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月の光を纏う者  作者: 猫崎 歩
終章
70/79

第69話 気付いた絆 / 築いた絆

 深い新雪に取られる足を必死に動かして、レイチェルは茂みの中を駆け下りる。

 人が歩く為の山道など無いので、目的の場所まで一直線に走った。もちろん木々の生い茂る雪山の斜面を駆け下りているのだから、自分が思っているよりも速く走れてはいない。

 それでも焦る思いに急き立てられるように、レイチェルは力の限り走る。

「わっ!」

 足元を滑らせる。体勢を立て直そうと、滑らせた足とは反対の手足で身体を支えようとしたが、その先には急な斜面があった。レイチェルはそのまま短い距離を落下して、背中から地面に落ちる。息が詰まった。

「ちょっと、レイチェル!? 大丈夫!?」

 少し遅れて、チャイムとティアドラ、レオニール兵を名乗る3人の男達が追いついてきた。

 仰向けになったまま、ぜいぜいと息を切らし、彼女は手を振って平気だと告げる。落ちた地面が柔らかい雪で覆われていた事と、ちゃんと受け身を取るようにして落ちたという事もあり、レイチェルは無傷だった。そのかわり、この悪路を全力で走り続けてきた疲れがドッと吹き出してきた。呼吸が苦しく、起き上がる事が出来ない。

 チャイムとティアドラが斜面を滑り降りて、レイチェルの元に駆け寄る。

「まったく、折れた木の枝が上を向いて落ちていただけでも大怪我をしておったぞ。急ぐ気は分かるが、もっと注意せんか!」

「はぁ、はぁ、す、すみません・・・でも・・・」

「それに、ここは標高が高く酸素も薄い。お主らのような高地に慣れておらん人間が全力で走れば意識を飛ばすぞ」

「・・・・」

 そんな当たり前の事すら失念していた事に気づき、レイチェルは冷静になろうと呼吸を落ち着ける。

 でもそれは、走っている間は幾らか紛れていた、彼女の胸にわだかまる不吉な予感を呼び戻してしまっただけだった。


 レイチェル達は、レオニール軍を名乗る遭難者から全ての事情を聞いた。

 彼らがレイチェル達の洞窟を襲撃したのは誤解であった事。そして同時に、エアニスとトキが彼らの仲間の襲撃に向かっている事も、誤解である事が分かった。

 レイチェルが心配しているのは、誤解のままにエアニス達が彼らの仲間を傷つけてしまう事ではない。エアニス達が向かった先に居る遭難者達は皆、非戦闘員だという。エアニス達ならば相手の様子や物腰を見て、それが剣を向けてよい相手かどうかはすぐに分かる筈だ。レイチェル達と同じように、話し合ってお互いが誤解していた事に気付くだろう。

 心配なのは誤解の原因となっている、遭難者達と行動を共にする二人の男女。

 男の方はレイチェル達を狙う魔族の一人、イビスだ。名前も特徴も、レイチェルが知るものと一致している。

 女の方は分からない。最初は少女の姿をした魔族、アイビスかと思ったが、ローウェンから聞いた名前と容姿は、別人のものだった。それが誰かは、今の情報で判断する事は出来ない。

 そして、ローウェン達が何者かの術に操られ、レイチェルに銃を向けた事。これはどう考えても、あの魔族達の仕業だろう。幸い、ティアドラのお陰でローウェン達を操ろうとしていた術を打ち破ることが出来たが、今のエアニス達にはその対抗手段が無い。

