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月の光を纏う者  作者: 猫崎 歩
終章
69/79

第68話 盤上の駒遊び

 兵士達は己の存在を隠す素振りも見せず、草木を揺らしながら洞窟の入り口を包囲した。彼らの動きは一糸乱れぬ統率されたものだったが、訓練された機械のような兵士というより、集団で獲物を狩る動物の群れのような動きだった。

 その印象を助長するように、彼らの装備は随分と野性味溢れるものだった。

 元々は深い緑色だったであろう兵隊服は色落ちし灰色に変色してしまい、固い布地はほつれて破れてボロボロだった。全員が手にしている銃剣の付いた大柄なライフルも、銃身に錆が浮くほどに痛んでおり、銃を扱った事のある者なら間違いなく暴発を恐れ使わないような見てくれである。

 使い込まれたそれらに身を包む彼らも、随分とくたびれた姿をしていた。髪も髭も伸びざらしで、長い間ジャングルで戦い続けている兵隊のようだった。

 数は十人程。その中でも、鉄のマスクや防弾服を身につけた重装備の兵士が4人、ライフルを突き出して洞窟の中へと立ち入る。

 洞窟は深く、奥まで光が届かない。彼らの見える範囲には、人間の姿は何処にも無かった。

 兵士の一人が、暗闇の中、緑色に光る小さな明りを見つけた。

「---っ!」

 それに気づいた兵士は他の兵に歩みを止めるよう左手を上げて見せる。

 それと同時に、緑の明りは赤色に変わり洞窟内にけたたましくアラーム音を響かせた。


 ズ・・ズズズ・・ン・・・

 地響きと一緒に、少し離れた山肌で雪煙が立ち上った。

 トキはそれを双眼鏡を使って見ていた。

「仕掛けた爆弾、洞窟の入り口を塞ぎました」

「何人巻き添えにできた?」

「恐らく怪我人は居ません。起爆時にアラームが鳴るように設定しておきましたから。爆発直前に慌てて飛び出してきましたよ」

「お優しい事で・・・」

「敵の正体が分からない以上、無闇に殺してしまう訳にもいかないでしょう」

 エアニスは不機嫌そうに舌打ちをする。

「こっちは殺されかけたんだぞ」

 エアニスは、自分の背中の上で気を失っているチャイムの手を、ぎゅっと掴んだ。


 エアニス達は全員、あの狙撃の後すぐ敵に気づかれないよう洞窟の外へと脱出していた。

 洞窟の奥に別の場所へ繋がる通路が用意されていたのだ。先の爆発は、追撃を断つ為にトキが洞窟を出る際に仕掛けた感応式爆弾だった。

 あの洞窟は、神殿を訪れるエルカカの使い達の宿泊場所であり、隠し通路は万一敵に襲われた時の事を考え、先人達が作ったものだという。

 通路の出口は少し離れた森の中に繋がっており、そこからだと今まで自分達の居た洞窟の入り口が良く見えた。もちろん森の中なので、向こうからこちらは見えない筈だ。

「爆破してしまっても良かったのですか? エルカカの人達にとっては大事な拠点だったのでは?」

「なに、最後の"石"を神殿まで持って行く事が出来れば、あの場所は今日でお役御免じゃ」

「と、そうでしたね。

 ・・・エアニス。チャイムさんの様子はどうですか?

「心配ない。銃弾の衝撃で突き飛ばされた時に少し頭を打っただけだ。

 撃たれた左肩が脹れてるくらいだ。お前んとこのマントのお蔭でな」

「少々癪ですが・・・マスカレイド部隊の装備を回収しておいて正解でしたか・・・」

 エアニス達が羽織っているボア付きのマントは、エルバークの旧市街で戦った特殊部隊の装備を仕立て直したものだった。

 刃物も銃弾も全く通らない魔導繊維、アダマンタイトで作られた、いわば飛び抜けて強度の高い防弾服だ。

 エルバークでトキの古巣でもあるマスカレイド部隊と戦ったエアニス達は、倒した兵士から装備を奪っていた。彼らのマントに仕込まれた防弾繊維を剥ぎ取り、今回の雪山登山に着るボアの付いたマントへと移植したのだ。

 軍隊で支給されているような銃では繊維に傷一つ付ける事もできず、着弾の衝撃すらも殆どゼロにしてしまう。しかし大型拳銃によるゼロ距離射撃や、大口径ライフルによる狙撃などには流石に効果を発揮しきれず、装備者の身体には殴りつけられたかのような衝撃が伝わってしまう。

