第61話 Die Game
時刻は深夜を過ぎ、もう暫くすれば空が白じみだす頃。
生き残ったマスカレイド部隊の兵士達は、旧市街の外れにある廃工場に集まっていた。
工場の内側から漏れる明りは窓を塞ぐ暗幕によって遮られている。今や廃墟となった旧市街に当然明りは無く、夜に建物内で明りを灯しているだけですぐに見つかってしまうからだ。
工場の中にあるのは、真っ赤に錆びた古めかしいトラックのボディに、ひび割れた沢山のタイヤ、何に使うのか分からない様々な金属製の部品。大戦中に稼動していた軍用車の生産工場だった。
その一角の床が大きく開いていた。床に空いた穴は大型のトラックが通れるほどの大きさで、地下に続くスロープが架けられていた。
エルバークの旧市街に無数に張り巡らされた地下道の1つだ。この工場から地下道を抜ける事によって、一直線に街の外へ出る事が可能だった。大戦中には、ここで集めた兵力を街の外に送り敵の背後を突いたり、製造した大型車両の搬出に使われていた。
マスカレイド部隊がこの地下道の入り口に集まっている理由。それは撤退の為だった。
ツヴァイは唇を噛む。撤退の理由はマスカレイド部隊にとっても天敵であるエアニス=ブルーゲイルがトラキアと合流してしまったからである。
1ヶ月程前。エアニス=ブルーゲイルは知人の墓参りに訪れる為、数日間仲間と別行動をとった期間があった。その情報を得たルゴワールの幹部会は急遽、動けるだけのマスカレイド部隊を集め、その人間離れした強さ故に危険視されていたエアニス=ブルーゲイルを襲撃した。しかしそれは、最新の銃器を携えたルゴワールの精鋭20人余りがたった一人の剣士によって全滅させられたという信じ難い結果に終わった。アダマンタイトの防弾服も易々と切り裂かれ、生存者は一人も居なかったと言う。
ルゴワールという世界最大の犯罪組織を驚かせたのはそれだけではなかった。襲撃の失敗を見届けた監視兵からの情報を元にエアニスブルーゲイルの素性を洗うと、その名は偽名である事が分かった。
彼の本当の名はザード=ウォルサム。あの"月の光を纏う者"だったのだ。
以来、一部の独断先行者は居たものの、ルゴワールは基本的にエアニスに対し正面から戦いを挑む事を止めた。
エアニスの強さが噂でも都市伝説でもないという事は、ツヴァイ自身、一年半前に"月の光を纏う者"としての彼と対峙した際目の当りにしている。エアニスの剣がアダマンタイトを切り裂く場面も。
レイチェル=エルナースの身柄確保、そしてトラキアの殺害は、エアニスとの接触を回避した上で行わなくてはならなかった。その為に策を巡らせ、戦力の分断にも成功した。
しかし、結局は失敗に終わった。原因は、ツヴァイがトラキアに向けていた執拗な敵意にあった。言うなれば、遊び過ぎたのだ。トラキアを殺し、レイチェル=エルナースを連れ去るチャンスは幾度もあった筈なのに。
しかし、原因の全てがツヴァイにある訳ではない。今の時点で彼自身気づいていなかったが、マスカレイド部隊を陥れた第三者の意識が、この戦場にはあった。
「撤退の準備が完了しました」
マスカレイド兵の一人が、ツヴァイの背中に声を掛ける。今やマスカレイド部隊が保有する自走可能な車両はこのトラックと、街外れに待機させた通信車両のみだ。人員や持ち込んだ装備など全てを運び出すには、地下道を2往復する必要があった。
「B班とC班は撤退を始めろ。A班と俺は次の便で・・・」
ツヴァイが部下に指示を出していると、兵士の数人が突然騒ぎ出した。何事かとツヴァイが振り向くと、地下道の入り口から、黒煙が噴出していた。
「地下道で火災です!! くそっ、誰かが火をつけやがった!!!」
誰か。