 エアニスとトキが遭難者達と遭遇すれば、どちらかがローウェン達の様に操られ、誤解を解く暇もなく戦いが始まってしまうかもしれない。

 それは容易に想像できる、最悪の結末だった。

 その前に、エアニスとトキを止めなければならない。


「見えたぞ!」

 レイチェルの隣を走るローウェンが指を指した。

 見れば、幾重にも重なる木々の向こうに、幾つかの人影が見て取れた。

「エアニスさん!!トキさん!!」

 レイチェルは二人の名を呼びながら、森を抜けた。


 パタパタッ、とレイチェルの顔や髪に生暖かい雫が降り注いだ。

 それが何かはすぐに分かった。目の前で、見知らぬ兵隊服の男が、胸元から血を吹きながら立ち尽くしているからだ。

「あぁ?」

 すぐ真横から、聞き覚えのある粗暴な声がした。

 エアニスだった。左手には、赤い血に塗れた、紅い刀身の剣が握られている。目の前で斬られた兵隊服を着た男の血だろう。斬られた男は力ない足取りで一歩、二歩と歩くと、レイチェルのやや後ろに居たチャイムの足元へ倒れ込んだ。チャイムもティアドラも、倒れた男に構う事が出来ずその場で立ち尽くした。

「エアニス・・さん・・・?」

 呻くように、レイチェルはエアニスの名を呼ぶ。しかし彼の目は、まるで見知らぬ他人を見るような・・・いや、まるでモノを見るかのような目で、彼女を見下ろしていた。

「レイチェル!!」

 本能的な危険を感じ、チャイムがレイチェルを突き飛ばした。その間を紅い剣閃が行過ぎる。二人はもつれるように雪の地面へと転がり、地面にあった柔らかい何かへとぶつかった。

 それは、倒れていた人間だった。足から血を流し、血の気を無くした怯える顔でレイチェルを見ていた。周りを見回すと、4、5人の男達が血を流して地面に横たわっていた。全員が剣によって斬り付けられた傷のようだ。

 雪を踏む鈍い音が近づいてくる。血の滴る剣をぶら下げたエアニスが、まるで塵箱に捨て損ねた紙屑を拾いに来る様な、そんな様子で近づいてくる。

 レイチェルの予感は的中してしまった。

 もしそうなってしまったとしても、せめて操られているのがローウェン達の仲間の方であれば・・・。

 そんなレイチェルの希望にすがった願いも、ことごとく裏切られた。

 操られていたのは、エアニス達の方だった。


「このっ、馬鹿エアニス!!」

 チャイムが背中に背負った剣を抜いて、エアニスに飛び掛った。

 人を傷付ける事を善しとしない彼女の剣は、ボーンクラッシャーと呼ばれる刃が潰された模造刀だ。これならば、当たり所が悪くない限り、相手を殺してしまうような事は無い。チャイムは本気でエアニスを倒すつもりで剣を振るった。

 耳をつんざく破裂音と共に、いきなり真横から殴りつけられるような衝撃がチャイムを襲う。たまらずバランスを崩して膝を突くと、羽織っていたアダマンタイトのマントがブスブスと燻っていた。少し遅れて、脇腹に鈍い痛みが広がり始める。

「油断しないで下さいよ、エアニス」

 岩場に退屈そうに座り込んだトキが、大柄な銃をもてあそびながら言った。

 チャイムを襲ったのは、トキが放った銃弾だった。

「うるさい。余計な手を出すな。一人で片付けてやる」

「はいはい。すみませんでしたね」

「・・・・っ!!」

 何気ない二人のやりとりを聞き、チャイムは今まで感じた事の無い種の恐怖を覚えた。

 今の銃撃も、アダマンタイトのマントを着ていなかったら間違いなく死んでいた。フードを被っていない頭を狙われていても、死んでいた。

 この旅の途中、自分が死んでしまう可能性を考えなかった訳ではない。自分がどのような死に方をするのか考えた事だって、当然ある。

 だが、エアニスやトキに殺されるなんて考えた事も無かった。

 それはあまりにも、あんまりだ。

 エアニスが怖いと感じた。

 トキが恐ろしいと感じた。

 全身が今まで感じた事も無い恐怖に支配され、片膝を着いたまま立ち上がる事が出来ない。

 心が折れてしまいそうだった。


 エアニスがチャイムに視線を戻し、ふわりと、無造作に剣を振り上げた。

 動けないでいるチャイムとエアニスの間に、今度はレイチェルが割って入った。恐怖で弛緩した身体を無理に動かし、ハンマーロッドを両手で握ってエアニスの薙ぎ払うような剣閃を真っ向から迎え撃つ。


 ティアドラが魔導式の起動言語を叫んだ。

 ローウェン達にかけられた傀儡の術を打ち破った、あの言葉だ。

 あの時と同じように、水が弾けるような音が回りに響き渡る。

 しかしティアドラは悔しそうに舌を打つ。僅かに遅かった。


 ガァィン!