 それでも、このマントを着ているだけで戦場での生存率は飛躍的に跳ね上がるだろう。トキには思う所があったが、背に腹は変えられぬと彼らの装備を使わせて貰っている。それがチャイムの命を救ったのだから、まぁ良しとしようと考えた。

「何者だと思う?」

「さぁ・・・全員落ち武者のような格好ですね。とてもルゴワールの兵隊には見えません。揃いの兵隊服を着ているようですが・・・何処の国の物かまでは分かりません」

 トキから双眼鏡を受け取り、エアニスも敵の様子を伺う。トキの言う通り、何処かの軍隊の兵士のようだ。そして全員が全員、ひどく装備が痛んでいるように見える。標的を見失った彼らは警戒しながら崩れた洞窟の周りを見て回り、ほどなくして茂みの中へと姿を消した。エアニスは双眼鏡から目を離す。

「お前この山の案内人だろ? なんだあいつらは?」

「・・・分からぬ。山の入り口にはかなりの広さでセンサー代りの薄い結界を張っておる。誰かが山に立ち入れば、わしが気づかぬ筈は無いのじゃが・・・」

 常に余裕を見せているティアドラが、戸惑ったように襲撃者達の消えた方角を見ていた。その様子を見て、エアニスは溜息を吐いて首を振った。

「まあ、何者でもいいさ。俺たちの敵だという事が分かっていればな。

 で、どうする? レイチェル?」

「え・・・?」

 唐突に名を呼ばれ、彼女は戸惑うようにエアニスを見る。

「奴らを排除してから神殿に向かうのか、このまま無視して行くかだよ」

「・・・・」

 レイチェルは押し黙る。これから神殿で行う事は、レイチェル達エルカカの民が250年もの歳月をかけて成してきた事の総決算なのだ。ただでさえ、あの魔族たちの事を懸念しているというのに、これ以上不安要素を抱えたまま事に当たりたくは無い。取り除ける問題は事前に排除しておきたいという思いはレイチェルにもあった。

「・・・今ならまだ間に合う。あの人数と装備なら、俺とトキの二人で十分片付けられる。お前が決めろ」

 何処か厳しいと思えるエアニスの言葉に、レイチェルは森の奥の敵を見据えながら言った。

「・・・御願い、します」

 予想外の答えに、エアニスは意地悪く笑った。

「へぇ、また見逃せとか甘い事言うかと思ったが・・・」

「・・・」

 レイチェルの渋面を見れば、それが彼女自身の思いを押し殺した苦渋の選択だった事は想像できる。彼女も自分の背負っているものがどれだけ大きい物か分かっているのだ。

 意地の悪い言い方をしてしまったな、と反省したエアニスは、レイチェルの帽子をポムポムと叩く。

「まぁ、出来るだけ死人は出ないようにはするよ。余裕があれば、だけどな」

「・・・お願いします・・・。気をつけて」

 エアニスは背負っていたチャイムを、地面に敷いたマントの上に寝かせた。

「ティアドラ、あんたはこいつ達と一緒に居てくれ。俺とトキで片付けてくる」

 ティアドラは無言でに頷く。自分が管理する、このエルカカの聖地で何が起こっているのか分からず当惑しているのか。普段のふざけた様子が無かった。

「行けるか、トキ?」

「ええ、いつでも」

 エアニスは右手にライフルを、左手に愛用の剣"オブスキュア"を。

 トキは右手に大口径の銃を、左手には麻酔弾の込められた銃を持つ。

 マスカレイド兵から奪ったマントを羽織り、ボアのついたフードを深々と被る。

「いくぞ」

 エアニスが短く言うと、二人は雪の斜面を滑り落ちるように降りていった。



 事の始まりは前日の昼まで遡る。

 一機の航空機が雪と木々に埋もれるようにして墜落していた。機体の右翼は根元からへし折れ、機首も右半分が削ぎ取られたかのように無くなっている。墜落時に炎に包まれたのだろう。損傷の激しい部位は黒い煤で汚れており、誰がどう見ても再び空を飛べるような状態ではなかった。

 機体は死んでいたが、乗り組み員の何人かは助かったのだろう。降り積もる雪を防ぐように、穴の開いた外壁にテントのようなシートが張られている。機体の周りには簡単な小屋が幾つも建ち、入り口と思われる場所では火が焚かれている。人が歩く場所は雪かきがしてあり、ぬかるむ地面の上には床板代わりに木材が敷かれていた。

