第62話 道化師達の末路
遠くで低いエンジン音が響いている。ドトトトと子気味良く響く、単気筒のエンジン音。 音の方に目を向けると、サイドカーの付いたバイクが近づいてきた。トキは顔を照らすヘッドライトに目をすがめる。運転席にエアニスが、サイドカーにはレイチェルが乗っている。トキは座り込んだまま、軽く二人に手を振った。
「また派手にやったな」
エアニスはバイクから降りると、少し離れた場所で横転するトラックと、それに突っ込み大破したトラックに目をやる。毒ガスに当てられていた筈だが、既にエアニスは普段の調子を取り戻しているかのように見えた。
「いや、まだダメだ。痺れが残ってて剣も握れねーよ・・・」
エアニスは頭を叩きながら忌々しそうに呟く。そんな状態でバイクの運転してたんですね・・・と、サイドカーに乗っていたレイチェルは声を震わせた。
「・・・終わったんですね」
レイチェルは、トキの傍らに倒れた石像のような死体に視線を落とす。トキは握ったままだったリボルバーのシリンダーから空薬莢を抜き出す。薬莢にはレイチェルの刻んだ魔導式が刻まれている。
「・・・使わせて頂きましたよ」
生ける屍となったツヴァイにトキの攻撃は殆ど無力だった。レイチェルの作った"浄化"の魔導が込められたこの弾丸が無ければ勝つ事は出来なかったかもしれない。地下道での話し合いで、ツヴァイとの戦いに手出しはさせないと豪語していたトキだが、結局レイチェルの力に頼ってしまった事になる。
これなら、二人で仇を取ったと言えるのかもしれない。しかし---
「分かっていたつもりですが・・・思った以上に、虚しいものですね」
「・・・そう、ですね・・・」
トキとレイチェルは、ツヴァイの無残な亡骸に目を落とす。
複雑な思いだった。
ツヴァイを倒した所で、アリシアは帰ってこない。レイチェルの父親も、エルカカの村人も、アリシアを慕っていたマスカレイドの創設メンバーも、誰も帰っては来ない。
誰かに望まれた訳ではない。誰かの為になる訳でもない。ただ、自分の心に渦巻く負の感情を鎮める為に、トキとレイチェルはツヴァイを倒した。
まるで犯した罪を悔やむような顔をしている二人に、エアニスはかつての自分の姿を見た。
エアニスも大切な人を奪われ、復讐に狂った事がある。戦争を憎み、やがて世界を恨んだ。
「・・・深く考える事はねーさ。
俺は、人間として当たり前の感情だと思う。
仇を取った事で、お前らを縛る過去の呪縛が一つ消えたんだ。
・・・これで少しは、前を・・・未来を見る気になれるだろう」
エアニスが見た復讐の先にあるもの。それは未来だった。
復讐は、未来を見失う。過去に縛られた復讐者は、明日を見据える事をしないからだ。
しかし、未来はいつも当たり前のように目の前にある。見ていないだけで、見ようとしないだけで、復讐を遂げても何も変わる事無く、存在するのだ。
「えぇ・・・昔の事ばかり考えるのは、もうやめるべきなのかもしれませんね・・・」
心にわだかまる靄は、暫く晴れそうに無い。しかし過去を振り返り、立ち止まる理由は、これで無くなった。靄の中だろうが闇の中だろうが、もう前に向かって歩き出さなければならない。
トキは東の空を眺める。もう数時間したら日が昇るだろう。日の出など毎日繰り返される当たり前の事だと言うのに、今のトキにはそれがいつもと違うものに感じられた。
過去に縛られる者と、未来を見据える者とでは、"明日"への価値観は全く違うものである。トキはようやく後者への仲間入りを果たしたのだ。
エアニスが言わんとしている事を感じ取りながら、トキは笑う。いつもの、彼の笑顔で。
「ありがとうございます。エアニス」
ざんっ、と。
砂を蹴る音に、トキは傾けていた首を起こす。
レイチェルの背後。砂を巻き上げ、ひび割れた死体が宙を飛んでいた。
トキの時間が静止する。
下半身を失い、上半身のみの体を腕の力だけで跳ね上げ、ツヴァイは右腕の振動刃をレイチェルに振りかざす。
レイチェルは、まだ気付いていない。
エアニスは、剣を鞘に収めたまま一番離れた位置にいる。
トキはリボルバーに手を掛けるが、そのシリンダーに銃弾が入っていない事を思い出した。
レイチェルが振り向き、その目の前に、岩すらも角砂糖のように削る刀身が迫る。
反射的に目を閉じる暇すらなく、振動刃はレイチェルの頭蓋を切り取って行く。
筈だった。
宙を飛んでいたツヴァイが、まるで強力な重力に吸い寄せられるように地面に叩き付けられた。
その衝撃は、地響きと共にレイチェルのすぐ後で爆発のような砂煙を巻き上げる。
