第63話 追憶からの手紙
「こっち」
地下道を抜けて来たトキ達を、チャイムは通信車両まで案内する。
そこは街外れの森だった。森の中とはいえ、大型車両が通れる程に道は広く、道も慣らされている。それでいて、頭上を覆う木々の葉が厚く頭上を覆っていた。人の手によって作られた枝木による天井だ。航空機によって空から地下道の入り口が発見されるのを防ぐ為だろう。この街は大戦の名残や傷跡が、本当に良く目に付く。
「・・・これですか、良く見つけましたね」
土手の窪みへ嵌るように、ダークグリーンに塗られた中型のトラックが隠されていた。天井からアンテナのようなものが何本も緑の天井に向けて突き立っている。傍にはトキ達を待っていたカインと、通信兵だろうか、見知らぬ男が二人、気を失って木に縛り付けられていた。
「探すまでもありませんでしたよ。彼らの方から襲い掛かってきたので」
足元の二人組みを顎で指し、カインは苦笑いをする。
「・・・アリシアネットは抑えましたが、私も専門じゃないので起動の方法が分かりません。彼らに聞こうともしたのですが、話してくれそうにありませんね」
「そう、ですか・・・」
苦い表情でトキは答え、トラックのドアを開ける。中には床に固定された椅子が二脚と、その椅子を取り囲むように、沢山のボタンや画面、ゲージの並ぶ機械が詰め込まれていた。トキは椅子に座りコントロールパネルに目を落とす。写真等で見た事のある全機械式の大型航空機の操縦席のようだった。
何をどうすれば良いかの分からず、トキはコントロールパネルを指で叩いていると、
キュイン
小型モーターが回転するような、小さな音が聞こえた。見れば、パネルに埋め込まれている小さなレンズがトキの顔を凝視するように動いていた。
突然、ガチャンという音と共にトラックの室内灯が灯った。音に驚き身を竦ませるレイチェルとは対照的に、トキは無反応のままレンズの瞳と目を合わせていた。
機械の唸る低い音が響き、次々とトキの前のコントロールパネルにランプが灯ってゆく。
そして唐突に、タールで塗り固めたような重苦しい空気が変わった。
アリシアの存在を確信する事に繋がったあの曲が、スピーカーから流れ始めたのだ。すると、あのトレーラーでの出来事をなぞるように、据え付けられた印刷機が数枚の紙を吐き出した。トレイから零れた紙は、トキの足元へ滑るように落ちる。
トキはその紙を拾い上げようと手を伸ばし、自分の指先が震えている事に気付いた。それに驚いたトキは、熱い物に触れたかのように手を引き、一度だけ目を閉じてから、落ち着いて紙を拾う。紙には長文が印字されており、その書き出しは----
" 世界でたった一人の家族 トラキアへ アリシアより "
それは、アリシアがトキに宛てた手紙だった。
トキは手紙の文字を目で辿る。その表情は僅かな緊張の色を浮かべたまま、最後の一文を辿るまで変わる事は無かった。
手紙を読み終えると、トキは暫く目を瞑り、そして鉄で覆われた天井を仰ぎ見た。
そしてゆっくりと、長い、長い息を吐いた。
「すみませんでした。僕達の面倒事に巻き込んでしまって・・・。
これで、全部終わりです。本当に、ありがとうございました」
トキの声はいつものように明るい。しかしそれは、誰が見ても分かるような痛々しいまでの空元気だった。
「どういう事だよ・・・?」
これで終わりと言われても、エアニス達は納得出来ない。トキの妹は無事なのか、アリシアネットの正体は何だったのか。しかし、あまり立ち入った事を聞く事もどうかと思い、曖昧な問い掛けに留まる。トキはひらりと手のひらを上に向け、
「だから、全部終わり、ですよ」
痛々しいまでの笑顔で、言った。
「全部・・・終わっていたんですよ・・・」
感情を誤魔化すのはここまでが限界だった。喉の奥が上ずり、顔は意図しない表情を作り出す。慌てて目元を手で覆い、エアニス達に背を向ける。
「トキ・・・」
エアニスがトキの涙を見たのは、これが二度目だった。一度目は一年半前、アリシアとの別れの時。そして、二度目も---。
トン、と、トキは手紙を指で叩いた。
「いや、まだ一つ、残っていますね・・・。アリシアからの頼み事があります」
「頼み事・・・?」
「はい。これが、本当に最後です。手伝って貰えませんか?」
◆
トラキアへ
久しぶり。元気にしてるでしょうか?