 それはまるで、墜落した航空機を使った砦のようだった。その様子から、多数の人間による生活の跡と、そして墜落してからかなりの時間が経っている事が伺えた。

 その砦に住む者達のリーダー、ローウェンは、航空機の中の自室で耳を疑う報告を聞いた。

 狩りに出ていた仲間が、森の中で遭難者を見つけたと言うのだ。

 発見されたのは栗色の髪をした少女と、軍服のようなコートを着た青年。二人とも寒さを凌ぐ為の装備すらなく、着の身着のまま、この世界の最果てへと放り出されたかのような有様だったという。

 報告を受けたローウェンは二人を保護し、砦へ連れて来るようにと指示を出した。



「ぐずっ、本当に、ありがとうございました・・・!

 皆さんに見つけてもらえなかったら、あたし達二人とも凍え死んでるところでした・・・っ」

 保護された栗色の髪の少女は毛布を肩に掛け、泣きじゃくりながら礼を言った。対して軍服を着た連れの男は、壁を背にし無表情で彼女とローウェンを見ている。部屋には他に、ぼろぼろの兵隊服を着た男が二人、入り口を見張るように立っている。

 ローウェンは彼女達が何故このような場所に居たのか話を聞く為、航空機の貨物室を鉄板とシートで区切っただけの一室へと招き入れたのだ。

「何があったのか分からないが、災難だったね・・・まぁ、ここにいれば暫くは安心だよ。

 ・・・とは言っても、我々も君達と同じ遭難者なんだがね」

 彼はそう言って、髭だらけの口元を歪め自嘲気味に笑った。ローウェンは二十代後半だが、一見すると実年齢より相当老けて見える。髪を切り、髭を剃り、黒くなってしまった肌を綺麗に洗えば、年相応の容姿ではあるのだろう。

「名前は?」

「あ・・・えっと、アイ・・・アイシャ、です。こっちは・・・」

「イビスだ」

 名乗った青年に、アイシャはキッと非難するような視線を向けた。その反応を訝しむローウェンに、彼女は取り繕うような笑顔を見せる。

「あ、あはは・・・えっと、それで、この飛空艇は一体何なんですか?」

 アイシャは至極全うな疑問を口にする。雪と氷に閉ざされたバイアルス山脈の中に墜落した航空機。その中に住まう人々。普通の出来事ではない。

「我々はレオニール空軍の者だよ。

 もう二年近くも前になるかな・・・

 バイアルス越えの最中に敵軍の攻撃を受けてね・・・ここに墜落してしまったんだ」

「に・・・二年も前に、ですか!?」

「あぁ・・・だが幸いこの航空機は補給物資の輸送機でね。食料や燃料、武器に弾薬、生きていく為に必要なものは沢山積んでいたんだ。

 その間我々は救助を待ちながら、自分達の力でこの山を脱出できないか模索しているのだが・・・この深い渓谷から出るのも一苦労でね・・・」

 彼らの飛空艇は運悪く、三つの山に囲まれた渓谷へと墜落した。徒歩で渓谷を抜ける事は可能であったが、過酷な自然環境に阻まれ周りの調査すら満足に出来ない状態だった。軍の回線を使い常に救難信号を発信してはいたが、それに答えがあった事は今まで一度も無い。

「無線も届かないから、ここ二年近く戦況の情報も得られないんだ。

 レオニール国について、何か知っている事は無いかい?」

「・・・?」

 ローウェンの質問に、アイシャは言葉を詰まらせる。しかし、すぐにその言葉の意味に気付いた。

「いえ・・・国が違いますので・・・あまり・・・」

 彼女は言葉を詰まらせた事を不自然に思われないよう、申し訳なさそうにたどたどしく答える。そうか、と、アイシャの言葉にローウェンは肩を落とした。


 その後、ローウェンは航空機に積んでいた補給物資が乏しくなっている事や、砦の周りを囲む渓谷の地形がどれだけ入り組んでいるか、など自分達の置かれている状況を説明した。

「・・・そして、狩に出ていた仲間の一人が君達を見つけた訳だが・・・君達はどうやってここまで来たんだ?」

 アイシャを心配して聞いているかのような言葉だが、もちろんこれは山から脱出できるかもしれないという、期待の込められた質問だった。こんな軽装でこの山に人が入れる筈は無い。何らかの移動手段を使わない限りは。