トキはレイチェルの腕を取り、エアニスはその二人を守るよう痺れて震える腕で剣を取る。
薄れ行く砂煙の中から現れたのは、背の高い男。短い銀の髪を撫で付けた、精悍な顔立ちをしている二十代半ばの青年だった。銀の縁取りの黒いロングコートを羽織り、その下には真っ白いシャツと紺色のベストを着ている。貴族のような服装にも見えるが、それの纏う雰囲気は圧倒的な重さを伴っていた。強者が弱者を睥睨する目。しかし、そこに高慢の色は無い。
男は手にした身の丈ほどもある大剣で、ツヴァイを地面に縫い付けていた。
「お前っ・・・!」
エアニスとレイチェルには突然現れたその男に見覚えがあった。アスラムへ向かう船の上で遭遇した、二人組みの魔族の片割れ。
名前は、確かイビス。
「 ア・・・ ャ ガ カァッ 」
大剣で胸を地面に縫い付けられたツヴァイは、未だに息絶える事無く、声とも呼べない音を喉から漏らす。力なく振動刃を振り回しながら、イビスの足を掴んだ。
イビスは無造作に振動刃を踏みつけると、その反対の足でツヴァイの頭を踏み潰した。
石像のようにひび割れたツヴァイの頭は、地面に大きな雪の塊を叩きつける様な音を立て砕け散る。アダマンタイトで出来たデスマスクも、割れて地面を跳ねた。
突然現れ、レイチェルの危機を救った魔族は、沈黙を守ったままエアニス達を見据える。
エアニスは、動く事が出来ない。この世界の理から外れた存在、"魔族"。故に、この世界の常識で殺す事は出来ない。魔族と戦った事のあるエアニスは、魔族のでたらめな在り方を身を以って知っている。
「ふざけ過ぎだ」
朗々とした声でイビスが言った。エアニス達は何の事か分からず眉を寄せたが、どうやらそれはエアニス達に向けられた言葉では無かったようだ。
「ごめんごめん。
まだ動けるとは思ってなかったからさ」
大した悪気も無く謝る声の主は、突然虚空から姿を現した。
それは短いゴシックドレスを着た可愛らしい少女。イビスと同じ色の銀髪を長く伸ばし、左右に分けて結わえている。歳はレイチェルと同じ位か。
彼女もイビスと同じく魔族である。エアニス達とはアスラムへの船上以外に、オーランドシティでも遭遇している。
彼女は無造作に、イビスに踏み潰されたツヴァイの亡骸の横にしゃがみこむ。どう見ても死んでいるツヴァイの亡骸が、もぞりと動いた。レイチェルが息を呑む。
「それにしても、最後まで面白いものを見せて貰ったわ。
お疲れ。もう逝ってもいいわよ」
アイビスがツヴァイの亡骸に手を当てると、部分的に形を保っていたツヴァイの体が砂のように崩れ、空気に溶けるようにして消えた。残ったのは、ツヴァイの着ていた服と、肉体との接続部を露にしたグロテスクな義手、そして、割れたデスマスクのみ。
それを見届けたアイビスは腕を組んで立ち上がり、レイチェルに言い放つ。
「全く残酷な事するわよね。半端な浄化の術なんて使うから、この子今まで生きてたのよ。
想像出来る? 体は半分に千切れて、全身の皮膚が石みたいに固まってヒビ割れてゆく・・・そんな状態でも死ぬ事が出来ないなんて、どれ程の生き地獄だったんでしょうね?」
以前、アイビスの放った生ける屍の群れを、レイチェルは"浄化"の術で一瞬にして灰に変えた事がある。しかし銃弾を介した術では、本来の効力が発揮出来なかったようだ。
砂に還ったツヴァイを見るアイビスの目には、哀れむような色が浮かんでいた。
しかし、違う。それは、哀れみなどではない。例えて言うなら、とても気に入っていた玩具を壊してしまった子供の目。
「・・・その男をそんな体にしたのは・・・あなたなんでしょう?」
レイチェルは声に恐れを滲ませながらアイビスの前に一歩踏み出す。
エルカカの村で、レイチェルはツヴァイに致命傷を負わせていた。アイビスが余計な事をせず、あのままエルカカでツヴァイが息絶えていれば、このような事は起こらなかったのだ。
「そうだけど?」
アイビスは何を今更、といった様子で答える。
「組織からの命令で手は出せなかったみたいだけど、コイツあなたの事すっごく憎んでたのよ。で、偶然この鬼畜眼鏡さんとも因縁があったみたいだからさ。面白そうだから研究所で解剖されちゃうまえに"起こして"あげたの。
ありがと、なかなか面白かったわよ。こいつも、あなた達もね」
エアニスは舌打ちをする。ツヴァイが不死の体を手に入れていたという話を聞いた時から、彼女の影は感じていた。この女は、人間の命など全く意に介さない。むしろ、人の殺し合いを見て楽しんでいる。
「あなたたち人間だって、サソリと蜘蛛を喧嘩させて楽しんでるじゃない。あれ、蛇とマングースの方がメジャーなのかな? それと同じよ」
