第59話 汚れる理由
山沿いに広がるエルバーク・シティの日没は早い。
旧市街に立ち並ぶ朽ちた街並みが、不気味な輪郭を見せ始めた頃。トキを探すツヴァイ達、マスカレイド部隊の動きが慌しくなった。
「予備隊の集合に、弾薬の補充、全て終わりました。動ける者は15人です。戦えないほどの負傷兵は9人、全員このエリアから退避させています」
ツヴァイの元へ、一人の兵士が報告に来る。その兵士も、赤黒いマントを纏い、首元に白いデスマスクを下げている。
場所は旧市街に立ち並ぶ廃屋の一つ。元々倉庫か工場だったのか、かなりの広さがある。そこを拠点として、ツヴァイは部隊の指揮をとっていた。
「15人もいれば十分だ。"お姫様"の調子はどうだ?」
「稼働率は70%を維持。先ほどの再起動後はエラーも無く、安定しています。
現状からシミュレートしたターゲットの潜伏場所も、4候補に絞られています。現在、調査隊が・・・」
その時、報告をしていた兵士の通信機へ、話に上がった調査隊から連絡が入った。兵士は通信機越しに相手と短く言葉を交わし、口元を笑みの形に歪めた。
「調査隊がターゲットを発見したそうです。場所は第1候補の地下通信室、誤差は5以内だそうです」
ツヴァイも会心の笑みを浮かべる。
「今日はお姫さん、いつに無く調子がいいじゃないか。・・・やはり、"会いたがっている"のかもな」
ツヴァイは廃屋にあった古びたソファーから立ち上がり、立て掛けていた身の丈程もある巨大なライフルを手に取る。
数時間前、そのライフルに体を吹き飛ばされた筈のツヴァイだったが、何処にも怪我を負っているようには見えなかった。魔族の術によって生ける屍となったツヴァイは、不死身に近い体を持っている。剣を突き立てられようが腕をもがれようが、彼は死ぬことは無い。
朽ちない体に妄執を宿した男は、フードを被り、デスマスクを顔に当てて歩き出す。
「"アリシア"の稼働率を100%まで上げろ。全員で出るぞ」
◆
トキ達が身を隠した地下通信室は沈黙に支配されていた。その沈黙をもたらしたのは、トキが語った彼の生い立ちと、唯一の家族との離別の話である。そしてトキは今、その唯一の家族を奪った仇、ツヴァイに追われている。
「・・・ミルフィストでの暮らしは、平和なものでしたよ。エアニスは名前と髪の色を変えただけで、僕は髪を切って眼鏡をかけて、言葉遣いなどの物腰を変えただけで、誰にも気づかれず半年近く過ごす事が出来ました。
マスカレイドに居た時の仕事でスパイの真似事ををする事がありましてね。この言葉遣いは、その中の役作りの一つだったんです。最初のうちは演技だったのかもしれませんが・・・今となっては、こちらが僕の本当の顔です」
蛇足だとは思いつつも、トキは沈黙に耐えかねて後日談を継ぎ足した。
レイチェルは湿って腐った板敷きの床に視線を落としている。トキの座る位置からでは、その表情は見えない。
「トキさんがノキアさんの為にこの町に留まっているのは・・・アリシアさんの事があったから・・・だったんですね・・・」
予想外の方面から突っつかれ、トキは鼻じろむ。
「・・・そうですね。少なからず、ノキアさんとアリシアの姿を、重ねていたのかもしれません」
いつもの薄い笑みを浮かべたまま、暗い天上を仰ぎ見るようにして言った。
この話で、レイチェルはトキが吐いた嘘に気づく事が出来た。
今日の朝、トキはノキアを助けるために街に残った理由を、自分の研究成果を試す為の人体実験が出来るからだ、と語った。それは全てが嘘ではなかったかもしれないが、トキがノキアを救おうとした本当の理由は、もっと優しいものであったようだ。
それは、自分の妹と同じ境遇の人間を、見捨てる事が出来なかったから。
「そして、私を助けてくれた理由は・・・
私といれば、あの男がきっと現れると思ったから・・・」
トキは目を伏せる。レイチェルにそのつもりは無くても、トキは責められている気分だった。レイチェルに隠し事をし、彼女を餌として利用していた事は事実だ。
「その通りです。今まで黙っていて、申し訳ありません。
ですが僕は、アリシアの仇をとる為なら、どんな手段でも使います。利用できるものは、全て使います。今の僕は、その為だけに生きているようなものですからね。
だから・・・もう一度言います。ツヴァイは、僕がこの手で倒します。レイチェルさんにも思う所はあるでしょうが、手出しはさせません」
レイチェルは言葉を失ったまま、ただトキを非難のこもった眼差しで睨む。トキは肩を竦める。
「なら、レイチェルさんはどうしたいんですか?
