第60話 アリシア
しゃがみながら壁に背を預けたエアニスは、懐から煙草を取り出し火を点ける。煙を大きく吸い込み、気だるげに吐き出した。ずるずると壁に当てた背がずり下がり、座っているのか寝ているのか良く分からない、なだらしない姿勢で落ち着いた。
「あ゛ー・・・これからどーするかなー・・・・」
「こんな所でだらけてる暇なんかないでしょうが!!」
放っておくと眠ってしまいそうなエアニスを、チャイムが襟首掴んで乱暴に引き起こした。
「だってよ・・・」
エアニスは煙草の入っていた空箱を無造作に放り投げた。煙草の箱は一度地面を跳ねて転がると突然はぜ割れた。それを見たチャイムが息を呑む。
一拍遅れて、タァン、と銃声が響く。
「お見事。これだけ暗くなっても一発で当ててきやがったな」
エアニスとチャイムは、旧市街の狭い路地裏に居た。
ノキアの店で旧市街での爆発を目にし、すぐにこの場へ駆けつけた二人だったが、借り物のバイクで旧市街を走っている途中、突然遠距離から狙撃を受けた。慌てて二人は銃弾の届かない路地裏に駆け込んだものの、そのまま動けなくなってしまったのだ。
狙撃手は恐らく二人。この路地裏から出て行けば撃たれる。エアニスの武器は、マスカレイドの防弾服すらも切り裂く魔法剣オブスキュアと、小ぶりな拳銃。チャイムは刃を潰した剣とも呼べない剣、ボーンクラッシャーのみで、今の二人には狙撃手と戦えるだけの武器も防具も無い。銃弾を斬り飛ばす事も出来るエアニスだったが、流石に夜闇から飛来する銃弾を見切る事は不可能だ。相手の銃口と、視線が見えていてこそ出来る技だった。
「俺達がのこのこ出て行けば狙撃手に撃たれて終了。奴らが俺達を仕留めに近づいて来たら、俺が斬り倒す。今は動いた方の負けだ」
「でも、トキとレイチェルが消えてから、もう随分経つよ・・・。旧市街で起こってた爆発や銃声も今じゃ全く聞こえないし・・・。二人が無事か心配だわ・・・」
「トキとレイチェルだぞ?
手加減を知らない世間知らずの天然ボケが二人だぞ?
最強じゃねーか」
「・・・うん、まぁ、そうかもね・・・」
全く心配していないように笑ったエアニスの言い草を、チャイムは微妙な表情で肯定する。もちろん、エアニスも本当に心配していない訳ではないのだろうが。
「それに、あまりこの件には関わるべきじゃ無いかもしれんしな。
・・・多分これは、トキの"しがらみ"だ。あいつがカタをつけるべき事なんだろうよ」
「なによ、ソレ。どういう事?」
「俺の口からは言えないよ。片付いた後にトキに直接聞け」
肩を竦めて答えるエアニスを、チャイムは不満そうに睨んだ。エアニスは短くなってしまった煙草を摘み、最後の一口の煙を吐き出す。
「まぁ、ここに張り付いてるのもそろそろ飽きて来た事は確かだ。それに・・・」
「・・・それに?」
「・・・煙草、これが最後の一本だからな」
ガクリと膝を折って脱力するチャイム。本当にこの男はふざけてばかりで、図太い。すこしはその度胸を分けて貰いたいと思うチャイムだが、エアニスのようにはなりたくないという思いもある。頭のネジと一緒に命まで落としたくは無い。
エアニスは火の点いた吸殻を放り投げる。吸殻は空中で弧を描き、ぽとりと地面に落ちた。薄暗い闇夜の中、赤い光が目印のように地面で燃えていた。
「撃ってこないな・・・」
エアニスは眉を寄せる。
今までは、エアニス達が路地から出ようとする度、またはゴミや煙草の箱をフェイクのつもりで放り投げる度、狙撃手は自分の存在を示すかのように正確に銃弾を送り込んできた。
エアニスは路地裏に転がっていた木箱を持ち上げ、通りに放り投げた。腐りかけた木箱は石畳に落ちると派手に壊れてバラバラと散らばる。銃弾は飛んでこない。
試しにエアニスは路地裏からローブの裾や長い髪をチラつかせてみたり、調子に乗って手や足を出したりする。やはり、銃弾は飛んでこない。
「・・・・」
「・・・・」
エアニスは、行っちゃう?みたいな顔でチャイムを見る。
「いやいやいや!!ゼッタイ罠だって!!!調子に乗って表に出て行った所をズドンって奴よ!!!」
「でも、さっきから敵の視線を感じなくなったような気も・・・あ、いや駄目だ。遠すぎて分かんね・・・。
ちょっと見てくる」
「だめーーー!!!」
路地裏でエアニスとチャイムが押し合いへし合いを始めると、突然視界の端で光が弾けた。そして、一瞬遅れて夜闇を引き裂くような爆音が二人の耳を劈いた。
「爆発!?」
「おお・・・ようやく第二ラウンドか。早く行かないとまた見逃しちまうぞ」
「ええっ!! 行くの!? ホントに大丈夫なのココ出ても!?」
「そんなもん、分かるワケないだろう」
「だ、だよね!! うええええーーーー・・・」
結局、チャイムの心の準備が出来るまで、それからもう暫くの時間を要した。
◆
広場で対峙するトキとツヴァイは、互いに銃を向け合っていた。
トキの銃は大口径の拳銃。ツヴァイは肩から吊った大型のライフル。互いにアダマンタイトのマントを着ていたが、フードと仮面は外し、素顔を晒していた。
互いに、相手の頭を打ち抜ける距離だ。しかし、二人にはその気が無かった。言いたい事や聞きたい事があるからだ。
「随分と優秀な軍師を雇ったそうですね、ツヴァイ」
トキの問いかけに、ツヴァイはその後ろに控える裏切り者の顔を見た。
「カインから聞いたのか?
