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月の光を纏う者  作者: 猫崎 歩
終章
65/79

第64話 想いとココロ

 ぎゅむむむ、と

 白い地面を踏み締める感触を楽しみながら、レイチェルは山道を跳ねるように歩いていた。真っ白な新雪を選んでは足を運び、再び少し離れた新雪へと飛ぶ。

 そしてお約束通りに足を滑らせ、ズデンと尻餅をついた。小脇に抱えていた薪が周りに散らばる。

「何やってんだよ・・・そういうのはチャイムの役目だろう」

「!・・み、見てたんですか・・・」

 少し離れた茂みの向こうにエアニスが居た。エアニスも沢山の薪を抱えている。誰も見ていないと思い遊んでいたレイチェルは思わず頬を赤く染めた。

 がさり、と、今度は薪を抱えたチャイムが姿を現す。

「ちょっと! あたしの事どんだけオッチョコチョイだと思ってんのよ!!」

 そう叫び大きく踏み出したが、足を滑らせてひっくり返り、再び茂みの中へ吸い込まれていった。

 それを見届けたエアニスは、痛々しい表情で首を横に振った。

 チャイムにも見られていたと知って益々顔を紅潮させるレイチェル。そんな彼女にエアニスが笑いながら手を差し出した。

「雪が珍しいか? エルカカでは雪が降らないのか?」

「いえ、十数年に一度降る事があるとか・・・でも、私は生まれて初めて見ました!」

「へぇ。前は海を初めて見たって言ってたし・・・初めて尽くしの旅だな」

「はい!」

 楽しそうに頷き、エアニスの手を取って腰を浮かすレイチェル。厚いマントがめくれた状態で尻餅をついてしまった為、服が濡れてしまった。おしりに張り付いたドレスを叩く。

 ズドドドと、再び茂みの奥からチャイムが飛び出してきた。その姿はいつの間にか泥だらけになっている。ダン!と着地し今度は力強く地面を踏みしめると、彼女は仁王立ちになってエアニスへ指を突きつける。

「ほら、やっぱりまた!! エアニスはレイチェルにだけ優しい!!