ツヴァイの心臓にナイフを突き立てたい? それとも、簡単に殺さず、指先から五分刻みにでもしますか?」
「それは・・・・っ!」
そのような言われ方をすると、言葉を返せなかった。レイチェルの目的は、そういうものではない。
ならば、レイチェルは何故ツヴァイを自らの手で倒そうとするのか。ツヴァイへの憎しみを消し去る為か。父の、故郷の村人達の無念を晴らす為か。
どちらでもない。ツヴァイを倒しても、レイチェルの中の憎しみは消える事は無いであろうし、レイチェルの父や村人達が、敵討ちを望んでいるとも思えない。
それはレイチェルが今まで考え続け、未だに答えを出せていない事だった。ただ、そうでもしないと、自分の気が収まらないという理由だけで今まで旅をしてきた。今の所、動機はそれだけだ。
レイチェルは唇を噛んでトキから顔を背ける。
「・・・それでいいんです。
亡くなった方達への責任感や、消える事の無い憎しみの為に、自分の手を汚す事はありません。
それに、こんな言い方はずるいのでしょうが・・・僕はレイチェルさんのような優しい人が、そんな目をしている所を見たくないんですよ」
最後の言葉は、普段なら茶化すような言い方をするトキだが、今日は違った。目を伏せて、辛そうに言った。その表情が意外で、どう答えてよいか分からなかったレイチェルは、トキの言葉の後半には触れずに反論する。
「じゃあ、トキさんは、違うんですか? 意味の無い責任感や、消えない私怨の為に、あの男を倒そうとしているんじゃないんですか?」
「少なからず、そういった思いもありますが・・・どう言うべきでしょうかね・・・。
そう、昔の自分を終わらせる為、とでも言いましょうか」
レイチェルは眉をひそめる。トキの言葉の意味が、分からない。
「こんな事を言っても、信じて貰えないと思っているので、誰にも・・・エアニスにも話した事は無いのですが・・・」
トキは笑って、大きく溜息を吐いた。何かを諦めたといった表情だった。
「僕の真面目臭い言葉遣いは、あの日から身を隠すための変装として演じていたものですが、今となっては別に演じているつもりも、自分を偽っているつもりもありません。物腰は変わっても、僕は僕です。ま、仮面にツラの皮だけ乗っ取られたようなものですね」
そう言って笑った。それは、レイチェルも分かっている。トキの昔の話を聞く限り、昔のトキと今のトキは、別人のようにその振る舞いが違う。しかし、その本質は何も変わってはいないのだろう。レイチェルは、これまでトキと一緒に旅をして、トキの穏やかな物腰とは裏腹な部分を、何度か垣間見ている。ノキアを救い出した時の一件が、その最たるものだ。
トキは少しだけ言葉を切ってから、話を続ける。
「ですが、こう考えてしまう事もあるんです。
今の僕は、全てを失った現実から逃げる為に作られた、もう一つの人格なんじゃないか、と」
二重人格。
レイチェルはすぐにその言葉を連想した。その考えを読んだかのように、トキは首を横に振って話を続ける。
「別に、二重人格みたいな大層なモノではありませんが・・・
時々、夢の中で昔の僕が言うんですよ。『ツヴァイを殺せ、いつまで逃げ回るつもりだ』ってね。
だから、僕の中に居る、昔の僕を終わらせる為にも・・・・また、今の僕がこの先に進む為にも、あの日の清算は自分の手でしなくてはならないんです」
それ以上話す事は無いと言うように、トキの言葉はここで途絶える。暗い地下室を再び沈黙が支配した。
「・・・この話は終わりにしましょう。別に、レイチェルさんに復讐を止めるように説得している訳ではありません。その資格もありません。
ただ、僕とツヴァイの事を知って貰いたかっただけです。それと、今までこの事を黙っていた事を、謝りたかった。
一年半前のあの日、僕がツヴァイの謀略を退けていたら、レイチェルさんも故郷を失う事は無かったのかも・・・」
「それは・・・どうでしょうか」
レイチェルがトキの言葉を遮る。
「もし、一年半前、トキさんがツヴァイを倒し、そのままルゴワールに留まっていたら・・・ひょっとしたら、私の村を襲う任務は、あの男じゃなく、トキさんが受けていたかもしれません」
トキは言葉を詰まらせる。
十分、あり得る話だった。
「もしそうなっていたら、私はツヴァイではなく、トキさんを皆の仇として追っていたかもしれません」