全く、余計な事をしてくれたな。痛かったぞ、塔での一撃は」
レイチェルと共に瓦礫に身を隠していたカインは、額に冷や汗を浮かべている。数時間前まで自分の上官だった男を前にし、組織を裏切ったという事実が、より深い現実味を伴いカインの心に染みてゆく。しかしツヴァイはカインの事など眼中に無いといった様子でトキに向き直った。
「兵士の全員が一つの思考へ接続する事によって、軍隊が一つの生き物へと変わる・・・。
分かるか? 一人が見たものは全員が見た事になり、全員が一つの思考の元に動く。
俺達がUナンバーと呼ばれていた頃から求められていた究極の形が、今の我々の姿だ」
兵士が完璧なまでの連携と意思疎通を行う事で、郡は個となって敵を殲滅する。まるで一つの巨大な生き物のように。それは、トキがルゴワールの兵士だった頃からの戦い方だった。かつては部隊内で決められていたルールやサイン、そして互いの信頼と繰り返された訓練によって成立させていた連携を、ツヴァイは魔導と科学技術で容易に成立させたのだ。
「そして、その思考となるものが・・・お前がカインから聞いた通り、アリシアだ」
ツヴァイは、トキの心をを揺さぶるつもりか、焦らす様に話を進める。その効果は覿面のようで、トキの心には既に余裕が無い。
「アリシアは・・・生きているのですか?」
ありもしない望みにすがる様に、トキがそう問いかけると、ツヴァイは声を上げて笑った。
「お前は、アリシアの死を看取ったんだろう!?
ここにあるのは、墓の下にあった科学者の死体から取り出した脳だけだ」
銃を持ったトキの左腕が震える。すぐさまトキを取り囲むマスカレイド兵達が、対戦車ライフルを構えた。
憎悪。
トキの顔には、レイチェルもツヴァイも見たことの無い激しい憎悪の表情が浮かぶ。しかし、その影は一瞬で消える。
「相変わらずですね」
トキの声は冷め切っていた。表情は乏しかったが、相手を見下し嘲る様な色を帯びていた。それがツヴァイの癪に障る。
「自分じゃ大した事が出来ないくせに、他人の力を利用するのが本当に上手い。全く、上手に立ち回っていますよ」
ツヴァイの目がすぅ、と細くなり、トキを見据えた。トキは更に言葉を続ける。
「アリシアを裏切り、マスカレイドを自分のものとしたにも関わらず、結局アリシアの力に頼っているんですからね。出来損ないのマスカレイドを率いて、アリシアの言いなりに兵士を動かして・・・ツヴァイ、あなたはこんな事が楽しいのですか?」
「楽しいさ、下らない家族ごっこよりはな」
「・・・家族ごっこなんかじゃない。俺達は、家族だった」
ツヴァイの軽口にトキは反射的に言い返していた。普段の口調を忘れ、一人称を"俺"と口走ってしまう程度に、トキはこの瞬間冷静さを欠いた。ツヴァイはトキの言葉に驚き、トキ自身も自分の吐いた言葉に驚いていた。二人の間に沈黙が落ちる。
「・・・もういい」
興が冷めたといった様子でツヴァイは呟くと、おもむろにアダマンタイトのコートを脱ぎ捨てた。マントの下のツヴァイの体は作り物のように歪だった。胴体の三分の一が抉られた異様なシルエット。エルカカの村で受けた空間転移の傷だろう。人間が生きていられる体ではなかった。
レイチェルから聞いていた話は本当の様だった。ツヴァイも、魔族の手によって生ける屍と化していた。ツヴァイは抉られ極端に細くなってしまった腰から大振りのナイフを抜く。