まずはごめんなさいと、あやまらせて下さい。
まともなお別れも出来ずにトキの前から居なくなっていまい、本当にごめんなさい。
トキは、もう私は死んでしまったのだと思っているでしょうが、
それは半分だけ間違いです。
今の私はガーデンに戻って、意識だけの存在になって、研究所の機械に繋がれている筈です。
人間としては死んでしまったのかもしれませんが、私の記憶や心といったものは、まだここで生きています。
トキは知らないと思うけど、私の引き継いだ研究に人の脳を使った人工知能の開発というものがあります。
研究を終えた私は、テスト機の開発には生後10年以内の人間の脳に、4570万ダイムの情報量を収めたサンプルが必要という研究結果を報告しました。
これは、10歳の子供に普通の人間の160年分の記憶を求める事になります。
だから私は、実現は物理的に不可能としてこの研究を凍結させました。
でも、ガーデンの研究者達は、必要とされる性能に遠く及ばないものの、
最も可能性のある私の脳を使って、テスト機の開発を始めるようです。
実は、私が報告した10歳の子供の脳に160年分の記憶という話は、本当は嘘。
テスト機に必要な脳は、20歳以下の正常な人間のものであれば、誰のものでも良いのです。
私はこの研究が許せなくて、嘘の報告をして研究を凍結させました。
私の嘘がばれたのか、駄目もとで実験を進めるつもりなのか今の私には分かりませんが、でも、これは、自業自得よね。
もっと上手い嘘を言えば良かったなぁ、と今にして思います。
今私の脳は身体から取り出されたままの状態で、こうして自分の考えを綴る事も出来ます。
ですが、私の脳を人工知能エンジンに加工する過程で、今の私が持つ全ての記憶は消されてしまう筈です。
思い出も、言葉も、身体の動かし方も、全てです。
だから、私の記憶が全て消えてしまった後でもトキがこの手紙に辿り着けるように、私の擬似的な意識を隠しプログラムとして残します。
情報戦略兵器として私が実戦投入された時、もし戦場でトキと出会う事があったら、このプログラムは実行され、戦況を操りトキを私の居る場所まで導きます。
この手紙を届けるために。
だから、もうひとつあやまらなくてはいけません。
トキは私の存在を感じてここまで辿り着き、この手紙を読んでいるのだと思います。
でもそれは私ではありません。トキが感じたものは、私が私でなくなる前に残した、プログラムでしかありません。
だから、トキの目の前にある機械の中には、もう私は居ません。
もし私が生きているのだと思ってここに来てくれたのならば、本当にごめんなさい。
トキを騙すような事をして、本当にごめんなさい。
トキにお願いがあります。
本当に私が戦場の情報を操る兵器になってしまっていたならば、
目の前の兵器を、壊してください。
それには私の体の一部が使われていますが、それはもう私ではありません。
ただの、人殺しの機械です。
自分の考えも持てず操られるだけの可愛そうな兵士を作らないためにも、
この兵器の犠牲者をこれ以上出さない為にも、
目の前の兵器を、壊してください。
それが私の望みです。
トキともう一度巡り会えてから、私の日常は本当に輝いていました。もちろん、マスカレイドのみんなが優しくしてくれた事も、本当に嬉しかった。
結末としては、とても悲しい事になってしまったけど、出来ればツヴァイを憎まないであげて下さい。私が研究者として、トキやワッツ、ツヴァイを実験対象として扱ってきた事に変わりはありません。
本当は、私にマスカレイドの皆から優しくして貰える資格なんか無いのだから。
それでも優しくしてくれた皆には本当に感謝しています。
本当にありがとう。
そして、ごめんなさい。
このふたつの言葉は、いくら口にしても言い足りません。
今まで言えなかった事と、勝手なお願いをこのような形で伝える事を許してください。
どうか、この手紙がトキの元へ届きますように。
最愛の家族 トラキアへ
アリシア=スティンブルグ
◆
かつて、使い捨ての兵器として扱われていたトキを救い出したのは、アリシアだった。奇しくも今、その立場は逆となり、兵器となったアリシアをトキが救い出そうとしている。しかし、それが救いとなり得るのか、トキには判断が出来ない。しかし、トキはアリシアの望みのままに動く。