 あたしが滑って転んで茂みの奥の土手に転がり落ちて頭打って一瞬意識飛ばしてたのに、ちょっと転んだだけのレイチェルばっか気にかけて!!!」

 一息に捲し立てるチャイムにエアニスは気圧されながら、

「そ、そうか、大変だったな・・・・。でも知らねーよそんな事・・・・」

 きいぃっ! とチャイムは地団太を踏む。エアニスは頭を掻いた。

「何が不満なんだよお前・・・」

「何って・・・そりゃあ!・・・」

 そこでチャイムが押し黙る。何かを言い返そうと思っているのか、口だけがパクパクと動いていた。そして、チャイムから返って来たのは言葉ではなかった。

 何を思ったか、チャイムは足元の雪を掴むと、エアニスに投げつけた。粉のようにサラサラの新雪は、ぶぁさり、とエアニスへ降りかかり、その頭を真っ白にした。

「冷てっ!」

「ふん、避けずにボケっとしてるのが悪いのよ!」

「避けたらレイチェルに雪がかかっちまうだろーが!!」

「!!」

 ガーンと、今度こそチャイムは何かに打ちひしがれたかのように崩れ落ちる。二人は跪くチャイムに天からスポットライトが当てられているのを幻視した。

 二人が えぐえぐと涙を流すチャイムの取り扱いに難儀していると、最後の旅の連れ、トキがやってきた。

 何故かエプロン姿に頭には三角巾、片手にはお玉を持ったクッキングスタイルだ。

「こんな所にいたんですか。夕ご飯の仕込み終わったんで、そろそろ薪が欲しいんですけど・・・って、何やってるんですか?」

「トキ、エアニスがいじめる!!」

 思わず「おかあさん!」と呼びたくなってしまういでたちのトキに、チャイムは泣きながらすがり付いた。

「あー、はいはい、よしよし。何があったんですか?」

「あのね!あのね!!」

「はい、ええ、うん、そうですか。

 貴方達は本当に面倒臭いですね。もう僕を巻き込まないでくれませんか?」

「ロクに考えもせず拒絶されたっ!!」

「日に日に酷い奴になって行くなこいつは・・・」

 チャイムは「いゃあそれほどでも」と照れるトキを土手に蹴り落とし、怒涛の涙を流しながらその辺に生えている木に抱きついた。

 もはや頼るべき仲間は居ない。


 エアニスは、はーぁ、と溜息か呆れているのか良く分からない器用な息を吐く。確かに、チャイムに対する扱いが日ごろからぞんざいだという自覚が無い訳でもない。エアニスはさめざめと涙を流す(もちろんふざけているのだろうが)チャイムの横に座ると、彼女の頭にポンと手を乗せる。

「あぁ、悪かったよ。何かお前頑丈・・・じゃなくて図太い・・・でもねぇ。

 えっと、頼もしい感じだからさ。つい遠慮ってモンを忘れちまって・・・別に嫌ってるワケじゃねーよ。ごめんな」

 エアニスはぞんざいな感じで、でも何処か優しく、チャイムの赤い髪をくしゃくしゃと撫ぜた。エアニスに触れられた髪から、柔らかく甘い痺れのようなものが伝わる。

「あ、なぁっ、ひあっー!!」

 チャイムはエアニスの手を払いのけようとするが、エアニスの手に触れる事に抵抗でもあるのか、両手を頭の上で泳がせるだけだった。怪しい儀式の踊りのようだ。

「・・・大丈夫かお前、ホント最近変だぞ?」

 あまりにも奇妙なリアクションに動揺し、エアニスは心配そうに彼女の顔を覗き込む。

 熱でもあるかのように耳まで真っ赤にそまった顔。困っているような、でも何処か嬉しそうにニヤついて・・・ハッ!と我に返る。

「気安く触るな妊娠するだろうがーー!!」

 鬼の表情に豹変したチャイムは、ザクッ!っと、手刀をエアニスの鳩尾に突き刺した。一瞬白目を剥き、「うっ」と短くめき声を漏らしたエアニスは、額を地面に押し付けてドサリと倒れる。

「どあほーっ!!」

「ち、チャイムーー!?」

 シンプルな捨て台詞を残し一目散に走り去るチャイムを、レイチェルが追いかけて行った。

 一人残されたエアニスの元へ、土手に蹴落とされたトキがガサガサと音を立て戻ってきた。

「あー病んでますますねぇ・・・恋の病、ですか・・青春ですね」

 ビクンビクンと震えていたエアニスの背中がピクリと動いた。うずくまったまま、訝しげな顔をトキに向ける。

「あ? 何だって?」



 エアニス達はバイアルス山脈の目前まで来ていた。レイチェルの旅の終着点までは、もう数日で到着する。

 一ヶ月で到着する予定だった旅は、様々なトラブルに巻き込まれるうちに既に二ヶ月を過ぎていた。

 山脈の峰は白雪化粧をし、それは山の中腹あたりまで下りて来ている。

 季節は既に冬の始まり。しかも今年は雪が降り始めるのが早かった。

 レイチェルの目指す場所は、バイアルスの山の中腹にあるという。

 急がないと、目的の場所が春まで雪の壁で閉ざされてしまうのだ。


 そして今いるのが、バイアルス山脈手前の山中。その森の中で古びた廃屋を見つけ、一夜の宿としていた。屋敷とも呼べるその廃屋は、建物様式からして軽く50年以上昔の建物だ。何処かの金持ちの別荘か何かだったのだろう。

 こんな汚れて朽ち果てた屋敷に泊まるより、窮屈でも車やテントで眠った方がマシ、という考え方もある。しかし屋敷の中には暖炉があった。今回ばかりは寝床の埃臭さよりも暖炉の火の暖かさが勝ったのだ。ここ数日は特に寒く、そろそろ野宿するには厳しい季節になっていた。