「サシで勝負だ。互いに得意のエモノなら文句は無いだろう? 持っているな?」
トキもツヴァイと同じように、アダマンタイトのコートを脱ぎ捨て、腰の後ろに挿していた黒塗りのナイフを抜く。
「どちらかといえば、僕はナイフより銃の方が得意なんですがね。それに銃を持たせた部下に取り囲ませておいて、よくもまぁそんな正々堂々と勝負だみたいな事が言えますね」
「心配するな。お前との勝負がつくまで、部下に手出しはさせない」
「自分が不利になったら、部下に僕を撃たせるつもりでしょう?」
「俺にそのつもりは無いが、部下が勝手にやってしまったら許せよ」
「あぁ、でも、あなた人望なさそうですからその心配は無用かもしれませんね」
どの道、トキに勝負を拒否するという選択肢は無い。勝負を拒めば、自分達を取り囲むマスカレイド兵達の一斉射撃が始まる。そうなった場合、自分はともかく、やや後ろで事の成り行きを見守っているレイチェルとカインがこの場を切り抜けられるかどうか分からない。仕方が無いといった顔で、自分のナイフを弄びながら、トラキアは無造作にツヴァイとの間合いを詰め始める。
互いの間合いが触れ合う直前、トキが再び口を開いた。思わずこぼれた、本音。そして、加速的に膨らむ憎悪。
「この機会を与えてくれた事に感謝します。
正直、貴方の事は、銃など使わず、この手で! ナイフを使って!! 殺してやりたいと思っていましたッ!!!」
トキの豹変に歓喜の笑み浮かべるツヴァイ。
「俺もだ!!」
二人のナイフが火花を散らして噛み合った。互いに刃を振り抜く事を許さず、その動きが止まる。二人の足はその場で止まるが、噛み合ったナイフが小刻みに震えながら、互いの上体を押し合う。今、トキがマスカレイド達に銃で狙われたら身をかわす術は無いが、ツヴァイの言葉に嘘は無かったようでその心配は無さそうだった。
ナイフの鍔迫り合いで力負けしたのはトキの方だった。片腕が使えないうえ、力勝負では勝てないと悟ったトキは自ら身をひねる様にして後ろへ飛び、ツヴァイのナイフから逃れる。しかし身を引く瞬間にツヴァイのナイフが左肩を裂いていった。執拗にトキの懐に潜り込もうとするツヴァイに、トキは体を捻った反動を利用して、ツヴァイの鳩尾に踵を叩き込む。肺から殆どの空気を押し出され、体の軸を狂わせながらも、ツヴァイはトキから離れようとしない。互いのナイフはいつでも届く距離。反射的にトキはナイフを突き出す。
トキのナイフがツヴァイの胸を突いた。まるで、土に刃を突き立てたような感触がトキの手に伝わる。それは、人間を刺した時の手応えではなかった。
目の前で、ツヴァイが笑っていた。
トキの右即頭部に硬い衝撃が走る。一瞬ナイフの柄で殴られたのかと思ったが、そんな生易しいものではなかった。ツヴァイのナイフはトキの即頭部を切り裂き、刃が頭蓋を引っ掻いていったのだ。
「うあっ!!!」
思わず頭を抱えてしまうトキ。ぼたたっ、と右目の横からからおびただしい量の血が流れ落ちた。脱力感と吐き気に襲われ、思わず膝をつくトキ。
「トキさんッ!!」
レイチェルが悲痛な声でトキの名を呼んだ。
「ひははははははっ!! 腕が落ちたな!? トラキア!!
一年以上もぬるま湯に漬かっていたようじゃ当然か!!」
「・・・何が? 僕のナイフがあなたの胸を突いたのが先でしょう?