 想像以上の衝撃がハンマーロッドに打ち付けられ、レイチェルはチャイムと一緒に弾き飛ばされた。ハンマーロッドは回転しながら空へ舞い上がり、レイチェルとチャイムはもつれあうように雪の地面を何度も転がった。



 エアニスの剣は振り抜いた形のまま止まっていた。

 突然、目の前に居た筈の"生ける屍"が、チャイムの姿を形作ったからだ。

「・・・な・・なんだ!?」

 気付けば、生ける屍の姿は何処にも無くなっていた。代わりに、エアニスが斬った生ける屍と同じ数だけの男達が倒れている。

 エアニスは雪原に倒れるチャイムとレイチェルを見た。

 真っ先に疑ったのは何者かによる幻術の作用。

 誰かがエアニスを惑わす為、生ける屍をエアニスの知る者の姿へ変えたのだという可能性を考えた。

 しかし、それは全く逆の勘違いであった。

 エアニスは今まで何度も命を賭けた戦いを経験し、その都度瞬間的な命の選択を迫られてきた。この判断も、これまで通り自分が生き延びる為の本能に準じたものだった。だから戸惑いを無視し、剣を振り抜いた。

 だが今の自分は、数年前の自分とは違う。守るのは自分の身ひとつだけではない。守らなくてはいけない、仲間が居るのだ。昔の自分と同じつもりではいけないのだ。

 これまでの自分では、仲間を守る事は出来ない。

 それを、ほんの2年半前に痛感したばかりだというのに、自分はまた同じ過ちを繰り返したのか。

 喉の奥が一気に干上がった。

「おい・・・嘘だろ?」

 剣を投げ捨て、二人の元へ駆け寄ろうとする。しかし、二人がどうなっているのか確認するのを恐れたのか、足が竦んでしまい最初の一歩目を踏み出す事が出来なかった。

 2年半前、目の前で大切な人を失った事が脳裏を過ぎる。

 クソッと自分の膝を叩き、覚束ない足取りで二人の下へ駆け寄った。

 二人は、レイチェルがチャイムを庇うような格好で倒れていた。エアニスが駆け寄ると、レイチェルがゆっくりと身を起こす。

「・・・エアニスさん・・術が解けたんですね・・・?」

 脳震盪でも起こしているのか、レイチェルははっきりとしない意識でエアニスを見上げた。

 その様子を見て、エアニスは思わず膝から崩れ落ちる。

「は、は・・良かった・・・・」

 震える息を吐き、エアニスは地面に膝を着き、レイチェルの手を握って頭を垂れた。

 言葉もなく、ただエアニスは震える手で彼女の手を取り、頭を下げ続けた。

「や、やめてください、私は大丈夫ですから・・!