 とはいえ、野宿も今日が最後になるかもしれない。

 明日にはバイアルス山脈の麓にある街に着く。旅の途中に立ち寄る街も、そこが最後だ。


 4人は気まずい空気のまま食事を終え、今はエアニスとトキが暖炉の前に座り込んでいた。

 明りは暖炉の火と、反対側に置いたガソリンランタンのみ。光量は十分でなく大きな部屋の隅には闇がわだかまっている。

 チャイムとレイチェルは食事の片付け係だ。今頃、ふたりで雪を溶かした水で食器を洗っているだろう。


「驚きましたね。まさか気づいていないなんて・・・」

「・・・」

 その頃、エアニスはトキになじられていた。

「エアニスは心の機微というものがまるで分かっていません」

「だっ、・・で、でも、あいつ俺の事平気で殴ってくるし、何かと突っかかってくるし・・・そんな相手を、す、す、好きだって思うか?」

「喧嘩するほど仲が良いって事ですよ。どんな形であれ、好きな相手とはコミュニケーションを取りたがるモノなんですよ」

「そ、そういうもんなのか?」

 問われたトキは手にしていた本の表紙を指差して、

「らしいですよ。この本にそう書いてあります」

「受け売りかよ。って、何だその表紙が微妙にいかがわしい本は!!」

 エアニスは本をひったくると目の前の暖炉の中に叩き込んだ。

 如何わしいと言っても、男女がウットリした表情で顔を寄せ合っている絵が描かれた女性向けの恋愛小説だ。エアニスの基準では、これがいかがわしい本に分類されてしまうらしい。よほど純情なのだろう。

「酷いじゃないですか、まだ読みかけなのに。

 それにしても・・・意外ではありますね。こう言うのも腹が立ちますが、エアニスは飛びきりの美形ですよ? モテるんじゃないですか?」

「今まで俺と一緒に居て俺がモテてる所を見た事があるか?

 というか・・・基本的に人間を避けて生きてきたからな・・・」

「あぁ・・・」

 トキの目が遠くなった。そういえば、ミルフィストにあるエアニスの家は街から離れた森の中にある。それに、エアニスが戦争中にしてきた事を考えれば、人目を避けるようになるのは仕方の無い事だ。

 その為エアニスは異性からそのような感情を向けられた事が無く、また向けられた時の事を考えた事も無かったので、今回の件に戸惑っているのだ。

「多少変わった所はありますが、いい子じゃないですか。くっついちゃったらどうですか?」

「・・・無理だろ」

「何でです?」

「俺は長生きだからな。いつまでもお前達人間とは一緒に居れないんだよ」

 素っ気無く言った割に、それは重い言葉だった。その意味を理解し、トキは口をつぐむ。

 普段意識する事は無いが、エアニスは普通の人間ではない。エルフと人間の混血なのだ。

 エルフは種族にもよるが、人間の数倍の寿命を持つ。生まれたら人間と同じスピードで成長し、最も身体が健康な状態に達すると成長は止まり、寿命を迎える直前までその姿を保つ。鋭い五感を持ち、桁外れな魔力を身に宿す、人間よりずっと優れた種族。