あたながそんな体じゃなかったら、勝っていたのは僕の方ですよ?」
「しかし、今立っているのは俺の方だ」
トキは俯き唾を吐く。暗い瞳でツヴァイを見上げ、
「下衆野郎・・・」
「はっ、言葉遣いが昔に戻ってるぜ」
ツヴァイはうずくまるトキの顎を蹴り上げた。斬られた頭を庇いながら、トキは仰向けに倒れる。そして倒れたトキの上に仁王立ちになり、ナイフを握る右腕を踏みつけ、その動きを封じた。
「貴様が死ねば、旧マスカレイド部隊の殲滅作戦はようやく完了だ。新生マスカレイドの本当の始まりは、今日この日になるのさ・・・」
そう宣言するツヴァイを、トキは血に塗れ、仰向けに倒れたまま見上げた。
一欠片も戦意を失わない、一欠片も恐れを知らない、その目で。
その眼差しに神経を逆撫でされたツヴァイは、奥歯を軋ませナイフを振り上げる。
突然、ツヴァイの背後の地面が破裂した。
まるで水面に石を投げ込んだ時の波紋のように、石畳の下にある土が真上に吹き上がる。その衝撃に押され、ツヴァイとトキは地面に転がる。
「何だ!!?」
ツヴァイは辺りを見回し、耳元の通信機からアリシアネットにアクセスし、戦場の状況を確認しようとする。しかし、どういう訳かアリシアからの回答も、アリシアネットで繋がっている部下達からも、何も返事が無かった。
「あそこだ!」
兵の一人がが声を上げ、廃墟の一角を指差す。そこには背の高い建物の屋上から、巨大なライフルを撃ち下ろしている男が居た。
ライフルは、自分達が用意してきた超長距離用のロングレンジライフル。それを構えていたのはエアニスだった。
「ザード=ウォルサム・・・!! ちっ、こんな時に・・・!」
ツヴァイは、エアニスを過去の名前を、吐き捨てるように呟く。エアニスとチャイムには選りすぐりの狙撃手に張り付かせ、動きを止めていた筈だった。その二人がここに居るという事は、狙撃手がエアニスに倒されたと考えるのが妥当だが、それならばアリシアネットから部下の消耗を知らせる通信が届く筈である。
ツヴァイが疑問を巡らせるうちに、エアニスはライフルから空薬莢を抜き、足元に転がした巨大な弾丸の一つを手早く銃身に詰める。
「チャイム、もっと踏ん張って貰わないと狙いが定まらねーよ」
「無理無理無理!!! こんな大砲の反動を人間が支えきれるわけないでしょうが!!」
チャイムはエアニスの背中を肩で支えるようにして立っていた。本来なら地面にアンカーを打ち込んだ銃座に据え付けて使うような巨大ライフルを、エアニスは肩にぶら下げ、腰だめで撃っていた。発砲時の反動は自分の力と体重では支えきれないと判断し、エアニスはチャイムに背中を抑えて貰いながらライフルを撃っていた。
「次、あそこ撃つ」
「ちょっと待っ ぎやーーーーーっ!!」
チャイムの悲鳴と共に、エアニスのライフルが轟音と発射ガスを吐き出した。衝撃は空気を震わせ、周りの床に溜まった砂埃を舞い上げる。発射された弾丸はエアニスの狙い通り、道路の端に止められていた装甲車を貫通し、その中の燃料タンクに着弾した。
ゴボン、と装甲車は密閉したドラム缶が爆発したように身震いをした。少しの間を置き、火達磨になったマスカレイド兵が車外に転がり出てきた。
マスカレイド達の視線がトキからエアニスに変わった。一斉に向けられる銃口。するとエアニスは担いでいたライフルを放り投げ、足元のカバンから伸びるロープを引っ張った。キン、キン、キキキン、と軽い金属音が連続して響く。ロープを全て引き抜くと、エアニスはカバンの中身を眼下の戦場へぶちまけた。それは、全てピンの抜けた手榴弾。安全ピンをひと繋ぎにして、全てのピンをほぼ同時に抜けるように細工をしておいたのだ。バラバラとまんべんなく地面に転がる手榴弾がマスカレイド達の逃げ場を八方から塞いだ。もちろん、それはトキの足元にも転がる。
「メチャクチャですね・・・!」
毒づきながらも、彼にはエアニスがカバンから何かを取り出した瞬間に、何となく展開が予想出来ていた。いかにもエアニスがやりそうな事だ。その為、トキの反応は冷静で早かった。
自分に向かい転がる手榴弾へトキは自ら歩み寄り、コツンと蹴飛ばしツヴァイの足元へ落とした。そして全力で路地裏に飛び込み、地面に伏せる。
次の瞬間、手榴弾は僅かな時間差で次々と爆発してゆく。時間にして5秒足らずの間に20を超える手榴弾が炸裂した。
殆どのマスカレイド兵はアダマンタイトの防弾服を着ている為、爆発の直撃を受けたとしても精精打ち身程度の怪我だろう。爆発から離れていた者や、上手く爆風と共に飛んだ者は、軽く目を回しただけだった。つまり、エアニスの絨毯爆撃はマスカレイド達にとっては目くらましでしかなかった。無論、エアニスもそのつもりだ。
「いててて・・・危うくエアニスに殺される所でしたね・・・」