 ほら、チャイムも!」

 エアニスは、レイチェルの下でうずくまるような格好のチャイムを見た。頭を腕で守るように覆っていたチャイムが、ゆっくりとエアニスの方を見た。

「・・・っ!」

 エアニスは思わず立ち上がり、一歩、二歩と二人から距離を取った。

 チャイムの顔に張り付いていたのが恐怖の表情だったからだ。

 自分に対する恐怖の感情。その表情がエアニスの心を深く抉った。

 その時、エアニスは自分がどのような顔をしていたのか分からない。

 チャイムはその顔を見て、自分が酷い事をしてしまったという事に気付く。

「!・・違うの、エアニス! 私も、大丈夫だから・・・」

 気丈な姿を振舞おうと思ったのに、その声は震えていた。

 エアニスは唇を噛んで、チャイムの視線から目を背ける。



 その後、エアニスとトキは、ティアドラから事の経緯を聞いた。

 この山で遭難していたローウェン達の事。彼らが出会った二人の男女の事。その二人が、あの魔族達であろうという事。

「ご迷惑を掛けたようですね」

 普段の調子を取り戻し、トキは怪我をして倒れている遭難者に魔導で治療を施しているティアドラに声を掛けた。

「よい。仕方の無い事じゃ。気に病むな」

「ええ、すみませんでした」

 トキはどこか冷たいとも感じられる、端的な返事をする。

 エアニスに斬られた遭難者達は奇跡的に全員が命を取り留めていた。エアニスが幻術に惑わされ、人間ではなく生ける屍を倒すつもりで戦っていたからだろう。

 相手が人間だったら、エアニスは的確に人の急所を斬り裂いている。しかし、急所を斬っても死なない相手だと認識していたために、動きを止める事を目的に足等を狙っていた事が幸いした。トキも銃はあまり使っていない。生ける屍にはあまり意味を成さない武器だからだ。殲滅はエアニスに任せ、彼はサポートに徹していた。

 とはいえ、全ては偶然の産物だった。運が良かっただけで、エアニス達は無関係の人間を、自分達の仲間を、殺してしまう所だったのだ。

 怪我を負った遭難者は7人。今はティアドラとチャイムが中心となり怪我人の傷を塞いでゆき、ローウェンも二人の手が回らない怪我人達の止血をして回っていた。ここに留まっている遭難者は10人程だと聞いていたので残りの者は森の奥へと逃げてしまったのだろうか。

 そして、ここに居る筈の魔族とおぼしめき二人の男女の姿も無かった。

「大丈夫ですか、エアニス?」

「あ、あぁ・・・」

 心配するトキに、エアニスはあまり大丈夫には見えない顔で頷いた。

「分かっているとは思いますが、これが連中の狙いですよ。心理攻撃です」

「分かってるさ・・・お前は・・・」

「ええ、今チャイムさん達に謝ってきましたよ」

 そう言ってトキは指で眼鏡のブリッジを持ち上げる。

「・・・そうか」

 相当キレてるな。

 エアニスはそう思いながら、投げ捨てたままの剣を拾い上げる。

 作り笑い以外の表情を滅多に見せないトキだが、エアニスは彼の感情がこれまでの付き合いの中で何となく読めるようになっていた。こうして淡々と会話を交わしている時は、相当頭に来ている筈だ。それこそ、"昔の顔"を覗かせる程に。


「予想以上につまらない結果ね。

 もっとあの子達にアンタ達のドロドロした所見せ付けてあげたかったのにさー」

 エアニスの耳元、すぐ後ろから声を掛けられた。聞き覚えのある女の声。

 彼は拾い上げた剣をそのまま振り返りざまに背後の影へと叩き付ける。

 しかし、その刃は相手を斬り裂く事無く、エアニスの背後に立っていた見知らぬ女の首筋で止まった。

 長い栗色の髪を伸ばした、この雪深い山には似つかわしくない村娘風の少女。

 見知らぬ少女だった。

 エアニスの全身から冷たい汗が吹出す。

「そうそう、ちょっとは学んだみたいね。

 気をつけないと、さっきみたいに自分の仲間を手に掛ける事になるかもしれないわよ?」

 少女は首筋に刃を突き付けられながら、怯える様子も見せず、笑いながらそのような事を言った。

 魔族・アイビスの声で。

 怪我人の手当てをしていたローウェンが飛び上がった。

「アイシャ!?」

 ローウェンは少女の名前を呼ぶと、彼女の首筋に剣を突き付けたエアニスの腕を引っ張った。エアニスは特に抵抗もせず、アイシャから引き剥がされる。

「何やってんだあんた!!この娘は俺達の仲間だ!!」

 一部始終を見ていたレイチェルとチャイム、ティアドラは、ローウェンの言葉を聞いて状況を理解した。

 ローウェンから聞かされた、昨日出合ったと言う、男女二人組みの遭難者。魔族・イビスと一緒に居たという少女。

「何よ、今まで"お姫様"達の前でも沢山の人を斬ってきたんでしょ?