「関係ないんじゃないんですかね・・・そんな事」

 気休めを言っているような気がした。トキは自分の言葉が上滑りしている事を自覚し、すぐに言わなければ良かったと後悔した。

「取り残される身になってみろ。お前だって分からない訳じゃないだろう」

「それは・・・」

 トキの言葉が途切れた。暫く暖炉の炎を見つめたまま、黙り込む。そして、これまでとは少し違う声色で、こう続けた。

「それでも、失う事を恐れ、求める事を止めるのは、良くないと思います」

 はっきりと言われてしまった。

 エアニスは唇を噛む。返す言葉も無い。それは、ただ恐れて逃げているだけだから。

「・・・別に求めてねーし・・・」

「またまた。嫌い、ではないんでしょう?」

 ギロリ、とトキを睨むエアニス。トキはわざとらしくブルルと身を震わせた。

「いや、これ以上いじめるのは止めましょうかね。僕がおちょくったせいでお二人の関係がぎこちなくなるのも忍びないですし」

 トキは荷物から毛布を出し、鞄を枕にして横になる。

「僕はもう休みます。見張りの方はよろしくお願いしますね」

 このタイミングで言われると腹が立つが、今日はトキが食事係、チャイムとレイチェルが片付け係りで、エアニスが夜の襲撃に備えた見張り係りだ。

 エアニスは剣とショットガンを持ち、肩に自分の毛布をかけると、屋敷の外へ出て行った。



 虫の音が響く夜の森がエアニスは好きだった。しかし彼らの殆どが各々の役目を全うし、森の土に還ってしまった。時折聞こえる弱々しい虫の音は、侘しさしか感じられない。風も無い夜の森は耳が痛いほどに静かだ。

 車の窓は少しだけ開けてあり、冷たい風が入り込む。窓を閉め、完全に外気を閉ざしてしまうと、外の気配に対し鈍くなってしまうからだ。

 目を閉じ、エアニスは耳と肌で屋敷の周りの様子を監視する。車のシートに座り居眠りしているようにしか見えないが、ちゃんと仕事はしているのだ。

 1つの気配に反応して、エアニスが目を開ける。目を閉じて暗闇に慣らしたエルフの目は、月明かりも乏しい暗い森の中でも、相手の姿を認識する事が出来る。

 その姿を認め、エアニスの鼓動が早くなる。思わず自分の胸を叩き、舌打ちをした。

 車のドアを開けて、助手席に座り込んだのはチャイムだった。

「はい。暖かいコーヒー」

 両手に持っていた2つのカップの1つを突き出した。

「な、何だ気味が悪いな・・・」

「失礼ね! 有りがたく頂きなさいよ!!」

「熱あっ! 何なんだよもう!?」

 熱々のコーヒーが注がれたアルミのカップを頬に押し当てられ、エアニスが悲鳴を上げた。カップを引ったくり、息で冷ましながら口にする。

「!、変な薬でも入れてないだろうな?」

 眠り薬か、ひょっとすると惚れ薬とか。そいえばチャイムは元・魔法医だ。

「入れるかっ!」

 言いながらエアニスの頬を引っ張り、横を向かせた。

「・・・ぶっ」

「あにがおかひぃ?」

「ううん、別にっ」

 頬を引かれたエアニスの顔が面白かったわけではない。自分自身が滑稽で、おかしかったのだ。

(変なの、ケンカしてる時だけ、普通に話せるなんて・・・)