考えるまでも無い。トラキア達だ。レイチェル=エルナースと"石"の事を考えるなら、このままツヴァイを見逃す方がトラキア達にとっても楽な選択肢であろうに、彼らは自分達を逃がすつもりは無いようだ。
「面白い・・・!!」
本当に面白そうに、とても嬉しそうに、ツヴァイは凄絶な笑みを浮かべる。部隊の隊長として撤退を決めざるを得なくなり、すっかり興が冷めてしまっていた心が再びざわめきだす。
工場の外で銃声が響いた。銃声の中、何かが近づいてくる音--車の駆動音。
大して厚くもない工場の外壁を、金属のひしゃげる耳障りな音を上げ黒塗りのトラックが突き破った。
『うおあああああ!!!』
相手が誰か確認する事も無く、追い詰められ、疲労しきったマスカレイド兵達はありったけの銃弾をトラックへと撃ち込み始めた。
火花を上げるトラックの影から人影が飛び出す。トラックに向ける銃口がその影を追って揺らいだ瞬間、そのマスカレイド兵が吹き飛んだ。彼の胸に飛び込んで来たものは、トラックの中から発射された対戦車ライフル弾。トキはトラックの荷台に伏せて、対戦車ライフルを車体フレームに固定して撃っていた。目の前には即席で作った防弾壁があり、そこに開いた僅かな穴からマスカレイド兵達を見回す。
そしてトラックの陰から飛び出した影、エアニスが埃とガラスの散らばる床に音も無く降り立った。手にしている武器は赤黒く塗られた薄刃の長剣。マスカレイド達も聞かされている、アダマンタイトをも切り裂く魔法剣、"オブスキュア"。しかし、銃を構えるマスカレイド兵達との距離はまだ開いている。絶対に戦ってはいけないと言われていた敵を前に、マスカレイド達はこの状況ならば勝てると確信し、引き金を絞る。
突然、エアニスの周りの地面が脈打ち、人の背丈程の岩壁が生えるようにして現れた。地面から一瞬にして現れた無数の岩壁はマスカレイド達の銃弾を遮り、エアニスの姿を隠す。レイチェルがエアニスの為に魔導で作り出した障害物だ。
マスカレイド兵の一人が背中から血を吹いて倒れる。岩壁の合間をすり抜けたエアニスは、既にマスカレイド部隊との距離を詰めていた。返す刃で真横に居た兵も切り伏せた。そしてエアニスをフォローするようにトラックの荷台からトキのライフル弾が正確に敵の胴体へと送り込まれる。
マスカレイド兵達の持つライフルは銃身が長く、弾道を見切りやすい。さらにエアニスには相手から向けられた殺意を明確に感じ取るという魔導とは毛色の違う特殊な能力がある。相手が殺意を向けてくるほどに死の導線を明確に感じ取る事ができ、エアニスの動きは鋭さを増してゆく。つまり相手の殺意が強い程、彼は強くなる。
「ザード=ウォルサム!!」
ツヴァイがエアニスを昔の名前で呼び、銃の引き金を引いた。エアニスは返り血を浴びながら敵の体から剣を引き抜振り返る。放たれた弾はライフル弾ではなく、白煙が尾を引くグレネード弾だった。エアニスの目ならば剣の腹で弾を打ち返す事すら可能であったが、その途端爆発されては敵わない。振り返った勢いでそのまま体を捻り、最小限の動きで弾をやりすごした。爆風に備えレイチェルの作り出した岩壁に身を隠すと、グレネード弾はブシュンと気の抜ける音と共に爆発した。それは爆炎やニードルを撒き散らす事もせず、ただ周囲に白煙だけを撒き散らしただけだった。
「がっ!?」
エアニスが喉に手を当てて仰け反った。剣を取り落とし、背中を震わせ激しく咳き込む。
「エアニスさん!!?」
異変に気付き、トラックの中で身を隠していたレイチェルがエアニスの名を叫ぶ。
冷や汗を浮かべていたツヴァイに会心の笑みがこぼれた。
「何の策も無しに貴様を相手にするとでも思ったか!!」