あり得たかもしれない違う結末の未来を、トキは想像してみる。
「僕が、ルゴワールから追われる事無く、マスカレイドの仲間やアリシアを失っていなかったら・・・あり得たかもしれませんね。
逆に考えると、それらを失ったから、僕はエアニスやレイチェルさん、チャイムさんと出会えた事になりますか。
今という時間に"もしも"なんてありませんが・・・さて、どれが誰にとっても幸せな未来だったんでしょうね」
トキは笑い、そして、大きく、大きく溜息を吐いた。
「手を出すつもりなら、覚悟をしておいて下さい。
ツヴァイは、強いだけではなく、僕が知る上で最も汚い下衆野郎です。後味の悪い戦になる事は保障しますよ」
レイチェルは、真剣な眼差しで頷く。
結局、折れたのはトキの方だった。
正直。ツヴァイとの戦に水を差されたくないというのは口実で、トキの本心は、これ以上薄汚い戦にレイチェルを巻き込みたくないという所にあった。しかし、レイチェルはのんびりしているように見えて、実は頑固な性格だという事は、今まで一緒に旅をして来て良く分かっていた事だ。
それに、これだけ言ったのだ。レイチェルの性格上、トキを出し抜いてツヴァイに戦を挑むような真似もしないだう。
トキは、レイチェルと共に、ツヴァイに、マスカレイド部隊に挑むことにした。
◆
トキが時計を見る。
日没までもう少しだった。
「少し、いいですか・・・?」
トキとレイチェルの話が終わるまで待っていたのだろう。カインは、ふたりの込み入った話が始まったあたりで、声が届かない程の距離を開けて座っていた。話が終わったのを見計らい、カインは二人に近づく。その顔色を見て、トキは僅かに驚く。
「・・・どうしました? 酷い顔色ですよ?」
「先ほどの・・・1年半前の話の中で、聞いておきたい事があります」
カインは、言い出しにくそうにしていたが、意を決したかのように話を切り出した。
「あなたの・・・双子の妹の名前は、アリシア=スティンブルクで・・・間違いないのですね?」
トキは眉を寄せる。カインは、自分とアリシアが兄妹だという事を知らなかったのだろうか。いや、今のマスカレイドメンバー達には創設メンバーである自分達の事など伝えられていないのかもしれない。必然的に、組織内の内紛という不名誉に行き着く話だ。情報統制が敷かれ、伏せられていても不思議ではない。
「えぇ、アリシアには通り名も偽名もありません。僕の知る限り、組織内で同一の名前の者も居ない筈です」
カインは目を閉じ、眉間にしわを寄せる。どう話すべきか、そもそも、話すべき事なのか、迷っていた。
「これは・・・私の思い過ごし・・・いや、想像でしかないのですが・・・」
ドドン・・・・・
遠くで地鳴りがした。その地鳴りに続くように、細かな振動が暫く続き、トキ達が身を隠す地下室の石壁を軋ませた。爆薬などで地下道の何処かが崩されたのだろう。空気の流れが変わったのを感じた。
「先手を打たれましたか。カインさん、今の話は、後からでも大丈夫ですか?」
「・・・えぇ」
カインはその言葉を最後に表情を切り替え、立てかけていたライフルを背負う。そして通信機の脇にオマケのように備え付けられた伝声管の口を順に空けてゆく。伝声管から伝わるのは風の音と、遠くで聞こえる人間の足音。電源が死んでいる通信室で、唯一この地下道の状態を把握できる設備だった。
「3つある全ての退路から同時に敵が来ています。これは・・・この地下道の構造を把握していないと出来ない事ですね・・・。
もうここに身を隠すメリットはありません。少し早いですが、地上に出ましょう」
カインは通信室の端にある木箱に上り、天井からハシゴを引き出した。
「ここを登ると、民家の倉庫に出ます」
「抜かり無いですね・・・この町の人々は・・・」
関心しながら、トキはハシゴを登る。次にカイン、レイチェルの順に続く。ハシゴは長く、2階建ての建物ほどの高さを登り地上に出る。
ハシゴの出口はカインの言う通り、何処かの民家の倉庫に繋がっていた。大戦中は、普通の民家を装いつつも防衛の重要な拠点として扱われていたのだろう。倉庫に散らばる埃を被った木箱は、殆ど銃器を仕舞う為のものだった。
「行きましょう。隊長の・・・ツヴァイの居る場所には見当が付きます」
カインは二人を先導するように歩き、民家の裏口から路地裏に出るために移動を始める。
ドカン!