 チャイムは自分のカップに口を付け、緩む口元を隠した。


 いつの間にか、エアニスの事を考えている時間が多くなっていた。

 それは旅も終りに近づき、別れの時が近づいているからだろう。

 旅が終わったら自分は、エアニスは、みんなはどうするのか。

 自分自身、まだ決めていない。

 旅が終わったら、再び自分はエアニスと別の道を歩むのか。

 それは、なんだか嫌だ。

 もっと、たくさん、一緒に居たい。

 こうやって、下らない馬鹿をやっているだけでもいい。

 チャイムは、エアニスと別かれたくなかった。


 チャイムはエアニスの頬から手を離すと、助手席のシートに座りなおし、コホン、と咳払いをする。

「ちょ、ちょっと、お話しよっか」

「・・・説教ですか?」

「・・・怒るよ」

「・・・すまん」

 チャイムの言葉に真剣味を感じ、エアニスはふざけるのをやめた。

「話したくなかったらいいんだけどさ」

「何だよ」

「レナさんの事」

 その名を耳にしてもエアニスの表情は変わらない。チャイムは話を続ける。

「エアニスにとって大切な人だったって事は知ってるけど、その・・・」

 チャイムは僅かに口ごもってから、エアニスを見上げながら問いかけた。

「・・・好き、だったの?」

 ストレートに聞いたチャイムに、エアニスは眉根を寄せる。

 がりがりと頭を掻き、少しだけ考える素振りを見せてから---首を振った。

「いいや、多分・・・そういうのじゃ・・・無かったんだと思う」

 エアニスはシートに深く沈み込み、、観念したような、諦めに近い表情で話し始めた。

「あいつと一緒に居たいと思ったのは・・・そうだな、自分の生きてる意味をあいつに見出していたから・・・だと思う」

 自分の想いをエアニスは初めて口にしていた。忘れてはならない、しかし思い出したくは無い過去。自分でもまだ完全に整理できていない想いを、最も相応しい言葉を選びながらチャイムへ伝える。


「レナは・・・とても価値のある人間だった。

 もっと沢山生きて、沢山の人々と触れあい、あの優しさを分け与えてゆくべき人間だった」


 初めは、エアニスの目に偽善とすら映ったレナの優しさ。しかし、それが本物だと気付くのに時間は掛からなかった。

 レナは優しい人間だった。その優しさは、自分の身すら省みない危ういものだった。

 それを知ってから、エアニスはレナの事を放ってはおけなくなった。


「だから、あいつを守る事が、あいつに必要とされた事が嬉しかった。

 金や自分の為じゃない。初めて、他人のために剣を振るいたいと思った。レナを守ることで、初めて、自分が生きている意味のある人間になれたと思えたんだ」


 不思議な気持ちだった。自分の気持ちを、別の視点から客観的に聞いているような気分だった。言葉にしてみて、あぁ、俺はそう思っているのかと、改めて知った。


「だから、好きだとか、忠誠心だとか、そんな大層な物じゃない。

 簡単に言っちまえば・・・あいつに依存していたんだ」


 最後はいつものエアニスらしく、自分の想いをぞんざいに、自虐的に結論づけた。手のひらを上に向け、もうこの話はお終い、と意思表示する。

 一気に話しきり、エアニスは大きく溜息をついた。

 嘘は、ついていない筈だ


「そっか・・・いいな、レナさんは」

「・・・」

 何がいいのか、チャイムに問いたいと思うエアニスだったが、何と無く言い出せなかった。

 二人の間に穏やかな沈黙が落ちる。

 チャイムはエアニスの横顔を見た。いつも通りの、不機嫌そうな表情。

「・・・何でそんな事を聞く?」

 いつも通りに見せかけていたものの、実は沈黙に耐えられなくなっていたエアニスが振り向く。

 不意にふたりの視線が間近でぶつかる。何故か心臓が跳ね上がり、チャイムは慌てて顔を逸らす。ごちゃごちゃに絡まり始めた思考を働かせ、とりあえず口を動かす事だけを考えた。

「んんっと、別にっ。何となく、エアニスはレナさんの事が好きで、今も想ってるのかなーっなんて。

 え、エアニスの中に、あたしの居場所とか・・あ、ある・・のかなーって・・・」

 段々と小声になってゆく言葉にあわせ、チャイムの顔にドクンドクンと血がのぼってゆく。

 頭が真っ白になって、自分が何を言っているのか分からない。ただ、とんでもない事を言ってしまった様な気がした。

(やば・・・何言ってんのあたし・・・!)