それが、不本意だとしても。自らの心を引き裂く行為だとしても。それが正しいと信じて。
それでも、トキは思う。
例え、この再会が悲劇と呼ばれるものだったとしても、
再びアリシアと巡り逢えた事を
本当に良かったと思う。
エルバークの街の近くには、深い渓谷が走っている。
空が白じみ始めた頃、その渓谷に接した森から、一台のトラックが深い谷に向かって飛び出した。
トラックは重力に引かれるまま、加速しながら落ちて行く。
しかし、それを見届けた彼には、トラックはとてもゆっくりと谷底に吸い込まれていくように見えていた。
トラックは谷底の固い岩肌にぶつかり、潰れて破片を撒き散らす。
そして僅かな間を置き、トラックは爆発する。
立ち昇る火柱と黒煙が、雲ひとつ無い朝焼けの空を焦がした。
◆
三日後。
トキはまだエルバークの旧市街に居た。
枠組みだけを残しガラスの無くなった窓から日の光が射し込んでいる。トキは埃臭いベッドに横たわり、光の帯の中で舞う埃をぼんやりと眺めていた。
その顔には新品の眼鏡がかけられていた。壊れてしまった以前の眼鏡と全く同じデザインの伊達眼鏡。トキの、今の仮面。
全てが終わったその後。街に潜むルゴワールの刺客や増援の襲撃を危惧し、トキ達は街に戻らず、この旧市街の廃屋で過ごしていた。
本来ならすぐに街を立つべきなのだろうが、それは未だ麻薬に犯されたノキアの為の薬が準備出来ていなかった事と、怪我の酷かったトキの右腕が安定するまで、安静にしていた方が良いと言うチャイムの判断によるものだった。
トキの右腕は治療の魔導によって傷も塞がり、痛みも引いていたが、それは魔導の補助によって形を保っているに過ぎないのだと言う。その補助的な治療にある程度身体がついて来るまでは、強い衝撃を受ければ傷は開き、繋がっていた骨は再び折れてしまう。治療の魔導は、その場で"完全に"傷が治ってしまうという便利な物ではないのだ。
トキは右腕を伸ばし、こぶしを握ってみる。最初は僅かな違和感が残っていたが、今はそれもない。チャイムが言うには、毎日治療の術を当てていれば、一週間で完治すると言う。
昨晩、薬の調合を終えて眠りについてから、トキは半日以上このベッドの上で横になっていた。
自分の行動理念であった"復讐"を遂げ、トキは生きる目的を失った。復讐者となる前は、自分を救い出してくれた唯一の家族、アリシアの為に生きていた。
今は、そのどちらも無い。アリシアと出会う前、使い捨ての兵器として扱われていた時も生きる目的など無かったのだが、あの頃の自分はどういう思いで生きていたのだろう。今となっては思い出せない。
仮に思い出したとしても、今のトキにあの頃の自分、U-66と呼ばれていた少年の気持ちは理解出来ないだろう。それを理解するには、トキは人の優しさを知り過ぎてしまったから。
「これから・・・何の為に生きればいいんだよ・・・」
その口調はいつもの丁寧さが欠け、彼の昔の口調に寄っていた。
「別に、自分の為に生きればいいだろうが」
突然声を掛けられた。見れば、ガラスを失った窓枠に、エアニスが背を丸めて腰掛けていた。トキは驚いて身を起こす。
「いつからそこに居ました?」
「・・・堂々とそこのドアから挨拶して入ってきただろうが。
大丈夫かお前?」
トキからの返事は無かった。いつもなら皮肉や悪態を口にしてふざけている所である。見た目以上に滅入っているようだ。
エアニスは溜息をついて表を指差した。
「ノキアとカインが来てるぞ。街を立つらしい」
トキが表に出ると、そこには厚手の旅装束を着たカインとノキアが待っていた。その後ろには荷物を沢山積んだサイドカーが止まっている。
「街を出るんですね」
「えぇ・・・ルゴワールを敵に回してしまった以上、この街に居るのは危険ですから。
ノキアの為に医療施設が整ったエベネゼルへ行こうと思っています。
紹介状も頂きましたので」
カインが見せた書面には、聞いた事の無い偉そうな肩書きの横に、チャイムのサインが記されていた。宛先は、クライン=ゲートウィル。エアニスは見覚えのある名だと思い、すぐにオーランドシティで出会ったチャイムの師を思い出した。
そのチャイムはレイチェルと並んで道端に転がる木箱に腰掛け手を振っていた。もうカイン達と別れの挨拶は済ませているようだ。