と、カインの目前のドアが砕け散った。飛び散った散弾と木屑はカインに降り注ぐも、アダマンタイトのマスクとフードを着込んでいた為、ダメージは無かった。
同時に、三人のマスカレイド達が民家の中へ踏み込んできた。正面玄関から入り、廊下の脇の通路に身を隠し散発的に銃弾を撃ち込んでくる。
「この脱出口も把握されていたみたいですねっ!」
トキは身を乗り出して廊下の先の刺客にライフルを撃ち込む。銃弾は派手に壁を打ち抜き、その向こうにいた刺客を打ち倒した。しかし刺客はすぐに立ち上がり、さらに奥の壁に身を隠す。
「ここで足止めを食らうわけにはいきません、この先の裏口まで走って下さい!」
「え、でも!!」
裏路地への扉へ行き着くには、この銃弾が行き交う廊下を通らなければならない。チャイムが顔を引きつらせていると、トキが自分のコートを、アダマンタイトの防弾服をレイチェルに羽織らせた。
「少しの辛抱ですよ」
「え、でも、トキさんは!?」
「行きますよ!!」
カインは掛け声とともに廊下に飛び出した。その場に立ち止まり、正面玄関の周りにいる刺客へマシンガンの掃射を始める。その背に隠れるように、トキがコートを羽織ったレイチェルの手を引いて駆け出した。カインを盾にし、直線的な廊下を二人は駆け抜ける。
短い距離を走りきり、トキは裏路地への扉を蹴破ろうと身構えた時。
その扉から、さらに二人の刺客が姿を現した。もちろんその姿は赤黒いマントと、白いデスマスク。そしてその手には、アダマンタイトの防弾服をも打ち抜く対戦車ライフル。
その銃口が、トキに向けられる。
「くっ!」
トキは銃口から身を隠すでもなく、むしろ一足飛びで刺客の懐に飛び込むと、その太い銃身を鷲づかみにした。
ズドン!
対戦車ライフルの銃口が火を噴く。熱を持った銃身がトキの手のひらを焼いたが、その銃口は彼に捻り上げられ、天井に大きな穴を穿つのみだった。刺客はあまりにも大胆なトキの行動に驚き、隙を見せる。その手元をトキに蹴り飛ばされ、掴んでいたライフルは二人の前で180度回転、銃口は刺客自身に向けられる。
ドォン!
トキはためらう事無く自分の手元にやって来た引き金を引いて、目の前の刺客の腹を撃ち抜いた。アダマンタイトの防弾服を突き破り、金属繊維と血飛沫が舞う。もう一人の刺客は、トキに距離を詰められた瞬間、迷う事無く退いていた。その姿はもう見えない。
「そこの階段を上に!!」
その身を盾にトキとレイチェルを敵の銃弾から守っていたカインが叫ぶ。トキのすぐ横には地下と2階へ続く階段があった。二人はその階段を駆け上る。カインも玄関の刺客を牽制しながら身を引き、階段までやって来た。
「裏路地にも敵が居ます。一人逃がしてしまったので、外に出たら挟み撃ちですよ!」
ズドオォンッ!!