砂を払い、トキが身を起こす。爆発による煙で周りの視界はゼロである。
突然、後ろからトキの襟が掴まれた。
「居た!! トキさん!! 大丈夫ですか!!?」
砂煙の中から現れたのは、トキとツヴァイの戦いを離れた場所で見ていたレイチェルだった。その後ろにはカインも居る。
「ここは一旦引きましょう!! その怪我ではもう戦えません!!」
トキはツヴァイに斬られた頭に手を当てる。まだ血は止まっていないし、心なしか傷に近い右目の視界がぼやけていた。傷を鏡で確認するのが怖い。
「引くといっても、囲まれているのには変わりありません。でたらめに逃げたら、僕はともかくカインさんとレイチェルさんは連中に撃たれますよ」
トキの言葉にカインは黙り込む。煙の向こうでは、マスカレイド兵達が近づいてくる気配を感じる。唇を噛むカインに、不意に声が掛けられた。
「--後退、8時方向、東180メートルにてトラックを待機させました」
カインは驚き、その声を聞き取った自分の右耳に手を当てる。
声が聞こえてきたのは、カインが耳に付けていた通信機からである。機械的な女性の声。アリシアネットからの指令だった。
戸惑いながら辺りを見回すカイン。マスカレイドを裏切った時点で、カインの通信機はアリシアネットから切断されている。それ以降、耳元の通信機からは部隊内の通信も、アリシアネットからの指令も途絶えていたのに、今になって突然通信が送られて来たのだ。
何故、マスカレイドを敵に回した自分に、アリシアネットから利となる情報が送られてくるのか。真っ先に罠の可能性を考えたが、トキとアリシアの関係を知ったカインの本能はその声に従えと言った。
「・・・っ、こっちです!!」
カインはトキに肩を貸し、聞こえてきた声に従いマスカレイド達から逃げるように走り出した。
「--後方よりターゲット2、エアニス=ブルーゲイル、チャイム=ブラスハート」
再び通信機から聞こえるアリシアネットの声。カインが振り向くのと同時に、煙の中からエアニスとチャイムが飛び出してきた。
「待て待て! 俺達は敵じゃない・・・って、あんた、ノキアの兄貴じゃないか!!?」
「え!? ウソ!? どういう事!!?」
騒がしく追いかけてきた二人組は、ひと目でカインの事に気付き、警戒の眼差しを向ける。
「カインさんは味方です! それより、今はこの場を離れましょう!!」
「レイチェルが言うなら信じるが・・・それより、逃げ込む宛はあるのか?」
「えぇ・・・この先に・・・トラックが・・・」
カインは走りながら自信無さげに言うと、目前に路地裏に放置された軍用のトラックが姿を現した
本当にあった・・・そう小さく呟き、カインはトラックに乗り込む。レイチェルとチャイムは意識が朦朧とし始めたトキをゆっくりとトラックに乗せ、エアニスは追っ手を警戒し銃を構える。砂煙の向こうからマスカレイド達が姿を現すよりも早く、トラックは日が暮れようとしている旧市街を走り出した。
◆
「ご無事ですか!?」
トキと決闘まがいの事をしていた為、ツヴァイはアダマンタイトのマントを着ないまま、エアニスの絨毯爆撃に巻き込まれていた。ほぼ無傷の部下達に助け起こされ、顔を上げる。
「・・・ひ」
ツヴァイを助け起こした兵士は、彼の顔を見て息を呑んだ。顎が、ひしゃげていたのだ。
ツヴァイは部下の様子に気付き、自分の顎に手を当て外れた顎を無理矢理押し戻す。生ける屍となった体は、痛みに鈍感である。血流も遅く、出血は殆ど無かった。ツヴァイは懐に仕舞っていたデスマスクを被り、崩れかけた己の顔を隠す。
「奴らは何処に行った?」
「ふ、不明・・・です。先ほどの爆発から、アリシアネットの稼働率が著しく下がっています。現在、ネットワークによる戦場の状況把握が全く出来ていません」
「・・・何故ザード=ウォルサムと、チャイム=ブラスハートがここに居る。奴らとトラキアを分断させるために、狙撃手を二人、奴らに張り付かせていたんだぞ?」
「それが・・・狙撃兵の二人は、任務を中断し、アリシアネットから本体へ合流するようにとの指示を受けたと言っています。どうも、アリシアネットの稼働率を上げた時からエラーによる不可解な異常動作が続き、部隊内で誤った指令が飛び交っていたようです・・・」
「くそ、こんな時に。役に立たない女・・だ・・・」
立ち上がり溜息を吐いたツヴァイが、吐いた息を飲んで硬直する。
これは、本当にただのエラーか?
テスト運用中のアリシアネットが不可解な異常動作を起こす事は多々あるが、改良と最適化を重ねた今のアリシアネットはこのような異常動作が起こる事は無くなっていた。
それに、これはただの異常動作では無い。
マスカレイド部隊が、アリシアネットに陥れられた形になってはいないか?