チャイムはかつて、優秀な宮廷魔法医としてエベネゼルでは有名だったという。そんな彼女の紹介状はそれなりの力を持っているのかもしれない。しかし、チャイムの人となりを知る程、この紹介状への信頼が薄れていくのは何故だろう。
「ノキアにも、私のやっていた事は説明しました。
もうこんな仕事はしないという約束も・・・ね」
カインの後ろに居たノキアが、深々とトキに頭を下げる。その肌は出会った時よりも青白く、心なしやつれて見えた。麻薬が身体を蝕み始めているのだ。これから旅に出るというにはあまりにも心細い姿だった。
「中毒が抜けるまで、恐らく一年近くかかります。これから大変だと思いますが、頑張って下さい」
「色々とお世話になりました。薬のお礼は・・・いつか必ず」
「お礼など必要ありませんが・・・そうですね。またいつか、元気な姿を見せていただければ嬉しいかもしれませんね」
ノキアはその言葉に、涙を浮かべながら頷き "必ず" と答えた。
立ち並ぶ廃墟の間を、カインとノキアの乗ったサイドカーは走って行った。サイドカーの排気音は固い石壁ばかりの旧市街では良く響き、ふたりの姿が見えなくなってからも、暫く埃っぽい空気を揺らしていた。
トキ達はその音が聞こえなくなるまで、二人の去った方角を眺めていた。
エアニスは空を仰ぎ見、ため息とも深呼吸ともとれない長い息を吐く。
「何とも・・・釈然としない結末だな」
「バッドエンドよりはマシでしょう。こんなものですよ」
「まぁ、そうかもな」
最悪のバッドエンドを迎えた事のあるエアニスだが、何も含みを持たさず軽く相槌を打った。
「ところでエアニス」
「ん?」
「あなたは何で生きてるんですか?」
「馬鹿にしてんのかてめぇ!?」
「違いますよ」
エアニスに襟首を掴まれても、トキは表情を変えない。
「僕は、自分が何の為に生きてるのか分からなくなってしまったので・・・
エアニスはどう考えているのか、聞いてみたいのです」
エアニスはせり上げていた肩の力を抜き、毒気を抜かれたような顔で頭を掻く。
「あのなぁ・・・そんな事、考えて生きてる奴の方が少ないんじゃないか?」
「何でもいいんです。聞かせてください」
無気力な声でそう言った。本当に参っているのだろう。エアニスはトキを励ます為に気の利いた答えを返そうと思うが、答えが浮かばない。
「あたしは生きるのが楽しいから生きてる・・・かな?」
トキの問い掛けに答えたのはチャイムだった。
「旅をして見たことの無い景色を見るのは楽しいわ。散々歩き回った後に食べるごはんは美味しいし、むかつく奴をぶっ飛ばすと気持ちがいい」
にっこり、とチャイムは悪戯好きの子供のように笑った。
「嫌な事だってあるけど・・・ううん、嫌な事の方が多いけど、それでもあたしは、こうして毎日を過ごす事が楽しい。
言っちゃえば、自分の為に生きてるのよ」
とてもチャイムらしい、胸のすくような答えだった。エアニスは思わず顔を綻ばせる。
「なるほどね。自分の為にか。
お前ほど人生を楽しめてはいないが、俺も同じようなものかもな・・・」
「もちろん、誰かの為にがんばって、その人が幸せになるのを見るのが一番嬉しいけどね」
「それは無いな。他人の幸せは妬ましい」
「おぉ・・・あたしの心温まる言葉が台無しだわ・・・!」
チャイムはエアニスの心の狭さに失望する。
「レイチェルは?
何かの為とか、目標みたいなものはある?」
「目標・・・」
チャイムに話を振られ、レイチェルはふと空を見上げる。その横顔が何処と無く寂しそうに見えて、チャイムはドキリとした。
「私は、この旅を終わらせる事と、その後に村を再建する為に、今がんばっているつもりよ」
「村の再建?」
彼女のその考えは、初めて耳にしたような気がする。
「村から出て、旅をしながら"石"の情報を集めている人達は結構いるんです。
それに、私以外にあの襲撃を逃れた村人も居るかもしれません。
その人達の為にも、早く帰る場所を作らないといけませんから・・・」
「そっか、そいつは大仕事だ・・・
あの魔族どもをぶっ飛ばす事よりずっと大変だな・・・」
エアニスは煙草に火をつけながら苦笑する。冗談ではなく、そう思っていた。
トキはチャイムに肘で突っつかれる。
「んふふふ!