「・・・・・私達は、ヴァルハラ軍に捕まって、首都に連れて行かれる途中だったのです・・・」

 ヴァルハラと聞いて、ローウェンは苦虫を噛み潰したように口元を歪める。ヴァルハラントはレオニールの敵対国家である。開戦時から何万という民間人がヴァルハラ兵に殺され、そして人身売買の対象としてヴァルハラや、その同盟国へと連れ去られるケースが横行しているのだ。

「ヴァルハラの船が故障して、ここから山を一つ越えた場所に着陸して・・・私はその隙に、彼の協力を得て逃げ出したんです」

「!・・・・・」

 いきなり話を振られたイビスは何を言えばいのか分からず、口を開きかけたまま固まってしまった。しかし、彼が余計な事を口走る前に、アイシャはどんどん話を進めてしまう。

「彼はヴァルハラ兵でありながらも、軍の暴虐的な行為に反発を感じていたそうです・・・だから、逃げ出した私を守る為に、仲間を撃ってまで一緒に逃げてくれてっ・・・」

 ううう・・・とアイシャは俯き、嗚咽を漏らす。


《よくもそう簡単に・・・作り話を考えられるものだな、アイビス・・・・》

 たまらずイビスは、アイシャに・・・町娘風の姿に化けたアイビスの頭の中へと語りかける。

《話しかけないでよ!! いま必死にシナリオ考えてるんだから!!!》

「・・・・」

 何故そこまで躍起になって人間を騙す事に執心するのか。普段の彼女に言わせれば、ただ単に楽しいからという理由だそうだが。アイビスとの付き合いは長いが、イビスは未だにその思考が理解出来なかった。

「ヴァルハラ軍の船は、まだ君の知ってる場所にあるのか?」

「え、あ、はい、多分・・・」

「故障と言ったな。イビス君、どれくらいで修理が終わるか、聞いていないか?」

「・・・・」

《技師は簡単な修理だと言っていた、明日には出発してしまうだろうっ て言って!!》

「・・・技師は簡単な修理だと言っていた、明日には出発してしまうだろう・・・」

 イビスはウンザリとした表情でアイビスの言葉を繰り返す。棒読みになっていないだけ、まだ協力の意思が見て取れた。

「仲間の数は? 戦える者は何人乗っている?」

「・・・・」

 イビスはアイビスに視線を移す。

《ちょっとは自分で考えなさいよ!!》

 理不尽に怒られた。シナリオを考えているのなら、何故半端に人任せにするのだろう。流石のイビスも何か言い返したい気持ちになったが、そこはやはり流石のイビス。喉元まで出かかった文句を飲み込み、溜息に変えた。

 仕方なくイビスも、アイビスに合わせて作り話を考える。

「・・・乗組員は10人だ。全員銃を持たされている」

「10人、か」

 ローウェンの心に、歓喜にも似た闘争心が生まれる。

 10人なら、勝てる。こちらは20人以上居るのだ。半数は元々非戦闘員だが、この二年間、共に過酷な環境で生き抜いてきた男達だ。全員に持たせるだけの銃器もある。

 ヴァルハラの船を奪い、ここから脱出するのだ。ローウェンの口元は自然と綻ぶ。

 全員で、故郷に帰るのだ。

 ローウェンは共に話を聞いていた兵士に命令する。

「ヴァルハラ軍の船が飛び立ってしまう前に連中の船を奪うぞ。

 時間が無い、皆を集めろ!」



「あはははっ、簡ーん単っに騙されたわねーアイツら!」

 ローウェン達との話を終え、イビスとアイビスは砦の外に出ていた。といっても、砦から少し離れた茂みの奥・・・などではなく、二人は空間を渡り、遠く離れた渓谷を見下ろせる峯の上に居た。ここからだと墜落した航空機と、周りの切り開かれた森が辛うじて見て取れる。しかし、偶然上空を飛空艇が通過したとしても、それに気づく事は出来ないだろう。

 因みにアイビスの姿は栗色の髪の少女に化けたままだった。

「馬鹿よねー!がんばって渓谷から出て、3日も山を登れば人里に出れるってのに・・・それに気づかず二年間もこんなトコにっ・・・」

 アイビスは腹を捩りながら笑いを堪える。しかし、彼女は簡単そうに言うが普通の人間にとって、それは難しい事だろう。何の成果も出せず諦めて引き返す事を考えれば、この山で3日以上かかるような場所まで足を伸ばすのは自殺行為に等しい。もし彼らが、命を顧みる事のない片道切符の調査を行っていたら、幾つか山を越えた先にある緑の大地と、ファウストの街を見つける事が出来たかもしれない。