エアニスは岩壁にしがみつく様な格好のまま、仰向けに倒れこんでしまった。それは今までのエアニスの戦いぶりからは想像もできないな弱々しい姿だった。
「毒ガス!!?」
トキが異変の原因に気付き、声を上げる。しかし、ツヴァイと、既にその数を3人にまで減らしたマスカレイド兵達にはエアニスのような異変は無かった。それは、エアニスと接近戦になった場合に用意された、エルフ族に対してのみ効果を表す毒ガスだった。
トキは荷台に固定していたライフルを外し、トラックから飛び出す。
「レイチェルさん!!風を!!!」
トキの短い言葉をレイチェルは瞬時に理解し、詠唱を短縮した風の術をエアニスの頭上で発動させる。倒れたエアニスを中心に空気が膨張し、爆ぜ割れる。それだけで、戦場に溜まった毒ガスは吹き散らされた。
ツヴァイは落ちていた鉄柱を拾い、倒れ伏すエアニスに向かって駆け出す。
「貴様さえ、貴様さえいなければッ!!!」
今やツヴァイにとってエアニスはトキと同じ位目障りな存在である。激昂したツヴァイは鉄柱を倒れたエアニスの頭へと振り下ろす。しかし鉄柱はエアニスの頭蓋を砕くより早く、火花を散らしてツヴァイの手から弾き飛ばされた。トキがライフルで撃ったのだ。
「ツヴァイ!! どこまで汚い手を・・・!!」
トキは続けて対戦車ライフルでツヴァイを撃つ。一発、二発と弾丸はアダマンタイトのマントとその中の身体を貫いた。ツヴァイの上体は大きく仰け反るが、それだけだった。
「ひはっ!!」
不死の体となったツヴァイにとって銃創など取るに足りない傷だった。裏返った笑い声を上げ、ライフルを乱射する。しかし銃弾はトキの目の前に現れた岩壁に遮られる。
無数にそそり立つ岩壁の一つからレイチェルが姿を現した。その手には光を飲み込む黒い球体が揺らめきながら宿っている。
空間転移の術。
「ッ!!!?」
ツヴァイの背筋が凍りついた。部隊を率いレイチェルの村を襲った時に、ツヴァイ自身も右腕と右脇腹をまるごとえぐりとられた忌まわしいあの術。
ツヴァイはレイチェルの魔導を封じるため、彼女を捕らえた際に魔力殺しの薬を打っている。魔力を操ると全身の血が逆流するような痛みが走る、大戦中に捕虜となった魔導師に対して投与されていた薬だ。実際にツヴァイは魔導を行使しようとしたレイチェルが薬の作用によって悲鳴を上げる姿を見ている。
薬を打ってから随分と時間が経っているので、その効力は弱まっているだろうとは思っていた。地面から岩壁を生やす程度の術なら、無理をすれば使えるのかもしれない。しかし、空間転移のような高位魔導が使えるとは思っていなかった。
この時の彼には、レイチェルに与えた薬がカインの手によって完全に抜かれているという事など知る由も無い。
レイチェルが手のひらの球を握り潰した。それは空間を渡り、ツヴァイの立つ座標に具現する。低い重低音と共に空気が吸い込まれる鋭い音が響き、虚空に黒い球体が唐突に現れて、そして一瞬で消える。
しかし球体がえぐり取ったのは、ツヴァイの持つライフルの銃身のみだった。ツヴァイが勘を頼りに身をかわしたのだ。ツヴァイの顔には安堵以上に、焦りの色が浮かぶ。
「・・・っ!! 構わん!!女を殺せ!!!」
残りの3人の部下に指示を下すツヴァイ。元々彼らの任務は"石"とレイチェルの確保が目的であり、それは完全な命令違反だった。しかし、空間転移の術を使うレイチェルは、"オブスキュア"を持つエアニスと同等の脅威となる。殺さなければ、自分達が殺されてしまう。ツヴァイの部下達に僅かに残っていた遠慮や慎重さが消え、弾幕が苛烈になる。
レイチェルは既に次の術の詠唱を終えている。背にした石壁の向こうでライフルを撃つマスカレイド兵に向け、右手をなぎ払うように振り抜いた。
