「絶対に許せない事って、僕にとってはそうそうある事では無いんですよ」

 そう呟いて、トキはアイビスを蹴りつける。

 未だにその場に留まり空間を抉り続けている黒い闇へ、グイグイと彼女の体を押し付けた。

 耳をつんざく金切音が空気を震わせる。人の声を模す事が来なくなったアイビスの悲鳴だ。

「ですけどね、」

 苦痛に歪むアイビスの顔。未だにアイビスはアリシアの姿を装っていたため、彼女の体と同じ様に、それを見ているトキの心も抉られる。しかし、今はそのような事を言っている場合では無い。

 トキは一度、彼女の体から押し付けていた足を離す。

「お前は俺の一番大切な思い出を汚したッ!!」

 再び彼女の胸元を蹴りつける。アイビスの顔は黒い闇へと完全に飲み込まれ、手足だけがとり残される様に地面へ落ちた。

 取り込んだ空間をこの世界とは違う場所へと放逐する空間転移の魔導。

 普通の魔導と違う点は、どのような手段を講じても、この術を防ぐ手立てが無い事だ。

 それは魔族達にとっても例外では無い。

 体を半分抉り取られれば、その存在の半分を失い、体の全てを飲み込まれれば、この世界での存在を失う。

 アイビスは体の殆どを黒い闇に飲まれ、それと同じ割合だけ、この世界での存在の力を失った。



「!!」

 エアニスと斬り結んでいたイビスが、アイビスの異変に気付く。イビスはエアニスを無視し、アイビスの元へと駆け出した。

「余所見してんじゃねぇよ!」

 エアニスは容赦なく、背を向けたイビスの足の健を斬りつける。しかし、一瞬体をぐらつかせただけで、イビスはそのまま走り出す。手応えの無さに一瞬呆気に取られてしまったエアニスは、舌打ちをしてイビスの後を追う。



 空間転移が生み出した闇が消えると、取り残された彼女の手足が砂のよう崩れて風に舞う。それらは空中で寄り集まると、再びアイビスの姿を形取った。

 しかし己の姿を再構築した彼女は力なく雪原に倒れこみ、その輪郭をまるで幻のように滲ませた。時折、砂嵐のようにその姿は激しく乱れる。雪原に額を押し付け、苦しそうに身をよじり今にも消えてしまいそうだった。

「・・・効いてる!」

 レイチェルは胸元の"ヘヴンガレッド"に手を当てて、空間転移の術の詠唱を始める。トキの銃弾に込めたサイズの術ならば、"ヘヴンガレッド"の魔力増幅を利用すれば30秒もあれば術を組み立てる事が出来る。アイビスの動きが止まっている今なら、とどめを刺す事が出来る。

 しかし詠唱を始めてすぐ、レイチェルはトキに突き飛ばされた。何を、と聞くまでも無かった。レイチェルの居たその場に、真上から飛び掛ってきたイビスの大剣が打ち付けられたのだ。地響きと共に雪煙が舞い上がる。

「くそっ・・!」

 トキはレイチェルを守るように、銀のナイフをイビスへと向ける。それが気休め程度の役にしか立たない事は分かっていたが、トキの持つ武器はこれしかなかった。イビスは雪原に突き刺さった剣を引き抜き、一足飛びでトキに向かって斬りかかる。

「させるかよ!」

 二人の間にエアニスが割り込んだ。エアニスは向かってくるイビスにオブスキュアの切っ先を突き出し、その胸を貫いた。

 そこで、想像もしていない事が起きた。

 エアニスの剣は切っ先から刀身の付け根まで確かにイビスの体を貫き、彼のこの世界における存在を削った。その手応えは、エアニスの両手へはっきりと伝わっていた。しかしイビスの体に剣が柄まで潜り込むと、スルリ、と剣はイビスの体を"すり抜けた"のだ。

 剣だけではない。まるで幽霊が壁を通り抜けるように、イビスがエアニスの体をすり抜けたのだ。

「---なッ!?」

 自分の身に起こった事が理解できぬまま、戸惑いながらエアニスが後ろを振り向くと、丁度イビスの大剣がトキの腹を刺し貫いた所だった。


「が・・・こ、のっ・・おオォッ!!」

 本能が痛覚を遮断したいたのか、アドレナリンがどうになかっていたのか、トキはまだ腹を貫かれた痛みを感じていなかった。数秒後に訪れるであろう激痛と死の恐怖を無視し、彼は自分の懐に潜り込むイビスの頭にナイフを振り下ろす。しかし、銀のナイフは彼の頭をまたしてもすり抜けてしまった。

 ぐん、と、イビスが剣を捻る。傷口を抉られトキの体が跳ねると、彼の意識はここで途切れた。

 レイチェルの目の前で、トキの体を貫いた大剣の切っ先が止まっていた。トキの背中から噴出す鮮血を浴びて、思考が止まる。手にしていたハンマーロッドを取り落としても、彼女はそれに気付いた様子も無い。

 イビスが大剣から手を離すと、それは空中で墨の様に溶けて消えた。支えを失ったトキの体が雪原に倒れ、詮を失った傷口からおびただしい量の血が流れる。

 イビスはトキに目もくれず、呆然と立ち尽くしていたレイチェルの腹部へ拳を沈ませる。

 喉の置くが詰まり、耳の後ろから広がってゆく痺れのようなものを感じた所で、彼女はがくりとイビスにもたれるようにして気を失った。その小柄な体を、イビスは軽々と抱え上げる。

「行くぞ、アイビス」

 そう一言だけ呟くと、イビスはレイチェルの姿と共に輪郭をじわりと滲ませる。空間を渡り姿を消すつもりだ。

「なっ!!? 待てッ!!」

 エアニスはイビスのコートへ手を伸ばしたが、まるで煙を掴んだかのようにそれはフワリとかき消える。そのまま二人の姿は虚空に溶けて消えた。

 エアニスは再び後ろを振り向くと、雪の上に倒れ込んでいたアイビスも、いつの間にか姿を消していた。

 その場にはエアニスと、体を貫かれ横たわるトキだけが残される。

 一瞬の出来事に、何も出来なかったエアニスは呆然と立ち尽くす。

「・・・ッ! クソがぁっ!!」

 自分の不甲斐なさに腹を立て、怒声と共に剣を地面に剣を叩き付けた。

 その叫び声は虚しく氷の大地に響き渡る。

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