 それが出来ぬまま2年もの歳月が流れてしまったのは、食料を始めとする大量の補給物資や、雪を防げる頑丈な航空機の残骸という安心材料があった為だろう。この場から動かなければ暫く生き延びることが出来る。その思いから危険を伴う調査に踏み切る事が出来ず、救助を待つという消極的な姿勢に繋がってしまったのだ。

「それと、気づいてる?」

「何がだ?」

「あいつら多分、戦争が終わってる事、知らないわよ」

「!・・・・」

 イビスの常に無気力な無表情が、珍しく動いた。20年にも及ぶ世界大戦が終結したのは、ほんの一年半前だ。

「ここに堕ちたのが2年近く前と言っていたな・・・」

「戦争終わってるのに、自分の国を心配するような事言ってたでしょ?」

「滑稽-・・・というより、哀れだな」

「あら、珍しいわね。あんたが同情するなんて」

 アイビスはクスクス笑いをやめて珍しがる。何事に対しても感心の薄いイビスが、他人に、ましてや人間に対して何かを思う事など滅多に無い。

 アイビスの疑問に、彼は目を伏せながら言う。

「俺達だって似たようなものだろう。こちらの世界にとり残されて250年だ。

 彼らを笑う資格などない」

「・・・・・・」

 へらへら笑っていたアイビスが、白けたように表情を曇らせる。頭をがりがりと掻いて、面白く無さそうに息を吐いた。

 二人の間に、暫しの沈黙が落ちる。

「それで、こんな事をしてどうするつもりだ?」

「・・・決まってるじゃない。彼らを、あの連中にぶつけるのよ」

 無論、あの連中とはエアニス達の事だ。彼女の考えに大方の見当が付いていたイビスだが、その狙いまでは分からなかった。

「相手になると思うか?」

「ならないでしょうね。でも、あの連中は彼らに手を出せるかしら?

 ただ生きようとしているだけの、自分と同じ人間達を、殺す事ができるかしら?」

「・・・連中ならやるだろうな。甘い所はあるが、特にザード=ウォルサムとトラキア=スティンブルグは、自分の中でさえ割り切れてしまえば容赦をしない性格だ。仲間の女達を守る為なら、敵の事情を詮索するまでもなく、ただの障害物と看做して斬り捨てるだろう」

「まぁ、そうでしょうね。で、あいつらがその後に彼らの事情を知ったらどう思うかしら?」

「・・・」

「遭難者を扇動したのがあたし達だって知ったら、あたしたちの事をさぞかし憎むでしょうねー・・・」

「・・・連中の"憎悪"を喰うつもりか?」

「そういうコト。いいかげん遊び過ぎちゃったからねー・・・

 ここで確実にあいつらを潰す為に、改めてあたし達の事を"認識"してもらわないと」


 実体を持たない魔族は、他の存在から"認識"される事で自らの存在を形取っている。

 恐怖、憎悪、畏怖に嫉妬、そして崇拝。それらの感情を強く向けられる程に、彼らの存在はより強固に、大きくなってゆく。

 そして憎しみは、もっとも手早く生み出すことの出来る感情である。

 だからアイビスは、あの遭難者とエアニス達を争わせる事により、最終的には黒幕である自分に向けられるであろう憎しみを、自分の糧としようとしているのだ。

 自分達の存在を、より強固で強大な物とする為に。

 憎まれる程に、恐れられる程に。

 彼等は強くなる。



 ローウェン率いるレオニール軍の遭難者達、総勢24人は、不時着したヴァルハラ軍の飛空艇を奪う為、アイシャに教えられた着陸場所へ向かっていた。

 そろそろ今日の移動はやめてキャンプを張ろうかと思いかけた頃、反対側の山の中腹に小さな明りが灯っているのを見つけた。双眼鏡で確認すると、そこにはヴァルハラ軍関係者と思われる5人の人間の姿があった。

 アイシャとイビスを連れ戻しに来たのだろう。しかし、双眼鏡を使い遠目で確認しただけだが、彼らはどうみても軍人には見えなかった。揃いのマントは着ているものの、その装いは軍服ではない。5人の中の3人が女だという事にも違和感を感じたが、だからと言って全く別口の第三者だとも思えない。二年近くもの間、このバイアルスの山の中で人間と遭遇する事が無かったというのに、この一日で立て続けに二組の人間と遭遇するという偶然は考えにくい。