建物が大きく揺れ、階段の下から爆風が吹き抜けた。耳の奥を膨らんだ空気が圧迫し、吹き飛んだ木屑や小石が体を叩く。爆発力を抑えた手榴弾が炸裂したのだ。煉瓦と木材で作られた廃屋が傾き、ギゴゴゴと悲鳴を上げる。建物が崩れると思い、レイチェルはそれが何の意味も無い事だとは思いつつも、手近な柱にしがみついた。天井から降り注ぐ土くれと、建物の揺れが収まってから、三人は埃まみれの顔を上げる。
「ぶはっ! まるで戦争ですね・・・昔を思い出しますよ」
建物の下からは刺客たちの足音と、牽制の為の発砲が散発的に続く。
その時、レイチェルは急にこの場に居る事が怖くなった。トキが毒づいたように、まさにこの場は戦場だった。そして、これと良く似た空気を、かつてレイチェルは感じた事がある。
あの日、故郷の村がマスカレイド部隊に襲われた時だ。
カインは階段の上から下階に向かって、敵から奪ったグレネード弾を無造作に撃ち込む。それは硫酸弾だった。当たればマントに染み込み、酸が皮膚を焼く。対衝、耐熱、に関しては右に出るものの無いアダマンタイトの防弾服だが、酸への耐性はいまひとつなのだ。これはアダマンタイトの問題ではなく、マントの構造による問題だ。液体を通す程度の隙間まで埋めてしまっては動き易さに支障が出るため、そこまでの対策は施されていないのだ。グレネード弾の中身に気付き、刺客達は追撃を躊躇する。
「まだ退路はあります!2階から隣の家に飛び移りましょう。屋根伝いに上手く逃げられるように、このあたりの家は建てられています!! 下の連中の足を止めますから、先に行っていて下さい!!」
「どの家も凄い傷んでますが、屋根抜けないですかね? 踏み抜いて落ちても笑わないで下さいよ!」
トキの軽口に笑いかけるとカインは階段の踊り場まで戻り、下階の刺客に銃弾の雨を降らせる。
カインに言われた通り、廊下の先にある窓に向かいトキはレイチェルの手を引く。が、不意にレイチェルの足が止まる。彼女の身は恐怖で竦みあがり、動けなくなっていた。
「レイチェルさん!」
トキはレイチェルの表情でそれを悟ると、彼女の肩を掴み、その名を呼んだ。トキの顔にはさっき撃ち殺した刺客の返り血が散っている。レイチェルは、トキの声にすら恐怖を覚え、その目を、耳を塞ぐ。
「ここまで来て、目を閉じるんですか!?
その程度の覚悟で、ここまで来た訳じゃないでしょう!!」
トキの一喝にレイチェルは目を開く。
これでは村を襲われたあの日と変わらないではないか。いや、むしろ恐怖を覚えてしまった今、きっと自分はあの日の自分より、弱い。
ついさっきまで、村の皆の仇はこの手で討つと息巻いていた自分が情けなくなった。
(そうだ、トキさんが言う通り、私の覚悟はこんなものじゃない!)
全身を縛る、恐怖という鎖を引き千切るように、レイチェルは顔を上げる。
その視線の先、トキの肩の向こうに、窓の外で銃を構えた刺客が居た。上の階からロープで降りてきたのだろう。彼女がそれに気付いた瞬間、二人にマシンガンの銃弾が降り注ぐ。
「トキさん!!」
トキはレイチェルに自分のアダマンタイトのマントを羽織らせており、銃撃に対し無防備な状態だった。レイチェルはトキの腕を引いてその場に押し倒すと、マントを羽織った自分の身を盾に、彼に覆い被さる様にして伏せた。レイチェルの背中に何発もの銃弾が打ち込まれる。マントをしっかりと着込んでいなかったせいか防弾マント越しに伝わる銃弾の衝撃は思ったより強く、レイチェルは息を詰まらせた。刺客の一人が慌てた様子で仲間の目の前に左手を差し出し、発砲をやめるように促した。今撃っている相手が捕縛命令の出ている少女だと気づいたのだ。
トキは銃弾の雨が止んだ隙を突き、レイチェルの頭を庇いながらライフルを突き出して窓の向こうの刺客を撃った。弾丸は狙い違わず刺客のぶら下がるロープを打ち抜き、刺客は裏路地の瓦礫の山へと落下した。銃を構えるトキの無事を確認し、レイチェルは深く安堵の息をつく。すると、自分が圧し掛かっているトキに肩を強く掴まれた。
「なんて無茶をするんだ!」
トキが普段の様子からは想像も出来ないような声で、レイチェルに言った。驚き、ぽかんとするレイチェルを見て、彼はハッとしたように口元に手を当てる。
「いや、すみません・・・助けてもらっておいて、この言い草はありませんよね」