旅が終わってからやる事が無いならレイチェルを手伝ってあげなさいよ!」
何故か嬉しそうに、チャイムはどすどすと肘をトキの脇腹に食い込ませる。トキはチャイムの肘を嫌がるように払い退けレイチェルの顔を見ると、彼女は俯きながらトキを見上げていた。
上目遣い・・・である。その様子が助けを求めるようにも見え、トキは思わずこう答える。
「そうですね、それもいいかもしれませんね」
何故かチャイムの表情が輝いた。そしてその微笑みは少しずつニヤニヤとしたいやらしいものへと変化し、その表情は隣のエアニスにも伝染してゆく。
「あらやだー! 聞いた奥さん!!」
「誰が奥さんか。でも、聞いた。ふうん」
「怪しいと思ってたのよ!! やっぱ二人はそんな仲なのね!!」
ずびしと指差しからかうチャイムに、トキは振り向いてニコリと笑う。
「チャイムさん」
「えっ?」
がしっ! とトキの両腕がチャイムの首に巻き付いた。そしてトキは普段の笑顔のままグイッと、
「あっ! 折れる!! 折られるッ!! 冗談よマジにならないでいぎぎぎぎ!!!」
「おいやめろ! 本気でそいつの首折る気か!!」
幸いチャイムの首は、曲がってはいけない角度一歩手前でエアニスとレイチェルによって救われたのだった。
トキからチャイムを引き剥がしたレイチェルはぜいぜいと息を切らし、悲しそうな表情を見せる。
「そんなに嫌がらなくても・・・やっぱり、迷惑ですか?
ひょっとして、トキさん私の事・・・嫌ってますか?」
「え!?」
レイチェルの予想外な言葉に、トキは慌てた。
「そんな事はありませんよ、チャイムさんの言い方が気に入らなかっただけで、別に迷惑などではありません」
「本当ですか? 私、嫌われてないですか?」
「えぇ、もちろん」
「私の事、好きですか?」
「はい!!?」
レイチェルの口から飛び出したとんでもない言葉にトキは目を剥く。
しかし、違うのであろう。レイチェルの人となりを知る者ならば、彼女の一般的な感覚からずれた言葉のニュアンスは理解出来る。
「でた」
「でたわね・・・というかここまで天然だと流石に心配になるわ・・・あの子」
エアニスは腕を組み、チャイムは頭に手を当てて考込む。
今に始まった事ではないが、レイチェルの天然ぶりには毎度驚かされる。世間から隔絶された環境で暮らしていたとはいえ、これはあまりにも酷い。こと男女間のモラルや恋愛感情に対してレイチェルの認識は壊滅状態である。というよりも、認識の範囲外なのかもしれない。
レイチェルがここで言う"好き"という言葉は、単純に"嫌い"という言葉の反対の意味として扱われているだけである。しかし、普通の感覚の持ち主が異性に対して使う"好き"という言葉には特別な意味が込められるものだ。
レイチェル流の言葉の意味を理解してしているのだから、素直に彼女の常識に合わせた返事をすれば良いのだが、若干ズレているとはいえ一般常識を持つトキにとって、その言葉を口にするのは躊躇われた。
「別に好き嫌いというかー、もちろん嫌いでは無いのですけど、好きーという事ではー・・・ですね?」
何が ですね? なのか。トキにしては珍しく、しどろもどろになって答える。その様子に傷ついたのか、途端にレイチェルの表情が曇ってしまった。
「大好きですよ、レイチェルさん!!」
トキはバッ、と両手を広げ、やけくそ気味にレイチェルに答えた。
チャイムは口元を押さえたまま ぶふぅー!! と噴出し、エアニスも顔を背けて肩を震わせている。
トキは腰に挿した銃を抜いて、おもむろに、無造作に、とても自然な仕草で、エアニスとチャイムの足元にフルオートで銃弾を叩き込む。