ツヴァイには一瞬、レイチェルの向こう側の景色がずれて見えた。そう感じた次の瞬間、その"ずれ"はゆっくりと大きくなってゆき、レイチェルの目前にあるもの全てが真横に両断されていた。
レイチェルが作り出した無数の岩壁も、工場を支える鉄骨も、目前に居た3人のマスカレイド兵も、全てがレイチェルの胸のあたりの高さで斬り裂かれていた。ツヴァイに対して放った、「点」を制御する空間転移ではなく、「面」に対して作用する空間制御。「点」に対する制御よりも膨大な魔力を必要とするが制御が簡単で、広大な有効範囲と無慈悲な殺傷力を持つ。
空間の断裂に巻き込まれた3人のマスカレイド兵は即死だった。普段は悪人であれ人の命を奪う事に抵抗を見せるレイチェルだったが、相手は自分の村の人間を皆殺しにした仇である。
レイチェルに容赦は無かった。
「くそっ!!」
遂に全ての部下を失い一人だけとなったツヴァイは倒れた部下の銃を拾い上げてトラックに向かい走った。
トキはその背中に、当てたところで大して意味の無い銃弾を打ち込むか、足元に倒れたエアニスを介抱するかで迷いが生まれた。その隙にツヴァイはトラックに乗り込みエンジンを始動させてしまった。レイチェルがトキの元へ駆け寄る。
「追ってください!! エアニスさんの手当ては私がやりますから!!」
エアニスはレイチェルに抱え起こされる。解毒など治療の術はチャイムしか使うことが出来ない。しかしチャイムはカインと共に地下道を先行し街外れにある筈の通信車両を押さえるため別行動を取っていた。地下道に放たれた炎も、その二人によるものだった。
エアニスは苦しそうに息を吐いたと思うと、地面を蹴り飛ばしながら大声で悪態をついた。痺れでろれつが回らないせいか何を言っているのか分からなかったが、思いのほか元気そうなエアニスを見て、トキは胸を撫で下ろす。
「分かりました、エアニスを頼みましたよ」
「・・・わたしの代わりにエルカカの村の皆の仇を・・・お願いします」
沈痛なレイチェルの言葉に、トキは口を引き結び頷く。
ツヴァイのトラックはトキ達が開けた壁の穴から既に外へ出て行ってしまった。トキは自分達が突入に使ったトラックに乗り込み、キーを回す。マスカレイド兵の一斉射撃を受けた車体だが、エンジンは何事も無かったかのように頼もしい唸り声を上げ始動する。トラックをバックさせて工場を出ると、トキは旧市街の地図を広げながら、ツヴァイのトラックを追った。
◆
殺してやる! 殺してやる!! 殺してやる、!!!
次こそは、必ず、殺す! どんな手を使っても!! 必ず、だ!!!
ツヴァイはハンドルを握りながらも、ヒステリックに叫びシートの上で暴れる。
ザード=ウォルサムやレイチェル=エルナースの存在がある以上、正面から戦っても勝てない事は始めから分かっている。だからこそ、全ての計画を完璧に練り上げた。結果、戦力の分断に成功し、レイチェル=エルナースを攫い、トラキアを追い詰める事も出来た。
だというのに。
何処で狂い始めてしまったのか。
アリシアが誤作動を起こし始めた時からか。
カインというマスカレイド兵が裏切った所からか。
組織の命令でエルカカの村を襲い、"ヘヴンガレット"と関わってしまったからか。
アリシアを殺し、トラキアを逃がしてしまった時からか---。
記憶を遡るツヴァイは、そこでふと疑問を抱いた。
アリシアの顔が、思い出せない。
アリシアが死んで2年近く経っているとはいえ、何年も同じ環境で暮らし一緒に戦った、トラキアに言わせれば家族のような人間だ。顔を忘れるには早過ぎる。
しかし、どうしてもツヴァイはアリシアの顔を思い出せなかった。
顔だけではない、自分はアリシアをどのようにして殺した?