トキは俯くようにしてレイチェルに頭を下げる。そして、苦笑するように、
「全く、こういう時の覚悟は人一倍なんですから・・・見ていられません」
「ご、ごめんなさい、余計な事でしたよね・・・」
そう言って、レイチェルは覆いかぶさっていたままのトキの胸元に、こつんと額をぶつける。頭を下げて謝ったつもりだった。その時彼の胸から感じた鼓動は、早鐘のように打ち鳴らされていた。やはり、心配させてしまったのだろうか。
しゅんとしてしまうレイチェルにトキは手を振る。
「いいえ、今のは助かりました。
僕のほうこそ、謝ります。先程の、『その程度の覚悟で・・・』とは、失言でした」
「・・・そ・・・そうですよ! さっきは別に怖かった訳じゃなくて、ちょっと立ち眩みしただけだったんですから!! もう大丈夫ですっ!!!」
レイチェルはピースサインと共に、勇ましい口調でうそぶく。嘘だったが、もう大丈夫という言葉は嘘ではなかった。恐怖で身が竦み、動けなくなっていたのが嘘のように今は体が軽い。トキと話しているうちに緊張が無くなったか。あるいは、銃弾に自ら身を晒した事で頭のネジが飛んでしまったのか。
珍しくおどけて見せるレイチェルに、トキは笑いかける。その笑顔を見て、レイチェルも微笑んだ。
「人が必死で敵の足止めしてるのに何イチャついてるんですか!!!」
必死の形相のカインが二人の元に追いついた。
彼にはレイチェルが半身を起こして座るトキに、しなだれかかる様に顔を寄せ、語り合っている様に見えたのだ。その構図に気づいたトキとレイチェルは慌てて飛び退く。
三人は隣の建物の屋根に飛び移り、刺客を振り切る為走る。その間、トキとレイチェルは、必死にカインの誤解を解くため、あの場で起こった事を刺客の相手そっちのけで説明し続けた。
◆
トキ達は、カインの案内でツヴァイ達が拠点としている倉庫へ移動をしていた。しかし、マスカレイド達の散発的な攻撃に遭い、目的の場所になかなか近付けないでいた。
刺客の追撃を逃れ、3人は路地の影に隠れる。そこで突然、トキの体が傾き、レイチェルの肩にぶつかった。
「トキさん!?」
「・・・おっと、失礼」
トキはふらりとした足取りで身を起こし、背中を壁に預けた。その顔色は青白く、額には汗が滲んでいる。
「右腕の出血のせいですね・・・」
カインが追っ手を牽制しながらほぞを噛む。
トキは地下道に落とされた時、右腕を瓦礫に挟まれ、使い物にならなくしていた。今は添え木をし、首から下げた三角巾で腕を胸元で吊っている状態だ。一度は止まった出血だが、走り回っているうちに再び傷口から血が滲み始めていた。
「まずいですね・・・さっさと決着を付けてしまうつもりでしたが・・・思い通りに行かないものです」
レイチェルは自分のスカートの裾を破り、それをトキの脇に硬く縛り付けた。しかし、既に同じ様な止血処置を行っているので、それは気休めにしかならないだろう。
「それにしても・・・連中の動き、格段に良くなりましたね」
トキの呟きに、レイチェルはハッと顔を上げた。
「私もそう感じました! さっきから、まるでこちらの動きが全て読まれているような感じで・・・」
トキもレイチェルも、再開されたマスカレイドの攻撃をそう評した。昼間のマスカレイド部隊も攻撃的で脅威だったが、その人数はトキ一人や、この三人を相手にするには多過ぎ、戦力の無駄があった。しかし、今は部隊を分断することで戦力の無駄を無くし、相手を倒す事以上に、追い詰める事を目的とした戦い方に変わっている。
カインも、トキやレイチェルと同じ感想を抱いていた。そして、トキとレイチェルは知らない、この変化の原因について彼は予想が出来ていた。
恐らく、ツヴァイは"あれ"を使っている。
カインはその予想をトキに告げるべきか、迷っていた。徐々に膨らむ焦りの感情を押し殺し、カインは空になったライフルに弾丸を装てんする。
その時、トキが何気なく、緊張感の無い声で言った。
「ツヴァイも随分と冷静な作戦を立てられるようになったじゃないですか・・・まるで、」
そこで一度黙り込むと、感情のこもらない声色で、こう続けた。
「まるで、アリシアが指揮しているようですよ」
「・・・!!」
その言葉に、カインの表情が凍りつく。ライフルに込めようとしていた弾丸が零れ落ち、石畳の上ででカチン、カチン、と冷たい音を鳴らす。