「おおおおおおおーーーー!!!」
「あきゃあーーーーーーー!!!」
実弾が弾ける地面の上で、エアニスとチャイムは踊るように飛び跳ねる。
「あっはっはー、お二人はダンスが上手ですね? お互い手を取り合ったりしちゃって。
タンゴですか? ワルツですか? 僕にも教えて下さいよ」
銃を振り上げ、トキはいつもの笑顔で笑った。いつもと同じ表情なのに、その笑顔は凄絶なものに見えた。トキが本気で怒っている。
お互いの服を掴んで震え上がっていたエアニスとチャイムは顔を見合わせる。お互いの顔は気付けばとても近くにあった。
バチンと、エアニスはチャイムに頬を叩かれる。まるで仕事をこなすような、事務的な張り手だった。何だか最近彼女のリアクションがルーチン化している。
「・・・悪かった、やめよう。なんだか、いつもの不毛なパターンに嵌りかけてる・・・」
「・・・そうですね」
頬を押さえ理不尽を耐え忍ぶエアニスに免じ、トキは大人しく銃を収めた。いつもの、エアニスとトキが不幸になってゆくパーターンである。不幸のスパイラルに自ら飛び込む事も無い。
「全く、ばかばっかだわ。行こう、レイチェ・・・・ル?」
男どもに愛想を尽かし、自分達の部屋に戻ろうとしたチャイムは、レイチェルの様子がおかしい事に気付いた。
とても、嬉しそうに笑っていた。緩く握ったこぶしを緩んだ口元に当て、照れたように誰とも視線を合わせようとせず、にこにこにこにこと、笑っていた。そして、チャイムにしか聞こえないような声で言った。
「えへへ、良かった。トキさん、私の事好きだって・・・!」
「・・・・・」
レイチェルの言葉をチャイムは自分の中で反芻し、
「!!?」
シュバッ!!とトキに向かい全身で振り返る。言葉はなくともその表情は、
『あれっ!? さっきの"好き"って言葉、そーゆー意味の"好き"だったの!?』
と言っていた。
トキにはチャイムの驚愕の表情の意味が理解出来ず、隣のエアニスにいぶかしげな表情を向ける。人より遥かに耳の良いエアニスはレイチェルの呟きを拾っていた。
だからエアニスは、トキに向けて親指を立てた。
言葉は、必要ない。
もう面倒くさいから。
「でも正直、あいつらと馬鹿やってるとつまらない事は忘れられるんだよな・・・」
「あぁ・・・それは分かりますね」
あれから暫く経ち、エアニス達も出発の準備をしていた。街に置いてきた荷物や車は既に旧市街へ移動済みで、今はチャイムとレイチェルが自分達の荷物を纏め、車に積み込んでいる所だった。
自分の準備を終えたエアニスとトキは石畳に座り込み、少し離れた場所から彼女達を眺めていた。口先で煙草をもてあそぶエアニスは、トキの横顔を見て安心したように言う。
「元気出てきたみたいだな」
「お陰さまで。馬鹿やって忘れてしまうのもどうかとは思いますけどね」
「今は忘れていればいいさ。少なくともこの旅が終わるまではな。
大体、生きてる理由なんて哲学者か暇人が考える事だ。
"死にたくないから生きてる"って理由で十分だろう?」
「おやおや、エアニスは死ぬのか怖いのですか?
僕やエアニスのような生き方をしていた人間に、それは当てはまらないと思いますが?」
嘲るような色を含む言葉。なんでこいつはこんな言い方をするんだ、とエアニスはトキを睨むが、怒り出すような事はしない。それどころか、エアニスは抱えていた自分のひざに顔をうずめ、本心を吐露する。
「俺は、怖いね。昔はどうだったか忘れたが・・・今は死ぬのが怖い。
お前もそうだろう。強がりじゃないのか?