 何で今更そんな顔してるのよ?」

「お前は・・・」

 嘲るように言う少女に、エアニスが何かを問いかけようとした時、

 少女の顎から下が、真っ赤に弾けて吹き飛んだ。


「それ以上喋るのはやめて貰えませんか?」

 エアニスのすぐ隣に居たトキが、至近距離から女の横顔を打ち抜いたのだ。

 顎を失った女はボタボタと上顎と頬から血を流し、生々しく抉れた傷口を右手でベチャリと撫ぜた。

 少女の顔の半分を吹き飛ばすというあまりに容赦の無い行動に、チャイムとレイチェルだけでなく、エアニスですら息を呑む。

 顎を失った女は、半分になった頬と目元だけで、にこりと笑う。

「やっぱりアナタ凄いわね。

 ザード=ウォルサムよりずっとキレてると思うわ。平気でこんな可愛い顔を撃つなんてさ」

 一体何処から声を出しているのか、顎と舌を無くした少女は何事も無かったかのように喋り続ける。

 少女の頭と、喉元と、左胸が赤く弾けた。至近距離から少女を撃ったトキは、仰け反ったその体を蹴り倒し、右足で身体を地面に押し付けたまま銃口を向ける。

「貴女がヒトの姿をしていようがバケモノの姿をしていようが、僕のする事には変わりありませんよ。アイビスさん。

 僕は貴女のような下衆が大嫌いです。それこそ、殺したいほどに」

 トキは女の身体を踏みつけたまま、残りの銃弾を次々と打ち込み始める。

 銃弾が打ち込まれる度、辺りに血と肉片が飛び散る。着弾の衝撃で跳ねる女の体から、

「ははっ!「あははははっ!!「あははははははははははははははははは!!!!」

 狂ったような哄笑が響き渡る。

 どん!と、少女の体が弾けた。その衝撃に押され、トキは倒れかける。

 ずたずたになった体は、一瞬にして黒い霧へと形を変えていた。その霧は黒い竜巻のように渦を巻き、トキの体や雪原に飛び散った己の体の欠片を全てを吸い寄せると、エアニス達の頭上を飛び越えて小高い岩場へとわだかまる。

「!!」

 いつからそこに居たのか。

 竜巻が降り立った岩場には、右手に大剣を下げた短い銀髪の男が立っていた。

 男の隣で渦巻く黒い霧が、銀の髪の小柄な少女の姿を作り出す。

 これまで幾度かエアニス達の前に現れた、二人組みの魔族、イビスとアイビスだった。


「レイチェル=エルナースと"石"を渡して貰う」

 イビスが片足を踏み出し、そう宣言した。

 普段はアイビスばかりが動き、傍観者とも言える立ち位置にいるイビスだが、今の彼の言葉には明確な目的意識が感じられた。エアニスは剣を構えながら一歩、前に出る。

「・・・そいや、あんた達の目的をまだ聞いてなかったな」

 エアニスの問いかけに、イビスは何を今更とでも言うように目を眇めた。

「お前達の考えている通りだ。"石"が・・・ヘヴンガレッドが本来何のために使われていたか知っているな?

 ヘヴンガレッドによって閉ざされた"レッドエデン"への扉を開き、この世界を在るべき姿に戻す」

「在るべき姿、ねぇ・・・」

 確かに250年前まで、この世界には人間と魔族が一緒に存在していた。しかし共存する事は叶わず、人と魔族は幾度と無く争いを起こしていた。

 その争いに終止符を打ったのが、レイチェルの先祖であるエレクトラと呼ばれた魔導師だ。彼が"ヘヴンガレッド"の力を使い、この世界とは別の世界への扉を開き、魔族の殆どを"レッドエデン"と呼ばれる異世界へ追放したと伝えられている。

 イビス達は、その追放から逃れた者達なのだろう。

「そう言われると聞こえがいいが、お断りだ。

 俺達人間の都合から言わせて貰えば、お前らは害悪でしかないからな」

「だろうな」

 まるで話にならない、といったような面持ちでイビスはエアニスとの会話を打ち切った。エアニスとしても話し合いの出来る相手では無いと思っていたが、このような反応をされるのは思いの他不愉快だった。