 チャイムは熱いコーヒーを一気に飲み干すと、ドアハンドルに手をかける。

「あ、あは、今のナシ! 忘れて!!」

 逃げるように車の外へ出ようとするチャイム。その手をエアニスが掴んだ。

「え! なっ! 何!?」


 顔を真っ赤にし、汗をだらだら流すチャイム。いつの間にか窓ガラスの内側が曇っていた。

「お前から話をしようって言ったんだろ。見張り、暇なんだよ」

「へっ?」

 エアニスはチャイムの手を引きシートに座らせると、不機嫌そうな表情で・・・照れ隠しの表情で言った。

「もう少し・・・話をしよう」



 いつも通りのエアニス。その言葉に、チャイムは救われたような気がした。

 あのまま逃げ出していたら、明日の朝どんな顔をして会えば良かったか。

 とにかく、いつもの当たり障りの無い馬鹿話で、今の出来事の記憶を上塗りしてしまおうと、チャイムは考えた。

 正直、あんな言葉を口走ってしまった事を忘れるなど到底出来そうに無いが、話の流れでお互い無かったような雰囲気になれば、チャイムの精神防衛線は保たれる。

 無かった事に、してしまおう。


 それから二人は、これまでの旅についての思い出話をした。たった二月の事だが、話す事は沢山あった。

 チャイムがエアニスと初めて出会ったミルフィストでの路地裏。追っ手に跳び蹴りを決めながら現れたエアニスを見て、チャイムもレイチェルも、最初は女の人に助けられたと思ったらしい。

 オーランドシティで見た珊瑚礁。チャイムは、『また皆で見に行こう』という約束を、エアニスが忘れていない事を確認した。

 旅の話から脱線して、エアニスはチャイムは歌が好きだという話を聞いた。故郷であるエベネゼルの教会で歌う聖歌・・・ではない。酒場のステージで楽器をかき鳴らし、酔っ払いと踊りながら歌うのが好きなのだという。

 エアニスは、うっかりと口を滑らせ昆虫が苦手という事を暴露した。都会っ子じゃあるまいしと呆れるチャイムに、絶対にトキに言うなよ、と青ざめた顔で言った。背中にムカデでも入れられた日には、比喩表現抜きでシッョク死出来るらしい。


「でね、レイチェルと一緒に食べに行ったアンジェリカっていゆケーキ屋がすっごく美味しくてさ」

「アンジェリカ? アンジェリカならミルフィストに本店があるぞ」

「そうなの!? ね、ね、本店の味ってのはどんなの!?」

「いや、知らねぇ。行った事ないから・・・」

「うわあぁ!! 勿体無い!! チーズケーキ好きとして勿体無いよエアニス!!」

「そんなに美味いのか・・・だって本店って凄いボロ屋だぞ? とてもそうには見えなかったけど・・・」

「そーゆー所が創業120年ッ! て感じがするんじゃない!

 分かってないわねエアニス!!」

「ふうん。ミルフィストに戻ったら行ってみるか・・・」

 そう呟いたエアニスの顔が、僅かに曇った。

「・・・どうしたの?」

 それを見逃さなかったチャイムが、心配そうに問いかけた。

「いや、今回の件で、俺の素性がバレた事があっただろう」

 少なくとも、あの魔族達と、ルゴワールには、エアニスの本当の名前がザード=ウォルサムである事、そして"月の光を纏う者"だという事を知られている。

「ザード=ウォルサムを恨む奴は多い。・・・お前の故郷とかな。

 もし俺が生きているという噂が流れれば、そういう奴らが動き出すかもしれないし・・・

 やっぱり、暫くミルフィストには戻れないな。ほとぼりが冷めるまで、街を転々として過ごすか・・・」

「旅を続けるって事?」

「そうだな」

「・・・ふぅん」

 チャイムは、寸前のところで言葉を飲み込んだ。

 あたしも、エアニスと一緒に行ってもいい?

 どうしても告げたかったその一言を、飲み込んでしまった。

 怖かったから。

 せっかく先の失言が無かったかのように、二人で楽しく旅の思い出話をしていたのに、再びこの場の空気をぎこちないものにするのが怖かった。

 だから、チャイムは自分の想いを仕舞い込む。


「一緒に行かないか?」

「え?」

 予想外の言葉に、チャイムは自分の耳を疑う。

「レイチェルは旅が終わったら村を復興させるって言ってるし、トキもそれを手伝うつもりらしい。

 俺は一所に留まる訳にはいかないから、手伝えない。旅を続けなくちゃいけない」

「・・・・・っ!!」

 チャイムは綻ぶ表情を隠す事が出来ずにいた。エアニスから、そのような言葉を掛けて貰えるとは思っても見なかったから。

 思わず歓喜の声を上げながらエアニスに抱きついてしまいそうになる衝動を、寸前の所で堪えた。それでも、チャイムの中で嬉しさはどんどんと膨らんでゆき、いてもたってもいられなくなる。