銃で撃ったのか、ナイフを突き立てたのか、それとも部下に殺させたのか。
そもそも、何故自分はアリシアを殺した? あいつは、自分にとっても家族だったのではないか?
おかしい。
昔の事が思い出せない。記憶が混濁し、夢のように曖昧な輪郭しか思い出す事が出来ない。
自分の頭はどうしてしまったのか。
震える手を自分のこめかみに当てた。すると、膝にパラパラと乾いた土が落ちてきた。戦いの中で付いた泥だろうと思ったが、違う。こめかみを掻くほど、その土くれはボロボロと落ちてくる。そしてツヴァイは、こめかみを掻く指先が"眼球の裏側"に触れた所で、気が付いた。
土くれだと思っていた物は、自分の頭の破片だった。
ツヴァイはルームミラーを捻じ曲げ、自分の顔を写す。そこに写るのは、薄い土気色で、顎部から右側頭部にかけて無数のヒビが走る自分の顔。掻いていた右のこめかみから右目にかけて肉は削げ落ち、右の眼球が剥き出しになっていた。
今のツヴァイの体は致命傷を受けたとしても死ぬ事はないが、流石に肉体の損傷箇所が増え過ぎた。傷口から傷口へと、傷口が広がっている。銃弾に貫かれる事も厭わない、不死の体を過信した戦い方を続けてきた報いだった。
自分はまだ生きているのに、体が、脳が、朽ち始めている。
「は・・・」
ツヴァイは震える息を漏らす。そして、首に下げていたデスマスクで崩れかけた自分の顔を隠した。何の解決にもならないが、それだけである種の安心感を得る事が出来た。
ルームミラーから前方に視線を戻すと、ツヴァイの進路を塞ぐように、横手の路地からトキの運転するトラックが飛び出してきた。
「!!!うぉあああああああっ!」
猛スピードで走るツヴァイのトラックが、トキのトラックの荷台に突っ込んだ。ツヴァイの運転席は一瞬にしてスクラップとなり、爆発音にも似た衝突音は静寂の支配する旧市街中に響き渡る。
真横から衝突されたトキのトラックは、衝撃を受け止めきれず車体を真横に引きずられ、廃屋にぶつかって横倒しになる。
轟音の反響が聞こえなくなった頃、トラックの運転席の窓ガラスが、内側から蹴破られた。
「いてて・・・普通ノンブレーキで突っ込みますか・・・?」
トキはガラスまみれになって運転席から這い出した。大した怪我は無かったが、目を回すには十分な衝撃だった。そして、横倒しになった荷台に突き刺さるツヴァイのトラックに目を向ける。
「!・・・これは・・・死んだかもしれませんね・・・」
思わず絶句した。ツヴァイの乗ったトラックの運転席は原型を留めていなかったのだ。運転席のドアを開けツヴァイの姿を確認しようとしたものの、もはや何処がドアなのかも分からない。ガラスの無くなった窓枠が確認出来たので、そこに手をかけドアを力づくで引き剥がした。しかし、運転席は完全に潰れており、ここにツヴァイの死体が挟まっているのかどうかも分からない。これではスクラップの鉄屑を解体するのと同じ作業だ。
月明かりのみを頼りに鉄屑の隙間を覗き込んでいると、背後から首に何かが巻き付いてきた。
「がっ!?」
首を捻じ曲げ振り向くと、そこにはマスカレイドのデスマスクがフードの中の闇に浮かび上がっていた。トキはデスマスクの模様と首元からこぼれる金髪で、それがツヴァイである事を確認する。衝突の直前に車外へ飛び出したのだろう。