 彼が判断に迷っていると、案内のために同行しているアイシャが、船の中で髪の長い軍人を見たと言った。確かに、5人組の中には髪が異様に長い男の姿が混じっている。

 ローウェンは、彼等をヴァルハラ兵とみなし、ここで叩いておく必要があると判断した。

 もしそれが間違いだったとしても、彼には考えられる方法中で自分達の生き延びる可能性が少しでも高い方法を選ばざるを得なかった。脱出のために残された時間は少なく、このチャンスを逃す訳にはいかなかいのだ。

 彼らは夜明けと共に彼等を襲撃する為、その夜の休息時間を削り準備に割り当てた。


 しかし結果は、襲撃に気づいた彼らが洞窟内に立て篭もり、自ら洞窟を爆破してしまうという不可解な結末となった。

 崩落した洞窟から一旦退き、ローウェン達は森の中へ身を隠す。

「・・・彼らは本当にヴァルハラ軍の人間なのか?」

「はい。昨晩も話しましたが、入り口を見張ってた長髪の男・・・船の中で見た覚えがあります」

 ヴァルハラの船に捕らえられていたアイシャが言うのだから、間違い無いだろう。ローウェンはイビスにも視線を送ると、彼は同意するように頷いた。

「洞窟を爆破して自害したとは考えにくいな・・・。洞窟の奥に抜け穴があり、我々の追撃を断つ為に洞窟を崩した・・・か?」

 我ながら苦しい説だとは思ったが、5人全員で土砂に埋まり自ら命を絶った、と考えるよりは現実味があった。

 とにかく今考慮すべき事は、彼らが生き延びてヴァルハラの船に戻り、ローウェン達の存在を報告される事だろう。

 もしそうなれば奇襲は失敗に終り、最悪自分達が着陸場所に到着する前に船が飛び立ってしまうかもしれない。それだけは避けなければいけない。この地から脱出する最期のチャンスかもしれないのだ。

 ローウェンは黙考した後、決断をする。

「・・・戦えない者はここに残れ。今の連中を探すぞ。

 もし抜け道があったとしたら、まだ近くに居る筈だ」


 ローウェンの判断で戦闘要員の兵を3人づつ、3つのグループに分けて、周囲の捜索を始めた。待機を命じられた残りの10人程の遭難者とアイビス達は、森の中ででローウェン達が戻るのを待っていた。昼を過ぎても戻らない場合、ヴァルハラの飛空艇への襲撃は止めて、大人しく砦に戻るようにとも言われている。

「暇になったわね・・・」

「お前がこうなるように仕向けたんだろう」

「そーだけどーさー・・・」

 残された遭難者達と共に岩場に座り込みながら、イビスとアイビスはぼそぼそと言葉を交わす。

「石を・・・連中を見失ったらどうする?

 このままこいつらを有りもしない飛空艇まで案内するつもりか?」

 無論、その場合でも彼等が向かう先は既に分かっているのだ。遭難者達の事は忘れて、あの石扉の前まで戻ればいい。

「あーん・・・・どうしよっかー?

 なーんか辻褄あわせが面倒になってきたわねー・・・」

「お前が用意した茶番だろう」

 イビスの常に平坦な声が僅かに荒れた。温厚なイビスも、アイビスの我侭と身勝手さに苛立ちを感じ始めていた。

「そーなんだけどさー・・んーむー・・・」

 エアニス達との戦いの上で、遭難者達との遭遇が演出の一環となるよう上手く話を纏めたアイビスだが、想定外がひとつ増えただけで途端にやる気を失ってしまったようだ。

 呆れたようにイビスは息を吐くと、不意に何かに気づいたように空を見上げた。

 ビリビリと伝わる二つの敵意。

「来たぞ。2人・・・男どもだ」

 端的なイビスの言葉に、アイビスはキョトンと目を瞬かせる。

「・・・あはっ!」

 思わずこみ上げた笑いを押し殺し、アイビスは岩場の上で勢い良く立ち上がった。

「なぁーーによ何よぉーーー!!!