 やがてチャイムの感情が爆発寸前に迫った時、エアニスが途切れさせていた言葉の続きを口にした。

「情けない話だが、もう一人は・・・嫌だ。

 なまじ、人の優しさを知ってしまったから・・・。

 もう、昔みたいには振る舞えそうにない」

 沸き上がっていた感情が、急速に凪いで行く。

 チャイムは唖然とした。こうもハッキリとエアニスが弱みを見せた事は無かったからだ。

 同時に、嬉しくもあった。自信の塊のようなエアニスが、自分にこのような一面を見せてくれた事を。

 だから、チャイムは優しく、エアニスに言う。

「・・・それが、普通なんだよ。

 一人で生きていける人間なんて居ないんだもん。

 強がって一人で生きている人より、自分の本当の気持ちを話せる人の方が、ずっと強いんだよ」

 チャイムは、エアニスの手を取った。互いの手を合わせ、指を絡める。普段のチャイムなら、こんな事をしたら顔から火を噴いているだろう。でも、今のチャイムは、不思議と穏やかな気持ちでいられた。

 エアニスは驚いた様子で、握られた自分の手と、彼女の顔を見る。

「あたしでよかったら、いつでも一緒に居てあげるからさ」

 自然と、そんな言葉が漏れた。

 今までエアニスの事を意識して、ぎゃあぎゃあと騒いでいたのが馬鹿のようだ。

 エアニスも、穏やかな表情で微笑んだ。

「・・・ありがとな」


 本当の気持ちを話せる人のほうが、ずっと強いんだよ------

 自分で言った言葉が、チャイムの胸にチクリと刺さった。

 本当の気持ちを言えていないのは、自分ではないか。

 自分だって、強く有りたい。

 力の強さでは無理でも、心の強さだけでもエアニスと並んでいたい。

 自分の気持ちを、はっきりと言葉で伝えたい。


 チャイムはエアニスの手を、強く握った。

「あ、あのね!」


「あれ・・・あそこに居るのトキとレイチェルじゃねぇか?」

「うおああああああああああーーーー!!!」

 まるで手に噛み付いた蛇を振り払うような勢いで、チャイムはエアニスの手を振り払う。そのまま脱兎の如く車から飛び出そうとガチャガチャとドアハンドルを引きまくるチャイムを、エアニスは慌てて捕まえた。

「馬鹿! 暴れんな黙れっ!!」

「むっふぅーーーーん!!」

 エアニスに口を塞がれ、腰に手を回されたチャイムは更に暴れる。後ろから抱きつかれているような格好だ。さっきまでの穏やかな波面のような心が一転、地獄の釜の如く荒れ狂う。

 エアニスは、二階のテラスに立つトキとレイチェルを見上げる。トキ達はエアニスの視線に気付いている様子はない。良く見ると、トキがレイチェルの手を取って、何か話をしているようだ。

「おぉぉー! な、なーんかやらしー雰囲気じゃね?」

「やらしいのはアンタだクソロンゲ!!」

「ぐごっ!!」

 エアニスに背後から抱きつかれたままになっていたチャイムは、頭突きで真上にあったエアニスの顎を粉砕した。



 トキが目を覚ますと、部屋には誰も居なかった。

 布きれで作った即席カーテンを隔てた向こう側にチャイムとレイチェルが眠っている筈だが、いつの間にか二人分の枕代わりの荷物と毛布だけが無造作に広がっていた。

「護衛失格ですね・・・」

 自分の頭を小突きながら部屋を見回すトキ。しかし、悪意のある気配が近づけばトキは間違いなく目を覚ます。それが無かったと言うの事は、二人に良くない事が起こっている訳ではないと思うのだが。