「・・・どうして、どうしてこんな事をした!?」

 怪我をした遭難者の傍らで、ローウェンが叫んだ。

「ん?あぁ、ごめんね。こいつらを揺さぶる為にあなた達にはエサになって貰ったの。

 もういいわよ消えて。お礼に逃がしてあげるわ」

「エサ、だと!?・・・馬鹿にっ・・!!!」

「そうそう、もう一ついい事教えてあげるけどさ、」

「何がっ・・・」

「戦争。あんた達が迷子になってるうちに、とっくに終わってるのよ?」

「・・・ッ!?」

 激昂するローウェンが息を詰まらせる。

 エアニス達は一瞬、二人の会話の意味が分からなかった。しかし、すぐに遭難者であるローウェン達が終戦の事を未だに知らなかったのだと気付く。

 人生の殆どを戦争と共に生きている者にとっては、この事実は衝撃的だろう。

「もう一年半も前の話よ?

 ついでに言うと、あんたの国、もう無いわよ。

 確か、お隣さんに占領されちゃってたわ」

 ローウェンはエアニスの顔を見た。エアニスの表情はアイビスの言葉を訝しむというより、ローウェンに同情しているかのような顔だった。

 頭の中が真っ白になる。自分が必死になって守ろうとしていた物を、これで全て失った気がした。

 アイビスがほくそ笑む。

 ローウェンの絶望が、エアニス達の怒りが、この世界にアイビスの輪郭をより深く刻み込んでゆく。

 それは、この世界におけるアイビスの力へと変わる。


「人の心を弄ぶのがそんなに楽しいか・・・?」

 エアニスはアイビスを睨む。

「楽しいわよ? この世界での生きがいなんて、そのくらいしかないじゃない?

 アンタも大丈夫? 相当参ってる感じだけど?」

「何処がだよ!?」

「ドコって、すごい凹んでたじゃない? 大事な"お姫様"に怯えられてさ」

「・・・ッ!」

 エアニスは何も言い返せない。

 事実、エアニスの目には未だにチャイムの怯えた表情が焼き付いていた。あのような顔を向けられた事が、思いの他ショックだったのだ。

 気付けば、また両足が竦んでいた。アイビスの言葉に揺さぶられたのか、膝の小刻みな震えが止まらない。命の賭かった戦いを前に、このような事で平常心を失ってしまう事など今まで無かった。エアニスの中で、それだけチャイムの、仲間の存在は大きくなっていたのか。


 言葉を詰まらせ、剣先を振るわせるエアニスを見て、チャイムは焦燥感に駆られる。

 あたしのせいだ、と。

 自分が、あのような顔を見せてしまったから、エアニスの心はああも容易に揺さぶられてしまっているのだと。エアニスは、大戦中の仲間を失った事を自分のせいだと苛んでいる節があった。だからエアニスにとって、さっきの出来事は、結果は違えど同じ過ちを繰り返してしまった事になる。

 エアニスの古傷を、自分が抉ってしまったようなものだ。

 何か、言わなくちゃ。

 しかし、言うべき言葉など何一つ思い浮かばない。

 それでもチャイムは、自分の心に急き立てられるようにして立ち上がった。


「べ、別に怯えてなんかないわよ!!

 あたし達の仲がこんな事で崩れる訳ないでしょバアァァーーーーーカッ!!!」

「!?」「!?」「!?」

 結局口を突いて出た言葉はこんなものだった。

 エアニスとトキ、レイチェルは、突然場違いな事を口走ったチャイムをポカンとした顔で見る。

 しかし、そんな安っぽい挑発にアイビスは思いのほか動揺した。

「バ、バ、バカですってぇっ!?」

「そうよ!! 超絶バカよ!!

 あたし達2ヶ月以上も一緒に一緒に旅してるんだからっ!!