トキはツヴァイの体を背中で押して、人の背丈よりもやや高い位置にある運転席から飛び降りる。短い落下の間に体を捻り、ツヴァイを地面に叩きつけるよう組み伏せた。肩に下げていたライフルを手にする暇すら無かったトキは、両手でツヴァイの首を、首の骨を折ろうとする。しかしその手は異様な怪力を持つツヴァイに掴まれ、マウントポジションに居たにも関わらずトキは地面に捻じ伏せられて腕を極められしまった。
純粋な力比べでツヴァイに勝てないことは自覚していたが、それにしてもこの腕力は異常だ。見ると不自然なまでに膨張したツヴァイの左腕がパチパチとはぜていた。トキは目を見開く。収縮に耐え切れない筋肉繊維が千切れ、腕の皮を破っているのだ。
人間は、自分の体を傷つけない為に無意識に力の制御をしている。しかし限界を迎え壊れつつあるツヴァイの神経は、それらの制御を失っていた。
筋肉が千切れようが骨が砕けようが構う事無く、ツヴァイは人間の壁を越えた腕力を全力で振るう。
(折られる!)
次の瞬間に両腕を襲うであろう激痛に覚悟を固めたが、不意にツヴァイの腕から力が抜けた。腕の筋肉が自らの力によってズタズタに引き裂かれ、遂には腱まで引き千切ってしまったか。トキはその隙を逃さず、低い姿勢から力を失ったツヴァイの右腕を掴み、頭から落とすように背負い投げをかける。
自分の背中に張り付いたデスマスクが、笑ったような気がした。数瞬後にはツヴァイの脳天を固い石畳に叩き付ける事が出来るというのに、トキは反射的に掴んでいたツヴァイの右腕を離した。
トキの背中に焼けるような痛みが一閃する。
背中を、斬られていた。背中に背負ったライフルの銃身と、アダマンタイトの防弾服もろともトキの背中は縦に斬られていた。不吉を感じ体を離していた為、幸い傷は深くない。
転がりながら距離を取ったトキはよろめきながらも立ち上がり、ツヴァイに向き直る。
トキはその異様な姿を見て息を呑む。
ツヴァイの右腕は、肘から先が無くなっていた。
その代わり、そこには片刃の分厚いナイフが生えている。
ツヴァイの右腕は魔導で動く義手だったのだ。彼の右腕は、エルカカの村を襲った時にレイチェルの空間転移の術によってもぎ取られている。彼女からその話を聞いていたにも関わらず、再会したツヴァイに右腕があった事をトキは特別疑問に感じる事は無かった。金さえ積めば、魔導式の義手を作る事も可能だ。今では魔導と科学によって失った体の一部を再生させる事すら出来る。その辺りまで考えは及んでいたものの、このような仕掛けがある事まで想像していなかった。
義手の下に仕込まれていた片刃のナイフは、肘から先の腕と同じ長さのロングナイフ。その刃からは、羽虫の唸るような音が聞こえ、チリチリと火花を---空気との摩擦による静電気を散らせていた。
「振動刃・・・実用化出来たんですね・・・」
トキも、マスカレイドに居た時にその武器についての構想を耳にした事はある。しかし、論理的に可能というだけで、その機能を実現させたという話は遂に聞く事は無かった。
振動刃。
超硬度の刃に対象に合わせた特定の振動を与えることによって触れた物質を分解、切断する刀剣類を指す。大して力を入れずとも鋼を切り裂き、アダマンタイトの防弾服すらもその機能の前では無力と化す。
トキは背中と共に斬られたライフルを捨て、懐から手のひらに収まる小さなリボルバーを取り出した。トキが持っている最後の武器。込められた弾丸は、1発だけ。それはトキにとって"最後の切り札"だった。