 テラスに続くドアが開いている。

 その向こうで、レイチェルの淡い金糸の髪が揺れているのを見た。

 トキは安堵の息を漏らし、窓に近づき、そっと壁をノックしようとしする。突然声を掛けると驚かせてしまうと思ったからだ。

 その手が止まる。

 レイチェルは、テラスの手摺に手を置いて月を見上げていた。

 月明かりのせいか、体の調子が悪いのか、肌が青白く見える。

 その姿が、輪郭が。

 夜闇に滲むように、揺らいで見えた。


 トキは捕まえるように、レイチェルの細い腕を乱暴に掴んだ。

「きゃあっ!」

 夜中に声も掛けられず、いきなり腕を掴まれたのだ。レイチェルは驚き、思わず短い悲鳴を上げる。そして自分の腕を掴んでいる相手を見て、戸惑うようにその名を呼ぶ。

「と、トキさん?」

「・・・・あ・・」

 トキは伊達眼鏡の下の目を擦る。目の前には、レイチェルが居た。何もおかしな事は無い、普段どおりの彼女が居た。

 何だ、今のは?

 彼女の姿が滲んでて見えたのは、単に寝惚けていたのか、旅の疲れが溜まっているのか。

 ただ、それを見た瞬間、トキは怖くなった。

 レイチェルが、目の前から消えてしまうような気がしたのだ。


「あ、あの、ちょっと・・トキさん、近い、です・・・」

 レイチェルはトキから目をそむけ、恥ずかしそうに身を引いた。気づけばトキはレイチェルの腕を掴んだまま、息が触れるほどまでに引き寄せていた。

 トキはレイチェルの腕を離し、慌てて一歩後ろに下がった。

「!、あぁ、すみません・・・」

「いえ、大丈夫、です・・・」

 顔を真っ赤にして、消え入りそうな声で答えた。二人の間に気まずい空気が流れる。

 まるで、トキがレイチェルに迫っているような格好だった。勘違いとはいえ、このような暴挙をエアニス達にでも見られていたらと思うと----

 そう考え、トキが辺りに視線を巡らせると、トキの居るテラスの下、屋敷の玄関先に止められた車の窓から、エアニスとチャイムがアホのように口を開けてこちらを見ていた。

見られていた。


 ボガン!と轟音を響かせ、ボンネットに黒い影が落ちてきた。トキがテラスから飛び降りて来たのだ。フロントグラスの向こうから、黒い影が車の中を覗き込んでいる。その表情は夜闇と月明かりの逆光で見えず、眼鏡の無機質な光だけが影の中に浮かび上がっていた。

「・・・っっっ!!」

 二人は本能的な恐怖に襲われ、一瞬にして喉が干上がった。



 真夜中の森の中、子供と呼ぶにはもう無理のある男女がぎゃあぎゃあと騒ぎながら走り回っている。

「見たか、今のレイチェルのリアクション!! 顔真っ赤にしてたぞ!!」

「あの子にも恥じらいって感情が芽生えたった事ね!!

 でもでも、それってどういう事なのかな!!?」

「決ってるだろうが!! レイチェルがトキのうぼあぁっ!」

 トキのドロップキックがエアニスの背中に突き刺さった。

 弁解の言葉が思いつかないトキは、二人の記憶を実力で消す為に容赦なく襲い掛かる。レイチェルはその様子をテラスからぽかんとした表情で眺めていたが、不意におかしさがこみ上げクスクスと笑った。


 口元に当てた右手に違和感を感じた。

「・・・っ」

 違和感。

 まるで自分の体じゃないような、感覚のズレ。

 ここ数日、この違和感を感じる事が多くなっていた。

 右の手のひらを握り込む。何もおかしな所は無い。

 自分の右手。自分の体。

 しかし、レイチェルは本能で感じる。

 残りの時間は少ない。


「ごめんね。あとちょっとで終るから・・・

 だから、もう少しだけがんばって・・・」

 胸元のヘヴンガレットを握り、祈るようにそう呟く。

 そうして、レイチェルはバイアルス山脈の方角を見据える。

 旅の終点は、もう目前だ。

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