 なーんか色々メンド臭くてダレてきちゃったってのに、わざわざ向こうから来てくれるなんて・・・

 ホント退屈させてくれないわよね、アイツらってさ!!!」

 よほど嬉しいのか、上がってしまった声のトーンを押さえようともせずアイビスは笑うようにして言った。さっきまでの無気力さは消し飛び、嬉々とした表情でアイビスは事の展開を楽しむ。遭難者達の前で装ってた、大人しい村娘の姿はそこには無かった。

 一緒にローウェン達の戻りを待っていた遭難者達は、突然人が変わってしまったかのようなアイビスを何事かと見上げる。

 そんな彼らの注目を集めるように、アイビスは高々と右手を空へと突き出した。

「んじゃ、予定よりちょっと早いけど、始めちゃおうか!」

 パチンと指を弾くと、アイビスを見上げていた遭難者達の瞳から一斉に光が消えた。



「動くな!!」

 森の中で身を隠していたレイチェル達の前に、銃を構えた3人の男が現れた。

 エアニス達を探していた、ローウェンをリーダーとするチームだった。

 周りの枝葉や雪の音すら立てず、彼らはレイチェルの前に突然現れた。ティアドラを含め、全く気配を察知する事が出来なかった。戦いに慣れているというよりは、まるでこの自然環境と一体化しているようだった。

「・・・洞窟で私達を襲った人ですね?」

 レイチェルは男の、ローウェンの言う通り、その場に座ったまま首だけを動かして言った。ティアドラも咥えていた煙草をそのままに動こうとせず、チャイムは未だ気を失ったままだ。

 ローウェンは引き金を引く前に、聞いておかなければならない疑問を口にする。

「・・・お前らは、本当にヴァルハラ軍の者なのか?」

 ローウェンはやや自信無さげな口調で問いかける。やはり間近で見ても、彼女達の姿や物腰は、軍人にもそれに関わる者にも見えなかった。

「ヴァルハラ・・・?」

 彼の問い掛けにレイチェルは眉をひそめるだけで、ローウェンの迷いは一層大きくなる。

「ヴァルハラの人間じゃないなら、お前は何者だ! どうやってここまで来た!?」

 ローウェンの部下が興奮気味に怒鳴った。ローウェンはともかく、部下の二人には落ち着きが無かった。少しでもレイチェル達がおかしな真似をすれば、本当に発砲しかねない。それだけ彼女達の存在は、この場では不自然で得体の知れない、異常なものなのだ。

「私達は、この山にある古い神殿に用があるんです。ファウストの街から、車と徒歩で来ました」

「・・・歩いて・・・だと!?」

 男達が顔を見合わせる。

「何か誤解されているのかもしれません。私達の話を聞いて下さい。

 銃も、下ろして下さい・・・」

「・・・・」

 静かに説得するレイチェルに、男達も危険は無いと感じたのか。それとも、落ち着き払った少女に対し、大の大人が恫喝するような真似をしてしまった事を恥じたのか。銃口をゆっくりと下ろした。

 レイチェルは静かに安堵の息を吐く。


『!!』

 突然、辺りの空気が変質した。魔導師であるレイチェルとティアドラには、何者かの魔力によって、あたりの空間が支配されたという事が分かった。

「おい!?」

 ローウェンが叫ぶ。男の一人が、一度は下ろした銃を再びレイチェルに向けたのだ。男の表情は虚ろで、瞳から意思の光が消えているように見えた。

「傀儡の術じゃ!」

 ティアドラが叫ぶ。

 レイチェルが状況を理解するよりも早く、男が引き金を引いた。

 しかし発砲の直前、男の銃口が跳ね上がり弾丸は蒼い空へと突き抜けて行った。

 今まで気を失い横になっていたチャイムが、仰向けのまま男のライフルを蹴り飛ばしたのだ。彼女は跳ねる様に起き上がる。

「なぁにすんのっ、よっ!」

 そのままライフルを奪い取り、立ち上がりざまに銃床で男の顎を真下から突き上げた。仰け反った男は背中から新雪の中に倒れこみ、そのまま動かなくなる。

「なに今の!?・・っつーか誰よあんた達!!