エアニスが剣を構え直す。
「知ってるか? サソリや蛇に殺された人間は沢山居るんだぞ?」
「ふうん、そうなの。それは間抜けね」
アイビスの態度に神経を逆撫でられ、エアニスの口元が釣りあがる。
「はっ! 自覚が足りねーみたいだなッ!!」
エアニスはアイビスに斬りかかった。
魔族は分かりやすく表すと幽霊のような存在である。物理的な攻撃は全く通用しない。だが、レイチェルの魔導やエアニスの魔法剣ならば魔族の"存在"を削る事が出来る。
しかしエアニスの剣が届くよりも早く、アイビスはイビスに首元のチョーカーを後ろから掴まれ、体重を感じさせないようにフワリと宙に引っ張り上げられた。人間ならば間違いなく首を吊って死んでいるところだが、アイビスはぐぇ、と苦しそうな声を漏らしただけで、宙に浮かぶイビスに猫のようにつまみ上げられていた。高さは二階建ての家の屋根ほどもある。周りに跳ぶ為の足場も無く、エアニスの剣は届かない。
「よせ。目的はじきに果たされる。台無しにする気か?」
「このロンゲは関係ないじゃない。こいつ人間にしては強いし、弱ってるウチにヤっちゃおうよ? レイチェル=エルナースとヘヴンガレッドがあればいいんでしょ?」
首根っこを掴まれたアイビスは頬を膨らませ怒る。彼女のどこまでもふざけた態度に、イビスは目を細めた。
「帰りたくないのか?」
イビスの言葉の意味は、エアニス達には分からなかった。
しかし、その言葉には一際の重みを感じた。
「・・・わかったわよ・・・」
イビスの一言に、それまで子供のように駄々をこねていたアイビスが、途端に大人しくなる。不満そうな表情は相変わらずだったが。
エアニスは宙に浮いた二人の魔族を見上げていると、その姿は突然ゆらりと歪み空気に溶け始めた。消えるつもりだ。
「ま、待て!!」
思わず呼び止めるエアニス。彼らの目的、ルゴワールとの繋がり、何故レイチェルのヘヴンガレッドを狙うのか、あの二人から聞き出す事は山ほどあるのだ。
「行け。人間。俺達は、石の眠る神殿で待っている」
その言葉に、レイチェルの顔がざっと青ざめた。
そして、二人の魔族は風に溶けて、消える。
「何しに来やがったんだよ・・・アイツら」
悪態をつきながらも、エアニスは自分でも分かっている疑問を口にする。
レイチェルを助けに来たのだ。彼女に死なれては、困るから。ヘヴンガレッドの力はレイチェルにしか操る事が出来ないから。
あの魔族は、ずっと俺達の事を見ていたのだろうか?
エアニスは頭を振る。考えても分からない。あの魔族については、情報が少なすぎる。
「平気か?」
エアニスは剣を収め、立ち尽くすレイチェルに声をかける。
「あの二人は・・・ヘヴンガレッドを封印する神殿を、知っている・・・?」
レイチェルの旅の目的地。エルカカの民の一部の者にしか伝えられないと言う、"ヘヴンガレッド"を安置する神殿。7つの"ヘヴンガレッド"のうち、6つは神殿に、最後の1つはレイチェルが持っている。全てのヘヴンガレッドを集めた上で封印の儀式を行うのだという。
「あいつらに、神殿で保管されてる"石"を奪われたか・・・?」
「いえ、神殿の場所が分かったとしても、私がいないと神殿の中には入れない筈です。絶対に・・・」
「レイチェルの"石"が目的だと思ってたが、欲を出してきたか・・・。7つの"石"を全て手に入れる気か・・・」
それとも、初めから全ての石が目的だったか。
エアニスは考える。
7つの"ヘヴンガレッド"は、1つの"賢者の石"を表す。
"ヘヴンガレッド"が一つあるだけでも、ひとつの国を動かす事も出来るというのに、あの魔族は、ルゴワールは"賢者の石"を手に入れ、何をするつもりなのか。
エアニスの脳裏に、取り留めの無い想像が広がる。
まあいい、まあいい。
戦いの舞台が決まっただけで、やる事はこれまでと変わりは無い。
邪魔者は倒し、沢山の人間の人生を狂わせてきた"ヘヴンガレッド"を、封印する。
人間にとって250年前の魔族との戦争では必要な物だったのかもしれないが、あんなもの、今の世の中には無い方が良いのだ。
"石"に人生を狂わされた一人として、エアニスは強く思う。
エアニスは頭を振り、淀んだ気持ちを振り払う。
熟慮すべき事ではあるが、今はそれよりも。
「トキ、工場に戻るぞ」
「え?」
突然声を掛けられ、何の事か分からず眉を寄せるトキ。
「何て顔しやがる。
アリシアだよ。
地下道を先行させたチャイムとカインが、例の通信車両を見つけたらしい。
・・・会いに行くぞ」