ツヴァイは連続して発生した異常動作の中に、誰かの意思を感じた。
アリシアの、意思を感じた。
「まさかな・・・ありえない」
ツヴァイは軽く頭を振り、自分の中の馬鹿けた想像を否定する。
「全員、アリシアネットとの接続を切れ。無線も通常無線に切り替えろ。
それと・・・念の為だ。通信車に連絡を取り、アリシアを強制終了させろ」
◆
カインの運転するトラックは追撃者をかく乱する為か、旧市街を不規則なルートで走り、最終的に崩れかけた廃屋の中へとその大きな車体を隠した。
「また・・・こっぴどくやられたわね。エアニスじゃないんだから無茶しないでよ。
頭の傷は剃り込みハゲ決定ねー・・・」
トラックの荷台に据え付けられた長いシートに横たわり、トキはチャイムの魔導で治療を受けていた。瓦礫に潰された右腕と、ナイフで切られた頭の裂傷は特に酷かった。チャイムの小言に何も言い返す事無く手当てを受けるトキを、レイチェルは心配そうに見つめる。
その間、エアニスはトラックの中を物色する。今チャイムが使っている簡易救急セットの他に、ライフルが2丁と、多くは無いが銃弾があった。
「喜べ。夕食があるぞ」
エアニスがチャイムとトキに銀紙で包まれた携帯食料を放り投げた。
「うー・・・まぁ、何も無いよりかはマシか・・・。お昼も食べてないもんね」
チャイムはトキの手当てをしながら、携帯食料を齧る。トキとレイチェル、カインはその包みを見て溜息をついた。地下道の通信室で食べた携帯食料と同じメーカー、同じ味の物だったからだ。無いよりはマシと自分に言い聞かせ、銀紙を破いて中身を租借する。パサパサのクラッカーに口の中の水気が猛烈な勢いで吸い取られ、レイチェルがむせた。
「チャイムさん、モノ食べながら人の怪我の手当てするの止めて貰えませんかね?」
「細かい事言うんじゃないわよ女々しいわね。どの道こんな所じゃ衛生的な治療なんて出来ないわよ」
「そんな環境でも良い治療が出来るようベストを尽くしましょうよ。
あ、今食べかす包帯に巻き込みましたよ?」
「うーるさいっわねー・・・」
いつも通りのトキのフラット・テンションにエアニスは口元を緩める。とりあず、傷も心も大丈夫そうだった。
携帯食料の入っていた箱を漁ると、小さな袋に密封された煙草を見つけた。煙草を切らしていたエアニスは喜んで火を点け、残念そうに煙を吐き出す。エアニスがいつも吸っているバニラの煙草とは違い、異国の御香のような酷い味だった。紫煙を溜息に乗せながら、エアニスは仏頂面で助手席に、カインの隣に座る。
「事情は大体聞いてる。すまない、助かった。
上手く撒いたもんだな。ここなら、暫くは時間を稼げそうだ」
エアニスの礼にカインは言葉を返さなかった。ハンドルの上に両手を置いて、この状況の不可解さを、どう説明したものかと考える。
「・・・いえ・・・ここに逃げ込んだのは、私の判断ではありません・・・」
そう前置きし、カインはここに至った経緯の説明を始めた。突然、アリシアネットから退路の情報が伝えられた事。この廃屋に逃げ込むまでのルートも、全てアリシアネットからの指示であったこと。アリシアネットの事を知らないエアニスとチャイムには、それがどういう物かちゃんと説明した。
トキの双子の妹と、アリシアネットの存在を同時に知ったチャイムは、彼の辛い生い立ちと、あまりににも酷い現実に言葉を失う。エアニスも、アリシアに直接会ったことのある身として虫唾の走る思いだった。
「・・・じゃあ、俺達はそのアリシアネットに助けられたのか?」
「まだ罠だった、という可能性は捨て切れませんが、現に私達が体制を立て直すだけの時間を稼ぐ事が出来ました。恐らく、そういう事・・・なのでしょう」
カインの言葉には自信の欠片もなかったが、状況と現実を見る限り、そう判断するしか無かった。
「でも・・・これじゃあまるで・・・」
そう言い掛けてレイチェルは、口をつぐむ。感じた事を言葉にするのを躊躇ったのは、トキに気を遣った為だったが、その続きは当のトキが引き継いだ。
「・・・まるで、アリシアが僕達を助けてくれたみたいですね」
全員が、その虚ろなつぶやきに黙り込んだ。
それは、喜ばしい事なのだろうか。
命を奪われただけではなく、その亡骸から脳だけを持ち去られてしまった少女。その少女は体を失い、機械の中で意識だけの存在となりながらも、自分の家族を、トキを守ろうとしたのだろうか。
カインが沈痛な面持ちで首を振った。
「あり得ない話・・・だとは思います。アリシアネットが人間の脳に求められているのは、あくまで"性能"であって、"記憶"ではありません。