人と関わる程に、生への執着が強くなると感じた事は無いか?」
予想外の言葉に、トキは表情を改めて、考える。
「・・・確かに、一人ぼっちの時の方が気が楽でしたね。
いつ死んでも構わないと思っていた節もありました」
「俺もだ。でも、だからといってその時に戻りたいと思うか?」
「いいえ・・・・
はぁ、やれやれ・・・抱え込むものが多い程、人間は弱くなるという話を聞いた事がありますが・・・いつの間にか僕も弱くなっていたという事ですかね」
「ふん。弱さが、生きる理由になってるって事か」
エアニスはそう言って、自分の言葉に引っかかりを覚え、首を振る。
「いや、でもそれは・・・」
エアニスは一拍挟み、こう言った。
「それは弱さではなく、強さとも受け取れないかな?」
誰かの為に生きようと思う事は、強さと呼べるのではないだろうか。
少なくとも、自分の命を厭わぬ者より、強いのではないだろうか。
エアニスとトキは、強くなれたのではないだろうか。
トキはうーん、と唸り、首を傾げる。
「自分からそんな偉そうな事は言えませんねぇ」
「はッ、それもそうだな」
ですよねー と言ってトキは空を仰ぎ見る。エアニスは煙草を取り出しながら、
「結局考えちまってるな、生きる理由」
「哲学的でいいじゃないですか。知的な感じで格好いいですよ」
ふっ、と煙を吐きながらエアニスは笑った。
「暇人なだけだろう」
ばむん、と車のドアが閉じられる。
「エアニース、荷物の積み込み終わったよ!
って、何二人で並んでニヤニヤしてんのよ、ホモかと思われるわよー!!」
「うるせーバーカ!!」という罵詈雑言に「あははは」というわざとらしい笑い声が重なる。二人は気だるそうに腰を浮かして伸びをした。
「彼女達には感謝をしなくてはなりませんね」
「レイチェルをエサにしたくせに、よく言うぜ」
「いや・・・まぁ、それもありますけど・・・」
痛いところを突かれ、トキは口元を歪める。一度咳払いをしてから、トキはこう続けた。
「・・・それだけじゃなくて、僕達は彼女達に救われているとは思いませんか?」
救われてるのはあいつらの方だろうが、と言いかけて、エアニスは口をつぐむ。
エアニスは、チャイムの言葉に救われていた。エアニスの復讐に、間接的とはいえ巻き込まれていたチャイムは、エアニスの罪を許すと言ってくれた。
「僕は、救われています。もし彼女達が居ない形で過去の清算を済ませていたら・・・この世に未練の無くなった僕は、今頃アリシアを追って首を括っているかもしれませんからね」
「・・まじでか」
「結構まじです」
言いながら、エアニスは彼女達の方へ目を向ける。チャイムとレイチェルは何かを話し、ふたりで笑い合っていた。
情が移ったのか、いつの間にか恩を感じるようになっていたのか。エアニスはその笑顔を守る為なら、多少の面倒事は背負い込んでも構わないと思えるようになっていた。
最初は退屈凌ぎで付き合っているつもりだったが、いつの間にか彼女達と一緒に居る理由が変ってしまったようだ。
エアニスはまた溜息をつく。もうこれはエアニスの癖と言ってもいいのかもしれない。
「・・・まぁ、あいつらのお蔭で旅を楽しませてもらってる事は感謝してるよ」
トキも同じ思いなのか笑って軽く頷くが、すぐにその表情は寂しげなものへと変わってしまった。
「しかし、その旅ももうすぐ終わってしまうと思うと、少し寂しいですね」
旅の目的地であるバイアルスまで、そう遠くは無い。
二人は旧市街の向こうにそびえる山脈を眺める。切り立った峰は薄く雪化粧をしていた。もう一月も経てば、季節は冬である。
エアニスはポケットから車のキーを取り出し、指に引っかけチリン、と回した。
「・・・行こう。本格的に雪が降り出す前に終わらせなくちゃ」
楽しいだの嬉しいだの、能天気な事を言っていられないのも現実である。
レイチェルにはやらなければならない事があり、エアニス達もその為に旅をしているのだから。
◆
エルバークの街を出たエアニス達の車は、街の南を横切る渓谷を渡り、谷に沿った街道を走る。
丁度、アリシアが眠る場所の近くである。
ぼんやりと渓谷を眺めていたトキは、思い出したかのように自分の荷物を漁ってから、窓ガラスを開けた。
「あ・・・」
レイチェルが声を漏らす。
トキは荷物から取り出した自分のデスマスクを、渓谷に向けて放り投げたのだ。
仮面は回転しながらゆっくりと渓谷へと落ちてゆき、白い点となって消えた。
トキはそれを見届けると、何も無かったかのように窓を閉め、シートに沈み込んだ。
ここ数日あまり休むことの出来なかったトキは、目を閉じて眠りに就こうとする。その顔に 疲れの色は無く、むしろ胸のつかえが取れたような穏やかな表情をしていた。
それを見ていたエアニス達は何も言わず、ただトキが眠りやすいよう静かに外の景色を眺めている事にした。
- 第五部 おわり -