 すっっっごい仲がいいんだからっ!!」

 両手を振るい熱弁するチャイム。エアニスはポカンと口を開けていた。

「どこがよ!! いっつも喧嘩してるし、さっきも涙目だったじゃない!!!」

「めっ、目にゴミとかが入ったのよ!!!」

「お・・・おいチャイム」

 突然始まった子供のような口喧嘩に、エアニスは控えめに静止を促す。正直反応に困っていた。だがエアニスの言葉が聞こえなかったのか聞くつもりが無いのか、チャイムとアイビスはぎゃあぎゃあと喧嘩を続ける。チャイムの精神年齢がやや低い事は理解していたが、魔族・アイビスも似たような物だとは思わなかった。チャイムはともかく、少なくとも数百年は生きている筈のアイビスは何故こんなんなのだろうか。エアニスが魔族の片割れ、イビスに目を向けると、彼は表情をピクリとも動かさず彼女達の応酬を見ているだけだった。

「そ、それにあたしは、エアニスに剣を教えて貰ってるんだから!!

 毎日毎日アイツに剣を向けられてるんだからこんな事でビビる訳ないでしょうが!!」

「そ、その割にはアナタもその男も随分と凹んでるように見えたけど・・・!?」

「そーんな事無いわよッ!!あたしとエアニスはすごい仲いいんだからっ!!!

 この山に入る前だってXXX 」

「バカ野郎言うなアァァァァ!!!」

 どごしゃああぁぁぁぁ!!! と。

 エアニスはチャイムの口を塞いで雪深い土手に投げ飛ばした。

「何よッ!?」

 ボゴッと雪の中から顔を出し、チャイムが抗議の声を上げる。

「何って、何を言うつもりだったんだよッ!?」

「何って・・・!」

 言いかけて、チャイムは顔を真っ赤に染める。チャイムのその顔を見て、思わずエアニスも顔に血が上るのを感じた。

 呆然とするローウェンに、呆れるティアドラ。そして硬直するトキとレイチェル。


 アイビスは舌打ちをする。

 エアニス達から向けられていた敵意や憎悪が、あっという間に霧散してしまったからだ。

 あのバカ女のお陰で、これまでの茶番が殆ど無駄になってしまったと言ってもいい。

 悔しかったが、彼女の言う通り、この位では彼らの仲を崩す事はできないのであろう。それだけ仲が良いのか、それだけ頭が悪いのか、アイビスには判断が出来なかったが。

「あわわわわ、どうしようあたし、変な事口走っちゃった?

 マズかったかな!?」

「ま、マズイと言えばマズイが・・・お前のお陰で体が動くようになったよ・・・」

「え?」

「いいや、何でもない。ありがとうな、チャイム」

「!?・・・う、うん」

 さっきまで竦んでいた足や、指先の震えが、チャイムの起こした騒ぎを見ているうちに消えてしまっていた。今は普通に、互いの目を見て会話が出来ている。

 何だ、俺達の仲はこうも単純なものか。

 離れてしまったら、どちらかが歩み寄ればいいのだ。

 今回はチャイムが歩み寄ってくれた。またいつかこんな事があったら、今度は自分から歩み寄ろう。エアニスは心の中で密かに誓った。

 やはり、仲間というものは心地がいい。


「とんだ道化だな」

 イビスはアイビスの横に並び、表情も無くそう言った。

「・・・笑いたかったら笑いなさいよ・・・」

「別に。どうでもいいさ。

 奴らの敵意や感情の揺らぎを糧としなくても・・・これは勝てる戦いだ」

「まぁ、そうなんだけどね・・・」

 イビスが剣を構え直し、アイビスはふわりと地面から浮き上がる。

「・・・さて、茶番は終わりか」

 それを見てエアニスも立ち上がり、トントンとその場で体の調子を確かめるように跳ねてから、剣を構えた。心なしか、いつもより体が軽い。

「チャイムはティアドラと一緒に怪我人の手当てを」

「・・・分かった」

 チャイムは素直に頷く。エアニスは無造作に二人の魔族に歩み寄りながら、

「行くぞ、トキ。レイチェルも手伝ってくれ。今回の戦いはお前が要だ」

 トキは普段通り静かに立ち上がり、

「はいっ!」

 戦いの中でエアニスに頼りにされるのが嬉しかったレイチェルは、力強く頷いてハンマーロッドを構えた。

 エアニスは剣を肩に担ぎ、首を傾けながら笑う。

「さっさと終わらせて、仲良くメシでも食いに行こうぜ」

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