優秀な人間のずば抜けた演算力と柔軟な応用力を必要とする事はあっても、その人間の経験や知識、思い出は、兵器にとって邪魔者でしかないからです。
脳の性能と記憶は別物、つまり、記憶を全て消去しても、性能には影響が無いという事です。人工知能に転用される人間の脳には、そうやって性能のみを利用するために、データを、記憶の処理をされている筈です」
トキに要らぬ希望を持って欲しくない。その思いから、カインはアリシアネットについて知っている知識を述べた。
「人間の脳の仕組みなんて、未だに分からない事ばかりだ。実際に、こういう事が起こったんだ。そういう可能性だって、あるんじゃないのか?」
余計な事を言うな、とカインはエアニスを目で制する。その視線には気付かず、エアニスは言葉を続けた。
「でも、そういう事があったとしても・・・どうすればいいんだって話だよな・・・。
どうする事が、あの子への救いになるっていうんだ・・・?」
突然、何処かで小さな電子音が鳴った。
同時に、ガチャガチャと連続的な機械音が鳴り始める。チャイムが自分のすぐ後ろ、音のする方を振り向くと、通信機の横に据え付けられた小さな印刷機から、次々と紙が吐き出されていた。チャイムが恐る恐るその紙を手に取り、紙面に目を通す。
「・・・これ、連中の布陣図に兵力のレポートよ!?」
吐き出された紙には、旧市街の俯瞰図に、マスカレイド部隊の拠点や、残存兵のリスト、各兵士が現在持っている銃器の種類、現時点の残弾数、そして通信記録など、事細かに記されていた。トキが印刷された資料を一枚手に取り、それに目を落としていた。その様子をチャイムは横目で伺う。
トキの瞳が、揺れていた。
トキ自身あり得ないと感じていた可能性が、現実味を帯びてゆく。アリシアネットは、間違いなくトキ達に味方をしている。
印刷機の駆動音に混じり、今度は無線機のチューニング音がトラックの中に響いた。
全員が反射的に、赤いランプの点灯する通信機に目を向ける。
耳障りな高音が伸び縮みを繰り返し、高音は次第にざらざらとした雑音に変わる。雑音はボツボツとスピーカーのコーンを叩き、ぼぼっ、と一際大きく空気を震わせると音声は突然クリアになった。
スピーカーから流れてきたのは、オルゴールのメロディー。
ゆっくりと、穏かに流れるその曲は、初めて聴く筈なのにとても良く耳に馴染む、心の安らぐな曲だった。
エアニスは眉を潜め、チャイムを見た。彼女もエアニスと同じく怪訝な表情を浮かべ、首を傾げた。レイチェルもカインも同じ様なリアクションを返す中、トキだけは違う反応を見せていた。
その曲は、トキとアリシアが共有する生まれた日の思い出。
あの再会の日、互いが兄妹だという事を確信する鍵となった曲だった。
「・・・アリシア・・・」
トキは手にしていた資料を床に落とす。彼は呆然とした表情でスピーカーを見つめていたが、突然チャイムを押しのけるようにして通信機へ飛びついた。
「アリシア!! アリシアなんだろ!!? 俺の事が分かるんだな!!?」
通信機のマイクへ向かい、彼は大声で妹の名を呼ぶ。トキの中でとっくの昔に整理のついていた気持ちが、この瞬間に崩れた。儚い希望に、トキはすがりつく。
あまりに必死な形相を見せるトキに、エアニス達は息を呑む。トキがこれほどまでに取り乱している所など、見たことが無かった。
「俺だよ・・・トラキアだ!! アリシア!! アリシアっ!!!」
しかし、通信機から流れるメロディーは突然ぶつりと途絶えた。次々と紙を吐き出していた印刷機も、ぴたりとその動きを止める。
トラックの中に、耳が痛い程の静寂が訪れた。
「・・・・は・・」
乱れる息で僅かに喉を鳴らすと、トキは力なく崩れ落ち、トラックの床に両の膝を突いた。
カインは耳元の通信機を操作し、アリシアネットへの接続を試す。
「駄目です・・・。アリシアネットは物理的にネットワークから切断されてしまったか、動力供給を止められてしまったか・・・。アクセス出来ません」
トキは無線機の据え付けられた机に突っ伏し、自分の髪をぐしゃりと掴んだ。
「みっともない所を見せてしまいましたね。失礼しました・・・」
トキが薄い笑みを浮かべて、エアニス達に頭を下げた。その表情にはどっと疲れの色が現れていた。
「トキさん、今のは・・・?」
「・・・今の曲は、僕とアリシアを繋いでくれた思い出の曲なんです。
ほら、話したじゃないですか。僕とアリシアが、生まれた時に耳にした曲です」
「あ・・・」
レイチェルは、地下道でトキが語った話を思い出していた。トキとアリシアは生まれた時からの記憶を持っている事。それから別々に育てられ、十数年後に再会したあの日。トキとアリシアが互いに血の繋がった家族であると確信出来たのは、生まれた時に聞いたその曲を2人とも覚えていたからだという事。