残された最後の一手が最後の切り札となってしまったが、奇しくもトキにチャンスが巡っていた。ツヴァイのマントが、自らの振動刃に触れて裂けていた。
あそこからなら、この切り札を撃ち込む事が出来る。
トキは気持ちを落ち着かせるよう大きく息を吐き、リボルバーに収められた弾丸を確認する。これを外せば、後はもう無い。
「ツヴァイ、次で終わりにしましょう。お互い、もう疲れたでしょう?」
「グ・・・」
疲労感を滲ませたトキの言葉に、ツヴァイは身震いと共に獣じみた唸り声を上げる。トキの目に、僅かな哀れみの色が浮かぶ。
もう、トキ言葉は届いていないのかもしれない。
ツヴァイは右腕の振動刃を振り上げ、駆け出す。制御を失った脚力で蹴られた地面は爆発したように砂煙を上げた。
トキはリボルバーを両手で構える。ツヴァイは警戒する様子も見せず距離を詰めて来た。このような小銃の弾が当たった所で、生ける屍となったツヴァイには大した痛手ではない。そう思っての行動か、あるいはトキの無駄とも呼べる行動に疑問を感じるだけの思考すら巡らせる事が出来なくなっているのか。
しかし、このリボルバーに収められた弾丸はただの鉛弾ではない。
レイチェルによる特別製だった。
トキはツヴァイをぎりぎりまで引き寄せる。今にも振り下ろされそうな振動刃を一顧だにせず、マントの裂け目を見据える。
死の匂いをこれほど間近に感じた事は無かった。しかし、トキは自分でも驚くほど落ち着いていた。自分の腕と、何よりもレイチェルを信頼していたから。
そして、リボルバーの引き金を、そっと引いた。
パン、と。
その銃身に見合った迫力の無い発砲音が廃墟に響いた。打ち出された小さな弾丸は、狙い違わずマントの裂け目からツヴァイの胸元へと飛び込む。
ツヴァイの体内で弾丸が砕けると、その体から青白い光がほど走り、焼けた鉄板に水を撒いたような音と水蒸気が立ち上った。血の焼ける匂いが広がる。
トキの左肩に振り下ろされた振動刃がビクンと跳ねて、そのまま止まった。
銃弾には、レイチェルの"浄化"の術の魔導式が細かくびっしりと刻まれ、弾頭には魔力を封じる事の出来る石、具体的にはレイチェルのヘヴンガレッドを包み、その魔力を封じているブラックオニキスの欠片が使われていた。
この銃弾を使ってください。
私の魔導を組み込んだ銃弾で、村の皆の仇をとって下さい。
レイチェルがそんな言葉と共にトキに渡していたものだ。
トキはリボルバーの銃口を下ろす。
ツヴァイは剣を振り上げたままの姿で、動きを止めてしまった。ピクリとも、動こうとしない。フードから覗くデスマスクでは、その表情を伺うことも出来ない。
永遠とも感じられる時が過ぎ、その体から立ち上っていた蒸気が完全に消えた頃、ツヴァイの体は突然、岩の割れるような乾いた音と共に腰から二つに折れた。そしてその体は、服を着たまま壊れてしまった石像のように、歪な姿で地面に崩れ落ちた。
トキは横たわるツヴァイに近づき、その顔を覆うデスマスクを外した。
ツヴァイの顔は石膏像のように白く、無数の亀裂が走っている。それがただの石膏では無い事を証明するように、こぽこぽと、深いヒビ割れから赤黒い血が流れ出していた。
変わり果てたその姿に、僅かながら胸を抉られる。
殺してやりたいと思い続けた仇だが、元は何年も一緒に戦ってきた仲間である。
トキはその顔をデスマスクで隠すと、その骸の傍らに跪いて、短く目を閉じた。