 っていうかそんな事より結界か何かに取り込まれなかった!?」

 周囲の魔力の変化に気付き目を覚ましたのだろう。事態を全く飲み込めていないチャイムは奪ったライフルを片手に慌しく辺りを見回した。

「がっ・・・!?」

 ローウェンが頭を押さえた。頭が痛むのではない。身体に入り込む強烈な違和感。まるで、頭の中に手を突っ込まれ、そこから手足に繋がる糸を強引に引っ張られているような感覚。体中の筋肉が強張っているのに意識が遠のき始めた。

 ここで、異変を感じ取ってから呪文詠唱を続けていたティアドラの術が完成した。腰に刺していたナイフを地面に突き立て、そこを中心に自分の結界を作り出した。

 じゃあぁぁっ! と、焼き石に撒いた水が爆ぜるような音が響いた。周りの様子に変化は無かったが、レイチェル達が感じていた圧迫されるような魔力の流れが消えていた。ローウェンの体の異変も嘘のように消え失せた。それでも彼は、頭を押さえがくりと膝を付く。

「かはっ・・・な、何だ、今のはっ・・・お前の仕業か?」

「違うわい。誰かが人間を意のままに操る術式を使いおった。

 お主も一瞬じゃが意識を捕まれておったぞ?」

 助けた相手に敵意を向けられてもティアドラは気を悪くした様子も見せず、突き立てたナイフの周りに追加の魔導式を書き込みながら答えた。

「どうせ・・あの魔族達の仕業でしょ? イビスと、アイビスって言ったっけ?

 やっぱこの山に来てるのね・・・」

 警戒の色を強めるローウェンは、チャイムの何気ない呟きに聞き覚えのある名前を見つけた

「イビス・・? 君達はやはり、彼らの知り合いなのか?」

『・・・!?』

 ローウェンの呟きに、チャイム達は一斉に彼へと振り向いた。



 ざざざざ、と、かりかりに凍った粉雪と木々の枝を掻き分け、エアニスとトキは急斜面を滑り下りる。

 エアニスの目が崖の下で動く人影を捕らえた。

「見えたぞ、この先の崖の下。10人くらい。崖を飛び降りて連中のど真ん中に飛び込む!」

「雑な作戦ですねぇ。まぁ、いいですけど!」

 そう言葉を交わしているうちに、足元の地面は途切れる。崖の先端で二人は思い切り踏み切って、茂みの外へと飛び出す。眼下にはエアニスの言った通り、10人程の人影。ずだん!と雪煙を巻き上げ、二人はその中心へと降り立った。

「っ!?」

 ずぐん、と、エアニスの首の後ろが疼いた。

 まるで "頭の中に手を突っ込まれ"、中身を鷲掴みにされたような感覚。何とも言えない不快な違和感に、彼はぶるりと身を震わせた。

「・・・?」

「どうしました、エアニス?」

「・・・ん、いや、何でもない」

 トキに変わった様子は無い。首の後ろをさすりつつ、エアニスは一瞬感じた違和感を忘れる事にした。

「まぁ、そんな事よりエアニス。これはどういう事ですか?」

「あ?・・・あぁ?」

 遅まきながら、エアニスはようやく自分を取り巻く状況を把握した。

 二人が飛び込んだのはボロボロの兵隊服を着た10人程の男達のど真ん中。エアニス達の洞窟を襲った連中・・・の筈だった。しかし兵隊服に身を包んでいたのは人間ではなかった。

 血の気を失ったひび割れた肌に、白く濁った眼球。異様に痩せ細った四肢。

「生ける屍・・・あの野郎だな・・・」

 エアニスの言うあの野郎とは、言うまでも無く魔族の少女、アイビスの事だ。

 アスラムへ渡る船の上で、彼女が作り出した"生ける屍"と戦ったのはそれほど前の事ではない。

「・・・洞窟を襲撃した兵隊さん達は間違いなく人間でしたよ。双眼鏡ではっきりと確認しました」

「・・・そいつらが、あの野郎とカチ会ってこんなにされちまったって事か?」

「さぁ、どうでしょうね?」

 ロクに考えた様子も無くトキは適当な相槌を打つ。エアニスは肩を竦めた。

「まぁ、こうなっては事実を知る事も出来ないし・・・別に、知る必要も無いか」

 エアニスは腰の剣を引き抜く。"生ける屍"にされてしまった者を救う方法は無い。エアニス達が彼らの為に出来る事は、いつまでも動き続けるその体を破壊し、普通の屍として土に還してやる事くらいだ。生きてはいても、彼らはもう"屍"なのだ。

 エアニスは心に引っかかる罪悪感を振り払い、彼らへ剣を向ける。

「何処の誰かは知らねーが・・・巻き込んで悪かったな・・・。

 俺達を恨まず、大人しく成仏してくれよッ!」

 そう言って、エアニスは手近な"生ける屍"へと斬りかかった。

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