カインは、トキの言葉に異常なまでの反応を見せていた。
「どうされました?」
眉を寄せるトキに、カインは青い顔を向ける。
「あなたは・・・この布陣が・・・あなたの妹、アリシアさんが考えたものに、似ていると感じるのですか?」
カインは落とした弾を拾おうともせず、一言一言言葉を選ぶように質問する。
「あくまでも何となく、ですが・・・・似ていると思います。
本当の危険を見極め、それでいてギリギリの所まで自信を持って踏み込んでくる。自分の仲間の事を第一に考えた戦い方が、ね」
トキの回答に、カインは黙り込む。追っ手の攻撃など眼中に無いといった様子だ。
「先ほど、地下道を出る直前に私が言いかけた事ですが・・・やはり、今のうちに言話しておこうと思います・・・」
「今ですか? とりあえずココを切り抜けてからじゃ駄目ですか?」
攻撃の手を止めてしまったカインの代わりに、トキが追っ手の潜む路地に銃弾を撃ち込み、牽制する。失血の為か力が入らず、ライフルの標準が定まらない。トキは柄にも無く舌打ちをした。
そんなトキに構わず、カインは話を始める。
「半年前から、マスカレイド部隊に人工知能技術を応用した"仮想戦術号令機"という兵器が導入され、現在テスト運用をしている所です」
「人工知能? アレですか、人間の思考を再現する魔導式の・・・?」
「人工知能の殆どが魔導式の機械ですが、仮想戦術号令機は違います。
人工知能についてはご存知ですか?」
「魔導式で人間の思考を模倣する、アレですよね。ですが、今の技術では単純な思考しか再現できない為、子供のオモチャや単純作業を繰り返す機械に組み込まれる程度のモノと聞いていますが」
「その使い物にならない単純な思考を、戦術という高度な計算が出来るレベルまで引き上げる方法が見つかったんです」
「どんなです?」
トキは何処か、カインの話を聞き流している節がある。あまり興味の沸く話ではなかったのだ。それより目前の敵の足止めが重要だった。
「人工知能のエンジンとなっていた核の部分を、従来の魔導式ではなく、人間の脳に置き換えたのです」
カインの話に対して、トキはようやく興味を持つ。レイチェルと共に、その表情は険悪な物へと変わった。
「悪趣味・・・」
嫌悪の色を帯びた声で、レイチェルが呟く。
「一番のネックだった、知能というエンジン部分を作る必要が無くなったのです。あとは、それを操作するためのインターフェースさえあればいい。その技術は、魔導式の人工知能を操作するものから、簡単に転用が出来たそうです。
これをもはや、人工知能と呼んでいいか微妙な所ですが、私が気にしているのは、マスカレイド部隊が使っている仮想戦術号令機のシステムネームです」
「勿体ぶりますね。何なんですか?」
カインは、なるべく、何も感じていないような口調で告げる。
「"アリシア"、です」
トキの引き金を引く指が止まった。
「従来の魔導式を核とした人工知能は、その思考のコピー元となった人間の名前を取る事が多いのです」
トキの耳から、カインの言葉以外の音が消える。耳元で弾けた銃弾の音でさえ、その耳には届かない。
「・・・これは、僕の考え過ぎなのかも知れませんが、
この場合、もしかしたら、"アリシア"の核となっているものは・・・・」
カインの言わんとしている事を理解し、トキの全身が総毛立つ。
その兵器には
あの日、セトの共同墓地へ埋葬した
アリシアの脳が、使われているかもしれない。
突如、3人の後ろの廃屋に巨大な大穴が開き、さらに隣の廃屋が爆発するように崩落した。途端に砂埃に包まれる視界。
「っ、! 砲撃!?」
まさに戦車砲を打ち込まれたような爆発だった。カインとレイチェルは、身を伏せて荒れ狂う爆風と細かな瓦礫から身を守る。しかし、トキはそんな爆発など無かったかのように、その場で立ち尽くしていた。煉瓦の欠片が額当たり、頬を血が伝う。
ふと、トキが横を向く。続いて、その方角から聞き覚えのある声が響いた。
「トラキア!!
ツヴァイの声だった。名を呼ばれたトキは、声の聞こえた方に向かい、無造作に歩み出す。確信でもあったのか、その様子に銃撃を警戒する様子は無い。レイチェルとカインが止める暇も無く、トキは大通りの真ん中に身を晒した。
「・・・ツヴァイ・・・!」
身の丈程もある巨大なライフルを携え、ツヴァイが旧市街の中央広場に立っていた。