「あの曲の事は、僕とアリシアしか知らない事なんです。だから・・・アリシアは本当に今も・・・」
トキはそう言って通信機を見下ろした。トラックの中に沈黙が落ちる。
死んだと思っていた妹が生きていた。しかし、この現実は決して喜ぶべき事ではない。その生の形は、あまりにもいびつで、痛ましかった。誰もが言うべき言葉を見つけられず、口をつぐむ。そして、視線を漂わせていたエアニスが偶然、一番最初にそれを目にした。印刷機から吐き出された最後の資料、いやメッセージを。
「トキ・・・。お前宛みたいだぞ・・・」
エアニスは印刷された資料の束からその紙を抜き取り、トキの目の前に差し出す。そこに印刷されていた文字は、一目で読めてしまうほど、短い物だった。
" 私を壊して "
トキはエアニスから紙を受け取り、その短いメッセージを何度も繰り返し、読んでいるようだった。
このメッセージも、アリシアのものなのだろうか。何かの間違いか、それとも文面とは違う意味が込められているのか。トキは様々な可能性を考えてみるが、アリシアの性格を考えると、やはりそうなのだろう。
一度は永遠の眠りについたにも関わらず、体を持たない意識だけの存在として、アリシアは今も生きている。しかし、それは生きていると呼べるものなのだろうか。脳だけの存在で体も持たず、断片的な意思しか感じられない所を見ると、明確な自我を持っているとも言い難い。
人間と呼べる存在ですら、無いのかもしれない。
生の定義は人や宗教によって様々だが、少なくともトキにとって今のアリシアは生きている存在だった。理由は、アリシアはトキの事を認識しているから。トキも断片的なメッセージから、アリシアの存在を感じ取る事が出来た。それは、トキにとって十分すぎる理由だった。
アリシアが何を思い、何を感じ今も生きているのか、トキには想像も出来ない。しかし最後に残されたメッセージを見る限り、そこにアリシアの生に対する望みを感じる事は出来なかった。
アリシアは、今の生から開放される事を望んでいる。
「カインさん、聞いてもいいですか?」
トキは手にした紙を折りたたみながらカインに問う。
「・・・なんでしょう?」
「アリシアネットは、この街にあるのですか?」
「・・・街の外れに、通信車両が待機しています。アリシアネットの本体も、そこに・・・」
カインは答えるべきか迷ったが、正直に教えた。トキがカインを見据える視線に、嘘が通じるとは思えなかったのだ。
「そうですか。やるべき事がまた増えてしまいましたね」
トキはそう呟くと印刷機から吐き出された資料を机に並べ、その情報を頭に叩き込んでゆく。アリシアの件は重要だが、それよりも差し迫った問題が目の前にはあった。はやる気持ちを抑え、まずは目前の問題を排除する為、思考を巡らせる。
「僕は戻ります。まずはツヴァイと決着をつけなければなりませんので。
皆さんはここで待っていて下さい。元々、今回の件は僕の問題です。これ以上巻き込んでしまうのも、忍びないですからね」
トキの口調は、わざとらしい程に素っ気無い。もうこれ以上、自分に関わらないでくれと心に蓋をしてしまった子供のようだ。
その様子を見て、エアニスは面白くなさそうに、こう言った。
「一人で行って、あの野郎とフェアな勝負が出来るとは思えないけどな。
まだ暴れ足りないんだ、露払いくらいはさせろよ」
いつものようにふざけているような口調だったが、その目は笑っていない。
「彼等は、あの男は、村のみんなの仇でもあるんです。私も最後まで戦います」
レイチェルも、言われた通り大人しく待っているつもりなど無かった。
「怪我人のくせに無茶しないでよ。一人で行かせるわけないでしょ?」
チャイムは軽く、いつものように。それでいて、当然のように、言った。
「裏切り者になってしまった自分からすると、今のうちにマスカレイド部隊は叩いておきたいんですよ。報復が怖いのでね」
カインが肩を竦めて笑う。マスカレイドから離反したカインも、この戦いの後は大変だろう。少なくとも、もうこの街に居る事は出来ない。
トキは皆の言葉を聞き、自分はずるい事をしているなと自己嫌悪を覚えた。こんな言い方をすれば、彼らはそう言ってくれるという事は分かっているというのに。
「・・・すみません」
それは、皆を巻き込んでしまったことに対する謝罪というより、皆の反応が分かっていながら、突き放すような言葉を吐いてしまった事に対する謝罪の言葉だった。始めから、こう言うべきだったのに。
トキは目を伏せ、エアニス達に向き直る。
「改めてお願いします---アリシアと僕に、力を貸して下さい」




